『仕事での夢』ではなく『仕事をしている夢』。
寝覚めよくよく眠ったつもりでも、仕事の夢で目が覚めた時はなんだかとても損をした気分になる。せめて、寝ている間ぐらい、仕事から解放して欲しい。
いつもみる夢の内容はほぼ決まっていて、たいてい忙し過ぎて首が回らなくなっているか、診断に苦労しているか、論文が書けないか、演壇上で立ち往生しているとかいうようなものであり、残念ながら仕事で成功している夢というのは一切無い。
いわば、悪夢である。
そんなつまらない夢でも、何らかの有益な考えでもが浮かべば、夢の中でまで仕事をした甲斐があるのだが、そういうことも一切無い。
もちろん、夢の中でまで仕事をしているのに、残業手当ても当直手当も出はしない。
毎晩寝る毎に仕事の夢を見るのであれば、それに備えてどうにかしようとも思うが、そうそう都合よく仕事をしている夢を見るわけにもいかない。
夢とはかようにままならない。
最近、年とともに眠りが浅くなってきている。週末あたりに7時間ぐらい熟睡できたら、夢見が仕事のことであったとしてもよしとすべきだろう。
ささやかな、というのは、家族の誰かの誕生日とか結婚記念日というなものではないということで、わが家と関わりのない人にとっては全く意味はないけれども、わが家のメンバーにとっては多少なりとも意味があるということだ。
これまで、今日という記念日のことをたびたび忘れてしまったが、数年前にGoogleカレンダーに書き込んで以来、そのようなことはなくなった。そして、今日もこうして無事思い出すことができている。
記念日というのは現在から振り返ってみて過去のある時点で起こったことを記憶に留めるためにあるものだ。忘れてよければ、だれも記念日にはしない。そしてそれには歴史的な大イベントから、きわめて個人的なものまである。
たとえば、不肖コロ健、誕生日は終戦の日、ジョン・レノンの命日と同じ12月8日だ(『私にとっての12月8日(2011年12月08日 )』。私のほかにも多くの12月8日生まれがいて、12月8日に亡くなった人がいる。それぞれに意味があり、それぞれの人がその日を思い出す。
私という存在が、この時系列の中のある時点から存在しているのは紛れもない事実だが、それが暦の上でのどこかということにどれだけの意味があるのだろうか。
今日、私の勤め先の病院の手術室では幾人かの人が命をかけた手術に臨み、分娩室ではいくつかの新しい生命が誕生する。多くの人が出会い、そして別れを経験する。それぞれの人、家族にとって、今日という日はそれぞれの、そしていろいろな記念日になる。
ここまで考えてきたら、私がかつてカラオケでほとんど毎回歌っていたTHE BLUE HEARTSの「TRAIN-TRAIN」の歌詞を思い出した。記念碑とか記念日とか。それらには、大きなものから小さなものまで区別のつけようなくある。だか、それらはなにかの出来事を記憶にとどめておくために、暦とか地球上のどこかの場所いうものに関連づけられたある種の記号に過ぎない。
記念日というものが不要なものとは思わない。むしろ楽しいし嬉しいことが多い。
だけど、時間という、おそらく、唯一の流れの上で、過去という既に存在しない不確かなものより、今と、その先にあるであろう未来に向かって生きることが、人間の営みだろう。
この間、少し早めに病院を出ることができた日があったので、帰りがけ、久しぶりに駅前の本屋に入った。本屋というのはやっぱり楽しい。
その本屋は左右に広く、入り口からみて向かって右手に教育関係の本があり、中央は雑誌類、左手、こちらの方が広い、は文芸書、専門書類のコーナーとなっている。
子供達との共通の話題にでもなればと思って、一時期受験関係の本を拾い読みしたこともあったが、いくら和田秀樹を私が読んだところで、結局は本人のやる気次第であり、意味が無いことに気がつき、そこに立ち寄ることはなくなった。
雑誌はもともとあまり読まないほうなので、ほぼ素通り。旅行のガイドブックを探す時だけ、立ち止まる。
やはり私にとっての本線は左手の文芸書、専門書のコーナーだ。
専門書のコーナーで立ち寄るのは、哲学関連のコーナー。ここをうろうろしているだけで30分ぐらいあっという間に経ってしまう。
なお、医学書のコーナーもあるにはあるが、病理関係の本はほとんど置いてないのでここに寄ることはほとんど無い。たまに、臨床系の本を探してみるが、一般的な本しかなく、残念ながらあまり私の役には立たない。
文芸書のコーナーはハードカバー、文庫本、新書に別れている。
新書のコーナーは背表紙のタイトルを眺めているだけで楽しい。あれこれ、よく工夫されたタイトルが並んでいる。面白そうなタイトルが目に入ったら、手に取って読んでみる。面白そうなのがあれば、購入を検討する。
新書と前後してハードカバーのコーナーをぶらつく。
平積みのベストセラーの一番上の一冊を手に取り、ぱらぱらとページをたぐって中をのぞく。
面白そうなのがなければ、文庫本のコーナーへ。お気に入りの作家の作品で、読みたかったけど、読み損ねていたような名作があったりすると、嬉しくなる。
などと、いったところで、私はそれほど読書好きでもなんでもない。ただ、たまに本屋をうろうろするのが好きな程度だ。
是非、読みたいと思う本があればもちろん購入する。通販も悪くはないが、書店での購入にはブックカバーをつけてくれるのがうれしい。ただ、最近、広告紙みたいなブックカバーをつけられてしまうのが、少々悲しい。デザイン的にあまり洗練されておらず、見た目が悪い。
本屋にはいると、心がうきうきする。子供の頃によく行った近所の本屋も懐かしい。
中学高校時代は、学校が渋谷に近かった。東急プラザの紀伊国屋、東急文化会館の三省堂そして西武の向かいにあった大盛堂書店。もう、紀伊国屋しか残っていないが、それぞれの書店、思い出深い。このことは、記憶が残っているうちに、別のところで書いてみよう。
今も昔も、私にとって、本屋は身近なパラダイスである。
日差しは強かったけれど、湿度は低くカラッとしていた。
午前中のうちに、締め切りぎりぎりの校正を速達で出したあとは、ずいぶんのんびり過ごすことができた。
今となっては、昨日のこととは思えないほど気持ちが良かった。
今朝も昨日のカラッとした湿度が続いていた。
それでも、出勤前に歩くとなると日差しの強い道は避けたくなる。今日辺りが最後だろうと、日差しの強い道を歩いた。
毎日同じ道を歩いていると、マンネリになるのでいくつかのルートを用意しているのだが、このルートばかりは夏は歩けない。
500メートルぐらい続く
100メートルほど側道があって、そこだけ木陰がある
直線の終わり近くは坂で、少し登ったところに小さな緑地があるので、ここで一息つける
このあとは、普通の住宅街で、日陰はあったり、なかったり。
このルートだと、病院手前の公園のバラ園から入ることになる。
ちょうど、今、満開で素晴らしい眺めだ。
残念ながら、午後から風が吹き出した。
帰りには雨も降り出し、傘を両手で抑えながら、いつもの道を歩いて帰った。
一度病院を出た後、雨に気がついて、せっかく医局まで戻って取ってきた傘だったのだが、あまりに風が強くて途中でさせないところもあったが、なんとかそれほど濡れずに駅にたどり着いた。
幸いにも命に別状はなかったらしいが、リハビリをしていると聞くとお気の毒だ。去年の今頃には同期の友人が急病死している。
不肖コロ健も50歳を過ぎて、いよいよ、いつ病を得て、いつ死ぬかということを考えなくてはならなくなった。
2年ほど前(2012年02月26日)に、『死に時』というタイトルで、自分が死ぬことについて考えてみたことがあるが、読み返してみるとまだまだ具体性に欠けている。
まだ、40代ということで実感がなかったのかもしれない。
その時にも触れているが、今の日本では、一気に死ぬ、ということはなかなか難しい。
脳梗塞、脳出血、くも膜下出血などによる脳卒中は初期対応がうまくいけば固定化させてリハビリに持込める。心筋梗塞も同様である。癌の場合、いったん取り切れてしまえば、切った部分に関する機能障害が残るが、あとは普通になる。進行癌の場合は、病気をどうやって受け入れ生きていくかが問題となる。ただ、以前は取られてきたがんに侵された組織を見れば、その患者さんのだいたいの予後は想像できたが、今では新薬の開発により、よくわからないほど予後はよくなってきている。いずれにせよ、これらいずれかの病気にかかった場合、医療費というものがかかってくる。自分自身や家族にとっての負担になるのは当然だが、社会への負担になるというのも心苦しい。
この話をしだすときりがないのでこのあたりにするが、いずれにしても病的な状態というのはそれほど長くあって欲しくない。
私の場合、これまで大きな病気はしていないが、素因のようなものはあるので、近いうちに出てくるのではないかと思っている。ただ、実際に出てきていないので、実感はない。
タバコはやめたが酒は控えていないし、夕食は夜10時過ぎと食生活は不良だ。データ上は生活習慣病に至っていないものの、病気の定義に入っていないだけで、すでに片足を突っ込んでいるような状態である。
生きていくうち、病的な状態に移行するわけで(2014年03月14日『老化は病気か』)、これが目立って起こるか、地味に起こるかで受け止め方も違ってくる。
死に至る病に斃れ、生き延びた人がたまたま相次いだが、その手前の状態まで入れたら多くの人があちこちを傷めている。私は病理医なので、そういった人たちの苦悩に直面することがほとんどないので、あれこれ考えるしかなく、今日もこんなことを書いてしまった。
自分がいつ病気になるか、いつ死ぬか。わかったらわかったでいやだし、わからないのももどかしい。
通勤途中の公園にもラベンダーが数種類植わっていて、朝夕通りすがりに葉を握って香りを楽しんでいる。
不肖コロ健、連休の休みで鋭気を養ったはずなのだが、質、量ともに私の能力の上を行く仕事に圧倒され、あっという間に少々グロッキー気味。
妻にそんなことを漏らしたら、
「仕事なんて、みんな大変よ。楽な仕事なんてあるわけないでしょう。
それに、どこでどんな仕事をしたって、それぞれのところでそれなりに大変なのだから、どれも一緒。」
と言われた。
以前にも似たようなやり取りがあった(2011年11月23日『勤労感謝の日に感謝すること』)ことを、ふと思い出した。
あれからまったく進歩していない。
仕事が大変、というのは当人の勝手な思い込みに過ぎない。
仕事が大変なのは当たり前で、大変じゃない仕事なんてない。そんな仕事にどうメリハリをつけてやっていくのかが大切なことだ。
朝から晩まで頑張れば、頭は重くなって、目も霞んでくるのは当たり前。それでも足りないなんて頑張ったら、心も体も悲鳴を上げる。
頑張り過ぎるよりは、少し休んだほうがいい。
少し、すがすがしい気持ちになりたいと思って、今日はラベンダーを両手でギュッと握ってみた。両手への移り香を深く吸い込んだら、また今日も1日頑張れるような気がした。
その1
自動改札で、前の人のタッチがいいかげんだったりして通過できないなどのトラブルがあった場合、その前を行く人はたいがい強行突破するが、運悪くその人の後ろにいる人は、真面目にタッチしても通過できない。
この場合、追い討ちをかけられるように、後ろの人がわーっとわかれて(逆モーゼ状態とでもいおうか)、意味も無く恥ずかしい思いをすることにもなる。
前の人を追いたてるかのようにピッタリくっついて自動改札を通ろうなどとはしない方が良さそうだ。
その2
せっかく列の先頭で待っていたのに、自分の並んでいたドアに限って、降りる人が多い。
入線してきた電車に空席がたくさんあるのが窓から見えていたのに、自分の並んでいたドアから降りる人がいなくなった頃には、両隣のドアから乗ってきた人によってすべて座られている。改札に近いとか階段に近いとかいうのでも無く、こういうことは起こりうる。
とくに、帰宅のヘトヘトの時にこれがあるとつらい。
だが、往々にして世の中こんなものである。
その3
中途半端に空いている電車では、一人一人が広く座席を占めるので、かえって座り辛くなる。
これはもうマナーの問題なのだが、一人おきに座っているところを埋めるように座るのはけっこう勇気がいるものだ。最初から詰めてくれるような人ばかりだったらいいが、そんな親切な人は皆無に近く、たいがいはめんどくさそうな顔をしたり、スーツの裾を面倒くさそうに引っ張り上げる。ゲームにハマっているような振りをして、全く座席を詰めない若者とかをみると、世も末と嘆きたくなる。
番外
このまえ、広島に行った時、エスカレーターで右に立ったら、皆さん左に並んで立っていた。
関西、というか大阪、神戸では東京とは逆にエスカレーターでは“急ぎは左、立っているのは右”だと思っていた。
だが、広島で新幹線を降り、エスカレーターで右に立っていたら、後ろから若者がどけとばかりに大きな足音で降りてきた。驚いて後ろを見たら立っている人は左、東京と一緒だった。広島駅の駅員さんにそのことを尋ねたら、「その時々です」とのこと。そんなことあるのかな。
で、今年のゴールデンウィークも同じこととなってしまった。
現時点で私が直面しているのはこの量の仕事で、それは一昨日、病院に顔を出し、仕事をして、全部は出来ずにあきらめて帰った時点から変化していない。
そうすると、このことに関する私の状況というのは、5月5日の夕方、私が疲れて帰ることことを決意した時点で、すでに決まっていたということになる。
今朝、後悔することも含めて。
後悔先に立たずというが、後悔することは分かっていた。でも、できなかった。
この宇宙の始まりはビッグバンとされているが、その前のことは誰も知らない。
ビッグバンの時点で、今朝のコロ健の小さな後悔が決まっていたのか否か。
なにがいいたいかというと、少なくともビッグバンの時点で、宇宙が今のように膨張していくことは決まっていただろうし、その準備もできていたはず。そうすると、地球と月と太陽の位置関係は決まっていたかもしれないわけで、そう考えると地球は奇跡の星でもなんでもなく、私の今日の後悔も始めからこうなる予定だったのだろうか。
この世界が5分前に生成したものであることを誰も否定はできない、という考えがある。
5分前に、それまでのことが全部刷り込まれた状況で世界が始まったということを誰も否定できない。
それもそうだし、そもそも5分だの、130億年だの、時間的な経過というものも相対的なものに過ぎない。
まあ、そんなこと、どうでもいい。
とにかく、やり残している仕事をさっさと片付けよう。
妻が逗子(鎌倉の隣町)に用事があるというので、車でフラットコーテッドレトリバーのナイトを連れていった。
妻とは逗子で別れてコロ健とナイトは散歩に出かけた。
逗子市新宿の町を抜けて披露山(ひろやま)へ向かった。
坂を一気に登る トンビとカラスがじゃれている
披露山庭園住宅といえば、知る人ぞ知る日本屈指の超高級住宅街だが、今日はそちらの方は回らず、披露山公園へ直接向かった。
一気に上ると、江ノ島から三浦半島まで一望できる。
天気がよければ富士山、大島も見えただろうに、今日はかすんでいて江ノ島までしか見えなかった。少々残念。
公園へは車でも行けます(駐車場横の案内板) こちらは長者が崎
ここの公園には猿山があって、ナイトと一緒にひとしきり眺めた。ほかに、鶏だのクジャクだの、数種類の鳥などもいる。
犬猿の仲どころか、ナイトは猿山の猿達と遊びたそうだったが、もちろんそんなわけにはいかない。
遊べない?
今度は披露山から降りる道で海岸にむかう。
今度は一気に降ります
普段は車窓から眺めるばかりの、浪子不動(高養寺)の横に降りてきた。
前の海には徳富蘆花の小説「不如帰」(ほととぎす)の文学碑 向こうに見えるのが葉山マリーナ
妻の用事が終わるのには、まだ1時間ぐらいある。
ナイトも元気がいい。まだまだ歩ける。
上の写真にみえる葉山港の堤防の先端を目指して歩くことにした。
ここから葉山町
逗子海岸を端まで歩けばもう葉山町。
日影茶屋の横を抜けて葉山マリーナの先の堤防に向かう。
先祖の血が騒ぐのだろうか、海に入りたそうな様子だったが、今日はその準備はしていない。
豊泳会の遠泳の応援で何度も来た思い出の場所(来たのはそれ以来か?)
今日は風が強い上、ずいぶん寒かった。
以前はデニーズだった、渚橋のたもとにあるレストランで妻と待ち合わせ、犬同伴可のテラス席でサンドイッチを食べた。
今年の連休、昨日は仕事で東京に行ってしまったけど、そのほかは鎌倉にいることが出来て、幸せでした。
先日、ある青年から恋愛の相談を受けた。恋愛というよりは、結婚したい相手がいるのだが、なかなか切り出せないでいるのだけどどうしたらいいだろう、というような話。どこかの誰かに、私(コロ健)に相談してみたら、というようなことを言われたらしく私に相談のメールが来た。
私は、こういったことをメールでしようとする最近の若者の思考パターンが理解できない。
たしかに、メールなら自分が傷つくことは少ないけど、仕事のメールでもわかるとおり、結局のところ、メールは先延ばしにされてしまう。
電話で直接言いたかったのだけど、電話番号を知らないので結局、私もメールで返事をした。
☆☆君
まず、メールはなるべく避け、電話で直接話すようにしたらいいと思います。
電話で直接声を交わしたら、今度はじかに会うことをセッティングします。
時間はお互い、作らなければ会うことは出来ません。
○○とか□□ならどちらかがそこに出向けばいいし、(中間地点の)△△で会うのもいいでしょう。
とにかく、直接会って、話す。
何を話すかって、話す内容は、自分のこと(将来の夢や、興味のあること、楽しいと思うこと)。
これにつきます。
相手のことなんて、今更どうでもいいでしょう、だって、君は今の彼女が好きなんでしょう?
なら、彼女がどんな人だなんて、どうでもいいことです。
もう、時間は残っていません。
このメールを読んだら、すぐに電話してみてください。
留守電だったらそれに声を残したらいいでしょう。
「今度の週末、いつか会えませんか?」
「2,3時間でいいので、会いたいのです」
といったようなことです。
なんで急に?
と彼女に思われたって、恥ずかしがってはいけません。本気(結婚する気)なら、積極的に行くしかありません。
徐々になど、と言っていたら、いったいいつ本気になるのですか?
手詰まりなら、なんでもいいから打開策が必要です。
これが参考になれば幸いです。
コロ健
なんて、アドバイスのメールを出したのだけど、その後どうなったかな。
まだ、報告はない。
現役を退いて20年以上たつおじさんからのアドバイス、役に立ったらいいんだけど。
「自分の人生はツイていると思っている人」がいい、といったそうだ。
これって、すごいことだと思った。
自分が生きていることだけで、ツイている。そう思えたら、人生は楽しい。
不肖コロ健、これはショックだった。
いつも、自分の有り様を恨めしく思って、四六時中ツイていないなんて思っているような人間は結婚相手、すなわち一緒に居たいとは思われないということ。
それでも一緒に居てくれる妻や家族に申し訳ないと思った。
自分の人生がツイている、ということは自分が生かしてもらっていることについての神様への感謝の気持ちを持つということ。
私も自分の人生がツイている、そしてそれは神様のおかげと感謝して生きていきたい。
これほどの濃霧、今まで見たことが無い。あわててベランダから写真を撮ったが、視界は200メートルほどだろうか。ほとんど何も見えない。
6時
妻を起こして知らせたら、ひとしきり驚いたあと、「(鶴岡)八幡(宮)様はどうなっているのかしら」という。
そういわれたら、こんきものためにも、写真を撮りに行かないわけにいかない。
フラットコーテッドレトリバーのナイトを起こして、散歩に出かけた。
太鼓橋
2月のバレンタインデーの記録的な大雪の日の夜はさすがに人はいなかったが、今日は朝からずいぶん人が来ている。休日の朝6時である。
「何にもみえないね」といって、嘆いている一家がいた。
それを見て、「これほどの濃霧、滅多に無いですよ。いいときに来て、珍しいのを見ることが出来ましたね」なんて、せっかく鎌倉に来てくれた人に言うわけにいかない。
大石段
ナイトを舞殿の手前で待たせて、大石段を上がっていって、振り向いたら鎌倉の町は霧の中で全くみえなかった。
これはすごい。だが、これではせっかく来た人にとってはつまらないだろう。
舞殿
霧の中、というと思い出すことがある。学生時代の友人が、雲が低くたれ込めていた日に、高層ビルの上の方がみえなくなっていたので、上ってみたらどんな風かと思って行ってみたら何もみえなかった。ということ。たぶん、何もみえなかったのだろう。その話を聞いて以来、天気の悪い日に高層ビルに上がることは極力さけている。
源平池
それほどではないが、今日の鎌倉も見えないだけだった気がしたが、こうして写真にしてみると、それなりに幻想的できれいだったのかとも思う。
散歩から帰って少ししたら、あっという間に霧が晴れた。
7時半
少し風が強かったが、一日中、いい天気だった。