気力

2010年12月24日 | 快楽への欲求を理性的に抑制(節制論3)
1-4-3. 気力
 変革の意志は、しばしば自他の抵抗をうける。打撃をうけて意欲を喪失させられることもあろう。「無気力」になるかもしれない。だが、意志が目的を堅持しておれば、残った力をそこへ注ごうという「気力」を奮い起こすことが可能である。
 意志がはるかな理念をかかげつづけるのに対して、気力は、根気と同様、身体レベルからこの意志を担う。気力は、気持ちを張り注意を集中して意志の支えをする。意志の活動のための気・エネルギーが身体に満ちておれば、「やる気」の「気力」が充実しているのである。
 「最後の気力をふりしぼって」という。意欲等が退散するなか、意志は、最後、気力だけで耐え続けることになる。マラソンでゴール目前、意識は朦朧としつつも、気力を維持してゴールする。意志は、気力をもって、身体的緊張を持続させ、注意集中をはかる。意志が高邁で堅固であれば、気力は鼓舞され持続力を高める。
 節制でも、ときに気力がもとめられる。大食漢が、歯を食いしばって空腹を我慢する状態では、気力がものをいう。あるいは、周囲の大食漢たちが節制の心を乱し「やる気をそぐ」ようなとき、気力をふるいおこすなら、ふらつく気持ちを引き締め注意を節制に集中していくことができる。