節制の精神は、エコの新時代をリードする。

2011年03月08日 | 快楽への欲求を理性的に抑制(節制論3)
1-7-2.節制の精神は、エコの新時代をリードする。
 節制は、食欲・性欲の動物的欲求の抑制をもってなり、感性の抑制・忍耐の典型になる。その節制や忍耐は、おそらく、ひとの理性的精神の形成にかつて大きな役割を果した。いま、エコの時代となり、「省エネ」「節電」といった節する精神が取りざたされ、新しい生き方が模索されつつある。節制にも新らしい意義が見出されそうである。
 欲望を肥大化させた現代人は、大量消費・大量廃棄で環境を浪費・汚染して地球を破局に追いやりつつあるが、これを見直して、リサイクル等で廃棄物ゼロの循環型の生活に改めることをはじめてもいる。だが、それだけでは、肥大化した欲望は改まらない。これを適正なものに制御・抑制することが、さらにいる。節水、節電などの節度ある営みは、その新しい試みである。
 省エネ等のエコの試みは、無駄をなくすることであるが、場合によっては無理やりに欲求を抑圧して、生の営みを資本制以前の貧しさに引き戻すことにもなりかねない。無理をして生の活動を萎縮させるようなことのない、かつ浪費とならないような、適正な欲求にとどめた(生産・消費の)活動が求められる。節制は、この適正な欲求充足の理性的な活動そのものである。つまり、節制は、無理にダイエットして痩身の聖人になれというのでも、過食を放置して肥満・病身の成人になれというのでもない。自身にとって一番の健やかな食生活を節制は求めるのである。
 多すぎず、かといって少なすぎず、理想的な食生活をもとめるのが食の節制である。エコの未来も、欲望を肥大化させず適正なものにして、地球の厄介者にならないよう、健やかに営まれるべきであろう。節制は、これからのエコの生活そのものであり、かつ適正な欲求・欲望の理想型を確立するための良い見本となるものであろう。