時々、雨が降り,肌寒い朝をむかえた。
唐松の紅葉が見事で、この葉がすっかり落ちれば
根雪になると、昔の人は言った。
怒濤の一週間が過ぎて,頭の中をリセットする余裕も無く
次の展開を自分なりにクリアーにして行かなければならない。
11月20日(土曜日)神戸から演奏依頼が入り、21日札幌でのレッスンに
間に合うように、いろいろ作戦を立てて,手配した。
早速、神戸から楽譜が送られて来た。
昨日、KUBO教室の発表会が終った。
多くの方々にご来場いただき,ありがたかった。
札幌で教室を開いて,20年、発表会が14回目、
歩みは本当にゆっくりだけど、ここに来て、生徒さんが
それぞれ充実して来たな・・・と思われる場面に何度も遭遇した。
お稽古事の範疇だけど、それぞれの生徒さんが、それぞれの目標を持って
練習を重ねて行く事が大切なんだと,知らされた。
そう・・急ぐことは無い。
空気をたっぷり使って、蛇腹は操作されなければ,いい音がしない。
熊本城は抜けるような秋の青空の下、くっきりと浮かび上がっていた。
最近になって,多くの募金活動が重ねられ、城内がどんどん充実している。
堀が巡らされた城郭にあって、
昔のお殿様(封建君主)は何を思ったのだろうか?
一度(ひとたび),戦が始まれば、己の首が目指されるべき「もの」になる。
城下を隈無く見下ろす天守閣には、『孤独』という文字が
一番似合う,戦国の世の哀しみが隠されていた。
羽田を飛び立って一眠り半したころ、断崖絶壁が目の前に現れ、
空母の甲板に降り立つがごとく、ジェット機は海から着艦した。
鹿児島空港。ゆでキャベツの入ったラーメンを一杯すすって、
私達は水俣を目指した。
民家の庭に葉を落とし、撓わに実を付けた柿が「北国じゃないよ!」と
言っていた。裏山は竹と杉が代表選手、耕地面積を稼ぐため?
住宅はその「際」に建築されていた。
大雨が降り,地盤が緩めば、家もろとも土石流に飲み込まれてしまう。
そんな山間の曲がりくねった道を車は走った。
朝の9:00時頃、東さんの「はりぼて」に挨拶し、
県庁の噴水前で記念撮影をした。
宮崎は最後の夜だったので,昨夜はちと飲み過ぎた。
フェニックスな道路、読売巨人軍キャンプ地を左に見ながら
青島を目指した。
2ヶ所のホテル、県営球場、ドーム等を借り切って、
プロ野球のキャンプは如何ほどの金を落とすのか気になった。
喜茂別の何時もの駐車場で
うとうとしているとき、ロッテの優勝が決まった。
昨夜もその前も・・・・延長戦だった。
その前の5時間何十分も、昨夜の4時間何十分も、
ホームランで決まるかと固唾を飲んだけど、
1点も許されない外野の前進守備の頭上を白球は越えて
試合が決まった。
25秒に一回づつ、双方の監督の「顔」が映し出されたけど、
表情からは計り得ない、押し殺した仏頂面があった。
因果な商売だと思ったりしたけど、身体に良い分けない。
今日は,コーラスの反省会、
朋子さんは,大阪に飛ぶ。