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農民の世界歴史(連載第38回)

2017-04-10 | 〆農民の世界歴史

第9章 アメリカ大陸の大土地制度改革

(5)南米諸国の状況

 南米諸国も総体として大土地所有制がひしめいてきたが、農地改革の形態や進展度は国により様々である。ここではそのすべてを取り上げることはできないため、いくつかの代表的事例を挙げて概観するにとどめる。
 まず、南米地域ではメキシコやキューバのように革命を契機に国有化を軸とした農地改革が持続的に断行されたケースは見られない。例外として、南米唯一の英語圏に属する小国ガイアナで1970年代に製糖産業の国有化が実行された程度である。
 南米で比較的成功した農地改革は、端的な農地の再分配による自作農の創設というオーソドクスな形態のものである。中でも1952年から64年にかけてのボリビアは革命を契機としつつも、合法的な選挙によって形成された左派・革命的民族主義運動(MNR)の政権が農地改革を実行するという南米でも稀有の事例である。
 このMNR体制は64年にアメリカが糸を引く軍事クーデターで転覆されたが、農地改革の成果は保持されたため、その後ボリビア入りしたキューバ革命の共同指導者チェ・ゲバラの共産主義ゲリラ活動も農民層からは支持されることなく、反共軍事政権の掃討作戦渦中でゲバラが殺害される要因ともなった。
 さらに、ペルーで1968年軍事クーデターにより成立したべラスコ政権は軍事政権の枠組みながら社会主義に傾斜し、農地改革を断行した点で南米稀有の事例である。べラスコは先住民の権利を擁護するとともに、先住民=農民への農地分配を進め、「44家族国家」と揶揄された寡頭地主支配を上から解体した。
 しかし「ペルー革命」とも称された社会主義的な経済政策は成功せず、75年、病身のべラスコは軍部内右派によるクーデターにより失権した。さらに農地改革の恩恵を充分受けられなかったアンデス僻地貧困地域の農民は 後に毛沢東主義を標榜する武装ゲリラ活動の拠点とされるが、これについては次節で改めて言及する。
 一方、南米最大国ブラジルでも農地改革の動きがないではなかったが、その歩みは遅い。1960年代、クーデターで成立した軍事政権下で土地法が制定され、国家入植農地改革院が中心となって農業改革が進められたが、その重点は機械化などの合理化にあり、土地の再分配ではなかった。結果として、ブラジルでは大土地所有構造が温存されていく。
 紆余曲折をたどったのは、チリである。チリでは1960年代にまず穏健な再分配型の農地改革が開始され、70年に選挙で成立した成立のアジェンデ社会主義政権下ではより急進的な農地接収と国営農場の創設が目指されたが、アメリカが糸を引く73年の軍事クーデターはこうした社会主義化を反転させ、軍事政権は実験的とも言える市場主義改革に舵を切った。
 接収農地の返還が順次行なわれ、土地取引の自由化政策により農地市場が創設された。これに通じて、農業部門への資本企業の参入が促進されたのであった。その結果、チリ農業は世界に先駆けて農業企業を主軸としたアグリビジネスへの転換が進んだのである。
 チリでは「農民」はもはや消滅したというわけではないが、小規模農家として生き残った層を除き、農業市場化過程で農地を手放した土地無し農民は農業企業に雇われる賃金労働者に転化された。こうしてチリはまさにマルクス『資本論』が解析した農業の資本主義化プロセスの範例を示している。

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