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近代科学の政治経済史(連載第37回)

2022-12-23 | 〆近代科学の政治経済史

七 科学の政治的悪用:ナチス科学(続き)

交通工学と軍事工学の交錯
 ナチス科学の中でも評価が高く、今日でもその成果が継承されているのは工学分野であるが、とりわけ車両製造に関わる自動車工学や鉄道工学を含めた広義の交通工学分野である。
 ただ、ナチスにとっての交通工学はロシアをも視野に収めた欧州征服によるゲルマン帝国の建設という軍事的野望の達成と密接に関連しており、民生増進のための単なる科学技術政策の手段ではなく、軍事工学との境界線が曖昧で、両者交錯していたことを特徴とする。
 特に注力されたのは、高性能自動車の開発と自動車の普及であった。ナチス政権は最初期の1933年に早くもオーストリア生まれの自動車工学者・技術者フェルディナント・ポルシェに高性能の小型大衆車の設計を依頼、ポルシェを支援してフォルクスヴァーゲン・タイプ1の開発と量産を成功させている。
 こうした大衆車製造の中核として、ナチス政権が国策会社として設立したのが、その名も「大衆車」を意味するフォルクスヴァーゲンを冠したフォルクスヴァ―ゲン社であった。同社はナチス体制崩壊後も解体されず生き延び、現在の多国籍企業フォルクスワーゲンとして継続している。
 こうした大衆車開発と同時に、ナチスは自動車の高速化にも注力し、同じくポルシェの設計でアウトウニオン社が開発したカーレース専用車アウトウニオン・レーシングカーも開発、カーレーサーのベルント・ローゼマイヤーを擁して、カーレースの振興も図った。
 さらに、高速化した自動車が走行する自動車専用道路網として、ナチス台頭前のワイマール共和国時代から構想のあったいわゆるアウトバーンの建設計画を本格化させ、ナチ党員の土木技術者フリッツ・トートを建設総監に任命、第二次大戦開戦時までに3000キロを超える道路網の建設に成功した。
 一方、アウトバーンの鉄道版とも言える高速鉄道網ブライトシュプールバーンも計画されるが、こちらは第二次大戦開戦後の軍事目的が濃厚で、実際、この計画は征服地域の開発と密接に関連していた。それだけに、大戦の進行と戦局の悪化に伴い、未完に終わった。

ナチス軍事科学の「成果」
 前節冒頭で記したように、ナチス交通工学は当初から帝国を築くための軍事目的を濃厚に含んでいたため、戦争開始とともに、フォルクスヴァ―ゲン社やその他のドイツ自動車メーカー各社も軍用車両を開発・製造する軍需資本に転換され、工場では強制収容所のユダヤ囚人を動員した死の強制労働が行われた。
 そうした民生工学と軍事工学とをつなぐ接点となったのが、如上トートが創設したいわゆるトート機関であった。同機関は大戦前の1938年に設立されたが、開戦とともに軍需に比重が置かれ、ジークフリート線や大西洋の壁等の軍事的な防衛線や潜水艦基地などの軍事構造物の構築を指揮監督した。
 しかし、トートは科学技術者としての合理的な判断に基づき、リソースに限界のあるドイツが英米ソとの総力戦に敗北することを予見し、講和を提言していたが、所詮は技術屋で党内発言力の弱いトートの提言は無視され、失意の中、1942年の航空機事故で死亡した。
 ナチス軍事科学は、軍事科学プロパーの分野でも、陸海空軍それぞれに投入される高性能の兵器を生み出したが、中でも特筆すべきは、今日の巡航型、弾道型双方のミサイルの祖型を成すミサイル兵器の開発である。
 巡航ミサイルの祖型となるV1ミサイルはドイツ空軍が開発したもので、パルスジェットエンジンを搭載した簡素な構造を持つ低コストの飛行爆弾であり(機能的には現代の無人爆撃機の祖とも言える)、いまだ精密誘導は困難ながら、対敵報復兵器としては機能した。
 一方、V2はドイツ陸軍が開発した液体燃料による世界初の弾道型ロケットミサイルであり、その開発功労者はロケット工学者のヴェルナー・フォン・ブラウンとその先駆者でブラウンが助手を務めたヘルマン・オーベルトであった。
 オーベルトはナチス政権成立前から液体燃料ロケット開発の第一人者であったが、兵器として完成させたのは陸軍の支援を受けたブラウンと、陸軍兵器局で開発責任者を務めたロケット技術者ヴァルター・ドルンベルガーらのチームであった。
 ブランンやドルンベルガーらドイツのロケット工学者・技術者は戦後、戦犯に問われることなく、彼らの知見の流用を企図していたアメリカへの出国が許され、多くはアメリカに定住してアメリカの航空宇宙開発に寄与している。こうして、ナチス軍事科学の「成果」は、戦後、敵国によって再利用されることとなった。

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