ザ・コミュニスト

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議会制独裁へ

2013-07-22 | 時評

ねじれ解消は手段であって、われわれは迅速に「決められる政治」を進めていく━。石破茂自民党幹事長のこの厳かな宣言が新たな体制の性格―議会制独裁―を語っている。 

すでに通信社主催のインターネット討論会が自民党の出席拒否で中止されるなど、与党によるマス・メディアへの締め付けも強まり始めている。

こうした巨大与党と断片的野党という非対称な政治形態は、アジアではシンガポールに例がある。一応議会制民主主義の形式を伴ってはいるが、政権与党が圧倒的に多数を占めているため、野党の対抗力は事実上機能しない。そこで、議会制の下で与党主導の「決められる政治」、すなわち執行権独裁が可能となる。

ただ一院制のシンガポールとは異なり、日本の場合は二院制であり、上院相当の参議院は衆議院での与党の独裁を牽制する働きも持つ。実際、従来の「ねじれ国会」はそうした参議院の牽制機能の最大限であった。

そのねじれが単に解消されたにとどまらず、与党に絶対安定多数が与えられたことは、こうした参議院の牽制機能もいよいよ働かなくなることを意味する。

またシンガポールでは与党勢力による野党抑圧・選挙干渉も厳しいと言われるのに対し、日本では自由選挙―選挙法のがんじがらめの規制付きとはいえ―が一応成り立っている。今回の結果は日本有権者の「自由に」表出された意思の現れにほかならない。有権者が望んだ議会制独裁である。

もっとも、石破幹事長は公明党が連立与党にいる限り、与党暴走はあり得ないとも言明していた。だが、それは裏を返せば、公明党の存在なかりせば暴走もあり得るということを示唆している。与党第一党と第二党の議席数の格差からして、公明党がさほど強い発言力を保持しているわけでもないことを考えれば、公明党というブレーキに過大な期待は禁物である。

世紀の変わり目頃から始まった歴史街道「逆走」の加速化が、3年余りの民主党政権期の中だるみを経て、巨大化した安倍再政権のもと、いよいよアクセルを大きく踏み込む時代に入ったようである。

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