自遊日記

定年後の備忘録

京都御所・特別公開(御内庭)

2009-05-09 15:35:20 | 京都 街歩き

            舞楽を見た後、お庭を拝見。

       小御所と御学問所の向かいに、「御池庭」があります。
            写真、はこの池に架かる欅橋です。








           小御所の前から眺めた、欅橋。

   小御所と言えば、王政復古の大号令が出された後、三職による
   初めての会議(小御所会議)が開かれた、有名な場所です。

   明治天皇、岩倉具視、大久保通利等の錚々たるメンバーが、
 この庭を眺めらながら、日本の将来を議論されたと思うと感慨無量です。







             新緑が池に映り、綺麗でした。
            四季折々楽しめる、回遊式庭園です。






   池の前は州浜になっており、舟着きへの飛び石も配されています。

     御学問所と小御所の間には、蹴鞠の庭がありました。

  昔はここで、多くの人が蹴鞠をしたり、舟遊びを楽しまれた事でしょう。
       王朝文学の世界を彷彿とさせる景観です。








          御池庭の北側に、御内庭があります。

          御常御殿に面して設けられたお庭です。
         







御常御殿は、文字通り天皇の日常の御座所として用いられた御殿だそうです。

清涼殿が儀式化するに伴い、新しく実用的な御常御殿が建てられたようです。









      小川沿いに、小道が作られています。








   正面の建物は、お茶室ではなく地震殿、地震時の避難御殿だそうです。








      こちらは、御内庭に沿って建つ、御涼所です。
  京都の夏の暑さをしのぐた事を目的とした建物で、通風などには
       格別の配慮がなされているようです。

京都御所・特別公開(紫宸殿、清涼殿)

2009-05-07 22:19:20 | 京都 街歩き

     日華門を潜ると、桜越しに紫宸殿が見えてきました。
     この桜は、左近の桜で、西側には右近の橘があります。








    紫宸殿は、即位式や節会などの儀式の際に使われる、御所の中で
    最も格の高い正殿です。


       入母屋桧皮葺の高床式宮殿建築で、
    正面には、天皇の御座・高御座(たかみくら)が置かれており
    少し右手に、皇后の御座・御帳台(みちょうだい)が見えます。









      紫宸殿の前には、白砂の南庭が広がっています。
       写真は紫宸殿から、承明門を見た図です。








  承明門の右に目を転じると、赤白緑のコントラストが、さわやかでした。








           こちらは、清涼殿です。
     平安朝においては、日常の住居として使用された建物です。
     寝殿造りですが、紫宸殿のような高床式ではありません。

 清少納言の「枕草子」や古い絵巻物にもよく登場する、お馴染みの建物です。









        日華門の前で、舞楽が始まりました。

        舞楽を見た後、御内庭に向かいました。

京都御所・特別公開(儀装馬車他)

2009-05-06 22:24:59 | 京都 街歩き
    先日京都御所の特別公開を見てきました。
  今年は、天皇皇后両陛下ご結婚満50年になります。

そのため、今年は公開範囲も拡大され、ご結婚に因んだ展示もあり
         見所いっぱいでした。







  我々参観者は、御所の西側にある、この宜秋門から入ります。

 この門は、宮・摂家や公卿が参内する時に使われた門だそうです。
   5月15日の葵祭りの時は、この門から行列が出ます。



  




  写真は、鶴の間です。参内した人たちの控え室の一つで、諸侯、所司代
  などが、この部屋を使ったようです。

  公卿は、もうワンランク上の、虎の間に通されたそうです。









    新御車寄には、両陛下ご結婚の際に使われた「儀装馬車」が
    展示されていました。

    昭和3年、宮内省主馬寮工場にて製造されたものだそうです。








                  前方からの図です。









     新御車寄は、天皇皇后両陛下が使われる玄関だそうです。
     あちらこちらに、菊の御紋が見られます。









        こちらは、御所の正門にあたる建礼門です。
           桧皮葺き切妻屋根の四脚門です。

  天皇が臨幸される時や、国賓が来訪される時は、この門が使われるそうです。







         建礼門には精緻な彫刻も施されています。







         承明門越しに、紫宸殿を見た図です。
         大勢の参観者が紫宸殿に見とれています。

         我々もこれから紫宸殿に向かいます。







    こちらは、切妻の前後に唐破風の屋根をいただく建春門です。
         皇后がお使いになる門だそうです。


「混浴宣言」読了

2009-05-05 15:39:30 | 読書

   このほど、八岩まどか著「混浴宣言」を読了しました。
  著者は、温泉の歴史や文化に詳しく、特に混浴温泉の魅力を
  説き続けている人です。

   この本によると、江戸時代は混浴がごく一般的だった由。
 その後混浴が禁止されてからも、禁止はけしからん、と女性の方から
 この禁を破って堂々と男湯に入ってくるケースが度々あった・・・
 というよう記事もありました。

   混浴が認められていた、大らかな時代が羨ましいですね。







関西に住んでいると、なかなか混浴温泉に入る機会がありませんが
東北地方には、結構混浴可の温泉があるようです。

一昨年、東北を旅行した際、生まれてはじめて混浴露天風呂に入りました。
写真は、秋田県の乳頭温泉郷の中にある秘湯・蟹場温泉です。
    脱衣場は男女別々ですが、湯船はひとつです。
ひと組のカップルが先に入っていましたが、自然に抱かれた鄙びた温泉・・・
変に意識することもなく、自然体で入れました。








      こちらは、乳頭温泉郷の中にある妙乃湯です。
   ここにも混浴露天風呂があり、こちらにも入ってみました。








    男女別々の湯船があって、更に進むと混浴露天風呂に出ます。
       混浴が苦手な人はここでUターンしてもOKです。
       ここには、枕がついていて、寝湯も楽しめます。

 私はもちろん次のコーナーにまで進みましたが、先客は誰もいませんでした。
  渓流沿いの無人の露天風呂で、のんびり出来ましたが、
        残念ながら混浴は実現しませんでした。


      「混浴宣言」を読み、またどこか行きたくなりました。

御香宮神社・御香水

2009-05-03 15:56:30 | 京都 街歩き
     
    御香宮神社の名の由来となった清泉が、本殿脇に湧いています。
    環境庁の「名水百選」にも認定されています。

    私も試してみましたが、まろやかなクセの無い味でした。

    徳川頼宣、頼房、義直の各公はこの水を産湯として使われたそうです。






御香宮神社を出て、大手筋を歩いていると人だかりの場所がありました。
みんなが見つめている先を見ると、今まさにからくり人形が動こうとしています。
        
           さすが酒どころの伏見・・・。
         黄桜をはじめ銘酒がズラリと並んでいます。






     

音楽にあわせ、ぐるりと反転するだけの、単純な仕掛けですが皆さん
熱心に見ています。







   伏見城や新撰組が出てきて、あっと言う間に終了しました。

伏見はかって「伏水」とも記されたほどに、良質の地下水が豊富に湧き出た地。
伏見で、酒造業が発展したのもうなずけます。

因みに、伏見の水は、鉄分を含まずカリウム、カルシュウムをほどよく含んだ
中硬水で、酒造りに最適の水だそうです。
灘の男酒、伏見の女酒と言われるように、伏見のお酒はまろやかで口あたり
が良いのが特徴だそうです。

御香宮神社・石庭

2009-05-01 16:49:23 | 京都 街歩き
御香宮神社には、小堀遠州ゆかりの石庭があります。

今から350年ほど前、小堀遠州が伏見奉行を命じられた時に
奉行所に作った庭を、戦後御香宮に移したものだそうです。

寛永11年、上洛した将軍家光がこの庭を見ていたく感心し
褒美として遠州に5千石の加増をしたそうです。







庭の中央右手に、大きな手水鉢らしきものが見えます。







文明九年(1472年)という銘が入った、大きな手水鉢です。
在銘の手水鉢は大変珍しいものだそうです。

鳥羽伏見の戦いにも壊されず、無事生き延びたようです。







屋敷の先の部屋までやってきました。
ここからは、より身近かに庭を鑑賞出来ます。







これは、大海に泳ぐ亀を現しているようです。







亀の左手の方の石組みは、鶴を現しているそうですが、私には
どうみても鶴には見えません。

煩悩が邪魔するからでしょうか?









窓越しに見える藤は後水尾上皇が「ところがらの藤」と命名された
由緒正しき藤だそうです。

由来碑も建っていました。






大名であり、造園家であり、茶人でもあった小堀遠州がちょっと
身近に感じられるようになりました。