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近代革命の社会力学(連載第418回)

2022-04-28 | 〆近代革命の社会力学

五十九 ネパール民主化革命

(1)概観
 冷戦終結をもたらした中・東欧/モンゴルの連続革命からソヴィエト連邦解体に至る体制変動の過程は社会主義圏以外の体制にも少なからぬ影響を及ぼしたのであったが、その一つにネパールの守旧的な専制君主制を変革した1990年の民主化革命がある。
 ネパールで19世紀半ば頃から100年以上にわたって、形骸化された君主制(シャハ王朝)の下、宰相職の世襲による独裁統治を続けてきたラナ家専制体制を打倒した1951年の立憲革命の結果、シャハ王家が権力を取り戻した。
 しかし、ラナ体制残党の保守派とより一層の民主化を求める急進派の対立が続く中、この事実上の王政復古を兼ねた立憲革命の当事者でもあったトリブバン国王が1955年に死去した後、跡を継いだマヘンドラ国王の治下、1959年に実施されたネパール初の総選挙では、立憲革命の立役者であったネパール会議派が圧勝した。
 当時のネパール会議派は最も改革志向の政党であり、同党主導の内閣に対し、再び権力を失うことを恐れたマヘンドラ国王は1960年、強権を発動して憲法を停止、議会も解散して、首相をはじめとする改革派政治家を大量拘束した。
 この国王による自己クーデターによって、ネパールは専制君主制に回帰することになった。国王主導で制定された新憲法では、国王が大権を保持したうえ、政党活動は禁止され、議会制度に代わる複選制のパンチャーヤト制(後述)が制定された。
 この新体制はマヘンドラ国王から次代のビレンドラ国王に引き継がれるが、1990年に再び民主化運動が隆起、国王側が譲歩する形で、同年11月に、複数政党制を基本とする議会制度の復活を柱とする新憲法が制定された。
 この1990年革命は君主制そのものを廃止するには至らなかったが、民主化という点では不徹底に終わった1951年の立憲革命に対して、明確な民主化革命であり、その担い手としてネパール会議派を中心に、学生や知識人も加わった民衆革命であった。
 それとともに、共産党が革命の担い手の一角を占めたことも特徴である。この点は、脱社会主義革命を通じて共産党支配体制が打破されていった同時期の世界の趨勢とは対照的であり、実際、これを機にネパール共産党、中でも毛沢東主義派が21世紀にかけて大きく台頭していくことになる。
 このように、ネパールで共産党が台頭した背景には同国の半封建的な農村社会構造があるが、1990年の民主化革命ではこうした社会経済上の構造的課題は留保され、さしあたりは立憲君主制の枠内でのブルジョワ民主主義の創出という次元にとどまった。


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