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アメリカ憲法瞥見(連載第1回)

2014-07-25 | 〆アメリカ憲法瞥見

 アメリカ合衆国憲法(以下、米憲法と略す)は、1787年に制定された世界でも最も古い現存憲法である。言わば、クラシックカーをいまだに乗り回しているようなものである。 
 アメリカ合衆国は元来別々に形成された植民地が連合して宗主国の英国から分離独立する過程で設立されただけに、憲法条文は植民地間で合意できた限りでの最小限にとどめられ、簡素な本文に後から修正条項を追加して必要な内容を補充するという継ぎ足し的便法が採られた。実のところ、アメリカにおける実質的な憲法は合衆国を構成する各州の憲法であり、合衆国憲法とは文字どおりの憲法というよりは、条約に近いものと言える。
 古典的な米憲法は、現代憲法のように表題付きで体系的な章立てがなされておらず、大雑把に七つの条文から成り、各条文中に一つまたは複数の条項を含み、その内部がさらに細目的な規定に分かれるという煩雑な重層的構成を採っている。そのうえ、上述した継ぎ足し法のゆえに一覧性に欠けるわかりにくさがある。
 ただ、内容的には18世紀当時まだ珍しかった共和制憲法の先駆けであった。哲学上は自由主義と議会中心主義に立ち、立法府を国政の中心に置き、中央政府の役割を極力限定する意図が明白である。その点では、旧ソ連憲法のような国家社会主義憲法とは対極にあり、アナーキズムとは言わないまでも、国家なき社会運営を構想するうえでヒントとなり得る点も認められる。
 本連載は、先に連載中の『旧ソ連憲法評注』の対照軸的な位置にある連載となる。実際、両国憲法を対照することで、冷戦期にはイデオロギー的な面で鋭く対立し合った二つの連邦制超大国は、憲法原理からして大きく隔たっていたことがわかる。
 しかしその一方で、相互に足りない面があることも明らかであり、両者が止揚的な関係に立っていれば、世界はより違ったものになっていたに相違ない。その点では、両超大国の対立は、一方が消滅した今日まで尾を引く禍根である。
 なお、本連載の訳文は米国大使館の関連機関であるアメリカンセンター公式ウェブサイトに掲載されている仮訳に従う(ただし、一部訳語を変更する)。


前文

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。

 前文もわずか一行の短文である。これを参照して記述された日本国憲法の前文よりもいっそう短い。しかし、短い中にも、自由主義の基本哲学に基づき、連邦国家の役割を正義の樹立(司法)、平穏の保障(警察)、共同の防衛(国防)、一般福祉の増進(民生)に限定しつつ、順位付けしている。
 ただ、実質的には、憲法前文の前文とも言える「独立宣言」の中に、建国・憲法制定の趣旨が詳細に盛り込まれている。特に、宣言第二段にある「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。」が、中心的なテーゼである。
 すなわち、天賦人権を確保するために政府が樹立される。言い換えれば、政府とは人権確保のための手段にすぎないということになる。従ってまた、「権力の乱用と権利の侵害が、常に同じ目標に向けて長期にわたって続き、人民を絶対的な専制の下に置こうとする意図が明らかであるときには、そのような政府を捨て去り、自らの将来の安全のために新たな保障の組織を作ることが、人民の権利であり義務である。」ということから、人民には革命の権利が留保されるのである。
 米憲法は本文では革命の権利に触れていないが、独立宣言と併せ読めば、革命権を明記する世界でも稀なる憲法である。従って、米国民は今後も、憲法文書に基づいて革命権を発動できる状況にあるわけである。


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