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戦後日本史(連載第15回)

2013-07-31 | 〆戦後日本史―「逆走」の70年―

第3章 「逆走」の再活性化:1982‐92

〔三〕労組/社会党の切り崩し

 「戦後政治の総決算」という意味深長な中曽根政権のスローガンの中には、歴史認識のような思想的な問題にとどまらず、「55年体制」を形づくってきた自民党・財界対社会党・労組という対立軸―「逆走」の鈍化をもたらした要因でもあった―を解体するという政略的な狙いも込められていた。
 実際、中曽根政権が手がけた「三公社民営化」政策の中で標的となった国鉄と電電公社はともに大労組を擁し、社会党の有力支持基盤であった日本労働組合総評議会(総評)の屋台骨でもあった。とりわけ戦闘的な国鉄労組はしばしば大規模ストを敢行し、労働運動全体の牽引役としてその存在感を示していたから、最も主要なターゲットとされることとなった。
 一方、社会党は60年代に右派が分離して民社党を結成するなど―その背後に米国CIAの介在があったことが判明している―分解の動きが始まり、70年代後半の政治経済的閉塞期にも党勢が伸び悩んでいたところ、中曽根はこうした揺らぐ社会党にどどめの一撃を加えようとしていたのだった。
 その手始めは1986年の解散総選挙であった。この時、中曽根は憲法違反の疑いも指摘された衆参同日選に踏み切り、自民党を衆議院で300議席を獲得する圧勝に導いたのだった。対する社会党はわずか85議席の歴史的大敗であった。こうして成立した巨大与党の力で、中曽根政権は国鉄の実質的な解体を意味する分割民営化を政権最後の大仕事として推進し、やり遂げたのである。
 その効果は絶大であった。中曽根政権が退陣した2年後の89年には、総評と民社党系の全日本労働総同盟(同盟)などが合流して日本労働組合総連合会(連合)に再編された。
 この戦後労働運動史上画期的な出来事は、表面上は長く分裂していた官公労組主体の総評と民間労組系の同盟との歴史的な和解・糾合というポジティブな出来事のようにも見えるが、実際のところは国鉄労組に代表されたような戦闘的な労使対決型労組から旧同盟のような労使協調型労組への歴史的な転換を意味した。スト権を自ら凍結してしまう「物言わぬ労組」の始まりである。
 他方、86年総選挙で大敗した社会党は党勢立て直しのため、伝統的な労組系ではなく、護憲・市民運動系の土井たか子を初の女性委員長(党首)に就けた。
 折から、中曽根政権を引き継いだ竹下政権の下で、消費税の導入を巡る論議が高まり、反消費税を掲げる社会党が土井の個人人気にも支えられて再生し、竹下政権がリクルート事件の影響で退陣した後の89年参院選では自民党を過半数割れに追い込む勝利を収め、翌90年の総選挙でも140議席近くを獲得するまでに党勢を回復した。
 しかし、社会党にとってはこれが最後の一花であった。専ら土井の個人人気に支えられるところが大きかった社会党ブームは結局、自民党の支配力を打破するまでには至らず、91年の統一地方選挙での敗北を機に土井が委員長職を退くと、終わりを告げた。以後、社会党は―おそらく中曽根の目論見をも超えるスピードで―5年後の実質的な解党へ向けて滑り落ちていくのである。

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