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共産教育論(連載第7回)

2019-04-09 | 〆共産教育論

Ⅰ 共産教育総論

(6)社会性教育
 共産主義社会=無階級社会という定式も根強い。ここで言う「階級」とは通常、有産階級/無産階級といった財産による経済的な階級、またはそれとほぼ相同的な資本家/労働者階級といった社会的な階級を指している。
 真の共産主義社会は貨幣経済によらないのであるから、貨幣の持ち高に応じて所属階級が決定される上掲のような意味での経済的‐社会的階級制が存在し得ないことは明らかである。
 その代わり、貨幣経済によらずして生産活動が行なわれ、かつ民衆自身によって社会運営がなされる共産主義社会では、資本主義社会とは比較にならないほどの緊密な社会的協力関係を必要とする。
 従って、真の共産主義社会は、狭い意味での階級制にとどまらず、―党幹部‐一般党員‐非党員といった政治的な「階級」も含め―、人種/民族、障碍、性別/性的指向、容姿等々、およそ人をその属性によって等級的に差別しない社会、すなわち非差別社会である。
 そのような社会が単なる理想郷でなく、現実の社会として形成されるためには、社会成員に高度な社会性が備わっていなければならない。
 一般に社会性と言うと、集団への帰属や協調といったことが想起される。しかし、そのような集団主義的な強制的社会性は共産主義社会のそれとは異質である。共産主義社会における社会性とは、集団的ではなく、むしろ多様な属性を持つ社会成員相互の尊重のうえに成り立つ内発的で自然な社会性のことである。
 そのような意味での社会性の前提には、反差別という倫理感覚が不可欠である。そこで、共産教育における社会性教育の軸として、反差別教育が据えられる必要があるのである。反差別教育とは、単に理知的な倫理観として「人を差別してはならない」ということにとどまらず、無意識的なレベルでも人を差別しないという習慣が自然に体得されるような教育である。
 このような教育は、物心ついてからの学習ではすでに手遅れであって、まだ事物の弁別がつかない早幼児期から開始される必要がある。具体的には、基礎教育課程前の保育段階から、反差別教育が実施される。
 ちなみに、共産教育における教育課程としての保育と資本主義社会における福祉サービスとしての保育とは、同語であっても内容上大きな相違点があるが、これに関しては次の章で改めて見ていくことにしたい。


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