大胆さを生かすには、逸らない忍耐力もいる。

2012年07月02日 | 勇気について

4-2-8.大胆さを生かすには、逸らない忍耐力もいる。
 大胆さは、危険を冒すことに無頓着ということだから、危険に遭遇しやすい。だが、それは、わざわざに餌食になることを求めるものではない。できることなら被害は最小限にして危険な目にあわずに目的達成のできることが望ましいのは、大胆なひとでも同様である。したがって、場合によっては、無用な摩擦をさけて、無鉄砲な突進ではなく、「急がば回れ」と、逸らず忍耐するべき必要が大胆さにも生じる。大胆さは、攻撃では先手をとり、躊躇せず決断し、危険を覚悟もしてこれに賭けるが、盲進したのでは自殺行為でしかなく、大胆さは生きない。無暗に逸ってはならない。
 大胆さも、待つこと、つまり、逸らないことがいる。逸らない事が大胆となることがある。敵の待ち伏せでは、確実に攻撃がかなう至近距離に近づくのを待つのが大胆さになる。こちらも危険になるのだが、その危険に平然として、敵を確実に狙える距離になるまで、攻撃を我慢する。そこで逸って銃を発射すると敵は逃げる可能性が大となる。大胆さは、じっと待って、相互に危うくなる至近距離に来るチャンスを狙うことになる。 
 大胆さは、軽はずみ・粗忽とは、ちがう。思慮を欠いた短絡的な軽率さでは、大胆さの生きる場を見定める事ができず盲進して、戦争なら無駄死になるだけである。大胆さは、危険を冒す覚悟があるが、それは、自分の犠牲によって大なるものがなる場面でそうするのであって、無駄死の自殺行為とはちがう。粗忽に逸るのでは、大胆さは生きない。臆病者ほど、恐怖に我慢できず、逸って早まり短絡的な行動にでてしまう。大胆さは、恐怖をしっかりおさえ、危険をものともせず、はやまらず、遅れることもなく、ここというチャンスを精確に狙って、自身を生かしていくものであろう。
 大胆さは、「肉を切らせて、骨を切る」という精神である。危険を冒して、これに無頓着に突き進むのは、大目的を実現するためである。目的へと短絡的に結ぶのではなく、はやることなく深慮遠謀の忍耐をもって、敵を誘い出すのである。肉を切らせる危険を冒して、焦ることなくチャンスを狙い、骨を切り、危険なもの・敵の殲滅を企てる。大胆さも、理性的に熟慮をふまえ狡知を働かせる必要がある。危険に無頓着で、これを回避しないのだから、大いに優位に立てる効果的な作戦が可能となる。果敢な攻撃に集中するには、防御に割いているエネルギーを小さくすること、つまり大胆になる必要がある。その無防備になって(肉を切らせて)よい限度については細心の計算がいる。はやらず臆することのない勇気の忍耐力がためされる。
 大胆は、大きな心(=胆)である。はるかな大望をもったもので、大目的をにらんで深慮があり遠謀があってのものである。大胆に、向こう見ずになるといっても、見ることのできるかなた「向こう」は、しっかり見た上でのことである。よけいな心配とか杞憂などは捨て置いて、そういう向こうは見ずの「向こう見ず」になり、かつ逸ることなく精確にチャンスを狙い、決断したことを断固推し進めていくのが大胆さであろう。