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弁証法の再生(連載第11回)

2024-05-09 | 弁証法の再生

Ⅳ 唯物弁証法の救出

(10)ルカーチの物象化論
 マルクスの唯物弁証法がスターリン時代のソ連の公式教義の中ですっかり教条化していく中、唯物弁証法を救出しようとする試みが、ソ連の外部で行なわれる。その代表的な一つが、ハンガリー人ルカーチ・ジェルジの試みである。
 ルカーチは、弁証法の教条化の要因をマルクスの遺稿整理者エンゲルスに突き止めている。ルカーチによれば、エンゲルスは最も本質的な相互作用である歴史過程における主体と客体の弁証法的関係に目を向けず、これを自然の認識にまで不当に拡大適用しようとしたことに問題がある。
 弁証法の真骨頂は具体的かつ歴史的なものにこそあり、その意味で弁証法的方法論の適用範囲は歴史的・社会的な現実に限られる。そうした具体的・歴史的弁証法の任務は、社会の総体性を把握するための方法論であるというのが、ルカーチの趣意である。
 逆に、総体性の認識を欠落することが物象化である。すなわち、主体と客体の分裂、部分と全体の分離、理論と実践の乖離といった情況であり、現実の状況としては労働者階級が主体性を喪失し、自己を疎外して客体と化すことである。
 このような主体‐客体の分裂の止揚に力点を置くルカーチの理解は、唯物弁証法を再びヘーゲル弁証法に立ち戻って再構しようとする試みと言える。事実、ルカーチは『モーゼス・ヘスと観念弁証法の諸問題』という論文の中で、マルクス弁証法をヘーゲル弁証法の延長に位置づけ直そうとしている。
 しかし、こうしたルカーチの試みはモスクワの代弁者たちからは睨まれる結果となった。ハンガリー共産党員で、短命に終わったハンガリー革命政権で閣僚も務めた彼は党内で強い批判を受け、コミンテルンでも非難された。そのときルカーチが浴びた非難は、「観念論的逸脱」というものだった。
 しかし、この非難は的外れであった。彼が「観念論」と非難されたのは、資本主義社会で客体化という自己疎外状況に立たされている労働者階級が自らの社会的立場を自覚して階級意識に目覚め、主体性を取り戻すため団結して革命を導くべきことを説いたためである。
 たしかに、こうした労働者階級の階級意識を強調する仕方は、唯心論的な趣向を帯びてはいるが、ルカーチの力点は主体と客体の分裂の止揚という一点にあったのであり、意識の問題を特大強調したかったわけではない。実際、上掲論文は青年ヘーゲル派代表者ヘスの弁証法を観念弁証法として退けている。
 ただ、ルカーチの総体性は、資本主義社会という人類史的過程の全体の一部に集中しており、より広汎な「文明」という総体性には十分着目してしなかったように思われる。そうした文明総体の弁証法的把握は、革命が挫折した戦間期ドイツ哲学界から現れる。

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