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戦後ファシズム史(連載第26回)

2016-03-15 | 〆戦後ファシズム史

第三部 不真正ファシズムの展開

5:開発ファシズム
 戦後、帝国日本や欧米の植民地支配から解放され、独立したアジア・アフリカ諸国では、低開発状態から急速な経済開発・成長を達成するために、あえて独裁的な体制を構築する例が少なくなかった。
 その中でも、ソ連型ないしは「独自」の社会主義的な志向性を持った体制は別として、反共・資本主義路線を志向した体制は、左派勢力を排除しつつ、国家主導による経済開発を上から強力に推進するため、国家絶対の全体主義的な体制を構築する傾向があった。
 こうした体制は東アジアから東南アジアにかけて1960年代以降林立するようになり、しばしば漠然と「開発独裁」と指称されたが、「開発独裁」とは仔細に見れば、資本主義的な経済開発を一元的な至上価値として国民を政治的に動員する「開発ファシズム」と呼ぶべき実質を備えていた。
 その嚆矢の一つが前回見た台湾における60年代以降の国民党ファシズム体制であったが、それ以外にも、韓国、シンガポール、インドネシア、フィリピンなどに順次類似の体制が構築されていった。このうち、シンガポールは開発ファシズムから現代型の管理ファシズムに転形された現在進行形の事例でもあるので、続く第四部に回し、第三部ではその余の事例を取り上げることにする。
 これら開発ファシズムの権力基盤は軍人が主導する場合は軍部に置かれたが、長期支配を可能とするために形式上民政移管したうえで翼賛的な政党を結成し、政治動員マシンとして活用するのが通例であった。文民主導の場合も含め、開発ファシズムの政党組織は綱領上ファシズムを採用せず、あいまいな包括的反共右派政党の形態を採ったので、開発ファシズムとは類型上不真正ファシズムであった。
 このような体制がとりわけ東南アジアを含む広い意味での東アジアに集中した理由を明確に言い当てるのは難しいが、一つには東アジアに共通する権威主義的な政治文化の土壌の上に成り立った「アジアン・ファシズム」という共通根を持つように思われる。
 東アジア以外の地域では、戦後、アジアよりも遅れて低開発状態からスタートしたアフリカの新興諸国にもわずかながら開発ファシズムの特徴を持つ体制が現われたが、それらは東アジアの諸体制のような成功を収めることはなかった。第二部でも指摘したように、アフリカでは多民族・多部族社会を単一の国家に束ねて国民を動員することの困難さがつきまとったからであった。
 ただ、参照的な比較のため、ここでは、最終的には失敗に終わったものの時限的な成功例に数えられる西アフリカのコートディボワールと東アフリカのマラウィの事例を個別に取り上げることにする。

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