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弁証法の再生(連載第1回)

2024-01-09 | 〆弁証法の再生

序説

  
 現代世界の大きな特徴として、「哲学の貧困」ということが挙げられる。20世紀までは各々の時代を代表するような指導的な哲学者が存在し、良くも悪くも人々に知的な刺激を与えていたものだが、今や、哲学者という職業カテゴリー自体が絶滅しつつあるように見える。
 代わって、実用的な“ハウツー”思考を売り物にする文化人や経営者といった人々が、かつての哲学者の代用を果たしているようである。もっとも、世界の総合大学には哲学部/哲学科がなお存在しているが、そこに所属する人々の多くは主として過去の哲学文献を学術的に研究する学者—哲学研究者—であって、自称はともかく、他称としてはもはや「哲学者」とは呼び難い人々である。
 とはいえ、現代世界も哲学を完全に失ったというわけではない。むしろ、現代世界では、三つの主要な哲学が隆盛しているとも言える。すなわち、現実主義・実証主義・功利主義である。これら各々が、(古典派)経済学・自然科学・倫理学(政治学)という主要な学術と結ばれて、知の世界を支配している。
 哲学的な順番としては、最も基礎部分の根本哲学(倫理学)として功利主義があり、その上に思考手段としての実証主義があり、さらに表層部分を世界観としての現実主義が覆うというような関係構造になるであろう。
 いずれにせよ、現代人は程度の差はあれ、また意識的か無意識的かの差はあれ、これら三つの哲学によってその思考を支配されている。実はこれら三つの哲学はそれ自体哲学でありながらも、脱哲学的な思考に人を導いていくため、現代人の思考から哲学が消滅しようとしているとも言える。
 一方、上記三哲学に最も欠けているのは、弁証法的思考である。弁証法は古代ギリシャ哲学に端を発しつつ、西洋哲学の中で様々に加工・熟成され、最終的にはヘーゲル弁証法をもって一つの完成を見たが、その後、マルクスによる脱構築的な再解釈によってマルクス哲学の核心に据えられた。
 ところが、それはマルクス自身が拒否した「マルクス主義」によって形式化・教条化され、ソ連共産党に代表される共産党支配体制のイデオロギーに利用されたことから、弁証法もこれら支配体制の思想統制の道具とみなされ、ソ連解体以降の世界では思想上の有罪宣告を受け、すっかり周縁に追いやられてしまった。
 しかし、本来の弁証法は決してそのような政治的教条ではない。弁証法はあれかこれかという二項対立的な素朴思考を脱却し、対立するものを総合して新しいものを創造するための思考手段であって、目的ではない。その点を誤って、弁証法が自己目的化すれば、共産党支配体制下でのイデオロギーのようなものに化けてしまうだろう。
 他方、弁証法を政治的イデオロギーと決め付けて廃棄するならば、哲学の貧困から脱却することはできず、とりわけ現実主義の表層的世界観に支配されて、社会の革新・変革が阻害されることになるだろう。それは、人類社会の閉塞と衰亡を促進する。
 そこで、この小連載では弁証法を歴史的に検証しつつ、歴史の過程で弁証法にまとわりついたあらゆる不純物を除去し、その本来の姿を取り戻させ、新たな時代に応じてこれを再生することを試みる。同時に、これは筆者の『共産論』の根底にある思考を抽出する試みでもある。


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