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戦後ファシズム史(連載第24回)

2016-03-02 | 〆戦後ファシズム史

第三部 不真正ファシズムの展開

3:南アフリカのアパルトヘイト体制
 カナダ・ケベック州の民族同盟体制と同時期に立ち現われた国家レベルでの不真正ファシズムに数えられるのは、南アフリカで半世紀に及ぶ悪名高い人種隔離政策(アパルトヘイト)を敷くことになる国民党体制である。
 南アフリカの国民党は、1910年に英国自治領として実質上独立した南アフリカの支配層である主としてオランダ系白人(アフリカーナー)の権益を護持することを目的として1915年に結成された白人至上主義政党である。その意味では民族主義的政党であり、党名Nasionale Party(英語名National Party)は本来「民族党」と訳すべきだが、ここでは定訳の「国民党」に従うことにする。
 このように国民党はナチ党やイタリアのファシスト党よりも歴史の古い政党であり、綱領上も純粋のファシスト政党とは言えない。しかし、戦前にはナチスに共鳴する幹部党員も少なくなく、思想的なつながりは強い。
 国民党は戦前にも24年から34年にかけて政権を担った経験を持つが(24年から33年までは労働党との連立)、本格的に政権を担うのは、戦後の48年総選挙で勝利して以降である。ただし、この時は従来の政権党でより穏健な連合党を5議席上回るだけの辛勝であり、選挙協定を結んだアフリカーナー党との連立政権となった。
 51年にアフリカーナー党と合併してからは、94年の史上初となる全人種参加選挙で敗北するまで、実に総選挙十連勝の常勝・政権独占政党として戦後南アに君臨する。その中心的な施策アパルトヘイトの内容については人種差別という観点からの膨大な解説・分析がすでに存在するが、その政治思想的性格については必ずしも十分に解明されているように見えない。
 アパルトヘイト政策の底流にあるのは、まさしくナチ的な白人優越思想であった。ただし、南ア社会は人口の10パーセント程度を占めるにすぎない白人だけでは維持できず、圧倒的多数を占める黒人層は安価な被搾取労働力として不可欠であったため、大量殺戮のような民族浄化ではなく、参政権を与えず、厳格な居住制限と婚姻制限をかけることで「隔離」することが主要な政策手段となった。
 そのために、政治経済の根幹に関わる黒人参政権の否定と原住民土地法、集団地域法(居住制限)が三本柱となり、これを雑婚禁止法、背徳法(白人‐有色人種間の性交禁止)、パス法(身分証明書携帯義務)といった生活統制法が支えるアパルトヘイト法体系が整備されていった。
 ちなみに、こうしたアパルトヘイト法体系とは別途、治安法規として共産主義鎮圧法という反共立法も備えていた。これは白人の共産主義者にも適用され得る汎人種的立法の形を取ってはいるが、南ア当局は同法を反アパルトヘイト運動全般に拡大適用したため、同法は本来の共産主義抑圧よりも、黒人解放運動の弾圧手段として機能していた。
 他方、この間、政体としては議会制が維持され、61年にアパルトヘイトを非難した英国への反発から英連邦を離脱し、大統領共和制へ移行してからも、大統領は議会によって選出される複選制を採用するなど、議会中心主義が保持された。従って、48年から94年の政権喪失まで南ア国民党体制は独裁者と呼ぶべき指導者は一人も出さなかった。言わば「独裁者なきファシズム」である。
 この点で、南ア国民党体制はファシズムの成立にカリスマ型独裁者の存在は不可欠と解するある種の政治常識を覆す事例だったとも言える。とはいえ、多数派黒人の参政を排除した白人オンリーの野党勢力は脆弱で、国民党の圧倒的優位という事実上の一党独裁を結果し、そうした「集団独裁」の上に成り立つファシズム体制であった。
 アパルトヘイトは表向き国際社会から非難されながらも、アフリカ有数の資源大国にしてアフリカ随一の資本主義経済大国に成長した南アとの経済関係を維持したい西側諸国―そこには「名誉白人」待遇を受けていた日本も含まれる―及び南ア経済に依存する周辺の黒人系新興諸国によっても支えられ、半世紀も生き延びることができた。
 しかし、国際社会による経済制裁や国際競技会からの締め出しなどの南ア孤立化政策が次第に功を奏し、80年代以降、徐々にアパルトヘイトの緩和が進んでいった。最終的には、ここでも冷戦終結が体制転換の決定因となる。
 90年には黒人解放運動の英雄的存在ネルソン・マンデラの27年ぶり釈放、翌年2月、当時のデクラーク大統領によるアパルトヘイト廃止宣言を経て、94年の全人種選挙での国民党敗北、マンデラ大統領誕生をもって国民党支配体制は終焉した。
 南アの国民党体制はアフリカにありながら入植白人が支配層を形成するという特異な体制下での特殊なファシズム体制であり、それ自体の復活はもはやあり得ない状況であるが、人種差別思想は決して世界から根絶されておらず、上述したように議会制に適応化した議会制ファシズムという形態の点でも、現代型ファシズムの先駆けと言えることは見逃せない。

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