今日は憲法記念日だ。
筆者は、改めて日本国憲法を読んでみた。
アメリカの占領下で作成された、隷属化の憲法だと言う言い方をする人々がいる。
しかしもう一度、現行憲法を読んでみて欲しい。そこにあるのは、これこそ本来の民主主義の精神が表れている事に気づく。それほど民主主義の理想が表記されている。
憲法はあくまで国民のものなのである。国民に強制を強いる政府や国家機関から、国民を守る為の法なのである。
どうも残念ながら、戦後60年以上たっても、日本のかなりの人達が、民主主義とは何かという本質を理解していないように思う。
自民党の憲法改正案などでも見られる事であるが、国民の為の法というより、国民に強制するための政府の立場を表した法と、混同している面が感じられる。
憲法はどこまでも国民の権利を表し、それに伴う義務、文化的で安全な生活を保障するための法なのである。
議論の的である、第9条は戦争の放棄に関して簡潔に書かれている。余りにも簡潔な文章の為、この憲法に従えば、侵略者から国民を守る事も出来ないと読む人々もいるであろう。
しかし、国が国民の安全を保証する限りにおいて、自衛権は有るのだと少々苦しく解釈されている。
そこから警察予備隊、自衛隊と名称を変えながら戦力を保持してきており、国防軍と名称を変えようが、実質的な戦力を増強してきている事には変わりがない。
集団的自衛権の行使は、自衛権と判断するには問題の多い局面もあり、現行の法律では認められていないのだ。
ただ筆者は、憲法改正が本当に必要と考えるのなら、どこをどう変えたいのか、識者だけではなく多くの国民の意見も聞くべきであり、徹底した議論の末に国民投票をすべきである。
少なくとも、一票の格差が憲法違反と最高裁から言われている現行議員数の状態で、性急に改正を決議するような雑さがあって良いものでは決してない。
まして3分の2以上の賛成を要するものを、改正しづらいからと簡単に半数以上などと変える等、もってのほかだ。
筆者は、そんなに性急に変えないと立ちいかなくなるほど、憲法に古さも無ければ間違った表記も無いと思っている。
筆者は、改めて日本国憲法を読んでみた。
アメリカの占領下で作成された、隷属化の憲法だと言う言い方をする人々がいる。
しかしもう一度、現行憲法を読んでみて欲しい。そこにあるのは、これこそ本来の民主主義の精神が表れている事に気づく。それほど民主主義の理想が表記されている。
憲法はあくまで国民のものなのである。国民に強制を強いる政府や国家機関から、国民を守る為の法なのである。
どうも残念ながら、戦後60年以上たっても、日本のかなりの人達が、民主主義とは何かという本質を理解していないように思う。
自民党の憲法改正案などでも見られる事であるが、国民の為の法というより、国民に強制するための政府の立場を表した法と、混同している面が感じられる。
憲法はどこまでも国民の権利を表し、それに伴う義務、文化的で安全な生活を保障するための法なのである。
議論の的である、第9条は戦争の放棄に関して簡潔に書かれている。余りにも簡潔な文章の為、この憲法に従えば、侵略者から国民を守る事も出来ないと読む人々もいるであろう。
しかし、国が国民の安全を保証する限りにおいて、自衛権は有るのだと少々苦しく解釈されている。
そこから警察予備隊、自衛隊と名称を変えながら戦力を保持してきており、国防軍と名称を変えようが、実質的な戦力を増強してきている事には変わりがない。
集団的自衛権の行使は、自衛権と判断するには問題の多い局面もあり、現行の法律では認められていないのだ。
ただ筆者は、憲法改正が本当に必要と考えるのなら、どこをどう変えたいのか、識者だけではなく多くの国民の意見も聞くべきであり、徹底した議論の末に国民投票をすべきである。
少なくとも、一票の格差が憲法違反と最高裁から言われている現行議員数の状態で、性急に改正を決議するような雑さがあって良いものでは決してない。
まして3分の2以上の賛成を要するものを、改正しづらいからと簡単に半数以上などと変える等、もってのほかだ。
筆者は、そんなに性急に変えないと立ちいかなくなるほど、憲法に古さも無ければ間違った表記も無いと思っている。
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