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マルクス/レーニン小伝(連載第13回)

2012-08-22 | 〆マルクス/レーニン小伝

第1部 カール・マルクス

第3章 『資本論』の誕生

この年と次の二年間(注:1850年‐53年)は、私どもにとって外的に数々の極めて大きな心配が襲ってきた時期で、たえず心を蝕む不安と、あらゆる種類の窮乏、本当の貧乏が続いた。
―妻イェニー・マルクス


(1)初期の経済学研究

『経済学・哲学草稿』
 前章でも触れたように、パリ遊学時代にエンゲルスの論文「国民経済学批判大綱」に接したマルクスは経済学研究の重要性を認識し、以後スミスやリカードウを中心に古典派経済学の研究を鋭意進めていく。その予備的な成果が今日『経済学・哲学草稿』(以下、単に『草稿』という)として公刊されている初期の著作に収められている。
 これは経済学及び哲学にわたる種々の主題を試論的に展開するまさに草稿であって、マルクス生前には公刊されず、1932年になってソ連の研究所の手で編集・公刊されたものであるから、二次性と断片性を免れないのであるが、この草稿には青年マルクスの思想的キーワードと目される「疎外」の概念が鮮明な形で現れる点で、ヒューマニスト・マルクスの到達点を画する作品とみなされている。
 この「疎外」概念は、マルクスの最初の思想的転回点となった論文「ユダヤ人問題に寄せて」の中で、貨幣の本質に絡めて「貨幣は人間の労働と人間の現存在とが人間から疎外されたものであり、この疎遠な存在が人間を支配し、人間はそれを礼拝する」という形で提示されていた。
 『草稿』にあっては、このテーゼを資本主義社会における賃労働全般にまで拡大し、「疎外された労働」という定式化を試みている。それはまだ十分に分節化されていないため、熟した定式ではないが、要するに資本主義の下では労働者は他人の利潤追求の道具として他人に属する物の生産に従事することを個人的な生活、ひいては生命を保続するための手段とせざるを得ないことによって、共同存在という人間性の本質を喪失させられてしまうという批判理論である。
 これを労働者を雇用する資本の側から見れば、労働者も他の商品と同様に、その価値が需要と供給によって変動する一つの商品とみなされ、労働者が死滅してしまうことのないようかれらの生活のために支払われるべき労賃は他の生産手段の維持・修繕等に支出される費用とともに、節約すべき必要経費であるにすぎないという。
 このような概念規定には、後にマルクスが仕上げることになる有名な「剰余価値」の概念とその論理的前提となる労働力=商品論のモチーフがすでに認められるが、『草稿』の段階ではまだヒューマニスティックな倫理学的把握を出ておらず、後年のマルクスが強調する「科学的」把握には到達していなかった。
 しかし、これ以降本格的に推進されるマルクスの経済学研究は、「疎外」概念を―マルクスによれば科学的に―突き詰めていくことに全力が傾注されると言ってよいのである。その際、ヒューマニズムは彼の経済学研究の通奏低音として鳴り響き続ける。そういう意味ではマルクスの「科学」とは通常言われるような歴史の科学でも経済の科学でもなく、人間の科学(人間科学)となるはずである。

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