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近代科学の政治経済史(連載第26回)

2022-11-09 | 〆近代科学の政治経済史

五 電気工学の誕生と社会変革(続き)

ロシア革命と電化事業
 資本主義体制下での電化は19世紀末頃から台頭してきた民間電気資本の主導で経済的に推進されていったが、ロシア革命後のロシア→ソヴィエトでは社会主義政権の手で政策的に電化事業が上から展開されていった点で特筆すべきものがある。
 そもそもソヴィエト体制を象徴した計画経済の出発点となったのも、内戦終結後の1920年に設置されたロシア電化国家委員会(略称ゴエルロ)が策定、遂行した全土電化計画(ゴエルロ計画)であった。これは、当時のレーニン政権が構想していた全土電化を通じた経済復興及び経済開発という野心的な政策の一環である。
 そのことは、ゴエルロがソヴィエト計画経済の司令部となる国家計画委員会(略称ゴスプラン)に吸収・編入され、自身も技師でゴエルロ初代委員長グレブ・クルジザノフスキーがゴスプラン初代委員長に横滑りした人事にも見て取れる。
 もっとも、ロシアにおける電化事業は、すでに革命前の帝政ロシア時代末期に始まっていた。帝政ロシアでは1899年に第一回全ロシア電気技術会議が開催されて以来、電化社会の構築に向けた全国会議がたびたび開催され、発電所の建設その他の電化事業が急ピッチで推進されていたのである。
 また、1891年には、郵便電信学校を前身とする電気工学研究所が創立され、99年以降はアレクサンドル3世電気技術研究所と改称されて、ロシアにおける電気工学の研究・教育の中核機関となった。
 実のところ、革命後のゴエルロ計画も、そうした帝政ロシア時代に始まる電化事業の初動を継承しつつ、20世紀に入り、大戦と革命、内戦の動乱の中で崩壊した経済の再建と新国家ソヴィエトの計画経済の基盤として導入されたものであった。
 人的にも、帝政ロシア末期に育成された多くの電気工学者や技術者がゴエルロに参加していたが、中でもカール・クルーグは、西側での知名度は低いながらも、ソヴィエト時代初期の代表的な電気工学者・教育者として、ソヴィエトにおける電気工学の最高学府となるモスクワ電力工学研究所の創設と運営にも関わった。
 ソヴィエトにおける電気工学は支配政党(共産党)の国策と分かち難く結びついていたため、後に改めて見るように、科学が政治と一体化されるソヴィエト科学の特質を最も初期に示した事例でもあった。ゴエルロに参加した科学者・技術者の多くも、革命家・党員であった。
 反面、ゴエルロ参加者の中にも、とりわけ1930年代のスターリンによる大粛清に巻き込まれて処刑されたボリス・スタンケルのような例もあり、科学者への政治的迫害はソヴィエト時代の科学と政治の関わりを特徴づけるものとなる。

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