ザ・コミュニスト

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放射線差別について

2011-09-16 | 時評

福島原発事故に伴う放射性物質の大量放出以来、避難してきた福島県民を忌避する放射線差別と呼ぶべき新しい差別事象が各地で報告されている。

先般、ついに原子力を所管する現職大臣までが「放射能をつけちゃうぞ」とか「放射能をうつすぞ」などという戯言を記者相手の非公式な場で発したことをも一つの理由として、辞職に追い込まれる“事件”まで起きた。

この件については、本当にそうした発言があったのか、またあったとしてどういう状況で発せられたのか不透明な点も残るが、前大臣は発言内容を明確に否定することができなかった以上、そういった類の戯言は実際にあったと認めざるを得ない。

となると、放射線差別はそれこそ上から下まで相当広範囲な層で蔓延していることになり、衝撃的である。

放射性物質は人体、ひいては生態系に害を及ぼし得る物質であるから、管理されない状態で放出される放射性物質を回避し、除染を図ることはもとより「差別」に当たらない。

しかし、放射性物質が付着しているとみなされる人自体を医学的・科学的根拠なしに汚染源として不可蝕民化して忌避するのは、「差別」に該当する。

こうした放射線差別は、従来、原発災害が発生することはないという非科学的想定で動いていた日本では見られなかった新種の差別事象であるが、放射性物質をあたかも病原菌のように見立て、それが付着しているとみなされた人を不可蝕民化するという形をとる点では、従来から見られる伝染病者への差別と構造的に類似する。

前大臣の場合、福島を視察して帰京した自分自身を放射線汚染源と見立てて、「つけちゃう」とか「うつす」とか自虐的に表現してふざけてみせたようだが、これは自己差別の形態に近い。

しかし、自己差別も一つの差別の形態にほかならないし、自己差別でも明らかにふざけている場合は、他者差別に限りなく等しい。あたかも、「バイキン」としていじめられている子どもに触った子どもが他の子どもに「バイキンつけちゃうぞ」とふざけかかるような、まさに児戯だ。

こうした放射線差別を克服するには、一人ひとりが放射線に関する正しい科学的・医学的知識を身につけるべきはもちろんだが、それだけでは不足である。

現在、国内で放射線差別の標的になっているのは専ら福島県民であるが、事故が長期化している現状では、海外で日本人そのものが放射線差別に遭う恐れ―すでに起きているかもしれない―も否定できない。こうして差別の加害者が被害者に転じる差別の連環構造を痛切に意識することが大切である。

いずれにせよ、国務大臣が差別を助長するような発言をすることはそれだけで辞職理由になるという先例が一応一つできたことは、不幸中の幸いであったと思う。

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