経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【経営コンサルタントのお勧め図書】「ファイナンス×事業数値化力」(著者:大津広一 発行所:日経BP) 2304

2023-04-15 14:13:04 | 経営コンサルタントの本棚

本  【経営コンサルタントのお勧め図書】「ファイナンス×事業数値化力」(著者:大津広一 発行所:日経BP) 2304

経営コンサルタントがどのような本を、どのように読んでいるのかを教えてください」「経営コンサルタントのお勧めの本は?」という声をしばしばお聞きします。

 日本経営士協会の経営士・コンサルタントの先生方が読んでいる書籍を、毎月第4火曜日にご紹介します。

 

 【経営コンサルタントの本棚】は、2012年に、経営コンサルタントがどのような書籍を読んでいるのか知りたいという、ブログ読者の声を反映して企画いたしました。

 幸い、日本で最初に創設された経営コンサルタント団体である日本経営士協会には優秀な経営士・コンサルタントがいらっしゃるので、その中のお一人である酒井闊先生にお声をかけましたところ、ご協力いただけることになりました。

 それが、今日まで継続されていますので、10年余もの長きにわたって、皆様にお届けできていることに誇りを持っています。

【 注 】

 本文中のリンクをクリックしますと図版資料をpdfファイル形式で開けます。

 リンクサイトがhttpsではなくhttpサイトですので、その際に警告表示が出ることがありますがクリックして下さっても大丈夫です。

本

■    今日のおすすめ

  「ファイナンス×事業数値化力」(著者:大津広一 発行所:日経BP)

 



本

 

 

 

本

【酒井 闊プロフィール】

 10年以上に亘り企業経営者(メガバンク関係会社社長、一部上場企業CFO)としての経験を積む。その後経営コンサルタントとして独立。
 企業経営者として培った叡智と豊富な人脈ならびに日本経営士協会の豊かな人脈を資産として、『私だけが出来るコンサルティング』をモットーに、企業経営の革新・強化を得意分野として活躍中。

  https://www.jmca.or.jp/member_meibo/2091/

  http://sakai-gm.jp/

 

【 注 】  著者からの原稿をそのまま掲載しています。読者の皆様のご判断で、自己責任で行動してください。

 

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【カシャリ! ひとり旅】 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)4 別邸広縁から見る庭園 池泉廻遊式庭園のある旧藩主邸

2023-04-15 12:33:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 青森・岩手・秋田

 

  【カシャリ! ひとり旅】 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)4 別邸広縁から見る庭園 池泉廻遊式庭園のある旧藩主邸

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。
 

 

■■ 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)4 別邸広縁から見る庭園 池泉廻遊式の大名庭園のある国登録記念物 

 

 旧南部氏別邸庭園は、盛岡市街地の北東、中津川の右岸(北側)に位置します。この地には江戸時代初期に盛岡藩の「御薬園(おやくえん)」が設けられていました。同園の廃止後に、御殿や庭園が造られ、代々の藩主の別荘地となりました。

 明治維新後、建物は取り壊され、庭園も荒廃してしまいましたが、明治41年(1908)に南部家第43代当主南部利淳(としあつ)により、現在まで残る木造建築と庭園が整備されました。

 愛宕山に隣接する平坦な土地につくられた庭園は、3つの中島が浮かぶ広い池を中心としています。池の周囲および中島にはさまざまな意匠の燈籠類やマツ、モミジなどの樹木が配されています。

 何度かの改修がなされ、第二次世界大戦後には庭園の一部が失われてしまいましたが、江戸時代の絵図などをもとに、復元されました。江戸時代以降の東北地方における造園文化の発展に寄与した意義深い事例といわれています。

 現存する庭園(原設計:長岡安平)は、木造の本邸建物(設計:葛西萬司、指導:原敬)や蔵などともに南部伯爵家の別邸の附属施設として明治41(1908)年に造営されました。造営当時の庭園は、戦後に北側約5分の1が失われました。しかし、園地周囲や浮島に山灯篭・春日灯篭・銀閣寺垣を配した庭園は、旧別邸大広間からの座視鑑賞を重視した回遊式庭園といえます。面積は、約1万平方メートルと広大です。

 特徴として挙げられるのが、書院造の大広間からの座視鑑賞を重視した廻遊式庭園ということです。別邸当初は借景庭園と考えられますが、周囲の環境が変化してしまいました。 江戸時代から昭和20年代には、岩山・桜山・高洞山・名乗山・姫神山などの山が眺望できたが、現在では岩山・桜山・名乗山・姫神山・蝶が森の一部だけが眺望できるのみです。

 池泉について、下小路屋敷当時は約8000平方メートル、別邸造営時に3170平方メートルに縮小されてしまいました。

 鑓水は江戸時代から別邸当初は北東側1カ所、現在と同じ西側1カ所から取水しています。鑓水を伴う北東側の取水口は、敷地縮小により現在では井戸水のポンプアップによるそうです。

 園路は、江戸時代の絵図にみられますが、別邸前の園路は新設されたものです。中島にかかる橋は、当初は土橋、現在は反り橋(太鼓橋)に掛け替えられています。

 植栽関連は、当初は五葉松、枝垂桜、松など常緑針葉樹に、芳野桜、大盃紅葉などの落葉樹が配されていました。現在は、柿などの有用樹のほか、ヒマラヤ杉、桜、山モミジ、白樺、垂れ桂、モミなどの高木や、ツツジ、紫陽花などの80種以上の低木が追加されています。

 睡蓮は、昭和20年代以降に見られるようになりました。明治41年~昭和9年にかけて、皇族・宮家による松の植樹が行われました。そのほかに南部家の植樹もあります。

 別邸前の広場はについて、長岡安平は全国の公園や庭園の設計にあたり「遊戯場を備えることは必要条件」とし、別邸と池泉の間に広い空間を設けました。原敬も大勢があつまる園遊会などに混雑をしないように、また乗馬や馬車自動車などがふえることを考慮し、正面と玄関前に広い空間を設けるように指導しています。

 別邸庭園の設計上の特徴について、下小路屋敷の池泉などの地形と、敷地の平面系を踏襲しつつ、中島・出島の配置を見直し、廻遊性を高めています。

 しかし、昭和10(1935)年に記録した「御別邸敷地沿革及び新規造営物等の説明」(南部別邸略記)によれば、長岡の設計は規模が広大すぎ、工事費もかかるため参考にとどめるという記録があります。この長岡の設計思想を受け継ぎ、池泉の縮小などして完成されました。長岡は、桜の植樹、池泉に護岸石の採用、園路の整備、運動場の整備、公園的要素を加味するなどの配慮をしました。

 廻遊性を加味し、御座の間(和室)からの山灯籠のある滝・土橋、姫神山などの借景を第一に重視しながら、(1)謁見の間(大広間)からの庭園全体の眺望を大事にしたこと、(2)愛宕山を借景とした東側からの眺望、(3)桜山や岩山を借景とし、松と杉を背景に、手前に山モミジを配した西からの眺望、(4)南昌山などの山並みを借景に、山灯籠の乗る丘から別邸を見越した眺望が考えられます。

 

■ アクセス

 JR東北新幹線 盛岡駅より約3km(市内複数箇所にレンタサイクルあり)
 JR山田線 上盛岡駅より徒歩約15分
 盛岡駅より路線バス「中央公民館前」バス停下車すぐ 盛岡駅 バス15分
 所在地: 岩手県盛岡市愛宕町267番 公民館:019-654-5366
 駐車場:   有り(無料)
 開園時間    午前9時~午後5時
 入園料     無料


【 コメント 】
 独自のウェブサイトがなく、冬期閉園などの情報がなく(あるのかもしれませんが)、注意が必要です。訪問前に確認をすることをお薦めします。

  公民館サイト

  https://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/1037106/rekishi/1009335/1009338.html

 

 冬期は、雪が積もり、雪解け後も、土が湿っているために、人がはいることが好ましくないようです。
 私は、暖冬の3月に訪れ、雪は日陰などを除いてほとんどありませんでしたが、休園でした。楽しみに訪れたので、諦めるのはあまりにも忍びなく、残念に思い、隣にある公民館に掛け合いました。
 なんと、ありがたいことに、庭園に附属する旧藩主邸の建物から庭園を見せてくれました。それだけではなく、建物の内部を案内してくださいました。池泉廻遊式庭園を廻ることはできませんでしたが、鑑賞庭園として充分に楽しめました。
 隣接する公民館の敷地内に、国指定文化財である旧中村家住宅もあります。内部は見られませんでしたが、うだつの上がった建物を拝見することができました。

 

 なお、公共交通機関を利用して訪問する場合には、本数が少ないので、事前に時刻表で確認しておくことをお薦めします。

 とりわけJR山田線は、大変に本数が少ないです。


旧南部氏別邸は、盛岡市街地の北東、中津川の右岸(北側)に位置します。

この地には江戸時代初期に盛岡藩の「御薬園(おやくえん)」が設けられていました。

同園の廃止後に、御殿や庭園が造られ、代々の藩主の別荘地として利用されていました。

 

左の白い建物:中央公民館 右の木造建物が旧南部家別邸

 

明治維新後、建物は取り壊され、庭園も荒廃してしまいましたが、

明治41年(1908)に木造建築と庭園が整備されました。

近代に入り、公民館として利用されていましたが、

昭和55年に中央公民館が新築されました。

現在は、建物の一部が公開され、市民の活動に利用されています。

 

建物内の大広間から庭園を見ることができます。

中央公民館の職員が、親切にもここにあけてくださり

庭園を拝見することができました。

 

池北西部半分

庭園に広がる芝の部分の雪は、かなり溶けて亡くなっています。

しかし、行くが積もっていたので水分をたくさん含み

ここを観光客が歩くと庭園が痛んでしまうそうです。

 

池 中津川寄りの半分

ここにはまだ雪が残っていました。

池は、ほぼ全面結氷していました。

 

中の島と手前の岸辺

右手には円弧を描く橋が見えます。

 

この角度からですと、円弧を描く橋がよく見えます。

橋の名前を伺うのを失念しました。

 

池泉廻遊式庭園ですので、散策路が整備されています。

この先が、円弧を描く橋のところに続きます。

 

散策路から円弧を描く橋へ

 

氷に囲まれた中の島

 

中の島

この辺りは氷が張っていません。

 

中の島の灯籠

近代的なデザインですね。

 

散策路を池の北側を廻ったところです。

小さな滝が右手に見えます。

 

池泉左手前

 

入口側から見た庭園

まだ、芝が茶色です。季節になると緑まばゆいのでしょう。

 

木の根元に石灯籠

 

 

関連写真を下記でご覧いただけます。

 

旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)1 外から見学     

旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)2 別邸内部      

旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)3  外から覗く庭園   

旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)4 別邸広縁から見る庭園  

旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)5 公民館と旧中村家住宅 

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】宮城県大崎市 旧有備館および庭園1 有備館駅と有備館の森公園 1465

2023-04-15 12:30:36 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】宮城県大崎市 旧有備館および庭園1 有備館駅と有備館の森公園 1465

 

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。



■ 宮城県大崎市 旧有備館および庭園1 有備館駅と有備館の森公園 

 「有備館」は、江戸時代の仙台藩家臣である岩出山伊達家が開設した、家臣の子弟を教育する郷学(学問所)です。開校は十代邦直が当主の嘉永3(1850)年頃と考えられ、岩出山城北側の隠居所・下屋敷の敷地内に開設されました。

 現存する有備館の「御改所(主屋)」は、二代宗敏の隠居所として延宝5(1677)年に建てられた可能性が高い建物で、下屋敷としても利用され「対影楼」と呼ばれました。

 明治維新後の明治2(1869)年には,有備館の御改所と附属屋は岩出山伊達家の居宅となり、庭園とともに守り伝えられてきました。

 昭和8(1933)年2月28日、居宅と庭園は「旧有備館および庭園」として国の史跡及び名勝に指定され、昭和45(1970)年に岩出山伊達家の厚意により岩出山町(現大崎市)に移管され、一般に公開されるようになりました。

 池を取り囲む庭園は、四季折々の景色を楽しむことができ、特に、晴れた日に見える、水に映える庭園と御改所は荘重で優美なたたずまいを見せてくれます。
 

 

アクセス
 宮城県大崎市岩出山字上川原町6 0229-72-1344
 

 

営業時間 9:00-17:00(最終入館は16:30まで)
定休日  月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日~1月3日)
料金
【個人】 大人350円、高校生260円、小・中学生180円
最寄駅
 JR陸羽東線有備館駅 最寄駅から徒歩1分

 

 東北新幹線古川駅で陸羽東線新庄方向行きの列車
駐車場  あり
公式サイト https://yubikan.jp/top.html

 

【コメント】

 新幹線古川駅でJR陸羽東線の山形県新庄駅方向に向かう列車に乗ります。1時間に一本ほどの本数で、時間帯によっては増減がありますので、時刻表の確認は不可欠です。

 古川駅周辺も、時間を過ごせるような喫茶店などはあまり期待できません。

 旧有備館庭園は、伊達家の関わり代表的な庭園のひとつです。交通の便はあまり良いところにあるわけではないのですが、訪れる価値はある庭園といえます。

 

 

 

右下方向が北

 

古川方向 ◀ 有備館駅▶ 新庄方向

 

 

 

 

無人駅

 

待合室がありますが、コンビニはありません。

 

 

 

 

旧有備館庭園は、道を挟んで駅の真ん前

 

 

 

 

 

 

 

駅改札外に正宗の騎馬像があります。

 

 

 

 

 

 

 

駅正面は旧有備館庭園入り口ですが、

 

その北隣が有備館の森公園があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩出山町と当別町合併記念碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

内川(川下方向、左手が旧有備館庭園)

 庭園の南東側に川が流れていて、内川と呼ばれています。

 天正19(1591)年奥州再仕置により、

 

伊達政宗が岩出山に居城を移す際に、

 

岩出山城の防備と灌漑用水や城下町の生活用水確保のため整備

 

 

 

 

 

 

内川の名称は、

 

城下に築いた一ノ構の内側を流れていることから

 

名付けられたと伝えられています。

 平成28年に世界灌漑遺産に登録されました。
 

< 旧有備館2へ続く >

 

宮城県大崎市 旧有備館および庭園1 有備館駅と有備館の森公園   

宮城県大崎市 旧有備館および庭園2 周囲から覗く有備館庭園    

宮城県大崎市 旧有備館および庭園3 有備館庭園エントランスと付属屋



ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【NEW】■【あたりまえ経営のすすめ】2部 管理編3-40 【管理編】 プロの管理職のための”新たな”PDCAと活用法

2023-04-15 12:03:00 | 【心 de 経営】 あたりまえ経営のすすめ2 管理編

■【あたりまえ経営のすすめ】2部 管理編3-40 【管理編】 プロの管理職のための”新たな”PDCAと活用法

 管理編 第三章 プロの管理職のための新たなPDCAと活用法 が、新シリーズとしてはじまります。

 多様化の時代になり、ホンモノ智恵が求められる昨今です。

 世の中には、「専門家」とか「プロ」と呼ばれる人が多数いらっしゃいます。

 ところが、残念なことに、その大半というのが、「エセ専門家」「エセプロ」なのです。

 管理職も、“真”のプロ管理職にならなければなりません。

 ホンモノのプロ、要は「“真”のプロ」とは、どの様な人を指すのでしょうか。

 エセプロの多くは、「あたり前のことが、あたり前にできる」ということを軽視しています。

 「今の時代、最新の経営理論に基づく経営が重要である」と「あたり前」を蔑視をしている人もいるほどです。

 では、「あたり前」とは、なんでしょうか?

 「“真”のあたり前」を知らずして、あたり前を軽視して欲しくないですね。

 あたり前は、その辺に転がっているのではなく、「あたり前は創るもの」です。

 1970年代から、半世紀近くの経営コンサルタント経験から、最善の策ではないにしても、ベターな策を講じるための智恵をご紹介してまいります。

メモ

■ 2部 【管理編】 プロの管理職のあり方

 本シリーズは、経営士・コンサルタントなどの経営専門業・士業の先生方を対象として、第1部の【経営編】をお送りしてきました。しかし、その内容は、視点を変えれば経営者・管理職のためのお話でもあります。ビジネス界においては、フレキシブルな視点の持ち方をできる人が高く評価されるのです。

 筆者は、経営コンサルタントという仕事柄、しばしば管理職研修も実施してきました。その時に、必ずといって問うことは、「管理とは何でしょうか?」ということです。

 管理職の皆さんは、よく勉強していて、私より立派な回答が返ってきます。

 「では、それをどの様に実務に活かしていらっしゃいますか」と問いますと、期待するような回答が返ってきません。

 難しいことを勉強しすぎているのではないでしょうか。知識と実務が乖離していますと、せっかくの知識が知恵として活かせません。

 管理職として、「あたりまえ」なことが、実務で行われているのかどうか、謙虚に自分自身を見ることも大切なのではないでしょうか。

 管理職は、「管理とは何か」「温かい管理」を正しく理解しなければ、部下からも、上司からも、社会からも正しく評価されません。

  温かい管理とは  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8b7833c2ebc019660a3813e9dedbf92f

 ここでは、管理職なら誰もが知っているようなことを整理してみました。

 知識としてはご存知のことでしょうが、それを実務に活かすにはどうしたらよいのかを考えてくださる契機となると幸いです。

 

■ 第2部3章 【管理編】 プロの管理職のための”新たな”PDCAと活用法 

 これまで第2章として、ホンモノのリーダーシップについてお話して参りました。

 そのリーダーシップと不可分にあるのがPDCAです。

 「いまさら、PDCAについて学ぼうとする人間なんていないよ」
 「もう、PDCAは古い!」

 このような声を聞くような時代になりました。それほど、PDCAが言い古されてきているのです。しかし、本当にPDCAが実行されているのでしょうか。そして、PDCAの効果が出ているのでしょうか。

 多くの方が、知識として知っていても、実行に移せていない人が多いのが「PDCA」です。

 一方で、「PDCAを常に意識しています」、という人もいます。ところが、本当にPDCAにより効果を上げられているのでしょうか?大半の方が、「効果を上げている”つもり”」であって、実際には、PDCAが適正に実行されていないがために、機会損失を起こしているのです。

 正しいPDCAとは何か?
 正しいPDCAの使い方とは?

 謙虚に、再度、PDCAに取り組んでみては如何でしょうか。あなたのPDCAとは違ったPDCAがあるかもしれません。

 

■ 3-40 PDCAを管理の基本として再認識しよう

 

 コンサルティング業務の一環として、PDCAを取り上げることが多々あります。大半の人は、「何で、いまさら、コンサルタントから、PDCAを学ばなければいけないのか」と、内心で思っているのが、手に取るようにわかります。

 経営コンサルタントとして現場支援や研修講師として立ったときに、「あなたはPDCAをどの様に説明しますか」と問いかけます。大半の方が、素晴らしい回答をして下さいます。

 私は、教科書に書かれているような名解答ではなく、現場で、どの様に利用しているのか、むしろ「迷解答」を期待して、生の声をお聴きしたいのです。

 PDCAの活用を、経営コンサルタントとして長年支援してきました。ところが、単にPDCAを知識として知っているだけでは、効果を充分に発揮できないことに気がつきました。

 コンサルティング現場では、PDCAの応用利用ができませんと、実務面で効果を発揮したり、高めたりすることがむつかしいのです。

 日本におけますPDCAサイクルの原型は、エドワーズ・デミングの師であります、ウォルター・シューハートのPlan-Do-Seeの考え方が基となっています。

 第二次世界大戦後、日本の戦後復興の一環として、日本科学技術連盟(日科技連)が、統計的品質管理に関する講演会の講師としてデミングが招かれました。

 この講演を聴講しました日科技連の幹部が、PDCAサイクルとして提唱したと言われています。

 それが、政府の「加工貿易政策」を成功させるために品質管理を重視するという政策の発端ともなり、日本のQCサークル活動の一環として定着し、それがISO9000を始めとした国際基準にも取り入れられるようになりました。

 戦後復興という観点で、当時の通産省が並行してすすめていましたのが、アメリカを参考にした産業復興のための会計士制度とコンサルタントの資格という、それまで日本にはなかった専門家としての職業です。

 通産省の勧奨に、産業界も賛同して、日本公認会計士協会と母体を同じくする日本計理士会をベースにして、日本で最初の経営コンサルタント団体が誕生しました。それが日本経営士協会です。

 このPDCAサイクルは、品質管理として、製造現場だけではなく、ビジネスの世界にも活用できると考えて、日本経営士協会が、その考え方を経営の分野に取り入れることを提唱し始めました。

 ただし、同協会では、ビジネスの世界では、業務が連続していくことが原則ですので、ゴーイングコンサーンという観点から、同じところをグルグル回る「サイクル」ではなく、らせん状になって、さらに拡大すると言うことから、「PDCAスパイラル」という考え方を発展させました。

 さらに、後述のようにPDCAスパイラルは、「PDCA+s/a」をという考えと同時に、複合PDCAスパイラルなどの考え方など、PDCAをさらに発展させ、定着させて行きました。

 

 

<続く>

 

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【話材】 昨日04/14のつぶやき なぜロジカル・シンキングが必要なのか(5) 自己流では壁にぶち当たる

2023-04-15 07:35:25 | ブログでつぶやき

 

  【話材】 昨日04/14のつぶやき なぜロジカル・シンキングが必要なのか(5) 自己流では壁にぶち当たる

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/50abba025c4dd7ea45cef01be2db6242

傘

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

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 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見

 

 バックナンバー

 

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■【きょうの人】 0415 聖徳太子 一度に十人の人の言葉を理解できたそうです

2023-04-15 06:33:00 | 【話材】 きょうの人04月

  【きょうの人】 0415 聖徳太子 一度に十人の人の言葉を理解できたそうです

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 聖徳太子 一度に十人の人の言葉を理解できたそうです

 しょうとくたいし
 敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) - 推古天皇30年2月22日(622年4月8日))

「聖徳太子」は、後世の諡号で、厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)といい、飛鳥時代の皇族・政治家です。用明天皇の第二皇子として生まれ、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女です。 

 推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど進んでいる中国の文化・制度を積極的に取り入れました。

 冠位十二階や「和をもって貴しとなす」ではじまる十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立に功績があったといえます。また、仏教を取り入れ、神道とともに厚く信仰し興隆につとめました。

 大阪の四天王寺を建立し、療病院施薬院、悲田院を設け、社会事業の鏑矢をなしたことは注視すべきことです。

 聖徳太子は、天皇にならなかった著名な皇族の一人です。

 毎月22日は、処々で大師会とか太子講と称して法会が営まれます。4月15日は「聖徳太子祭」として、わが国の「文化の祖」と言われる聖徳太子を奉賛する祭日です。


 聖徳太子は、一度に十人の人の言葉を聞き分けたという伝説があります。その真偽は別として、ビジネスパーソンには「複々線思考・行動」が必要と考えます。

 私達の多くは、毎日、複数の業務や作業などを並列的に進めて行かなければなりません。列車が単線上を、並んだ順に走るのではなく、複線や複々線上に異なった列車という業務等に取り組まなければなりません。

 優先順位が高い業務は、専用線上を走らせたり、他の業務を停車させたり、それを追い越していくこともあります。

 聖徳太子のように一時に多数の業務をすることができなくても、PDCAをキチンと回すことにより複々線思考・行動をすることは可能ですし、それが求められています。

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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