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国民の命と平和な暮らしを守るためには、集団的自衛権などいらない。

2014年08月07日 00時53分19秒 | 日記
 平和が遠のいていく事に天も嘆いているような、雨の降りしきる8月6日の69回目の広島市 原爆死没者慰霊式・平和祈念式をTV中継で見ていた。

 例年ならば晴れて暑い会場であるが、今日の会場の中継を見て、筆者は日本の先行きに何か大きな不安を感じた。

 NHKの中継では、原爆被災の語り部が高齢になり、原爆の惨状を語り継ぐ人が途絶えるのではないかと報じていたが、69年の時代の経過が、国民の中にも、戦争の残酷さを知る人が少なくなってきている。

 若い世代の戦争体験はTVゲームの世界の中で知る程度であろう。自分の肉体に痛みも精神的な苦痛も与えず、負けてもリセットしてやり直せるし、本当の血も流れない。

 現在も戦闘状態にあるウクライナやガザの戦闘地のTVニュースも、死傷兵や市民の生々しい残酷に近い姿は、カットされている。そこに映し出されるのは瓦礫の山と、せいぜい子供の泣く姿くらいだ。

 最近は何かと言うと残酷に見える場面があるからか、事故現場などから搬出する時も、やたらとブルーシートで覆い隠されている。

 今日の式典で広島松井一実市長が平和宣言を読み上げた。安倍晋三首相の挨拶もあったが、集団的自衛権の閣議容認をぬけぬけと行いながら、平気の平左で平和祈念式典に出席する。

 いやはや政治家とは役者であるなあ。その場その場で本人はその気でしゃべっているのであろうか、まあオリンピック誘致の会場でも、平気で福島がアンダーコントロール下にあると、ぬけぬけ喋るのであるから、筆者などはこの男は信念を本当に持っているのかと唖然とした気持ちになる。

 この式典の後で安倍首相は被爆者七団体の代表者と面談した際にも、集団的自衛権行使は日本が再び戦争する国になると、被爆者代表から訴えられたが、相変わらず「国民の命と平和な暮らしを守るため。戦争をする国にするつもりは毛頭ない」と理解を求めただけだった。

 この安倍首相の言葉ほど相反する矛盾を抱えていると言うのに、国内保守系の大手メディア読売やNHK等も、何故かその辺りの矛盾を突こうとしない。

 この国はこうして戦争の出来る国になって行くのだろう。どんどん若者が減りつつあると言うのに。まずは後期高齢者があり余ってくるから、武器も持たなくても良いから敵の銃弾の盾になれば良いと考えているのか?

 余りにもブラックユーモアであり過ぎるよ。

(東京新聞 電子版より貼り付け)
集団的自衛権「撤回を」 被爆者の訴え、首相応じず
2014年8月6日 夕刊

 安倍晋三首相は六日午前、広島市で開かれた原爆死没者慰霊式・平和祈念式に参列後、被爆者七団体の代表者と面談した。被爆者側は、集団的自衛権行使を容認する七月一日の閣議決定を撤回するよう要望。首相は「平和国家の歩みは変わらない」と応じず、戦争による核の犠牲者たちの声は届かなかった。

 七団体の要望書では、現行の憲法解釈では国民の命が守れないとした閣議決定について「歴史的事実を偽り、被爆者の願いに背くもの」と批判。「焦眉の問題」として撤回を求めた。

 広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄事務局長は「平和記念公園の記念碑に『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』と刻まれている。閣議決定は碑文の誓いを破り、過ちを繰り返すものだ」と語気を強めて首相に訴えた。

 このほか、被爆者側は、原発の廃止やエネルギー政策転換、原発事故被ばく者対策の強化なども要望した。

 これに対して首相は、閣議決定について「国民の命と平和な暮らしを守るため。戦争をする国にするつもりは毛頭ない」と理解を求めただけ。武力行使を認める新三要件に触れ「限定的に行使する。そのことをしっかり(国民に)説明したい」と従来の説明を繰り返した。

 原発に関しても「再稼働はあくまで安全が大前提」などと述べるにとどめた。

(貼り付け終わり)

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