こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

忘れてはいけないこと

2014年05月16日 | 日本のこと、世界のこと
 記念日がどう、ということは別として、私たちの社会には忘れてはいけないことが多々ある。最近あった、私が忘れてはいけないと思うことを書き留めておく。
 いずれもまだ進行中のことばかりであり、すべてについて適切にコメントするのは困難なので、それぞれに関する記事を引用するに留める。



韓国旅客船の沈没事故  朝日新聞デジタル 2014年5月16日

 韓国南西部・珍島(チンド)沖で起きた旅客船セウォル号の沈没事故から16日で1カ月がたった。死者は284人を数え、安否不明者もいまだ20人いる。無事を祈る黄色いリボンが揺れる珍島の彭木(ペンモク)港や体育館では、家族らが静かに帰りを待ち続けている。16日朝、港では僧侶の読経の声が響いた。事故後しばらくは大勢の家族が詰めかけ、泣き声とため息が絶えなかったが、遺体の発見が進むにつれて家族の姿もめっきり減った。それでもボランティアらの支援は続いている。ソウル近郊の京畿道安山市。修学旅行中の多くの学生が犠牲になった檀園高校の前には、市民らが手向けた花が置かれていた。この日朝、新たに発見された犠牲者の遺体を乗せた車が校門を出ると、登校中の生徒らが立ち止まって一斉に祈りを捧げた。同市内にある合同焼香所にも、朝から弔問客が訪れた。政府が設けた全国125カ所の焼香所には、15日までに計188万4271人が訪れたという。捜査本部は15日に船長ら15人を起訴。今後は運航会社などのほか、事実上のオーナーとされる兪炳彦(ユビョンオン)氏らの立件も視野に入れて捜査を進める。



ナイジェリアの女子生徒200人超を拉致  The Huffington Post 2014年05月06日

 ナイジェリア北東部ボルノ州で女子生徒200人以上が武装集団に拉致されて行方不明になった事件で、イスラム過激派「ボコ・ハラム」のリーダーが生徒たちを「奴隷」として売り飛ばすとする犯行声明を発表した。CNNが報じた。
ボコ・ハラムのリーダー、アブバカル・シェカウ師であると主張する人物が「俺がお前達の少女を誘拐した。俺はアラーに従って、少女を人身売買のマーケットで販売する」と、AFP通信が入手した映像の中で述べている。
(CNNニュース『「売り飛ばす」少女集団誘拐のボコ・ハラムのリーダーが声明』2014/05/05)
 ボコ・ハラムは現地の言葉で「西洋式の教育は罪」という意味。NHKニュースによると、映像の男は、少女らを拉致した理由について以下のように説明しているという。「欧米流の教育をやめさせるために連れ去った。生徒たちを売り飛ばす」と脅迫し、欧米流の教育を廃止するようナイジェリア政府に要求しています。
(NHKニュース「ナイジェリア 女子生徒連れ去りで犯行声明」2014/05/06 18:57)
 ボコ・ハラムはイスラム法の導入を要求して、キリスト教会のほか、学校への襲撃を繰り返している。




[ウクライナ危機]ロシアの責務は重大だ  沖縄タイムズ社説 2014年5月14日
ウクライナ情勢が混迷し、国家分断の危機に陥っている。ロシアと国境を接するウクライナ東部のドネツク、ルガンスク両州で親ロシア派組織が住民投票を強行し、「国家としての自立」を求める声が圧倒的多数で支持された。
 これに対しウクライナのトゥルチノフ大統領代行は「法的な有効性はない」といい、欧米諸国、日本も一様に否定している。一方で、親ロシア派の後ろ盾であるロシアの大統領府は結果を尊重する声明を発表した。ウクライナ政権を支持する欧米諸国はクリミア編入をめぐり、ロシアに対し、経済制裁を強めているが、これで双方の緊張感がさらに強まる恐れが出てきた。住民投票の結果は、ドネツク州では親ロシア派組織「ドネツク人民共和国」の選管当局によると、89・7%が賛成、約10%が反対、投票率は約75%。ルガンスク州では同じく「ルガンスク人民共和国」の選管当局は約96%が賛成、3・8%が反対、投票率は約75%だったと主張した。両「共和国」は両州の行政庁舎を占拠しており、そんな異常な中で住民投票が行われたのを忘れてはならない。住民投票についてはさまざまな疑義が出ている。そもそもクリミアの住民投票の際も同様だったが、ウクライナの憲法では、いかなる領土の変更もウクライナ全体の国民投票で決めなければならないと規定されている。住民投票で問われた「国家としての自立」についても、ドネツク州では「自決権」の確立を問う意味で独立の是非は今後決めるとされ、ルガンスク州は「ウクライナからの独立」を意味すると、受け止められ方は一致していない。
 さらに問題なのは住民投票が公正に行われたとはとてもいえないことである。国外メディアは数人の住民が2回投票する現場を目撃したと報じた。米大統領報道官も重複投票や投票前にすでに印がつけられた投票用紙があったと指摘。選挙権は18歳以上だが子どもが投票したとの情報や結果発表が開票終了前に行われたと住民投票の正当性に重大な疑問を呈した。
ウクライナ情勢は危機感が増すばかりである。現状のままでは、政権と親ロシア派との間で分裂し、内戦状態を引き起こしかねない。今月25日には大統領選挙が行われる。先の2州は大統領選には参加しないと表明しているが、混迷に終止符を打つべく、ロシアは介入をやめ、説得を強めるべきだ。
 大統領選の前には欧州安保協力機構(OSCE)が提案した「円卓会議」が開催される予定だ。各地域の全政治勢力の代表、市民、学識経験者らが参加する。打開の糸口となる対話にしなければならない。だが、ウクライナ政権は親ロ派武装集団を「テロリスト」と呼び、対話することを拒否しており、開催にこぎ着けるかどうかは不透明だ。
 ウクライナの危機は、ロシアによるクリミアの編入がきっかけだ。これ以上ウクライナが泥沼化することがあってはならない。ロシアは自身の振る舞いを省み、国際秩序の中に戻るべきだ。



日本、ベトナム、フィリピンと中国の海洋領有権問題

中国包囲網へ 日本政府、ベトナム、フィリピンと連携強化  msn産経ニュース 2014.5.9

 政府は9日、南シナ海の西沙(英語名パラセル)諸島近くで中国とベトナムの船が衝突した問題を受け、被害を訴えるベトナムとの連携強化に乗り出した。南シナ海のスカボロー礁で中国と対立するフィリピンや、同盟国の米国とも緊密な意思疎通を図る。沖縄県・尖閣諸島周辺で領海侵入を繰り返す中国をけん制するため、国際社会と「対中国包囲網」を形成する狙いがある。
 岸田文雄外相は9日の記者会見で、衝突について「中国による一方的かつ挑発的な海洋進出活動の一環だ」と強調。「中国はベトナムと国際社会に、自らの活動の根拠を明確に説明すべきだ」と述べ、ベトナムを後押しする姿勢を打ち出した。
 政府開発援助を使ったベトナムへの巡視船供与計画の実現に向け2国間調整を加速させる方針だ。フィリピン支援でも、昨年7月に巡視船10隻供与を表明した安倍晋三首相の意向を踏まえ、沿岸警備隊の能力向上へ全面協力する。



安倍首相 憲法解釈見直しに意欲「確固たる信念持って」 スポニチ 2014年5月16日
 安倍晋三首相は15日、自ら設置した安全保障に関する有識者懇談会から現行の憲法解釈を変更し集団的自衛権行使を容認すべきだとする報告書の提出を受けた。官邸で開いた懇談会会合で首相は「必要な法的基盤を盤石にする、確固たる信念をもって真剣に検討を進める決意だ」と述べ、解釈見直しに意欲を示した。
 その後の記者会見で集団的自衛権行使などの事例として、邦人輸送中の米艦船防護や国連平和維持活動(PKO)の他国部隊が武装勢力に襲われた際の自衛隊による「駆け付け警護」を挙げた。
 「憲法は国民の命を守る責任を放棄せよと言っているとは思えない。一国だけで平和を守れないのは世界の共通認識だ」と説明。一方で「自衛隊が武力行使を目的として他国の戦闘に参加することは決してない」と理解を求めた。

すべての人が心安らかに暮らせたらいいのに
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仕事の夢

2014年05月15日 | 日々思うこと、考えること
仕事の夢、といっても将来の夢とかいう仕事上の夢ではなく、ただ単に仕事をしている夢のことだ。
『仕事での夢』ではなく『仕事をしている夢』。

寝覚めよくよく眠ったつもりでも、仕事の夢で目が覚めた時はなんだかとても損をした気分になる。せめて、寝ている間ぐらい、仕事から解放して欲しい。



いつもみる夢の内容はほぼ決まっていて、たいてい忙し過ぎて首が回らなくなっているか、診断に苦労しているか、論文が書けないか、演壇上で立ち往生しているとかいうようなものであり、残念ながら仕事で成功している夢というのは一切無い。
いわば、悪夢である。

そんなつまらない夢でも、何らかの有益な考えでもが浮かべば、夢の中でまで仕事をした甲斐があるのだが、そういうことも一切無い。

もちろん、夢の中でまで仕事をしているのに、残業手当ても当直手当も出はしない。



毎晩寝る毎に仕事の夢を見るのであれば、それに備えてどうにかしようとも思うが、そうそう都合よく仕事をしている夢を見るわけにもいかない。
夢とはかようにままならない。

最近、年とともに眠りが浅くなってきている。週末あたりに7時間ぐらい熟睡できたら、夢見が仕事のことであったとしてもよしとすべきだろう。



よく顕微鏡を覗いている自分がみえる
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大小の、そしてそれぞれの記念日

2014年05月14日 | 家族のこと
今日はわが家にとって、ささやかな記念日だ。
ささやかな、というのは、家族の誰かの誕生日とか結婚記念日というなものではないということで、わが家と関わりのない人にとっては全く意味はないけれども、わが家のメンバーにとっては多少なりとも意味があるということだ。
これまで、今日という記念日のことをたびたび忘れてしまったが、数年前にGoogleカレンダーに書き込んで以来、そのようなことはなくなった。そして、今日もこうして無事思い出すことができている。



記念日というのは現在から振り返ってみて過去のある時点で起こったことを記憶に留めるためにあるものだ。忘れてよければ、だれも記念日にはしない。そしてそれには歴史的な大イベントから、きわめて個人的なものまである。
たとえば、不肖コロ健、誕生日は終戦の日、ジョン・レノンの命日と同じ12月8日だ(『私にとっての12月8日(2011年12月08日 )』。私のほかにも多くの12月8日生まれがいて、12月8日に亡くなった人がいる。それぞれに意味があり、それぞれの人がその日を思い出す。



私という存在が、この時系列の中のある時点から存在しているのは紛れもない事実だが、それが暦の上でのどこかということにどれだけの意味があるのだろうか。
今日、私の勤め先の病院の手術室では幾人かの人が命をかけた手術に臨み、分娩室ではいくつかの新しい生命が誕生する。多くの人が出会い、そして別れを経験する。それぞれの人、家族にとって、今日という日はそれぞれの、そしていろいろな記念日になる。

ここまで考えてきたら、私がかつてカラオケでほとんど毎回歌っていたTHE BLUE HEARTSの「TRAIN-TRAIN」の歌詞を思い出した。記念碑とか記念日とか。それらには、大きなものから小さなものまで区別のつけようなくある。だか、それらはなにかの出来事を記憶にとどめておくために、暦とか地球上のどこかの場所いうものに関連づけられたある種の記号に過ぎない。



記念日というものが不要なものとは思わない。むしろ楽しいし嬉しいことが多い。
だけど、時間という、おそらく、唯一の流れの上で、過去という既に存在しない不確かなものより、今と、その先にあるであろう未来に向かって生きることが、人間の営みだろう。



妻ののぞみ通りすべての記念日を覚えるのは難しい
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本屋はパラダイス

2014年05月13日 | 読書、映画、音楽、美術
4月、1冊も読了本が無かったことを考えると、やっぱり自分自身が壊れてしまうと不安になった。
この間、少し早めに病院を出ることができた日があったので、帰りがけ、久しぶりに駅前の本屋に入った。本屋というのはやっぱり楽しい。



その本屋は左右に広く、入り口からみて向かって右手に教育関係の本があり、中央は雑誌類、左手、こちらの方が広い、は文芸書、専門書類のコーナーとなっている。
子供達との共通の話題にでもなればと思って、一時期受験関係の本を拾い読みしたこともあったが、いくら和田秀樹を私が読んだところで、結局は本人のやる気次第であり、意味が無いことに気がつき、そこに立ち寄ることはなくなった。

雑誌はもともとあまり読まないほうなので、ほぼ素通り。旅行のガイドブックを探す時だけ、立ち止まる。



やはり私にとっての本線は左手の文芸書、専門書のコーナーだ。
専門書のコーナーで立ち寄るのは、哲学関連のコーナー。ここをうろうろしているだけで30分ぐらいあっという間に経ってしまう。
なお、医学書のコーナーもあるにはあるが、病理関係の本はほとんど置いてないのでここに寄ることはほとんど無い。たまに、臨床系の本を探してみるが、一般的な本しかなく、残念ながらあまり私の役には立たない。

文芸書のコーナーはハードカバー、文庫本、新書に別れている。
新書のコーナーは背表紙のタイトルを眺めているだけで楽しい。あれこれ、よく工夫されたタイトルが並んでいる。面白そうなタイトルが目に入ったら、手に取って読んでみる。面白そうなのがあれば、購入を検討する。
新書と前後してハードカバーのコーナーをぶらつく。
平積みのベストセラーの一番上の一冊を手に取り、ぱらぱらとページをたぐって中をのぞく。
面白そうなのがなければ、文庫本のコーナーへ。お気に入りの作家の作品で、読みたかったけど、読み損ねていたような名作があったりすると、嬉しくなる。



などと、いったところで、私はそれほど読書好きでもなんでもない。ただ、たまに本屋をうろうろするのが好きな程度だ。

是非、読みたいと思う本があればもちろん購入する。通販も悪くはないが、書店での購入にはブックカバーをつけてくれるのがうれしい。ただ、最近、広告紙みたいなブックカバーをつけられてしまうのが、少々悲しい。デザイン的にあまり洗練されておらず、見た目が悪い。

本屋にはいると、心がうきうきする。子供の頃によく行った近所の本屋も懐かしい。
中学高校時代は、学校が渋谷に近かった。東急プラザの紀伊国屋、東急文化会館の三省堂そして西武の向かいにあった大盛堂書店。もう、紀伊国屋しか残っていないが、それぞれの書店、思い出深い。このことは、記憶が残っているうちに、別のところで書いてみよう。

今も昔も、私にとって、本屋は身近なパラダイスである。

積ん読本が増えてしまうのが玉にキズ
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暑くなってきた

2014年05月12日 | 通勤・交通・旅行
昨日の母の日は気持ちよく過ごすことができた。
日差しは強かったけれど、湿度は低くカラッとしていた。



午前中のうちに、締め切りぎりぎりの校正を速達で出したあとは、ずいぶんのんびり過ごすことができた。
今となっては、昨日のこととは思えないほど気持ちが良かった。



今朝も昨日のカラッとした湿度が続いていた。
それでも、出勤前に歩くとなると日差しの強い道は避けたくなる。今日辺りが最後だろうと、日差しの強い道を歩いた。
毎日同じ道を歩いていると、マンネリになるのでいくつかのルートを用意しているのだが、このルートばかりは夏は歩けない。


500メートルぐらい続く



100メートルほど側道があって、そこだけ木陰がある



直線の終わり近くは坂で、少し登ったところに小さな緑地があるので、ここで一息つける


このあとは、普通の住宅街で、日陰はあったり、なかったり。

このルートだと、病院手前の公園のバラ園から入ることになる。

ちょうど、今、満開で素晴らしい眺めだ。
  


残念ながら、午後から風が吹き出した。

帰りには雨も降り出し、傘を両手で抑えながら、いつもの道を歩いて帰った。
一度病院を出た後、雨に気がついて、せっかく医局まで戻って取ってきた傘だったのだが、あまりに風が強くて途中でさせないところもあったが、なんとかそれほど濡れずに駅にたどり着いた。

歩くのが日課だから
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先生は診断だけしてくれればいいですから

2014年05月11日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
先日、仕事で久しぶりに情けないというか悲しくなることがあった。嫌なことは早く忘れたほうがいいのだが、このタイトルに目がとまった若い臨床医の役に立てばと思い、書き残しておく。



レジデントが悲しそうな顔で、「(コロ健)先生、この患者さんのことで相談があるんですけど」といって、病理標本を持ってきた。
時々、臨床から持ち込まれる他所の病院で手術された組織から作られた標本だった。
少しの間、顕微鏡で標本を見てから、「これって、どこから取ってきたもの?それに、そもそも、この人(患者さん)何歳、というか男?女?」

レジデント「それが・・・」などと、口ごもっている。
コロ健「クイズじゃないんだから、臨床情報が無ければいったいなんなんだかわかるわけないじゃない」標本だけ持ってこられても、何もわかるわけがないのは、レジデントも知っているはず。
レジデント「そうなんです、私もそう思って、この標本の診断の申し込みをしてきた担当の先生に問い合わせたんです。
そうしたら、『詳しいことはよくわからない』って、言うんです。ああ、若い男の人だとは言ってました。30才くらいとか。」
コロ健「え?一体どういうこと?じゃあ、診断できるわけないじゃない。そう言った?」
レジデント「ええ。臨床情報が無ければちゃんと診断できないって、言ったんです。そうしたら『先生は、診断だけしてくれればいいですから』って言い返されたんです。仕方ないと思ったので、そのまま電話、切りました。」



その担当医というは医者になって6、7年目ぐらいらしい。まあ、その年限だと研修が終わって自分は何でも知っています、みたいな感じで怖いもの無しのようなところなのだろう。
知らないことは無いので、自分がすでに医療の最先端をいっているような気になってしまう。

そういう医者からみると、病理診断なんて検査の一つ、機械にかけて出てくるデータと同じようにしか見えないのだろう。

たしかに経験を積んだ臨床医にもよく「病理診断の結果というのは、患者さんに関する多くのデータの一つに過ぎません」という人がいる。それでも、その医者が手術までのデータをきちんと臨床情報をこちらに渡してくれていれば、なんと言おうが私たち病理医に不満は無い。プロ同士なのだから、相手がどう取ろうがそんなの勝手だ。



だが、くだんの担当医は、病理医にクイズのようなことをして、自分に落ち度があるなどということに考えは全く至っていない。
こういう医者にかかると、看護師などのコメディカルも苦労するだろうし、患者さんも苦労しそうで気の毒だ。
幸い、その上司はまともな人で、詳細はその上司に相談してことなきを得た。

こういうことは、医者なんてやっていると大なり小なりしてしまいそうだ。自分ばかりが何でも知っていて、なんでも出来ると思ってつけあがったりしないようにしなくてはいけない。
もちろん、不肖コロ健もである。

医者は常に謙虚であれ
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病に斃(たお)れる

2014年05月10日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
先日来、知り合い何人かが相次いで病気になった。
幸いにも命に別状はなかったらしいが、リハビリをしていると聞くとお気の毒だ。去年の今頃には同期の友人が急病死している。
不肖コロ健も50歳を過ぎて、いよいよ、いつ病を得て、いつ死ぬかということを考えなくてはならなくなった。

2年ほど前(2012年02月26日)に、『死に時』というタイトルで、自分が死ぬことについて考えてみたことがあるが、読み返してみるとまだまだ具体性に欠けている。
まだ、40代ということで実感がなかったのかもしれない。



その時にも触れているが、今の日本では、一気に死ぬ、ということはなかなか難しい。
脳梗塞、脳出血、くも膜下出血などによる脳卒中は初期対応がうまくいけば固定化させてリハビリに持込める。心筋梗塞も同様である。癌の場合、いったん取り切れてしまえば、切った部分に関する機能障害が残るが、あとは普通になる。進行癌の場合は、病気をどうやって受け入れ生きていくかが問題となる。ただ、以前は取られてきたがんに侵された組織を見れば、その患者さんのだいたいの予後は想像できたが、今では新薬の開発により、よくわからないほど予後はよくなってきている。いずれにせよ、これらいずれかの病気にかかった場合、医療費というものがかかってくる。自分自身や家族にとっての負担になるのは当然だが、社会への負担になるというのも心苦しい。
この話をしだすときりがないのでこのあたりにするが、いずれにしても病的な状態というのはそれほど長くあって欲しくない。



私の場合、これまで大きな病気はしていないが、素因のようなものはあるので、近いうちに出てくるのではないかと思っている。ただ、実際に出てきていないので、実感はない。
タバコはやめたが酒は控えていないし、夕食は夜10時過ぎと食生活は不良だ。データ上は生活習慣病に至っていないものの、病気の定義に入っていないだけで、すでに片足を突っ込んでいるような状態である。
生きていくうち、病的な状態に移行するわけで(2014年03月14日『老化は病気か』)、これが目立って起こるか、地味に起こるかで受け止め方も違ってくる。

死に至る病に斃れ、生き延びた人がたまたま相次いだが、その手前の状態まで入れたら多くの人があちこちを傷めている。私は病理医なので、そういった人たちの苦悩に直面することがほとんどないので、あれこれ考えるしかなく、今日もこんなことを書いてしまった。

自分がいつ病気になるか、いつ死ぬか。わかったらわかったでいやだし、わからないのももどかしい。


すみません、まとまりませんでした
まだまだ未熟です
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今日は両手で香り付け

2014年05月09日 | 妻の名言
ラベンダーがあちこちで咲いている。紫色の花にもいろんな形がある。
通勤途中の公園にもラベンダーが数種類植わっていて、朝夕通りすがりに葉を握って香りを楽しんでいる。



不肖コロ健、連休の休みで鋭気を養ったはずなのだが、質、量ともに私の能力の上を行く仕事に圧倒され、あっという間に少々グロッキー気味。
妻にそんなことを漏らしたら、
「仕事なんて、みんな大変よ。楽な仕事なんてあるわけないでしょう。
それに、どこでどんな仕事をしたって、それぞれのところでそれなりに大変なのだから、どれも一緒。」
と言われた。
以前にも似たようなやり取りがあった(2011年11月23日『勤労感謝の日に感謝すること』)ことを、ふと思い出した。
あれからまったく進歩していない。



仕事が大変、というのは当人の勝手な思い込みに過ぎない。
仕事が大変なのは当たり前で、大変じゃない仕事なんてない。そんな仕事にどうメリハリをつけてやっていくのかが大切なことだ。

朝から晩まで頑張れば、頭は重くなって、目も霞んでくるのは当たり前。それでも足りないなんて頑張ったら、心も体も悲鳴を上げる。
頑張り過ぎるよりは、少し休んだほうがいい。



少し、すがすがしい気持ちになりたいと思って、今日はラベンダーを両手でギュッと握ってみた。両手への移り香を深く吸い込んだら、また今日も1日頑張れるような気がした。




一度は富良野に行ってみたい
去年札幌での病理学会のとき足を伸ばしておけば良かった
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通勤三題・・・通勤電車編

2014年05月08日 | 通勤・交通・旅行
最近、通勤時に気がついたことがある。

その1
自動改札で、前の人のタッチがいいかげんだったりして通過できないなどのトラブルがあった場合、その前を行く人はたいがい強行突破するが、運悪くその人の後ろにいる人は、真面目にタッチしても通過できない。


この場合、追い討ちをかけられるように、後ろの人がわーっとわかれて(逆モーゼ状態とでもいおうか)、意味も無く恥ずかしい思いをすることにもなる。
前の人を追いたてるかのようにピッタリくっついて自動改札を通ろうなどとはしない方が良さそうだ。



その2
せっかく列の先頭で待っていたのに、自分の並んでいたドアに限って、降りる人が多い。


入線してきた電車に空席がたくさんあるのが窓から見えていたのに、自分の並んでいたドアから降りる人がいなくなった頃には、両隣のドアから乗ってきた人によってすべて座られている。改札に近いとか階段に近いとかいうのでも無く、こういうことは起こりうる。
とくに、帰宅のヘトヘトの時にこれがあるとつらい。
だが、往々にして世の中こんなものである。



その3
中途半端に空いている電車では、一人一人が広く座席を占めるので、かえって座り辛くなる。


これはもうマナーの問題なのだが、一人おきに座っているところを埋めるように座るのはけっこう勇気がいるものだ。最初から詰めてくれるような人ばかりだったらいいが、そんな親切な人は皆無に近く、たいがいはめんどくさそうな顔をしたり、スーツの裾を面倒くさそうに引っ張り上げる。ゲームにハマっているような振りをして、全く座席を詰めない若者とかをみると、世も末と嘆きたくなる。



番外 
このまえ、広島に行った時、エスカレーターで右に立ったら、皆さん左に並んで立っていた。


関西、というか大阪、神戸では東京とは逆にエスカレーターでは“急ぎは左、立っているのは右”だと思っていた。
だが、広島で新幹線を降り、エスカレーターで右に立っていたら、後ろから若者がどけとばかりに大きな足音で降りてきた。驚いて後ろを見たら立っている人は左、東京と一緒だった。広島駅の駅員さんにそのことを尋ねたら、「その時々です」とのこと。そんなことあるのかな。

ちかいうちに徒歩編も
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休暇明けの後悔と世界の始まり

2014年05月07日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
週末を含め、休暇明けの職場にある積み残しの仕事をみると休日を返上してでも片付けておけば良かったと後悔する。

で、今年のゴールデンウィークも同じこととなってしまった。
現時点で私が直面しているのはこの量の仕事で、それは一昨日、病院に顔を出し、仕事をして、全部は出来ずにあきらめて帰った時点から変化していない。



そうすると、このことに関する私の状況というのは、5月5日の夕方、私が疲れて帰ることことを決意した時点で、すでに決まっていたということになる。
今朝、後悔することも含めて。

後悔先に立たずというが、後悔することは分かっていた。でも、できなかった。



この宇宙の始まりはビッグバンとされているが、その前のことは誰も知らない。

ビッグバンの時点で、今朝のコロ健の小さな後悔が決まっていたのか否か。

なにがいいたいかというと、少なくともビッグバンの時点で、宇宙が今のように膨張していくことは決まっていただろうし、その準備もできていたはず。そうすると、地球と月と太陽の位置関係は決まっていたかもしれないわけで、そう考えると地球は奇跡の星でもなんでもなく、私の今日の後悔も始めからこうなる予定だったのだろうか。



この世界が5分前に生成したものであることを誰も否定はできない、という考えがある。
5分前に、それまでのことが全部刷り込まれた状況で世界が始まったということを誰も否定できない。

それもそうだし、そもそも5分だの、130億年だの、時間的な経過というものも相対的なものに過ぎない。

まあ、そんなこと、どうでもいい。
とにかく、やり残している仕事をさっさと片付けよう。

後悔ばかりが積み重なる
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披露山から葉山まで

2014年05月06日 | 鎌倉暮らし
今日で今年の大型連休も終わり。あいにくの曇り空となってしまった。
妻が逗子(鎌倉の隣町)に用事があるというので、車でフラットコーテッドレトリバーのナイトを連れていった。
妻とは逗子で別れてコロ健とナイトは散歩に出かけた。
逗子市新宿の町を抜けて披露山(ひろやま)へ向かった。
 
坂を一気に登る          トンビとカラスがじゃれている


披露山庭園住宅といえば、知る人ぞ知る日本屈指の超高級住宅街だが、今日はそちらの方は回らず、披露山公園へ直接向かった。
一気に上ると、江ノ島から三浦半島まで一望できる。
天気がよければ富士山、大島も見えただろうに、今日はかすんでいて江ノ島までしか見えなかった。少々残念。
 
公園へは車でも行けます(駐車場横の案内板)         こちらは長者が崎   


ここの公園には猿山があって、ナイトと一緒にひとしきり眺めた。ほかに、鶏だのクジャクだの、数種類の鳥などもいる。

犬猿の仲どころか、ナイトは猿山の猿達と遊びたそうだったが、もちろんそんなわけにはいかない。
 
遊べない?


今度は披露山から降りる道で海岸にむかう。

今度は一気に降ります


普段は車窓から眺めるばかりの、浪子不動(高養寺)の横に降りてきた。

 
前の海には徳富蘆花の小説「不如帰」(ほととぎす)の文学碑 向こうに見えるのが葉山マリーナ


妻の用事が終わるのには、まだ1時間ぐらいある。
ナイトも元気がいい。まだまだ歩ける。
上の写真にみえる葉山港の堤防の先端を目指して歩くことにした。


ここから葉山町


逗子海岸を端まで歩けばもう葉山町。
日影茶屋の横を抜けて葉山マリーナの先の堤防に向かう。


いつもここには多くの釣り人でにぎわっている   ナイトの視線の先は海上のヨット


先祖の血が騒ぐのだろうか、海に入りたそうな様子だったが、今日はその準備はしていない。

豊泳会の遠泳の応援で何度も来た思い出の場所(来たのはそれ以来か?)


今日は風が強い上、ずいぶん寒かった。

以前はデニーズだった、渚橋のたもとにあるレストランで妻と待ち合わせ、犬同伴可のテラス席でサンドイッチを食べた。
今年の連休、昨日は仕事で東京に行ってしまったけど、そのほかは鎌倉にいることが出来て、幸せでした。


私の連休、これでおしまい
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恋愛相談

2014年05月05日 | 愛と女性とジェンダーと

先日、ある青年から恋愛の相談を受けた。恋愛というよりは、結婚したい相手がいるのだが、なかなか切り出せないでいるのだけどどうしたらいいだろう、というような話。どこかの誰かに、私(コロ健)に相談してみたら、というようなことを言われたらしく私に相談のメールが来た。

私は、こういったことをメールでしようとする最近の若者の思考パターンが理解できない。
たしかに、メールなら自分が傷つくことは少ないけど、仕事のメールでもわかるとおり、結局のところ、メールは先延ばしにされてしまう。

電話で直接言いたかったのだけど、電話番号を知らないので結局、私もメールで返事をした。



☆☆君
まず、メールはなるべく避け、電話で直接話すようにしたらいいと思います。
電話で直接声を交わしたら、今度はじかに会うことをセッティングします。
時間はお互い、作らなければ会うことは出来ません。
○○とか□□ならどちらかがそこに出向けばいいし、(中間地点の)△△で会うのもいいでしょう。

とにかく、直接会って、話す。

何を話すかって、話す内容は、自分のこと(将来の夢や、興味のあること、楽しいと思うこと)。
これにつきます。
相手のことなんて、今更どうでもいいでしょう、だって、君は今の彼女が好きなんでしょう?
なら、彼女がどんな人だなんて、どうでもいいことです。

もう、時間は残っていません。
このメールを読んだら、すぐに電話してみてください。
留守電だったらそれに声を残したらいいでしょう。
「今度の週末、いつか会えませんか?」
「2,3時間でいいので、会いたいのです」
といったようなことです。

なんで急に?
と彼女に思われたって、恥ずかしがってはいけません。本気(結婚する気)なら、積極的に行くしかありません。
徐々になど、と言っていたら、いったいいつ本気になるのですか?

手詰まりなら、なんでもいいから打開策が必要です。
これが参考になれば幸いです。

コロ健



なんて、アドバイスのメールを出したのだけど、その後どうなったかな。
まだ、報告はない。

現役を退いて20年以上たつおじさんからのアドバイス、役に立ったらいいんだけど。

男と女の関係なんて、たいして変わったりしていないはず
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私の人生、ツイている

2014年05月04日 | 日々思うこと、考えること
知人のお嬢さんが、「結婚相手に望むことはなにか?」という話をしたとき、価値観とか、職業とか、収入とかではなく、
「自分の人生はツイていると思っている人」がいい、といったそうだ。



これって、すごいことだと思った。
自分が生きていることだけで、ツイている。そう思えたら、人生は楽しい。



不肖コロ健、これはショックだった。
いつも、自分の有り様を恨めしく思って、四六時中ツイていないなんて思っているような人間は結婚相手、すなわち一緒に居たいとは思われないということ。
それでも一緒に居てくれる妻や家族に申し訳ないと思った。



自分の人生がツイている、ということは自分が生かしてもらっていることについての神様への感謝の気持ちを持つということ。

私も自分の人生がツイている、そしてそれは神様のおかげと感謝して生きていきたい。

人間、生きているだけで丸儲け

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濃霧の鎌倉

2014年05月03日 | 鎌倉暮らし
大型連休の後半4連休の初日、憲法記念日、の朝、鎌倉は濃霧に包まれた。
これほどの濃霧、今まで見たことが無い。あわててベランダから写真を撮ったが、視界は200メートルほどだろうか。ほとんど何も見えない。


6時


妻を起こして知らせたら、ひとしきり驚いたあと、「(鶴岡)八幡(宮)様はどうなっているのかしら」という。
そういわれたら、こんきものためにも、写真を撮りに行かないわけにいかない。
フラットコーテッドレトリバーのナイトを起こして、散歩に出かけた。


太鼓橋


2月のバレンタインデーの記録的な大雪の日の夜はさすがに人はいなかったが、今日は朝からずいぶん人が来ている。休日の朝6時である。
「何にもみえないね」といって、嘆いている一家がいた。
それを見て、「これほどの濃霧、滅多に無いですよ。いいときに来て、珍しいのを見ることが出来ましたね」なんて、せっかく鎌倉に来てくれた人に言うわけにいかない。


大石段


ナイトを舞殿の手前で待たせて、大石段を上がっていって、振り向いたら鎌倉の町は霧の中で全くみえなかった。
これはすごい。だが、これではせっかく来た人にとってはつまらないだろう。


舞殿


霧の中、というと思い出すことがある。学生時代の友人が、雲が低くたれ込めていた日に、高層ビルの上の方がみえなくなっていたので、上ってみたらどんな風かと思って行ってみたら何もみえなかった。ということ。たぶん、何もみえなかったのだろう。その話を聞いて以来、天気の悪い日に高層ビルに上がることは極力さけている。


源平池


それほどではないが、今日の鎌倉も見えないだけだった気がしたが、こうして写真にしてみると、それなりに幻想的できれいだったのかとも思う。
散歩から帰って少ししたら、あっという間に霧が晴れた。


7時半


少し風が強かったが、一日中、いい天気だった。


明日も晴れ、明後日はぐずつくとの予報
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また、自分がつまらない人間になる・・・2014年4月の読書記録

2014年05月02日 | 読書、映画、音楽、美術
先月は、久しぶりに読書ゼロ。2012年1月以来だ。
活字を全く目にしていないというわけではなく、小難しい本を読んでいて、それがなかなか読了できないでいるのが原因の一つではあるのだが、読んでいる量が少ないのは紛れもない事実である。
本を読まないと、自分がどんどんつまらない人間になっていくのが感じられて悲しい。

仕事関係だけのことしか知らない人間というのに、私は魅力を感じない。



ところで、先日、大学生が本を読まないということが話題になっていた。なんでも、読書時間ゼロの大学生が40パーセントとのこと。電車内で本を読んでいる学生など皆無に近いのを見たら、その数字には納得がいく。

で、かくいう不肖コロ健も、たいして変わらないわけだ。



読み易そうな本を探しても、売れ筋ばかりに目がいってしまう。
そういった本、最近、面白いと思えなくなってきている。技術に走りすぎていたり、登場人物がつまらなかったり。
古典からなにか探してみようか。




読んだ本の数:0冊読んだページ数:0ページナイス数:16ナイス



教養は読書から
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