入間基地航空祭の前日11月2日は、九州南方海上で海上自衛隊との日米共同年次演習、
AE11に参加していたUSSジョージ・ワシントン(CVN-73)の取材に行ってきました。
前日深夜に沖縄入りし、0820に嘉手納基地第1ゲートで集合、基地のバスに乗り
海軍エプロンまで移動して、われわれ取材陣を運んでくれるVRC-30 DET-5のC-2Aの
機体の準備や荷物の積み込みなが終わるのをバスで待ちます。
バス内で安全についてのクルーのレクチャーを受け、機内に入ったのは
0930を過ぎてからでした。

C-2Aの機内には4列配置で後ろ向きに椅子が並んでおり、荷物と混載の
カーゴルームには窓は左右各1個、2個しかありません。
搭乗時にはライフベストとクレイニョ(整備員用の頭部防具)を装着させられます。
エンジンがかかると空調が効きはじめて、機内(足元)には水蒸気が発生、
ドライアイスをたいたステージ状態になります(沖縄は湿度が高いこともあるのでしょう)。
カーゴドアの上には「禁煙、シートベルト着用」のサインが点灯するなど
意外と旅客機っぽい雰囲気ですが、シートベルトは四点式だし、DET-5のマークが
ペイントされたシートは塗装が剥げてボコボコというのは、さすがに軍用機の趣です。

離陸は1000ごろだったと思われます。
行きはラッキーにも、窓のある列(通路側でしたが…)でした。途中、窓側席の
新聞記者にちょっとお願いしてコンデジを差し出し、外の様子を1枚。

高翼式であること以外、ほとんど軍用機っぽさもない写真ですが、C-2Aで
これを撮れるというのはけっこうな贅沢です。
嘉手納を離陸して40~50分ほど、シートベルトサインの上に、C-2Aならではの
サインが点灯しました。

空母への着艦です。
機外の状況は窓からはよく見えませんが、機動からオーバーヘッドアプローチに入り、
艦上でブレイクするのが分かります。それから約2分、最後列に座っている
ロードマスターが手を振りながら大声を出して着艦に備えるよう合図します。

そして着艦。
艦上で艦載機の着艦を見ていると、C-2Aの着艦はまだソフトな方だというのが
分かりますが、それでも暗闇の機内を急激に襲う衝撃と音はけっこうなものです。
フックが外されて甲板上をタキシング中にカーゴドアの上半分が開くと、まさにそこは
飛行甲板の上でした。

艦内ではまず控え室となる放送局のスタジオに連れて行かれ、2班に分かれて
艦内取材が始まります。航空雑誌の取材としては1分、1秒でも長く
キャリアオペレーションを撮影したいところですが、それ以外にも
艦長やCSG-5/CTF-70のインタビュー、フライトデッキコントロール、
エアオペレーションルーム、CDC(戦闘指揮センター)の取材など、
こなすべきことはたくさんあります。GWへの滞在時間は4時間ほどはあったのですが、
それでも本当に忙しく、結局艦上では食事もとれず、なんとトイレに行くヒマも
ありませんでした…(それでも取材に時間を割いてもらえたのは助かりました)。


艦上での航空機の詳しい様子は1月号をご覧いただくとして、ここでは誌面に
掲載できなかったフライトデッキコントロールを紹介しましょう。
フライトデッキコントロールとは、GW上のフライトデッキ(飛行甲板)、
ハンガーデッキ(格納甲板)での航空機のオペレーション全般を統括する部署で、
空母の模型上で飛行隊カラー別に塗装され、サイドナンバーが記された
航空機の模型を使って機体の発艦、着艦の段取りを決めたり、駐機位置や順番を
調整したりする管制所です。

中央に座るコントロールオフィサーをサポートする下士官が数人、そして
次席のコントロールチーフ(先任軍曹)は“スヌーピー”と呼ばれているそうです。
なぜそう呼ばれているのかは分かりませんが、その仕事は各飛行隊との調整。
「この飛行機を何時に発艦させたい」といった各部隊の希望事項は、すべて
スヌーピーを介してフライトデッキコントロールに集約されます。
チャーリー・ブラウン(オフィサー)のすぐそばにいつもいて、必要なサポートを
してくれる、という意味の命名なのかもしれませんね。

取材を終えて、実際に艦をローンチしたのは1530ごろ。じつはその発艦の衝撃は、
着艦より激しいのです。カタパルトにセットされて、一瞬のうちに300km/h以上の
スピードに増速するので、その際に後ろ向きに座った身体は一気に後方に
持っていかれます。足を踏ん張っていないと、前の座席の背もたれの下の部分に
確実にスネをぶつけてしまいます。時間にすればほんの数秒ですが、これも
空母艦載機の醍醐味であることは間違いありません。
そこから1時間弱かけて嘉手納に戻ると、嘉手納は大雨でした。
機体を降りるとき、“ヒコーキマニア”“海軍機マニア”の立場に戻って、
ロードマスターにあるお願いをしました。このお願いは、航空機1機の発艦につき、
ひとりにしかかなえることができませんが、今回の取材でC-2に乗っていた人のうち、
ヒコーキが好きそうな人は弊誌でもお馴染みの軍事評論家の
岡部いさく氏くらいだったので、岡部さんにはナイショで先にお願いしたのは
言うまでもありません…。
お願いの結果、ロードマスターは快諾。その結果手に入れたのは、発艦の際
機体と艦を繋ぐテンションバーのボルトです。スチームカタパルトの圧が上がって
機体を打ち出せるまでのパワーが確保されると、その力でボルトが折れて
機体が走り出します。下写真の上のものが折れる前のボルト(以前入手したもの)で、
折れたボルトは半分が艦上に、半分が前脚のセット位置に残ります。
ということで、ロードマスターは大雨のなか機首のところまで連れて行ってくれて、
目の前でこのボルトを外して私に手渡してくれました。

ちなみにこのボルト、機体重量などの問題で機種ごとに違い(白いものはE-2/C-2用)、
ホーネットでは繰り返し使える折れないタイプのボルトを使ってるようです。
そして下写真のバックに敷いてあるのは、艦長のラウスマン大佐とCAGのケイブ大佐の
連名で発行された着艦の証明書。
「アメリカでは“フッカー”というとよくないスラング(路上の情婦のこと)でも
使われますが(笑)、これであなたたちも私たち同様テイルフッカー(着艦経験者)です」
とはラウスマン艦長の言葉。
仕事とはいえ貴重な経験をさせていただいたので、羽田に2300過ぎに帰り着いて、
翌朝は入間基地航空祭のために0330には自宅を出発しても、文句を言うような
気持ちにはまったくなりませんでした。(神野)
AE11に参加していたUSSジョージ・ワシントン(CVN-73)の取材に行ってきました。
前日深夜に沖縄入りし、0820に嘉手納基地第1ゲートで集合、基地のバスに乗り
海軍エプロンまで移動して、われわれ取材陣を運んでくれるVRC-30 DET-5のC-2Aの
機体の準備や荷物の積み込みなが終わるのをバスで待ちます。
バス内で安全についてのクルーのレクチャーを受け、機内に入ったのは
0930を過ぎてからでした。

C-2Aの機内には4列配置で後ろ向きに椅子が並んでおり、荷物と混載の
カーゴルームには窓は左右各1個、2個しかありません。
搭乗時にはライフベストとクレイニョ(整備員用の頭部防具)を装着させられます。
エンジンがかかると空調が効きはじめて、機内(足元)には水蒸気が発生、
ドライアイスをたいたステージ状態になります(沖縄は湿度が高いこともあるのでしょう)。
カーゴドアの上には「禁煙、シートベルト着用」のサインが点灯するなど
意外と旅客機っぽい雰囲気ですが、シートベルトは四点式だし、DET-5のマークが
ペイントされたシートは塗装が剥げてボコボコというのは、さすがに軍用機の趣です。

離陸は1000ごろだったと思われます。
行きはラッキーにも、窓のある列(通路側でしたが…)でした。途中、窓側席の
新聞記者にちょっとお願いしてコンデジを差し出し、外の様子を1枚。

高翼式であること以外、ほとんど軍用機っぽさもない写真ですが、C-2Aで
これを撮れるというのはけっこうな贅沢です。
嘉手納を離陸して40~50分ほど、シートベルトサインの上に、C-2Aならではの
サインが点灯しました。

空母への着艦です。
機外の状況は窓からはよく見えませんが、機動からオーバーヘッドアプローチに入り、
艦上でブレイクするのが分かります。それから約2分、最後列に座っている
ロードマスターが手を振りながら大声を出して着艦に備えるよう合図します。

そして着艦。
艦上で艦載機の着艦を見ていると、C-2Aの着艦はまだソフトな方だというのが
分かりますが、それでも暗闇の機内を急激に襲う衝撃と音はけっこうなものです。
フックが外されて甲板上をタキシング中にカーゴドアの上半分が開くと、まさにそこは
飛行甲板の上でした。

艦内ではまず控え室となる放送局のスタジオに連れて行かれ、2班に分かれて
艦内取材が始まります。航空雑誌の取材としては1分、1秒でも長く
キャリアオペレーションを撮影したいところですが、それ以外にも
艦長やCSG-5/CTF-70のインタビュー、フライトデッキコントロール、
エアオペレーションルーム、CDC(戦闘指揮センター)の取材など、
こなすべきことはたくさんあります。GWへの滞在時間は4時間ほどはあったのですが、
それでも本当に忙しく、結局艦上では食事もとれず、なんとトイレに行くヒマも
ありませんでした…(それでも取材に時間を割いてもらえたのは助かりました)。


艦上での航空機の詳しい様子は1月号をご覧いただくとして、ここでは誌面に
掲載できなかったフライトデッキコントロールを紹介しましょう。
フライトデッキコントロールとは、GW上のフライトデッキ(飛行甲板)、
ハンガーデッキ(格納甲板)での航空機のオペレーション全般を統括する部署で、
空母の模型上で飛行隊カラー別に塗装され、サイドナンバーが記された
航空機の模型を使って機体の発艦、着艦の段取りを決めたり、駐機位置や順番を
調整したりする管制所です。

中央に座るコントロールオフィサーをサポートする下士官が数人、そして
次席のコントロールチーフ(先任軍曹)は“スヌーピー”と呼ばれているそうです。
なぜそう呼ばれているのかは分かりませんが、その仕事は各飛行隊との調整。
「この飛行機を何時に発艦させたい」といった各部隊の希望事項は、すべて
スヌーピーを介してフライトデッキコントロールに集約されます。
チャーリー・ブラウン(オフィサー)のすぐそばにいつもいて、必要なサポートを
してくれる、という意味の命名なのかもしれませんね。


取材を終えて、実際に艦をローンチしたのは1530ごろ。じつはその発艦の衝撃は、
着艦より激しいのです。カタパルトにセットされて、一瞬のうちに300km/h以上の
スピードに増速するので、その際に後ろ向きに座った身体は一気に後方に
持っていかれます。足を踏ん張っていないと、前の座席の背もたれの下の部分に
確実にスネをぶつけてしまいます。時間にすればほんの数秒ですが、これも
空母艦載機の醍醐味であることは間違いありません。
そこから1時間弱かけて嘉手納に戻ると、嘉手納は大雨でした。
機体を降りるとき、“ヒコーキマニア”“海軍機マニア”の立場に戻って、
ロードマスターにあるお願いをしました。このお願いは、航空機1機の発艦につき、
ひとりにしかかなえることができませんが、今回の取材でC-2に乗っていた人のうち、
ヒコーキが好きそうな人は弊誌でもお馴染みの軍事評論家の
岡部いさく氏くらいだったので、岡部さんにはナイショで先にお願いしたのは
言うまでもありません…。
お願いの結果、ロードマスターは快諾。その結果手に入れたのは、発艦の際
機体と艦を繋ぐテンションバーのボルトです。スチームカタパルトの圧が上がって
機体を打ち出せるまでのパワーが確保されると、その力でボルトが折れて
機体が走り出します。下写真の上のものが折れる前のボルト(以前入手したもの)で、
折れたボルトは半分が艦上に、半分が前脚のセット位置に残ります。
ということで、ロードマスターは大雨のなか機首のところまで連れて行ってくれて、
目の前でこのボルトを外して私に手渡してくれました。

ちなみにこのボルト、機体重量などの問題で機種ごとに違い(白いものはE-2/C-2用)、
ホーネットでは繰り返し使える折れないタイプのボルトを使ってるようです。
そして下写真のバックに敷いてあるのは、艦長のラウスマン大佐とCAGのケイブ大佐の
連名で発行された着艦の証明書。
「アメリカでは“フッカー”というとよくないスラング(路上の情婦のこと)でも
使われますが(笑)、これであなたたちも私たち同様テイルフッカー(着艦経験者)です」
とはラウスマン艦長の言葉。
仕事とはいえ貴重な経験をさせていただいたので、羽田に2300過ぎに帰り着いて、
翌朝は入間基地航空祭のために0330には自宅を出発しても、文句を言うような
気持ちにはまったくなりませんでした。(神野)
空母運用のノウハウは、中国海軍に誰も教えてくれませんが、意外と米海軍の空母打撃群が頻繁に香港に寄港して、空母のなんたるかを教えていたりして・・・というのは穿ち過ぎな見方ですか。
神野先生、沖縄の翌日が入間基地でしたか、お身体を大切に願います。
また一度、間近でカタパルト発進を見てみたいものです。神野先生、今度洋上の米空母に行く時は一般公募で連れて行ってください(笑)。「ワリャーク」は完成したとしても「カタパルトなし」ですから・・・。
なお「ワリャーク参観希望」と、わたくしに言われても困ります。しかしどちらも行って見たいものです。
蛇足ですが、『航空ファン』1月号付録の「F-Xパッチ」は、なかなかいいデザインです。普段こういうものに余り関心がないわたくしも見とれました。「迷い」の構図とはいえ、見事な三銃士です。この付録で50円高いだけですので、1月号は割安感があります。実はわたくしたち中年後期のマニアも居酒屋で、パッチ類を見せ合って自慢しています。以上
取材先で記者会見などで聞いていて、疑問符のつくような質問をする人もいることは否定しませんが、それはそれぞれのメディアで報じるべきことを、それぞれに質問しているのだと私は捉えています。そもそも貴重な取材の場に会社の看板を背負ってきているのですから、それぞれに勉強するなりテーマを持つなりして参加されているのだと、私は信じています(少なくとも私は会社と読者の皆さんを代表させていただくつもりで取材に出かけています)。
>田辺先生
香港は非常に微妙な立ち位置だと私は認識しているのですが、たしかにアメリカとしてはプレゼンスを誇示するためには香港というのはとても重要な場所なのかもしれません。応募者からの選抜とはいえ、沖止めの香港で一般の人に空母を公開するというのは、破格の待遇だとも思ってしまいますね。
ちなみに私も「米空母参観希望」と先生におっしゃられても、弊社の取材そのものがなかなかチャンスに恵まれない状況ですから、とても私の判断でご招待できる立場にはありません(苦笑)。
パッチの感想、ありがとうございました。読者の皆様にも喜んでいただけているとよいのですが。
ttp://www.kantei.go.jp/jp/noda/statement/201110/16kunji.html
(URLの最初の「h」は外してありますので、つけてオンラインでご覧ください)。
残念ながら『航空ファン』の雑誌の取材で行っているので、写真の撮影が最優先で、動画の撮影のチャンスも機材もありませんでした。Youtubeなどで検索してみれば空母の発着艦の動画もあると思いますので、ぜひそちらを探してみてください。
61ページのY-7改造の空中早期警戒機の写真は偽ものです。PS技術によりつくた物です。
艦上空中早期警戒機はたぶん現時で固定翼機はないと思います。製造の時間がかかるのです。
現時点で空中早期警戒機のZー8とするだろう。それは時間が短いです。でもそれでも際間に合わないとおもうので。ka-31を使うと思います。
自分のメールアドレスは
sina.comの前はhongsejulebuです
運7・Y-7AEWの通称「しいたけ、きのこ(蘑)」については、中国のネット情報でも「PS(中国ではAdobe社の写真加工ソフトPhotoShopで加工されたものを示す」という見解が示されていますね。楊先生の仰る通りです。ここで写真キャプションを改めさせて頂きます。
AEWとしてはKa-31ヘリコプターが使われることが、ほぼ決まっています。ただ中国国内には、そこでも申しあげたように「ARJ-21を対潜哨戒機に」というCGもあるとおり、ネット上に無理やり「国産AEWを」という意見もあり、その意味で本誌でもY-7の画像を扱いました。ご親切にご指摘を有難うございました。編集部ではなく、ここは著者の手落ちです。
またよろしくお願い申しあげます。