ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

近代科学の政治経済史(連載第13回)

2022-07-17 | 〆近代科学の政治経済史

三 産業学術としての近代科学(続き)

産業学術としての工学
 産業革命を促進した発明はアカデミズムではなく、職人階級出自の発明家たちの経験的な実学的知見に発したものであったが、一方で、各種産業技術の理論的な基礎を成す実践科学としての工学が勃興してきたのもまた、産業革命渦中の英国においてであった。
 そうした産業学術としての工学の草分けと言えるのが、ジョン・スミートンである。もっとも、スミートンも初めからアカデミズムに身を置いたわけではなく、元は科学的な測定器具や航海器具の発明からキャリアをスタートさせており、発明家と言える人物である。
 しかし、スミートンは他の発明家のように起業して資本家となる道は行かず、理論家となった。彼が創始した学術はcivil engineeringと呼ばれるが、これは日本語では「土木工学」が定訳となっている。
 しかし、スミートンがcivil engineerという新語を創案した際に念頭に置いていたのは、軍の工兵(military engineer)との対比であったから、civil engineerは土木技術者に限らず、非軍事的な民生分野の技術者全般であり、その名詞形であるcivil engineeringも本来は「民生工学」と訳すべきものであったろう。
 従って、スミートンの専門分野は土木工学に限らず、各種の機械工学にも及んでいたのであるが、重要なことは、彼が1753年に王立協会フェローに選出されたことである。王立協会はニュートン会長時代以来、理論科学に偏っていたが、スミートンを受け入れたことで、実用科学としての工学もアカデミズムから認知されたのであった。
 また、スミートン自身、1771年に民生技術者協会(Society of Civil Engineers)を結成、この組織は彼の死後、1818年に民生工学会(Institution of Civil Engineers)と改称し、工学分野の学会として今日まで存続している。
 こうした専門学会組織の誕生は、工学が単なる経験のみの実学にとどまらず、実用的な学術として社会的に認知され、発展する社会的基盤を与えられたことを意味している。
 スミートン自身、工学者として、理論のみならず技術者としても橋や水路などの土木開発、揚水機や水車、風車の開発、さらには法廷での専門家証人など、産業学術としての実践的な工学の発展に大きな足跡を残している。
 また、同時代には、産業革命の中心地の一つでもあったバーミンガムで、多分野の科学者や資本家らが集まって情報交換をし合うルナー・ソサエティ(月光協会)なる非公式のサロン風会合がもたれ、スミートンも貢献しているが、これは最も初期の産学連携の形態とも言える。

コメント