竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

掛川城、高天神城、二俣城

2017-04-25 21:10:35 | 田舎暮らし

高校時代の音楽部の友人が掛川城を見に来ました。
彼は軽のワンボックスカーを少し手直しして中にベッドを作り、
道の駅などの駐車場に泊まって気楽に旅をしています。

各地のお城をめぐるのが好きで、掛川城を見に来たというので、
今度は私の車に乗せて近辺の山城などに案内しました。

掛川城は天守閣は木造の再建天守ですが、
城主が住んでいた二の丸御殿や太鼓やぐらは昔のものが残っています。
城一帯は整備されていて、とてもきれいでした。

太鼓やぐら

二の丸御殿

掛川の東、車で20分ほどのところに高天神城があります。

ここは徳川と武田が激しく争った古城で、建物は残っておらず、
鬱蒼たる古木の中に石段その他が残っています。



最後は武田勝頼の配下の将兵800人が徳川軍に包囲されて討ち死にし、
城は捨てられました。



掛川の北西、車で40分ほどの浜松市天竜区に二俣城があります。
ここもまた徳川軍と武田軍が戦った城で、天守の跡の石垣が残っています。
ここでも武田勝頼の将兵が破れて降伏した歴史が残っています。



その後家康の長男信康とその母親の築山殿が武田との内通を疑われ、
信長の命により家康が二人を殺害したことになっています。
信康が殺された場所がこの二俣城でした。

この親子は大河ドラマ「女城主直虎」の中で、
井伊直虎(次郎法師)の努力で今川氏真の手から救い出されたとされる親子でした。

遠州地方には武田と徳川の主戦場になり各地に様々な伝説が残されています。

友人は掛川に戻ってから今度は駿府城を目指すといって、また車で一人出かけていきました。