対局日誌

ネット囲碁対局サイトでの、私の棋譜を記録していきます。
全くの初級者がどう成長していくか、見守ってください。

棋士の保守性

2007-01-28 23:55:55 | 雑談
棋士は囲碁が好き?
という問いかけに応え、とりさんに記事を頂いた。
今回はそのお返し。

いわんとするところを、私なりに咀嚼しまとめると、
「19路というのは歴史の経験から行き着いた、一つのベストの大きさである。
 そこから逸脱することでゲームバランスが崩れ、故に『つまらない』と感じる棋士がいてもおかしくない」
ということだと思う。
違っていたら、訂正お願いします(汗)。< とりさん

「ゲームバランス」。
なるほどファミコン世代にとってはお馴染みの言葉であり、なかなか説得力がありそう。
アキラがあの強さなのも、プログラマーの試行錯誤の末のゲームバランスなんですよね(謎)。

しかし、どうも「納得」にまでは至らない。
「モヤッ」と感がが拭えないのだ。

この問題を考えていて、思い出したのは「コミ」の話。
本因坊戦が始まり、その一番勝負の中で公平な勝敗を決めるために導入されたルールである。
今でこそ「コミ」は、何の違和感もなくプレイヤーに受けいられているが、導入された当時は賛否両論だったと聞く。

特に当時の巨星、木谷実プロは「コミ」に反対。
「コミ碁は碁に非ず」
「碁は先の有利を、如何に白が盛り返すかが醍醐味である」
と主張してやまなかった。
これも一種の「ゲームバランスが崩れる」のを嫌った姿だろう。
あるいは「伝統」という面からかもしれないが。

今、現在こんな主張をしても「何で?」と言われるのがオチだろう。
更にはこのコミは当時の3目から、現在の6目半にまで拡大したが、この6目半が「絶対正しい」というのもまだ結論が出ない問題だ。
そこから考えると、盤の大きさだって400年以上変えていないにも関わらず、
「これが一番いいから」
とは、なかなか言えないのではなかろうか?
案外試してみたら、「21世紀」だから「21路」がフィットするかも??
現在なら17路とか15路の方がスピーディに決着し、観る側にもわかりやすい感じもするし…。

もっとも木谷氏のコミの例を思い出したことで、「盤の大きさが違うことで『つまらない』と感じる棋士」の存在も、少しだけ理解できた気がする。

「視野が狭すぎないか」「保守的では」と思いは残るが、「現在の形への思い入れ」から、変化を「嫌う」という意味で「拒否感」を感じるのは、プロならではの繊細さといえるのかもしれない。