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奴隷の世界歴史(連載第35回)

2017-12-11 | 〆奴隷の世界歴史

第五章 アジア的奴隷制の諸相

中国の奴隷制①
 本章では、アジア大陸の前近代における奴隷制の諸相を広く概観するが、広義のアジアに包含されるイスラーム圏の奴隷制に関してはすでに見たので、ここでは主としてインド以東の地域に目を向けることにする。まずは中国である。
 中国奴隷制は確証される限り古代の殷商の時代から様々な形態で存在し続けたが、ここでは後に別途扱う古代を除外し、先に見た欧州やイスラーム圏における中世に相応する時代以降―中国史上はおおむね唐代以降―における奴隷制を見ることにする。
 唐はいわゆる律令制を完成させた東洋的な法治国家であったが、奴隷制に関しても、自由民の奴隷化禁止、既存奴隷以外の人身売買禁止といった規範を確立させた。このような条件付き奴隷政策はイスラーム圏のものと似ており、西域シルクロード市場でイスラーム圏の奴隷を購入する立場にあったことが法制策にも影響した可能性がある。
 とはいえ、イスラーム圏の奴隷制のような階級上昇を可能とする柔軟性は見られず、家財たる動産と同視された奴隷は自由民たる良民とは厳格に区別され、良民女性と男性奴隷の通婚は禁止された。逆に奴隷女性と良民男性の通婚は可能であり、特に東部の山東省では、結婚を目的とした朝鮮女性の拉致・奴隷化が盛んに行なわれていた。
 数的に見ると、南方のタイ族その他先住民族が最も多く奴隷化されていたが、上述のように西域を通じてテュルク系やペルシャ系の奴隷も購入されていた。また数は多くないながら、遠く東アフリカから黒人奴隷(ザンジュ)がもたらされたこともあり、中国はイスラーム奴隷貿易における購買者として参入していた。
 以上のような外国人奴隷とは別途、律令制下では内国人のが公式に存在した。は良民との身分的区別―良賎制―においてを構成する社会階級の一環でもあった。は個別に解放される可能性を持っていたが、奴隷と同様に人身売買の対象とされた。
 奴婢制度の特色は、国が所有する官と私人が所有するの区別があったことである。前者は主として戦争捕虜や犯罪者など公的な事由により身分に落とされた者たちであり、の中では少数派であった。大多数は負債等による没落農民出自が多いが占めた。
 両者には労働内容にも違いがあり、官は宮廷や官営工場/農牧場での労働が中心であるが、は貴族や地主などの領地で家事労働や農作業に従事していた。農作業に当たるは財産を有し、独立して生計を営むことが認められており、農奴に近い存在であった。

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