ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

人類史概略(連載第5回)

2013-08-21 | 〆人類史之概略

第2章 現生人類の誕生と拡散(続き)

用具革命の加速化
 小序でも述べたとおり、人類史は連続的な用具革命のプロセスであると言ってよいわけだが、そうした革命のプロセスを加速化させるきっかけを作ったのは、現生人類の功績である。それは特に石刃技法と呼ばれる新しい石器の製造技法を完成させたことである。
 一つの石核から多くの剥片を取り出す石刃技法は、それによって多目的・多品種の石器の量産を可能にした。そこで、考古学の編年上はこれ以降を「後期旧石器時代」と呼ぶが、この技法の普及の意義をあまり過大評価すべきではないだろう。
 石刃技法を技術として見たときには、この技法は従来の調製石核技法の発展的応用にすぎず、石核技法の技術的基盤の上に成立するものである。またこの技法自体は現生人類が発明したものではなく、アフリカでは現生人類以前から現れていたし、すべての現生人類がこの技法を一斉に実践していたわけでもなかった。とはいえ、おしなべて石刃技法の完成者は現生人類であったと言うことは許されよう。
 石刃技法によって石刃の多様化と量産が進むと、それは用具全体の多様化にもつながり、実際により鋭利で漁撈向きの骨角器のような用具も進歩していった。こうした用具の多様化は用具革命のスピードを早めるとともに、現生人類の拡散・定住に伴い、地域的な特色をも示し始め、それが原初的な民族集団の標識となっていったであろう。
 石器製造は長きにわたって打製であったが、石器の多目的・多品種化は打製石器を飽き足らないものとし、研磨されたより繊細な磨製石器の開発へと進んでいく。以後、いわゆる「新石器時代」と呼ばれる新たな時代に入る。文明の開始はなお未来のことであったとはいえ、来たるべき農耕の開始が待っていたのもこの時代であった。

交易活動の始まり
 「交換価値はノアの洪水以前からある」。マルクスはこう述べて、人類の交換という行為の古さを強調していた。
 用具革命が加速化して、用具の多様化が進むと、地域的な特色が濃厚になったことで、離れた地域間で用具やその原料を互いに交換し合おうとの考えが浮かぶことは自然である。このようにして交易が開始される。その点、石核技法の域を出ることのなかったネ人には少なくとも長距離の交易活動の形跡が見られないことは首肯できるところである。
 こうした交易活動の始まりにはまた、前に述べたような現生人類の強欲さという性格も大いに関わっていたであろう。ただ、単純に自らの欲する物資を略奪するのではなく―略奪も現代に至るまで続く現生人類の最も粗野な「経済活動」ではあるけれども―、相手方が欲する物資を互いに代償として与え合う交換という行為には、打算的という現生人類のもう一つの性格が関わっていよう。
 こうした現生人類の交易活動は、隣接する集団間のみならず、次第に遠隔の集団間でも行われるようなる。この場合、現生人類の際立った拡散を支えた長距離移動能力が大いにものを言ったであろう。
 「自己の生産物の販路を常にますます拡大しようとする欲望に駆り立てられて、ブルジョワ階級は全地球を駆けめぐる」(『共産党宣言』)時代の到来はまだはるかに遠い未来のことであったが、交易のために長距離を駆けめぐる現生人類の不可思議な熱心さは、すでに先史時代に現れていたのだ。

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人類史概略(連載第4回)

2013-08-20 | 〆人類史之概略

第2章 現生人類の誕生と拡散

環境適応と「人種」
 現生人類ホモ・サピエンス・サピエンスは、およそ20万年前、アフリカ大陸でホモ・ヘルメイから進化した亜種として誕生したと考えられている。この新種のホモ属も、当初は中期旧石器時代の文化段階からスタートし、先覚者たちと同様に「出アフリカ」して世界に拡散していった。
 「出アフリカ」→拡散という行程においては先行の絶滅人類を踏襲していたわけだが、違っていたのは現生人類の際立った拡散力と環境適応力とであった。
 現生人類の「出アフリカ」の経路やその回数、拡散ルートといった細部に関しては、すでに人類学者によって活発な議論が行われているため、この概略史では言及しないが、ともかく現生人類は南極大陸を除く世界の隅々まで拡散し、各々その土地の環境に適応していったのである。
 その適応の過程では、肌の色や容貌といった外形まで進化・変容させて、いわゆる人種的な差異を生み出すようになった。そうした差異があだとなって、後々人種差別のようなネガティブな事象も生じることになったわけだが、人種の別とは決して人間間の優劣関係ではなく、むしろ現生人類の環境適応力の高さを示す変数なのである。
 この点、今日の有力学説によれば、我々現生人類は20万年近く前にアフリカに実在した共通の母系祖先(いわゆるミトコンドリア・イブ)を持ち、特に非アフリカ人は、7ないし8万年前という比較的「近年」になって出アフリカに成功した一集団の複雑に分岐した子孫たちであることが遺伝学的に明らかにされつつある。要するに「人類皆きょうだい」は単なる道徳的スローガンではなく、科学的にも証明されつつある命題なのである。
 ということは、現生人類そのものが先行人類に比べて特別に環境適応力に優れていたというよりは、現生人類の中でも特定の一集団とその子孫たちが他の同胞集団よりも環境適応力に勝っていたというのが正鵠を得ていよう。

残酷さと強欲さ
 現生人類はその誕生時からしばらくはホモ・ヘルメイやネアンデルタール人(以下、「ネ人」という)のような先行種と共存していたと考えられているが、なぜ現生人類だけが生き残ったかという問題は大きな謎である。特に長期にわたって共存していたと見られるネ人はなぜ忽然と姿を消したのか。
 そこにはネ人に内在する限界もあったであろうが、現生人類による集団的排除の可能性を排除することは楽観的にすぎるだろう。現生人類は残酷さという性格を共有している。このことは、現生人類が多くの動物を絶滅に追いやってきたばかりでなく、世界歴史の中でも数々の同胞殺戮が繰り返されてきた事実からも明らかである。
 現生人類はネ人をはじめとする先行人類を殺戮した━。それは絶滅の唯一の要因ではなかったとしても、少なくとも絶滅を促進はしたと推定することは不合理ではなかろう。
 ただ、その殺戮は直接的な襲撃・殺害ばかりでなく、狩猟採集の場をネ人などから奪い取って相手方を飢餓に追い込むといった経済的な「殺戮」も含まれたと見てよいであろう。少なくとも、現生人類は先行人類と末永く平和共存する意思を持ち合わせなかった。
 ちなみに現生人類がわずかながらネ人の遺伝子を承継していることについても、これを平和的な「通婚」の結果とみなすのは楽観的であり―それならばより多くの遺伝子承継があって然るべきであろう―、残念ながら集団的レイプのような暴力の介在を想定せざるを得ない。
 こうした残酷さに加え、現生人類には並外れた強欲さという性格も備わっていた。この性格は残酷さとも表裏一体であり、当初は狩猟採集の場の独占といった形で発現し、実際に成功したのだろうが、後に狩猟採集をより大量的・効率的に行うための新たな用具の開発という用具革命の加速化をもたらす原動力ともなったのである。

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人類史概略(連載第3回)

2013-08-06 | 〆人類史之概略

第1章 絶滅した先覚者たち(続き)

最初の用具革命
 用具の発明がホモ・ハビリスの栄誉に属する功績だとすれば、用具の発達史上に革命を起こしたのは30万年ほど前に出現したホモ・ヘルメイであった。
 それ以前に氷期をはさんで、およそ180万年前に出現したホモ・エレクトスという画期的な種族がハンドアックスのようなより精巧な石器を発明し、用具生産を進歩させてはいたが、ホモ・ヘルメイのほうは調製石核技法という石器生産上の革新を成し遂げたのだった。
 これははじめにほどよく調製された石核を作りおき、そこから剥片石器を打ち出していくというもので、これにより種々の石器を効率的に製作することができるようになった。この人類史上最初の用具革命というべき画期以降を考古学の編年上「中期旧石器時代」と呼ぶが、現生人類もその出発点においてはこの文化段階にあったと考えられている。
 ホモ・ヘルメイはアフリカで誕生し、長年月をかけてアフリカを出て各地へ移住する「出アフリカ」を行い、25万年ほど前までに今日のユーラシア大陸全域に拡散していった。そこからヨーロッパ地域では、かねて「旧人」の代表格として知られてきたホモ・ネアンデルターレンシス(通称ネアンデルタール人:以下「ネ人」と略す)に進化したと見られる。
 ネ人はかつてホモ・エレクトスのような原始的な「原人」と進歩した「新人」たる現生人類との間を進化的につなぐ「旧人」と考えられていたが、その後の研究でこうした直接的な系統関係は否定された。
 しかし、近年になって、現生人類がごくわずかながらネ人の遺伝子を継承していることが明らかにされ、一部で両者の混血が生じていた可能性も浮上した。結局、ネ人は現生人類と共通の祖先を持つ近縁の別種であるが、現生人類が一部遺伝子を引き継いでいるというのが、最新の知見のようである。
 いずれにせよ、ネ人は中期旧石器時代を代表するホモ属であり、調製石核技法の主要な担い手となった。また、かれらは集団で狩猟をしたほか、石器や木器の加工や動物の解体などの共同作業を実践し、集団的な「社会」の原型を示していたと見られる。
 ネ人が現生人類の大きな文化的特徴である言語を有していたかどうかについては見解が分かれ、発声機構に未発達の部分が認められるネ人は分節化された音声言語を話すことはできなかったとする見解が有力である。
 しかし現生人類と類似した舌骨の存在から、ある程度の言語を話せたという見方もある。かれらが共同作業を実践していたことや、現生人類との交雑の可能性もあることからすれば、何らかの単純な言語的発声をしていた可能性はあるだろう。
 とはいえ、ホモ属としてのネ人には少なからぬ限界性があり、石器生産に関して現生人類のような革新は示さなかった。また壁画のような芸術行為や交易のような経済行為を行った証拠もない。
 ただ、ネ人が現生人類と一部地域で共存していたと見られる晩期に、ネ人が逆に後発の現生人類が開発した新たな石器製作技法―石刃技法―や死者を埋葬する習慣などを学習していた証拠はあり、ネ人はそうした文化学習能力は備えていたと見られる。
 結局のところ、ネ人は中期旧石器時代の代表的な先覚者ではあったが、まさに先覚者にありがちな限界性を抱えており、進化の一定段階で絶滅し、一部遺伝子を現生人類にバトンタッチしながらも、種としては姿を消していったものであろう。

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人類史概略(連載第2回)

2013-07-24 | 〆人類史之概略

第1章 絶滅した先覚者たち

絶滅人類と現生人類
 現生人類は思い上がってわれわれ現生人類を人類の最高頂点とみなしたがる。たしかに、現生人類はホモ属の中で唯一生き残り、多くの進歩を成し遂げた。だが、その前には多くの先覚者たちがいたことも事実である。
 それ自体現生人類の知的な成果である人類自身についての学問・人類学では、現生人類以前の人類を猿人→原人→旧人と分けて進化論的に説明してきた。このような進化段階論は現生人類を頂点とする進歩史観に見合うため、いまだに広く普及している。
 こうした進化段階論の科学的根拠は近年ようやく疑われるようになったが、それにしても現生人類以前の人類に「猿」「原」「旧」などの否定的な形容を与えるのは、これら過去の人類を遅れたもの、劣ったものとみなす侮蔑的な態度の現れである。こうした過去の人類は今日すべて絶滅しているが、いずれも現生人類の先覚者たちであり、現生人類の成果の基礎を築いた者たちである。
 そうしたことは今日の人類学では必ずしも否定されているわけではないが、用語には反映されておらず、相変わらず上記のような否定的な言辞が残されている。
 だが、このあたりでそうした先覚者たちへの敬意を表す意味でも、そうした否定的な言辞は整理して、既に存在しない過去の人類を「絶滅人類」と呼ぶことにしたい。「絶滅人類」には何らかの限界があり、進化の途上で消えていったのではあるが、それでも現生人類につながる足跡を人類史上に残したのである。

道具から用具へ
 絶滅人類の最大の成果は、用具の発明である。この点、しばしば教科書的には「道具の発明」という言い方がされる。だが、単なる道具と用具とは区別すべきである。道具は特定の目的のための手段として用いられる器具のことである。従って、自然にある物をそのまま道具として使用することもできる。例えばラッコが石を貝殻を割る手段として用いるとき、かれらは道具を使用していることになる。
 これに対して、用具とは特定の目的のための最適手段として生産された道具である。単なる道具との最大の差異は、生産されるものかどうかである。従って、上記のラッコの例のように、単に自然の石を貝殻を割る手段として使用する場合、石は道具であっても用具ではない。これに対して、人類が貝殻を割るために石を加工した器具を生産した場合、それは単なる道具を超えた用具となる。
 この点で、チンバンジーが木の枝を加工して巣穴から昆虫をかき出したりする場合、この加工された枝は道具か用具かが問題となるが、一応特定の目的のための道具を意識的に作り出している以上は、用具と言える。ただし、最適手段としての加工程度が最小限である限り、本格的な用具とは区別された幼稚用具ということになる。
 絶滅人類は、こうした幼稚用具にとどまらない本格用具を発明した先覚者たちである。用具の生産は道具を様々な目的に合わせて最適化していくだけの知性の芽生えを前提とする。そうした本格用具の最初例は周知のとおり、石を加工した石器であった。石は最もありふれた加工しやすい鉱物であるから、原初の用具の原材料が石であったことは自然である。
 最初の石器製作者は、アフリカはタンザニアのオルドヴァイ遺跡などに足跡を残す最初のホモ属ホモ・ハビリスであったと考えられている。かれらが残した代表的な石器である礫石器はチンパンジー的な幼稚用具から本格用具への過渡的なものにすぎないが、人類史の出発点に石器という用具の発明があったことは間違いない。

[追記]
2015年1月、英国ケント大学の研究チームは、約300万年前に生息した初期の絶滅人類アウストラロピテクスの手骨の構造パターンの解析から、同種が何らかの用具を使用していた可能性の痕跡を発見したと発表した。これはホモ・ハビリスが最初の用具使用者だったとする従来説より50万年ほど遡る。ただ、使用された用具の種類や形状は確認されていない。

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人類史概略(連載第1回)

2013-07-23 | 〆人類史之概略

小序:世界歴史と人類史

 筆者は先ごろ、拙論『世界歴史鳥瞰』の連載を終えた。ここで主題とした「世界歴史」とは、いわゆる歴史時代の通史―筆者はそれを「文明の履歴」ととらえる―であった。それはせいぜい過去5000年の歴史にすぎない。これに対して、本連載で主題とする人類史とは、文明成立前の先史時代を含めた人類の全史を指す。
 この点、しばしば学校教育上の「世界史」では、先史時代から説き起こすことが当然のごとくに慣例となっているが、本来「歴史」には先史時代を含まない。
 とはいえ、歴史時代に先立つ先史時代は歴史時代の長い準備期間として無視することのできないプロセスである。従って、世界歴史の前段階として先史時代を含める教科書的な記述も誤りではない。その意味では、世界歴史は人類史の一部と理解することもできる。
 この場合、人類史の中に包摂される歴史時代の扱いが問題となるが、それは世界歴史をより大きな視座でとらえ直すものとなる。その大きな視座とは用具革命―「用具」の特殊な意味については第1章で述べる―である。言い換えれば、人類史とは連続的な用具革命のプロセスである。そうした意味で、人類史は世界歴史の総集編であると同時に補完編でもある。 
 ところで、その人類史とはどこからスタートするのか。非常に広く取れば、最古の人類とされるいわゆる猿人の誕生時からということになるだろう。一方、狭くは現生人類の誕生時からということになる。このような問題の常として唯一の正解というものはないだろうが、拙論では中間を取って「最初のホモ属」の誕生時からという立場を取る。
 このような立場を取ると、人類史は目下最初のホモ属とみなされるホモ・ハビリスが出現して以来、250万年程度のスパンを持つことになる。この数字は一見気が遠くなりそうな数字であるが、地球史46億年はおろか、哺乳類史2億2000万年と比べても比較的「最近」のエピソードにすぎない。「長い来歴を持つ生物」という現生人類が陥りがちな思い上がりを正すうえでも、人類史を概略的な短いエピソード風にまとめることには一定以上の意義があるかもしれない。

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