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「女」の世界歴史(連載第51回)

2016-09-13 | 〆「女」の世界歴史

第五章 女性参政権から同性婚まで

(4)選挙政治と女性執権者

①パイオニアたち
 女性参政権は、第一次世界大戦の前後から欧州を中心に解禁される諸国が続いたが、世界的に見れば、まだモードとは言い難かった。特に議員をはじめとする公職に就任する被選挙権に関しては制限が強く、選挙を通じた非世襲の女性執権者となると、欧州でも戦前には存在しなかった。
 そうした中、世界初の非世襲女性執権者はシベリアから現れた。1921年から44年までの短期間だけソ連を後ろ盾に存続したテュルク系遊牧民の小国トゥヴァ人民共和国で、40年から44年まで国家元首に相当する国家小会議幹部会議長を務めたヘルテク・アンチマア‐トカである。
 ただし、彼女はスターリン主義者で同国の事実上の独裁者であった夫サルチャク・トカの権力を背景としていたが、彼女自身も第二次大戦中、積極的にソ連との協力関係を築き、44年のソ連への併合を夫と共に主導した。結果的にトゥヴァ最後の元首となったトカは、1970年代、南米アルゼンチンにイサベル・ペロン大統領が誕生するまで、史上唯一の非世襲型女性国家元首だったのである。
 第二次大戦は民主主義陣営の勝利という側面を持ったことから、女性参政権拡大の大きな契機となった。戦後には日本をはじめとするアジアや中南米など保守的な地域でも女性参政権が続々と認められていく。
 そうした国の一つアルゼンチンでは、ファシズムの性格を持つペロン政権が47年以降、女性参政権を認めたが、男性崇拝的なマチズモの傾向の強いラテンアメリカで女性国家元首の誕生は容易でなかった。74年にイサベル・ペロンが大統領に就いたのは、夫フアン・ペロンの妻にして副大統領という地位にあったからである。
 カリスマ的な独裁者であり、前年の選挙で大統領に返り咲いたばかりの夫の急死を受けて大統領に昇格したにすぎない彼女は、執権者としての力量には欠け、人権抑圧に走る一方で、石油ショックによる経済低迷と過激勢力のテロの激化に対処できないまま、76年の軍事クーデターで政権を追われた。イサベルは2000年代になって、在任中の人権侵害を遡って追及される立場に置かれるが、世界初の女性大統領というパイオニアとしては歴史に名を残している。
 正式の選挙を経た初の女性大統領は、1980年、欧州の小国アイスランドに誕生したヴィグディス・フィンボガドゥティルである。アイスランド大統領は儀礼的・象徴的な存在であるが、国民の直接選挙で選ばれるため、フィンボガドゥティルが史上初の女性民選元首と目されている。フィンボガドゥティルは96年に退任するまで連続四選、通算16年にわたって大統領職を務めた。この在任期間は、現時点では女性大統領として最長である。

 一方、女性参政権の拡大は、国家元首ではないが、政治行政の実権を持つ政府の長たる首相に就く女性も誕生させた。その点、世界初の女性首相は1960年に就任した南アジアの島国セイロン(現スリランカ)のシリマヴォ・バンダラナイケである。
 ただし、彼女は夫で第四代首相を務めたソロモン・バンダラナイケが59年に暗殺されたことを受け、未亡人として夫を継承したものであり、南アジアに特有のブルジョワ縁故政治を反映している。その意味で特有の現象でもあるため、改めて次項で取り上げ直すことにする。
 そうした縁故的な背景を持たない初の女性首相は、イスラエルのゴルダ・メイアであった。ウクライナ生まれのユダヤ人として、若くしてシオニスト運動に身を投じたメイアはイスラエル建国にも関与し、48年のイスラエル独立宣言では24人の署名者の1人(女性署名者は2人)に名を連ねた。
 彼女は建国初期から左派の国会議員となり、閣僚を歴任した末に、69年に労働党政権の首相に選出される。74年までの在任中は、ミュンヘン五輪選手村を襲撃したパレスチナ過激派のテロで多数のイスラエル人選手らが殺害された事件や第四次中東戦争などの困難に見舞われた。
 勝利はしたものの、アラブ側の奇襲作戦を防げなかった第四次中東戦争での準備不足が論議される中、高齢のゴルダは74年に退任したが、現在までイスラエル唯一、かつ中東全体でも93年にトルコでタンス・チルレル首相が就任するまでは唯一の女性首相として、パイオニアの位置を保っている。
 ところで、女性参政権の保障が世界でも先行していた欧州での女性首相の誕生は意外に遅く―旧ユーゴスラビアの連邦構成共和国クロアチアで67年‐69年に首相を務めたサヴカ・ダブチェヴィッチ‐クチャルを除けば―、主権国家の首相としては、1979年に就任した英国のマーガレット・サッチャーが初例である。
 意志の強さから、メイアとともに「鉄の女」の異名を持つサッチャーは政治的座標軸上はメイアと異なる右派に属し、英国政治を保守回帰させる「革命」を演出した。その政治理念や手法に関しては、後に改めて取り上げることにする。

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