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沖縄が日本に復帰して43年。沖縄県民の米軍基地反対の意思表示は強くなるばかり。

2015年05月16日 00時11分49秒 | 日記
 5月15日で沖縄が日本に復帰して43年になる。

 日本本土に住んでいる人達には、今でも沖縄は米軍基地に依存した経済になっていると思いこんでいる人達が多いようだ。

 しかし、沖縄県民総所得に占める割合は、たったの5.4%にすぎないのだ。

 そして沖縄県民は日本復帰以降も、基地負担の軽減を意思表示してきた。

 それが普天間基地の廃止と、辺野古沖基地建設反対の意思表示をしてきている。

 沖縄県民のこの強い意思表示は、最近の全ての選挙にはっきりと表れている。

 いったい民主主義政治とはどういう政治を言うのであろうか?

 どう解釈しても民意を尊重する政治を行なう事ではないのだろうか?

 ところが政権運営者は、国益の為に必要と言いだす。果して国益とは何なのだろうか? 沖縄に犠牲を押しつけ続けることが国益なのであろうか?

 そのような貧相な発想の政策を遂行する事が国益というのであれば、沖縄は真剣に独立を目指す方が、幸福になるのではないかと思ってしまう。

(琉球新報より貼り付け)

<社説>日本復帰43年 圧政はね返す正念場 将来世代に責任果たそう
2015年5月15日

 沖縄が日本に復帰してきょう15日で43年を迎えた。
 県民総所得に占める基地関連収入の割合は復帰時の1972年度に15・5%だったが、2012年度には5・4%に縮小した。基地経済から完全に脱却し、県民生活も豊かになった。
 だが、米軍基地が県民生活を圧迫し、さらなる発展を阻害する状況は続いている。その改善は国の務めだが、安倍政権はさまざまな分野の阻害要因となる新基地の押し付けを進めている。
 将来も米軍基地を県内に残すのか。沖縄にとって今が正念場である。国の圧政をはね返すことで「真の復帰」を実現したい。

●政治は国民のもの

 沖縄戦では本土の捨て石にされ、米軍支配下では人権を踏みにじられ、復帰後も基地の重圧に苦しめられてきた。70年にわたってそのような状況に置かれ続けた県が沖縄以外にあるだろうか。
 復帰運動の先頭に立った屋良朝苗主席の「復帰措置に関する建議書」前文にはこうある。
 「沖縄は余りにも、国家権力や基地権力の犠牲となり、手段となって利用され過ぎました。復帰という一大転換期に当たって、このような地位からも、沖縄は脱却していかねばなりません」

 県民が復帰に求めたことは国に手段として利用されることを拒否し、基地の抑圧から解放され、人権が完全に保障されることだった。
 現状はどうか。国は日米安保を重視する手段として沖縄を相変わらず利用し、県民は基地の重圧にあえいでいる。新基地建設は今後も沖縄を利用し続けるとの宣言にほかならない。

 復帰から43年たっても「建議書」の要求事項が実現されない状況は異常である。その状況をさらに悪化させる新基地建設は安倍政権の沖縄への圧政の表れであり、許すことはできない。
 自民党の立党宣言は「政治は国民のもの」と明記する。それが正しい政治の在り方だ。だが自民党総裁である安倍晋三首相の沖縄への政治姿勢はこれに反する。

 昨年の名護市長選、名護市議選、県知事選、衆院選沖縄選挙区では米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古への新基地建設反対の圧倒的民意が示された。「政治は国民のもの」である以上、民意を尊重すべきだ。
 立党50年宣言には「我々は国民の負託に応え、情理を尽くして幾多の問題を克服」したとある。1996年以降、自民党が沖縄に押し付ける新基地建設のどこに人情と道理があるというのだろうか。「情理」を尽くすならば、新基地建設計画は葬るべきである。

●新基地建設断念を

 安倍政権の圧政はその不条理さゆえに県内の各界、各層をまとめる結果になった。自己決定権の回復を求める大きなうねりは、安倍政権の強権的な姿勢にあらがう時代の息吹といえる。
 「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」には経済界も加わるなど、新基地建設に反対する運動はかつてない広がりを見せている。

 全国、海外からも沖縄の民意に呼応する支援が広がり、県民を勇気づけている。
 基地問題を通して沖縄から民主主義の在り方を国民に問い、実現を目指す契機にもなっている。
 新基地建設を強行する国に対し、愛知県岩倉市議会と長野県白馬村議会は3月議会で「中央と地方との対等をうたう地方自治の侵害にもなりかねない」とする請願・陳情を採択した。「沖縄だけの問題ではない」との意識の表れである。

 安倍政権は新基地建設を断念すべきだが、辺野古移設が「唯一の解決策」と強弁し続けている。思考停止に陥った安倍政権に沖縄の将来を委ねてはならない。
 県民は復帰に穏やかな暮らしと平和を求めた。それを実現することは、今を生きる県民の将来世代に対する責任である。

(貼り付け終わり)

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