ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

マルクス/レーニン小伝(連載第26回)

2012-10-18 | 〆マルクス/レーニン小伝

第1部 カール・マルクス

第5章 「復活」の時代

マルクス=レーニン主義の理論で武装した共産党は、社会の発展の総合的な展望及びソヴィエト人民の偉大な創造的活動を指導し、共産主義の勝利のためのかれらの闘争に計画的かつ科学的に根拠のある性格を付与する。
―ソヴィエト社会主義共和国連邦憲法第6条第2項


(1)「マルクス主義」の創始

エンゲルスの役割
 人間としてのマルクスは死んだが、その後間もなく彼は「復活」した。まるでイエス・キリストのように。
 このようなマルクス理論の擬似宗教化の流れを作り出したのが、いわゆる「マルクス主義」という新思潮であった。そしてその創始者の座に就いたのが、マルクスよりも12年ほど長生した盟友エンゲルスであった。「マルクス主義」はしばしば誤解されるように、マルクス本人が創始したのではなく、エンゲルスによって創始されたと言って過言でない。
 エンゲルスはすでにマルクスの生前からマルクス理論を「科学的社会主義」と規定しつつ、その宣伝者としての役割を果たし始めていた。その成果が『反デューリング論』とその要約版『空想から科学へ』である。
 マルクス死後のエンゲルスは、まずマルクスの遺稿の整理・編集を軸にしながら、「科学的社会主義」すなわちマルクス主義の普及と体系化にも独自の貢献をしている。
 このうち遺稿の整理・編集に関しては、何と言っても未完のままとなっていた『資本論』第2巻及び第3巻を公刊したエンゲルスの功績は大きい。これによってマルクス主義の聖典『資本論』が今日あるような三巻本に仕上がったのである。
 ただ、このエンゲルス編の第2巻・第3巻の内容が果たしてマルクスの真意に沿ったものかどうかについては議論があり、元来マルクスの未確定草稿を使用しているため、エンゲルス自身の解釈を交えた編集の手が加わっていることは間違いないであろう。そういう点でも、後世になってイエスの言葉とされるもの―イエスは「草稿」さえも残さなかったが―を編集して作成された聖書と似た関係にある。
 マルクス主義の体系化に関しては、先に挙げた『反デューリング論』がその最初の試みであり、今日でも「科学的社会主義の百科全書」と評されるドグマティックな著作であるが、より独自性の強い別著『自然の弁証法』は未完ではあるものの、唯物弁証法を自然科学にまで拡大適用していこうとするエンゲルスの野心作であった。
 しかしマルクス自身は弁証法をそこまで拡大的にはとらえていなかったし、エンゲルスが試論的に定式化した(a)量から質への転化(b)対立物の統一(c)否定の否定という弁証法三法則もマルクス自身のものではないが、エンゲルスの言説はマルクスの終生にわたる盟友としての彼の権威によってマルクス主義の正統教義として信じられるようになった。
 一方、マルクス主義の普及に関しては、エンゲルスによるマルクスの遺稿の選択的な出版活動が即「布教」の意義を担っていたが、彼はさらに各国労働運動に対しても、マルクス主義の立場から支援と助言を精力的に行った。
 特に、1891年にはビスマルク体制下の弾圧の中を生き延びたドイツ社会主義労働者党がドイツ社会民主党と党名変更するのに伴い、かつてマルクスが痛烈に批判したゴータ綱領に代わる新綱領を起草するに当たって助言を与え、マルクス理論に沿った綱領(エルフルト綱領)を完成させる手助けをした。この新綱領にはなお穏健な改良主義的要素が残されてはいたが、これによってようやくマルクスの故国ドイツにもマルクス主義政党が誕生することとなったのである。
 こうしてエンゲルスは、キリスト教における第一使徒ペテロとパウロ、さらには後の聖書編纂者の役割をも一人で兼ねる多面的な役割を果たした末、1895年8月、喉頭癌のため死去した(享年74歳)。彼の遺骨は遺言により、ドーヴァー海峡に散骨された。

コメント