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共産主義の系譜と展望(3)

2025-07-13 | 共産主義の系譜と展望

Ⅱ 古代/古典期共産主義

(1)貨幣経済社会の成立
 先史時代と歴史時代最初の古代を経済的な面で画するのは、貨幣経済社会の成立である。交易活動が広域化・商業化すると、素朴な物々交換は特定の鉱物等を定型化された交換手段として使用する貨幣交換に転化していった。
 通貨制度は未整備でも、貨幣を基準とする交易は富の蓄積を容易にし、交易を専業とする商人階級の分化を促進した。そうした商人階級が富を所有する商業都市の成立が歴史時代・古代の幕開けであった。
 商業都市は、先史時代には互助的であった交易活動の商業化に伴い成立した新しい共同体であり、本質的に非共産主義的な階層的共同体であった。そうした商業都市が文明開化を促進したことは、人類の歴史に今日にまで及ぶ或る特定の方向性を与えた。 


(2)古代文明圏の非共産主義的性格
 古代に入って各地に成立する文明圏は商業都市の集合で成り立っており、古代エジプトのように、比較的早くから統一的な王権が成立したところでも、その実態は商業都市の集合体であったと言ってよい。
 人類史上最初の文明圏とみなされるメソポタミアで典型的に見られるように、古代都市には王(君主)が存在した。王は先史時代の単独首長制が世襲化されて君主制に転化したものであり、君主制と商業都市の組み合わせの段階に達すると、素朴な先史共産主義は完全に過去のものであった。
 古代文明圏はそのほとんどが王を頂点として貴族と平民の階級差を擁する階層社会と商人への富の集中を特徴としており、本質的に非共産主義的であった。ここから共産主義を反文明主義とみなすような消極的な解釈も生じてくる。


(3)インダス文明圏の独異性
 古代文明圏の中でも特に整備されていたいわゆる四大文明圏のうち、インダス文明圏には他の文明圏と比べて際立った特色がある。それは、王宮や神殿に見立てられる遺跡が見られないことである。
 もちろん、考古学上の発掘調査の進展により新発見もあり得るが、インダス文明圏の発掘調査は過去150年以上にわたっており、その間に王宮や神殿が検出されないということが意味するのは、王や神官のような特権階級の不存在である。
 加えて、最盛期でも墓制に明確な階級差が見られないこと、すなわち他の文明圏に見られるような特別に厚葬された墳墓がなく、副葬品も男女差や年齢差の相違に過ぎないことなどから、平等社会であったことが想定されている。
 そこから直ちにインダス文明圏が古代共産主義社会の一例であったと結論付けることはできないが、インダス文明圏が他の同時代文明圏とは相当に異なる社会構造を有していたらしいことは推定できる。


(4)原初仏教団の共産主義的性格
 インダス文明圏はさほど持続せず、最盛期でもおよそ700年ほどで、紀元前1900年頃には滅亡に向かった。その後、ほどなくして中央アジア方面からアーリア人が大量移住し、今日のインドをはじめとする南アジアの形成につながる新たな文明圏を形成する。
 この新しいアーリア文明圏は今日のヒンドゥー教の前身であるバラモン教を軸とする階級社会を特徴とし、インダス文明圏の平等社会を継承することはなかった。しかし、紀元前600年頃に始まるインダス文明圏時代に次ぐインドにおける第二の都市化時代には、再び平等主義の気風が生まれた。
 そうした時代環境下から、釈迦と仏教が誕生する。釈迦の半伝承的な伝記による限り、ヒマラヤ山麓に陣取るシャーキヤ族の立てた小共和国(サンガ)で世襲制元首の世子として生まれたとされる釈迦は、その身分を捨てて宗教的な修行生活に入り、仏教を創始した。
 シャーキヤ族の民族系統については議論があり、アーリア系説とビルマ‐チベット系説とがあるが、いずれにせよ、シャーキヤ国はバラモン教の影響が比較的薄い辺境地にあったことが、バラモン教から自由な仏教を生む背景となったと考えられる。
 仏教の教義そのものは共産主義的というわけではないが、原初仏教団(サンガ・僧伽)は出家者が一定の秩序のもとに宗教的な修養と説教を行う集団であり、比較的平等な関係性の中で衣食住を共にしていた。
 このような宗教的な「共餐主義」の集団は必然的にある種の共産主義を実践することになるから、少なくとも原初仏教団には共産主義的性格が認められたであろう。それは中世のキリスト教修道院の生活にも類似した宗教的共産主義の先例であったかもしれない。

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