ザ・コミュニスト

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皇室からの悲鳴

2016-12-23 | 時評

近年、ガラスの向こうに囲われた一家からの悲鳴が聞こえてくるようになった。従来から心身を病む皇太子妃と不登校問題を抱える皇太子夫妻の息女に加え、ついには家長たる天皇その人からも。

天皇・皇族は、その地位の特殊性から、一般市民に保障される選挙権をはじめとする公民権・市民的自由を否定もしくは強く制約されているから、言いたいことも言えず、常に動静を報じられ、老齢になっても職務から解放されることはない。

こうしたことは憲法上折り込み済みとされているが、小手先の法的理屈を抜きにすれば、天皇・皇族が基本的自由・人権を侵害されていることは否定できない。このような「天皇・皇族の人権」論は基本権の否定と引き換えに多くの世襲特権を享受する天皇・皇族の立場に鑑みれば荒唐無稽と思われてきた。

しかし、好むと好まざるとにかかわらず、現代の天皇制は、かつての神秘化された超越的なものから世俗化なものへと変貌しており、天皇・皇族は大なり小なりブルジョワ・セレブ化し、皇室は芸能的に観賞される著名人一族に近い存在になろうとしている。

解決の方法は、二つある。一つは、天皇制を維持したうえで、天皇・皇族の基本権の保障にも歩を進めること。現今の問題で言えば、天皇にも老齢または病気を理由とする退位の自由を認めることである。もう一つは、そもそも天皇制を廃止し、共和制へ移行すること。その結果、天皇・皇族も一般公民・市民としての資格を与えられることになる。

後者が最も端的な解決法であるが、そのためには憲法改正を必要とする。昨今改憲論は盛んだが、天皇制廃止を掲げる改憲論をほとんど聞かないのは、筆者の寡聞のせいだろうか。耳を澄ませてみたい。

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