10日の夜の夜行バスで陸前高田市へ行き、11日の日曜の午前と午後、竹駒の下壷仮設と長部のコミュニティセンターでかご編みを指導して来ました。
先月は帰りの便を夜の11時発にしたので、かご編みが終わる4時からバスの発車までホームセンターやレストランで時間をつぶすのに苦労しました。陸前高田は竹駒町の一角に震災後大きいスーパーやらホームセンター、ドラッグストアーが固まって出来たので、そこだけが賑やかになっています。
今回は5時過ぎのバスで気仙沼に行き、そこから仙台行きのバスに乗り換えて、仙台で2時間つぶして11時の夜行バスで帰ってきました。気仙沼には昨年一度だけ日本財団の足湯隊に参加して活動してきました。その時は昼間だったので、街の惨状を目の当たりにしました。今回は夜で何も見えません。
気仙沼の市役所は無事で、そこでバスを乗りかえることになっていました。1時間待ち時間があるので、そこで夕食をと思っていましたが6時を過ぎると店はみんな閉まってしまいます。郊外型の大規模店舗だけは賑やかで中心部はひっそりしています。もっとも地方の小さな町は被災地でなくともそんな傾向にありますね。
結局仙台で夕食をとりました。ここは10時過ぎても不夜城のような明るさで、さすが大都会は違います。
東北行きはあと12月が一回だけ、そう思うと寂しい気持ちになります。
陸前高田については復興計画はまだ作成中の段階で、11月から被災した市役所その他の公共建造物や民間のビルの取り壊しが始まります。
そのあと山側の旧市街の跡地に8メートルの盛り土をすることになっています。
でも竹駒から長部まで車を運転して連れて行ってくれた大工さんは、8メートルも盛り土をした上には、家を建てる気にはなれないと言っていました。そうですよね、表面上は高くなっても盛り土です、地震が来たらどうなるか。問題が山積みのようです。
私の活動は12月2日で終わりますが、復興はまだまだ先です。それに日本自体の復興の問題もあります。
私はもともと現代文明の未来についてはちょっと悲観的な見方をしていました。でもこういう大災害が起こって、それに立ち向かう人々を目の当たりにしていると、将来を悲観的に考えてなどいられません。みんなで力を合わせてよい世界を作っていかなければと思うようになります。
ボランティア活動としては本当に大したことは出来ませんでしたが、被災者の人たちや他のボランティアの人たちに教えられることの多い日々でした。