ザ・コミュニスト

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「非核諸国運動」の結成を

2017-04-08 | 時評

国連の核兵器禁止条約をめぐり、核保有五大国及びその追随諸国と非核諸国の対立が鮮明になってきている。五大国が参加しない条約は無意味との批判もあるが、条約の成否はこの際、関係ない。むしろこの機をとらえ、非核諸国は合同して非核を旗印とした「非核諸国運動」を結成すべきだ。

これは冷戦時代の産物としてすでに形骸化し切った非同盟諸国運動に代わる多国間運動として、21世紀的意義のあるものと思う。言わば、国連内野党勢力の結集である。世界を統合すべき国連が「与野党」に分裂するのは国連の失敗とも言えるが、失敗の中から未来の非核世界共同体を展望できる成功の石を拾うとすれば、非核諸国運動をおいてほかにはない。

この運動は首脳会議や外相会議などの正式な会議機能を備え、必要に応じて共同声明や国際紛争などに対する一定の平和的協調行動も取れる体制を備えることが望ましい。それらがセレモニーに終始しないためにも、各国の非核市民運動と連帯して、民衆との結合も図るべきだろう。

ところで、この運動において史上唯一の被爆国・日本はどちらの陣営に属するのだろうか。残念ながら、核兵器禁止条約の交渉への参加をボイコットした日本政府の立場は、核保有五大国の追随勢力側にあることになる。

これは公式標榜上「核廃絶」を唱えつつ、防衛政策上はアメリカの核の傘に依存するという表裏二重路線を採るからであって、その意味で日本は国としては真の意味での非核国ではなく、南太平洋非核地帯条約に参加しながらアメリカの核の傘に依存するオーストラリアなどと並び、「核傘下国」という新分類に包含される立場である。

しかし、ひとたび戦争となれば最も無防備な草の根日本国民のレベルでは、非核諸国運動とともにあるべきであろう。国策とはねじれが生じるが、憲法の平和的生存権がそれを支持する。だからこそ、改憲勢力は平和的生存権を憲法から削除しようと目論んでいるのだろう。「非核諸国民運動」も必要である。

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