クアラルンプールで買ってきたプナン族の籐の背負いかごを、
クラフトテープで編んでいます。
初めは胴体から編むのか底から編むのか分かりませんでしたが、
胴体から編んでみて、これでいいと分かりました。
でも底編みのやり方、なかなか複雑で一筋縄ではいかないようです。
ところでボルネオ関係の本を読んでいるうちに、
インドネシア領のボルネオカリマンタンにも、似たかごを編む部族がいることが分かりました。
ダヤク・ケニャ族です。
この部族は、定住して焼畑農耕をしており、レヴィ=ストロースが「野生の思考」のなかでペナン族(プナン族)の独特な名前の付け方として考察しているものと、よく似た名前の付け方を持っているようです。井上真「熱帯雨林の生活」1991年 下の二枚の写真はこの本から取ったものです。
プナン族は周辺の定住民ダヤク・ケニャ族と交易して、鉄や塩、タバコなどを手に入れていました。プナン族は籐や沈香や樹脂などを渡していたようです。
ダヤク・ケニャ族にもいろいろな名称のかごがあり、私が持っているような目の詰んだ背負いかごはアンジャッと呼ばれているようです。
ダヤク・ケニャ族の集会所の壁に描かれている絵は独特のもので、赤ちゃんを背負うかごや正装の模様も同じです。かごの網代模様といい、模様自体に意味があるのでしょうか。
このケニャ・ダヤク族の生活についての動画がネット上にあります。同じ模様が出てきます。
ボルネオではインドネシア領でもマレーシア領でも熱帯雨林の伐採が進み、原住民の生活が脅かされています。マレーシア領のサラワク州でも森林伐採が進み、1980年代にプナン族が世界に知られたのは、森林伐採のためのトラックやブルドーザーの通り道に彼等がバリケードを作って、伐採の進行を阻止しようとしたからです。
その戦いは奥地のダム建設への反対運動として周辺民族も巻き込んで今も続けられています。
伐採された樹木の60%は日本に輸出されていました。ラワン材として合板の表面に張られています。伐採された後にしばしば植えられるパーム椰子も日本や欧米に、輸出されマーガリンや食用油、洗剤等に利用されています。
一方で日本の森林は手入れもされず放置されています。山村は高齢化が進み、高齢者中心の小規模農業はイノシシに脅かされています。掛川の私の家のまわりもイノシシに掘り返されています。
私が生きてもせいぜいあと20年、世の中はどんどん変わっていきます。その進み方についていけなくなっています。未来の子供達のために何を残せるのか、私に出来るのは全く個人的なことだけです。
11月から小平と掛川で、竹のかご編み教室を始めます。