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「女」の世界歴史(連載第52回)

2016-09-14 | 〆「女」の世界歴史

第五章 女性参政権から同性婚まで

(4)選挙政治と女性執権者

②南アジア女性政治と受難
 全般に南アジアにおける女性の地位はいまだ高いと言えず、女性への抑圧的慣習も根強く残るが、一方で不思議なことに、この地域はかねており有力な女性政治家を輩出してきており、女性政治の現象的な広がりが見られる。
 ただし、彼女らは例外なく、大統領や首相経験を持つ有力な男性政治家の未亡人ないしは娘という立場にあり、これはこの地域におけるブルジョワ縁故政治を反映しているものと考えられる。同時に、この地域では政治的な殺人、テロリズムが歴史的に絶えず、夫や父、あるいは女性政治家本人も犠牲となる受難が付いて回っていることも、大きな特徴である。

 前回も言及したように、世界初の女性首相セイロン(現スリランカ)のシリマヴォ・バンダラナイケは、夫で第四代首相だったソロモン・バンダラナイケを継承する形で、夫が創設したセイロンの有力左派政党・自由党の総裁から首相となった。
 彼女は、60年代、70年代、さらに90年代と断続的に三次、通算16年にわたり首相を務めている。この首相在任年数は、現時点では女性首相として世界最長記録である(ただし、連続在任年数では、1980年から95年にかけてカリブ海のドミニカ国首相を務めたユージェニア・チャールズが最長)。その間、第二次政権時の72年に共和制移行、国名をスリランカと改めている。
 バンダラナイケの娘チャンドリカ・クマーラトゥンガも1994年から2005年にかけてスリランカ大統領を務めたが、この間、94年から2000年までは母が三度目の首相を務めており、娘大統領―母首相という世界的にも例のない母娘政治となった。
 またクマーラトゥンガも、自由党の有力政治家だった夫ヴィジャヤ・クマーラトゥンガを暗殺で失った未亡人であり、自身も大統領在任中の99年にタミル人過激派組織による暗殺未遂事件に遭い、右目を失明する受難を体験している。
 次いで、南アジア最大国インドにも、66年から二次、通算14年にわたり首相を務めたインディラ・ガンジー首相が出ている。彼女はバンダラナイケに続く世界史上二人目の女性首相でもあった。
 ガンジーはインド独立運動指導者で、初代首相ネルーの娘であり、インドの最大政党国民会議派総裁として台頭し、64年のネルー死去を受け、後継者として政界に出て首相に就任した。ガンジーは社会主義的な政策でインドの自立的近代化を進める一方、その強権的な政治手法は自らの墓穴を掘った。
 75年に非常事態宣言を発して野党を弾圧したことが裏目となり、77年の総選挙で惨敗、政権を喪失したのは政治生命の危機で済んだが、80年の総選挙で返り咲いた第二次政権中の84年、インドの少数宗派シク教過激派に対する強硬軍事作戦で多数の犠牲を出したことは、恨みを募らせたシク教徒の警護官による自らの暗殺を招いた。
 ちなみに、後継首相として84年から89年まで首相を務めた息子のラジーヴも、首相退任後の91年にスリランカのタミル人過激派の手で暗殺され、親子ともに暗殺という悲劇的な受難となった。
 一方、隣国パキスタンでは、88年にイスラーム世界初の女性首相となったベナズィル・ブットが出ている。彼女は77年の軍事クーデター後に政治的な意図で処刑されたズルフィカール・アリー・ブット元首相の娘である。
 ブットは80年代末から90年代半ばにかけて二次、通算5年近く首相を務めたが、軍部やイスラーム保守勢力の妨害により十分に手腕を発揮することはできなかった。また自身や親族の汚職疑惑も絶えず、二度とも汚職を理由として解任される不名誉な終わり方をしている。最終的に、政権返り咲きを目指し、選挙運動を展開していた2007年、イスラーム過激派によるとされるテロにより暗殺された。
 71年にパキスタンから独立したバングラデシュでは、90年代以降、二人の女性政治家をリーダーとする二大政党の抗争が続いている。一人は75年に暗殺された初代大統領ムジブル・ラフマンの娘シェイク・ハシナ、もう一人は81年に暗殺された第七代大統領ジアウル・ラフマンの未亡人カレダ・ジアである。
 ハシナは父が属した最大左派政党人民連盟を率い、一方のジアは、75年クーデター後に台頭した軍人の夫が人民連盟に対抗して創設に関わった右派政党バングラデシュ民族主義党を率いている。ただ、両党の差異は見かけほど明確ではなく、その抗争は多分にしてハシナとジアの亡父と亡夫の政治的対抗関係が遺恨的に続いているものである。
 91年以降、ジアとハシナが交互に首相を務め合うつばぜり合いは、2007年、軍部の実質的なクーデター介入によりいったん中断した。暫定政権を経て、08年に実施された総選挙ではハシナ率いる人民連盟が圧勝、14年総選挙も主要野党のボイコットにより圧勝し、ハシナ政権は長期化・権威主義化の兆しを見せている。

 なお、共和制に移行したネパールでも2015年、ビドヤ・デビ・バンダリがネパール史上初の女性大統領(第二代)となった。彼女はネパールの有力政党ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(統一共産党)の初代書記長で、93年に謀殺の疑いも囁かれる自動車事故で死亡したマダン・クマール・バンダリの未亡人である。
 また地政学上は南アジアに属しないが、旧英領インドの一部で、バングラデシュに接するミャンマーでも、独立の前年1947年に暗殺された「ビルマ独立の父」アウンサンの娘アウンサンスーチーが長年の反軍政闘争を経て、2016年、実質的な最高執権者と目される国家顧問に就任した。

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