こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

病に斃(たお)れる

2014年05月10日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
先日来、知り合い何人かが相次いで病気になった。
幸いにも命に別状はなかったらしいが、リハビリをしていると聞くとお気の毒だ。去年の今頃には同期の友人が急病死している。
不肖コロ健も50歳を過ぎて、いよいよ、いつ病を得て、いつ死ぬかということを考えなくてはならなくなった。

2年ほど前(2012年02月26日)に、『死に時』というタイトルで、自分が死ぬことについて考えてみたことがあるが、読み返してみるとまだまだ具体性に欠けている。
まだ、40代ということで実感がなかったのかもしれない。



その時にも触れているが、今の日本では、一気に死ぬ、ということはなかなか難しい。
脳梗塞、脳出血、くも膜下出血などによる脳卒中は初期対応がうまくいけば固定化させてリハビリに持込める。心筋梗塞も同様である。癌の場合、いったん取り切れてしまえば、切った部分に関する機能障害が残るが、あとは普通になる。進行癌の場合は、病気をどうやって受け入れ生きていくかが問題となる。ただ、以前は取られてきたがんに侵された組織を見れば、その患者さんのだいたいの予後は想像できたが、今では新薬の開発により、よくわからないほど予後はよくなってきている。いずれにせよ、これらいずれかの病気にかかった場合、医療費というものがかかってくる。自分自身や家族にとっての負担になるのは当然だが、社会への負担になるというのも心苦しい。
この話をしだすときりがないのでこのあたりにするが、いずれにしても病的な状態というのはそれほど長くあって欲しくない。



私の場合、これまで大きな病気はしていないが、素因のようなものはあるので、近いうちに出てくるのではないかと思っている。ただ、実際に出てきていないので、実感はない。
タバコはやめたが酒は控えていないし、夕食は夜10時過ぎと食生活は不良だ。データ上は生活習慣病に至っていないものの、病気の定義に入っていないだけで、すでに片足を突っ込んでいるような状態である。
生きていくうち、病的な状態に移行するわけで(2014年03月14日『老化は病気か』)、これが目立って起こるか、地味に起こるかで受け止め方も違ってくる。

死に至る病に斃れ、生き延びた人がたまたま相次いだが、その手前の状態まで入れたら多くの人があちこちを傷めている。私は病理医なので、そういった人たちの苦悩に直面することがほとんどないので、あれこれ考えるしかなく、今日もこんなことを書いてしまった。

自分がいつ病気になるか、いつ死ぬか。わかったらわかったでいやだし、わからないのももどかしい。


すみません、まとまりませんでした
まだまだ未熟です
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