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近代革命の社会力学(連載第17回)

2019-09-16 | 〆近代革命の社会力学

三 アメリカ独立革命

(4)独立戦争の力学  
 アメリカ独立派による1776年の独立宣言は一方的なものであったから、当然ながら英国側はこれを承認せず、武力鎮圧で臨んだことで、戦争が本格的に開始された。当初は、植民地における独立派の大陸軍と英国軍の衝突にすぎないと思われたが、間もなくこの戦争は外国を巻き込む国際戦争に発展する。
 大陸軍は数こそ多いものの、寄せ集めの民兵隊にすぎず、歴戦の訓練された英国軍相手の戦争には不安があった。そこで、フランスにコネクションのあったベンジャミン・フランクリンの外交工作により、北アメリカで植民地を分け合う関係にあったフランスを同盟に引き入れることに成功した。  
 フランスはカトリック系であり、プロテスタント系の北アメリカ植民地とは本来相容れないが、「敵の敵は味方」の論理で、アメリカ独立に肩入れしたのである。フランスに続き、同じくカトリック系スペイン、さらにプロテスタント系ながら英国とは帝国主義ライバル関係にあったオランダも独立派に付いた。
  一方、英国側は、北アメリカ植民地における反独立・親英派(王党派)が社会の少数派であり、凝集性に欠けたため、ほぼ自軍だけで戦う必要があった。そのうえ、1780年にはロシアを中心とした武装中立同盟が結成され、国際的孤立状態に陥ったため、王室故地のドイツからハノーファー選帝侯やその他のドイツ人傭兵を引き込むしかなかった。  
 こうして、アメリカ独立戦争はおおむね米・仏・西・蘭対英・独という構図の国際戦争に発展したわけであるが、この戦争には、第三勢力として、図らずも巻き込まれた黒人奴隷と先住民族という二つの準当事者があった。  
 独立派は白人植民地人の英国からの解放は叫んでも、奴隷制廃止は論外のこととしていたため、英国側は黒人奴隷に個別の解放を約束して、自軍へ引き込む工作を展開した。その結果、2万人ほどの黒人奴隷が英国軍側に付いて戦争協力したと推計されている。  
 一方、黒人の徴用が奴隷反乱を招くことを恐れていた独立派も、英国への対抗策として黒人の参加を認めたため、推計で9000人ほどの黒人が独立派に付いたと見られるが、心情的にも独立派黒人は限定されていた。とはいえ、独立戦争における独立派黒人の貢献は、近年まで過小評価されてきた。 
 一方、先住民族の立場より複雑だった。元来、独立派・王党派いずれにせよ植民地人は先住民にとって侵略者に変わりなかったが、独立が達成されれば先住民族排除はより徹底する恐れもあったから、かれらが独立に協力するメリットは少なかった。  
 ただ、先住民族は言語や文化を異にする多数の部族に分岐しており、一つに凝集することはできず、部族によっては植民地と交易の経済関係で結ばれているものもあり、独立派に付いた部族もあった。  
 とはいえ、先住民族の多くは英軍側に付くことを選択した。その結果、独立戦争における主要な東西二つの戦線のうち、アパラチア山脈以西の西部戦線は先住民戦争(インディアン戦争)という性格を持つことになった。このことは、独立後、先住民族が反革命派として合衆国から敵視される要因となっただろう。  
 このようにして、国際同盟を形成したうえ人的にも物的にも優位に戦争を遂行する大陸軍に対して、英国軍はドイツの一部と、戦う意味づけが揺らぎがちな動揺分子の黒人奴隷と先住民という頼りない味方だけを頼りに戦争を遂行するしかなかったのである。これは英国の敗北を予想させる不利な構図であった。


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