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経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■■【心de経営】 采根譚06 前集 四十三 身を立つるに一歩を高くす 実践編35

2025-05-08 20:03:00 | 【心 de 経営】 藤原流

■■【心de経営】 采根譚06  前集 四十三 身を立つるに一歩を高くす 実践編35


 【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じて、毎月第二火曜日12時に発信いたします。

【筆者紹介】 特定非営利活動法人日本経営士協会理事長 藤原 久子 氏

 北海道札幌市出身、平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し代表取締役として現在に至っています。
 平素、自社において、従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、ワーク・ライフ・バランスを重視した経営に心がけています。
 一方、自社における経験をもとに、経営コンサルタントとしての専門知識を活用しながら、客観的に現状を認識し、問題発見・解決策の提案や業務改善案、経営戦略への提言など、企業の様々な問題の共有を図りながらアドバイスをしています。

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 『采根譚』の著者は洪自誠といわれ、日本に江戸時代中期に伝えられ、以来知識人の隠れた教養書として、明治以降も多くの人々に愛読されてきました。『采根譚』の書名は宋代の学者(思想家)汪信民の「人よく菜根を咬みえば、則ち百事なすべし」によると言われています。「菜根」すなわち、野菜の根は硬く筋が多いが、これをよく咬みうる者のみが、物の真の味を味わうことが出来る、ということを意味しています。
 
 また「菜根」は貧しい生活、暮らしをいうことから、貧苦に十分耐え得るもののみが人生百般の事業を達成できることも意味しています。『采根譚』が日本に紹介されたのは江戸時代中期、加賀前田藩の儒者、林瑜(はやしゆ)が紹介したのが初めとされています。いらいおびただしい数の復刻本が出版され、中国よりも、日本で広く愛読されてきました。実業・ビジネスの世界で活躍されている多くの人々に、心の指南書として親しまれてきました。時が移り人が変わっても、変わる事のない哲理を今に活かそうとしているからだと思っています。
 
 この『采根譚』は前集、後集合わせて357編からなり前集の222編は現実を生きる処世の智恵を説き、後集134編は心豊かな閉居の楽しみを語ったものが多いとされています。
 
 それでは、解説者・井原隆一氏のプロフィールをご紹介します。1910年埼玉県生まれ。14歳で埼玉銀行(現りそな銀行)に入行。18歳で夜間中学を卒業。父親の死亡に伴い20歳で莫大な借金を背負いながらも独力で完済。その間、並はずれた向学心から、独学で法律、経済、経営、哲学、歴史を修めた苦学力行の人。
 
 最年少で課長に抜擢され、日本ではじめてコンピュータオンライン化するなど、その先見性が広く注目され銀行の筆頭専務にまで上りつめました。60歳になって大赤字と労働紛争で危機に陥った会社の助っ人となり、40社に分社するなど、独自の再建策を打ち出し、数々の企業再建の名人として知られたといわれています。
 

         参考文献 采根譚 (解説:井原隆一)  プレジデント社
 

■■ 采 根 譚 (解説:井原隆一)  :  前集 四十三 ■■ 
 
    身 を 立 つ る に 一 歩 を 高 く す
 

【読み下し文】

 身を立つるに一歩高くして立たざれば、塵裡(じんり)に衣を振るい、泥中(でいちゅう)に足を濯(あらう)が如し。如何ぞ超達(ちょうたつ)せん。世に処するに一歩退いて処(お)らざれば、飛蛾(ひが)の燭(しょく)に投じ、羝(てい)羊(よう)の藩(まがき)に触(ふ)るるが如し如何ぞ安楽ならん。

 人生、身を立てるには、常に一歩だけ世人よりも高くしておかないと 塵(ちり)の中で衣を振るい,泥の中で足を洗うようなことになる。洗えば洗うほど泥がついてくる。これでは、世間に超越することは出来ない。また処世の道では、常に一歩退いていないと、ちょうど虫が火に身を投じたり、牡(オス)の羊が棚に角を突っ込んで進退極まるのと同じことになる。これでは安楽に過ごす事ができない。

 
【解説に出てくるキーワード】
 

◆「理想は高く姿勢は低く」井原さん、自作自戒の言葉

◆「小成に甘んじるな」小成とはわずかばかりの成功。経営に当たる人は「大きな夢を持ちなさい」と井原さんは説く。 

  参考文献 采根譚 (解説:井原隆一)  プレジデント社
 

【コメント】

 社会で出世しようとするならば、他人より一歩高くしていないと、埃の中で服を振るい、泥水で足を洗うようなもので、目的は果たせないし、人が生きてゆく上では、他人より一歩下がっていないと、我が蝋燭(ろうそく)の火に飛び込み、羊が垣根に頭を突っ込んでしまうようなもので、安心して暮らして行けない。

 つまり活人はリスクマネージメントの達人と言える。言い換えれば、活人は純粋なリスク回避は言うまでもなく、投機的なリスクは確実に回避しておかないと安心して生きてはいけません。ということ。

 人間は誰しも、一人ひとり違った素質、才能をもっている。ただそれらは、顔を鏡に映すようには、表面に出にくい。しかし、そういう自分の素顔とか才能というものを自分ではっきりとつかみ、それを日々の活動に、ひいては人生に生かすことができたなら、どれだけ人間としての喜びに満ちた生活が営まれ、人生の妙味というものを味わうことができるだろうか。一人ひとりが他と違ったものを持ち、そして日々新たに発展していく。そこには苦しみもあろうが、何ものにも替え難い喜びもあるはずである。

 本日も当社では決算の為のデータの積算作業に追われている。メールのやりとりや、書類から多くを推測、現実へと導き出すことの困難さに直面している従業員は日々戦ってくれている。頭の下がる思いが感謝へとかわり「従業員は宝もの」いう言葉で表現することになる。そんな思いに成る事が何よりも幸せで、次への挑戦に繋がっていると確信します。

 決算に係わる財務状況から経営者様ご自身の思想や理念、今後の夢など一年に一度の決算時会談は濃密に展開しています。時代に即したテーマも考慮しながら現代から未来に繋ぐ架け橋になる様尽力したいと願っているのです。

 他方ではコンサルタントとして今後に向け壮大な夢と希望に満ちた運営指針を立て、全国縦横に組織的活動を展開してゆくことが社会貢献に繋がる事を願っております。

 

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■■【心de経営】 采根譚07 前集 五十六 口頭の禅、眼前の花 実践編36

2025-05-07 20:03:00 | 【心 de 経営】 藤原流

■■【心de経営】 采根譚07  前集 五十六 口頭の禅、眼前の花 実践編36


 【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じて、毎月第二火曜日12時に発信いたします。

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 『采根譚』の著者は洪自誠といわれ、日本に江戸時代中期に伝えられ、以来知識人の隠れた教養書として、明治以降も多くの人々に愛読されてきました。『采根譚』の書名は宋代の学者(思想家)汪信民の「人よく菜根を咬みえば、則ち百事なすべし」によると言われています。「菜根」すなわち、野菜の根は硬く筋が多いが、これをよく咬みうる者のみが、物の真の味を味わうことが出来る、ということを意味しています。
 
 また「菜根」は貧しい生活、暮らしをいうことから、貧苦に十分耐え得るもののみが人生百般の事業を達成できることも意味しています。『采根譚』が日本に紹介されたのは江戸時代中期、加賀前田藩の儒者、林瑜(はやしゆ)が紹介したのが初めとされています。いらいおびただしい数の復刻本が出版され、中国よりも、日本で広く愛読されてきました。実業・ビジネスの世界で活躍されている多くの人々に、心の指南書として親しまれてきました。時が移り人が変わっても、変わる事のない哲理を今に活かそうとしているからだと思っています。
 
 この『采根譚』は前集、後集合わせて357編からなり前集の222編は現実を生きる処世の智恵を説き、後集134編は心豊かな閉居の楽しみを語ったものが多いとされています。
 
 それでは、解説者・井原隆一氏のプロフィールをご紹介します。1910年埼玉県生まれ。14歳で埼玉銀行(現りそな銀行)に入行。18歳で夜間中学を卒業。父親の死亡に伴い20歳で莫大な借金を背負いながらも独力で完済。その間、並はずれた向学心から、独学で法律、経済、経営、哲学、歴史を修めた苦学力行の人。
 
 最年少で課長に抜擢され、日本ではじめてコンピュータオンライン化するなど、その先見性が広く注目され銀行の筆頭専務にまで上りつめました。60歳になって大赤字と労働紛争で危機に陥った会社の助っ人となり、40社に分社するなど、独自の再建策を打ち出し、数々の企業再建の名人として知られたといわれています。
 

         参考文献 采根譚 (解説:井原隆一)  プレジデント社
 

■■ 采 根 譚 (解説:井原隆一)  :  前集 五十六 ■■ 
 
     口 頭 の 禅、 眼 前 の 花
 

【読み下し文】
 
  口頭の禅、眼前の花
 
 
【解説に出てくるキーワード】
 
 学問を講じても、高遠な理屈を説くだけで自ら実践することを尊重しなければ、口先だけの禅でしかない。また、事業を興しても利益だけを考えて、後々の為に人徳を育てておくことを考えなければ、目先だけの花となるに違いない。 

【コメント】
 

 スティーブ・ジョブス、マイケル・ジョーダン等、世界の成功者には「禅」愛好家が多いことで知られています。ものごと一点に全てを集中する力、これこそ禅の極意というそうです。

 ジョブズ氏の言葉に禅を学んだものにしかわからない感覚があって、「捉えにくいものの声が聞こえるようになる」「直観が花開く」という言い方をしております。このことからも数々の革新的なアイデアは禅が影響していると言っても過言では無いとまで語っております。実際、アップル本社には坐禅部屋があるそうです。

 わかっているようで、一番知らない自分と向き合う、自分は、何かの意味があってこの世に生かされていると自覚することによって自分の人生を生きて行く事に最大限の努力を払うことができるのです。

 また、あらゆる場面で過去の業績より、未来に挑戦する心の方が価値ある。つまり、いかなる場所、いかなる状況に於いても挑戦者となり、後世のために役立つように尽力することが、大切であります。事業に成功した人は常に慈しみの心で徳行を重ね、人に優しく、自分に厳しくありたいと申しております。

 さて(特)日本経営士協会に於いてコンサルタントとして求められる資質には、対人関係構築力、思考能力、体力&精神力、そして最も重視されるのが、プロフェッショナル・マインドでしょう。

 短時間で広い経験を積むことが出来る様プロジェクトに参画し、様々な業種の様々な業務の体験を重ねて、プロジェクトの管理機能や予算管理機能も含め、サポートできるチームでありたいです。

 

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■■【心de経営】 采根譚09 前集 八十二 竹は声を留めず 実践編38

2025-05-05 17:03:00 | 【心 de 経営】 藤原流

■■【心de経営】 采根譚09  前集 八十二 竹は声を留めず 実践編38


 【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じて、毎月第二火曜日12時に発信いたします。

【筆者紹介】 特定非営利活動法人日本経営士協会理事長 藤原 久子 氏

 北海道札幌市出身、平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し代表取締役として現在に至っています。
 平素、自社において、従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、ワーク・ライフ・バランスを重視した経営に心がけています。
 一方、自社における経験をもとに、経営コンサルタントとしての専門知識を活用しながら、客観的に現状を認識し、問題発見・解決策の提案や業務改善案、経営戦略への提言など、企業の様々な問題の共有を図りながらアドバイスをしています。

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 『采根譚』の著者は洪自誠といわれ、日本に江戸時代中期に伝えられ、以来知識人の隠れた教養書として、明治以降も多くの人々に愛読されてきました。『采根譚』の書名は宋代の学者(思想家)汪信民の「人よく菜根を咬みえば、則ち百事なすべし」によると言われています。「菜根」すなわち、野菜の根は硬く筋が多いが、これをよく咬みうる者のみが、物の真の味を味わうことが出来る、ということを意味しています。
 
 また「菜根」は貧しい生活、暮らしをいうことから、貧苦に十分耐え得るもののみが人生百般の事業を達成できることも意味しています。『采根譚』が日本に紹介されたのは江戸時代中期、加賀前田藩の儒者、林瑜(はやしゆ)が紹介したのが初めとされています。いらいおびただしい数の復刻本が出版され、中国よりも、日本で広く愛読されてきました。実業・ビジネスの世界で活躍されている多くの人々に、心の指南書として親しまれてきました。時が移り人が変わっても、変わる事のない哲理を今に活かそうとしているからだと思っています。
 
 この『采根譚』は前集、後集合わせて357編からなり前集の222編は現実を生きる処世の智恵を説き、後集134編は心豊かな閉居の楽しみを語ったものが多いとされています。
 
 それでは、解説者・井原隆一氏のプロフィールをご紹介します。1910年埼玉県生まれ。14歳で埼玉銀行(現りそな銀行)に入行。18歳で夜間中学を卒業。父親の死亡に伴い20歳で莫大な借金を背負いながらも独力で完済。その間、並はずれた向学心から、独学で法律、経済、経営、哲学、歴史を修めた苦学力行の人。
 
 最年少で課長に抜擢され、日本ではじめてコンピュータオンライン化するなど、その先見性が広く注目され銀行の筆頭専務にまで上りつめました。60歳になって大赤字と労働紛争で危機に陥った会社の助っ人となり、40社に分社するなど、独自の再建策を打ち出し、数々の企業再建の名人として知られたといわれています。
 

         参考文献 采根譚 (解説:井原隆一)  プレジデント社

■■ 采 根 譚 (解説:井原隆一)  :  前集 八十二 ■■ 
 
      竹は声を留めず
 

【読み下し文】
 
 
 風、疎竹(そちく)に来たる、風過ぎて竹は声を留めず。雁(かり)、寒潭(かんたん)を度(わた)る、雁去って潭は影を留めず。故に君子は事来たりて心
始めて現われ、事去って心隋(したが)って空し。
 風がまばらな竹やぶに吹くと、竹の葉は鳴るが、風が止んでしまうと元の静けさに戻る。雁が度ると淵はその影を映すが、飛び去ってしまうと影はない。

 君子の心も同じく、事が現われればそれに対応し、事がされば元の静けさ無の境地になる。
 
 
【解説に出てくるキーワード】
 

「当たり前を、破れ」井原さんによれば、この言葉には二つの意味があるという。

 一つは、常識を破って時代の変化に対応せよ、ということ。

 もう一つは、消極性や劣等感に捉われた当たり前は勇気をもって破るべし、という。

   参考文献 采根譚 (解説:井原隆一)  プレジデント社


【コメント】

 まばらな竹藪に吹く風、冷たい澄んだ淵の上を飛ぶ雁、普段は何もしないでぼんやりしているようだが、事が起こると素早く反応するという柔軟性を持って何事にも対処しなければならない。

 経営コンサルタトに求められる要素も同様で、社会人として又経営人としの資質を磨くと共に、「夢・希望」を持って、果敢に挑戦することの勇気が求められると考えます。

 采根譚の解説者である井原隆一氏によれば、「当たり前を破れ」という言葉にも二つ意味があるというのです。

 一つは常識を破って時代の変化に対応せよ、二つ目は消極性や劣等感に捉われた当り前は勇気を持って破るべし、当協会の今井会長の言葉にも同様の教えがあったと思います。私は会長の多くの教えから心を律する機会を得、感謝しております。

 一方で、グローバルな視点で物事を捉えてみる事にいたしましょう。

 たとえば環太平洋パートナーシップ( TPP : Trans- Pacific Partnership )の協定の合意は、海外との事業展開を行う上で必要不可欠です。

 日本貿易振興機構( JETRO )横浜主催のセミナ-では、今後ますます拡大が見込まれる経済連携協定( EPA )の利用を検討し、将来のTPP活用に向けて理解を深め、ビジネス戦略に活用するように促しています。実は我が国は15か国とEPAを締結しています。

 また平成27年2月4日には環太平洋パートナーシップ協定への署名が行われ、世界経済のGDPの4割を占める経済圏において、関税率の引き下げに加えて幅広い分野で新ルールが構築されて来ました。

 そこでビジネス戦略としての活躍の場を世界にむけて発信してゆかねばならないのです。

  内外を問わず、経験から得たバランス感覚と、中立的なアドバイスを大切にし、随所に改善策、社会貢献を念頭におきながら、企業と専門家という枠を超えて困難に立ち向かう精神で常に上を目指している企業家・事業家に適切なコンサルティングが出来ます様にと願っております。

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■■【心de経営】 采根譚10 前集 八十五 間中に放過せざる 実践編37

2025-05-04 20:03:00 | 【心 de 経営】 藤原流

■■【心de経営】 采根譚10  前集 八十五 間中に放過せざる 実践編37


【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じて、毎月第二火曜日12時に発信いたします。

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■■ 采 根 譚 (解説:井原隆一)  :  前集 八十五 ■■ 
 
     間中 (かんちゅう)に放過 (ほうか)せざる
 

【読み下し文】
 
 

 間中(かんちゅう)に放過(ほうか)せざれば、忙処(ぼうしょ)に受用(じゅよう)あり。

 静中(せいちゅう)に落空(らっくう)せざれば、動処(どうしょ)受用(じゅよう)あり。

 暗中(あんちゅう)に欺隠(ぎいん)せざれば、明処(めいしょ)に受用(じゅよう)あり。

 

 暇な時でも時間を無駄にしないようにしていれば、多忙になった時それが役に立つ。

 静かに休んでいる時でも心を緩めないようにすれば、活動するときに役立つ。

  人目につかないところでも良心に叛かないようにすれば、人前に出た時に役立つ。

 
 
【解説に出てくるキーワード
 

 石坂泰三(いしざか たいぞう)のプロフィルを掲げ、生き方を感じ取るよう促している。東京帝国大学卒。旧逓信省に入省後、第一生命社長に就任。東芝の取締役。1956年経団連第二代会長に就任。日本商工会議所会頭の藤山愛一郎とともに、当時の鳩山一郎首相に退陣を求め、経団連会長が「財界総理」と呼ばれるきっかけを作った。アラビア石油会長なども務めた。人格の修養を目指しながら学問を学んで得た教養の心髄を体得する様心得たいものである。

   参考文献 采根譚 (解説:井原隆一)  プレジデント社


【コメント】
 

 人の品性は包容力の大きさにあるとするなら、認識を深めていくことだという。

 自らの心に打ち勝つ、そして心をコントロールしてゆくことによって妨害に打ち勝ち人格を磨き、努力していればいつかどこかで何かの役にたつ、人生で成功する秘訣は、チャンスが来た時に準備が出来ているかどうかであって準備ができていれば必ずチャンスはまわってくるという。


 また壁にぶっかったら別の道を見つけて進むもよし。

 見渡せば、それまで気付かなかったいろいろな道が見つかる。

 迷い道には発見があり、回り道に出会いがある。

 多くの経験に加え学びながら視野を広げたり、資格をとったりして、次のチャンスに備える準備を怠らない事が結果に繋がるという事になります。


 なにごとも継続することによって、日頃研鑚したものが、やがて花開く事になります。

 諦めず人間本来の輝きを持っている人が真に立派な人物であり、穏やかな春風が冷たい氷を解かす様に、自然と改心してゆくことで人格の向上を図る事に繋がります。

 常に前向きの精神で尽力し続け、寛大で温かい心がすべてのものを成長させると信じます。

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■■【心de経営】 論語に学ぶ経営01 不倒翁として生き抜いてきた人間修養と経験に基づく人間学 実践編 14

2025-05-03 20:03:00 | 【心 de 経営】 藤原流

■■【心de経営】 論語に学ぶ経営01 不倒翁として生き抜いてきた人間修養と経験に基づく人間学 実践編 14

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 北海道札幌市出身、20年間の専業主婦を経て、会計事務所に約4年半勤務。その後平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し、代表取締役として現在に至る。従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、企業の永続的発展を願う。  平成22年には横浜型地域貢献企業の最上位を受賞、続いてグッドバランスの受賞により、新聞、雑誌の掲載をはじめ、ラジオやWebTV(日本の社長100・神奈川県社長t v)に出演したりして、各種メディアで紹介されている。

 

 

 本メルマガで【心で経営】の新シリーズが始まり数か月が経過しました。混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が私の愛読書の一つとなっています。

 中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(ちこくへいてんか:国を治め天下を平和に保つこと)の方が主体でありますが、私の論語への想いは、個人的規範が主体になっています。自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。

 何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「おきあがりこぼし」と同意)として行き抜いて、人間の持っていた自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準のトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む事を教えられていて、学ぶという基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

 

  

 

■■ 渋沢栄一の論語講義 ■■ 

 

 ~不倒翁として生き抜いてきた人間修養と経験に基づく人間学~

 

 

 本メルマガで【心で経営】の新シリーズが始まり数か月が経過しました。混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が私の愛読書の一つとなっています。

 中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(ちこくへいてんか:国を治め天下を平和に保つこと)の方が主体でありますが、私の論語への想いは、個人的規範が主体になっています。自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。

 何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「おきあがりこぼし」と同意)として行き抜いて、人間の持っていた自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準のトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む事を教えられていて、学ぶという基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

 

■ 学而第1-1 1 学んで時に之を習う

 子曰く、学んで時に之を習う。亦た悦ばしからずや。朋あり、遠方より来る。亦た楽しからずや。人知らずして慍おらず。亦た君子ならずや。

【口語訳】  子曰く、学んで時を決めて弟子達があつまり、おさらい会を開くのは、こんなに楽しいことはない。朋が遠方より訪ねて来てくれるのは、こんなに嬉しい事はない。人が自分をしらないといって怒りをいだかない。諸君はそういう人であってほしい。

        参考文献 「論語講義」 渋沢 栄一著 プレジデント社

 論語の最初に語られている言葉です。

 「まだ知らない事を学んで、時々それを復習する大切さを知り、そこから今までわからなかったことが理解できるようになる」と言っています。しかも、今まではわからなかったことが理解できるようになることは、「それは喜ばしいこと」だと続けています。

 朋、すなわち親しくしている友人や仲間が、わざわざ遠くから訪ねきてくれれば、それはそれで嬉しいことです。それを「これほど嬉しいことはない」と論語では言っています。

 人間というのは、人それぞれ考え方や感じ方が異なります。ですから、たとえ自分のことを相手がわかってくれないからと言って怒ったり、気にしたりしないで、悠然と構えることが必要であると説いています。

 ここで言われていることは、だれもが「当たり前のこと」と思うようなことです。でも、それをいざ実行しようとなると難しいものです。

 人間関係においても組織においても同じことが言えます。お世話になった恩人に感謝の気持ちを忘れてはいけないと、論語ではその記述の中で「人間の真実」、すなわち人間の本来あるべき姿について語っていると、私は思います。 みなさんは、いかがですか?

 

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■■【心de経営】 論語に学ぶ経営02 巧言令色には、鮮いなか仁 実践編 15

2025-05-02 20:15:38 | 【心 de 経営】 藤原流

■■【心de経営】 論語に学ぶ経営02 巧言令色には、鮮いなか仁 実践編 15

 【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じて、毎月第二火曜日12時に発信いたします。

【筆者紹介】 特定非営利活動法人日本経営士協会元理事長 藤原 久子 氏

 北海道札幌市出身、20年間の専業主婦を経て、会計事務所に約4年半勤務。その後平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し、代表取締役として現在に至る。従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、企業の永続的発展を願う。  平成22年には横浜型地域貢献企業の最上位を受賞、続いてグッドバランスの受賞により、新聞、雑誌の掲載をはじめ、ラジオやWebTV(日本の社長100・神奈川県社長t v)に出演したりして、各種メディアで紹介されている。

 

 本メルマガで【心で経営】の新シリーズが始まり数か月が経過しました。混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が私の愛読書の一つとなっています。

 中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(ちこくへいてんか:国を治め天下を平和に保つこと)の方が主体でありますが、私の論語への想いは、個人的規範が主体になっています。自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。

 何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「おきあがりこぼし」と同意)として行き抜いて、人間の持っていた自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準のトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む事を教えられていて、学ぶという基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

 

■ 渋沢栄一の論語講義 : 学而第I-III3 ■  

   巧言令色(こうげんれいしょく)には、鮮(すくな)いなか仁

 当メールマガジンにおいては、混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願っています。その下で、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が愛読書の一つとなっています。

 中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(治国平天下:国を治め天下を平和に保つ事)の方が主体でありますが、論語は個人的規範が主体になっています。そのことから自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。

 何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「起き上がりこぼし」)と同意として行き抜いて、人間の持っていた自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったか。徳川時代は一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。

 『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

■学而第I-III3  巧言令色(こうげんれいしょく)には、鮮(すくな)いなか仁

 子曰く、巧言令色(こうげんれいしょく)には、鮮(すくな)いなか仁

【口語訳】

 子曰く、猫撫で声でお世辞笑いする人間に、最高道徳の仁はもとめられない。

【解説に出てくるキーワード】

 「仁」は孔子の思想のキーワードになり、孟子の思想のキーワードは「義」になります。この二つを合わせたものが「仁義」であります。それでは「仁」とはどういう状態をいうのでしょう。解説者の山本七平さんによれば、孔子はそのことを具体的に言っていないとしながら、その人の行為が仁にどれだけ近いかということで、西郷隆盛の例を挙げています。

 西郷隆盛が渋沢栄一邸に乗り込んで、制度の見直しを迫ったエピソードを、自署の『青淵回顧録』で次のように述べています。

 「大蔵省では相馬藩「仁」の興国安民法を廃止しようという意見であるそうだが、この法は二宮尊徳以来の藩是で至極適切な制度であると思う。せっかくの良法が廃藩置県の実施によって廃絶せしめられるのは惜しいから、何とか存続できるようにしていただきたい」又、「今日の時勢は相馬一藩における興国安民法の存廃を顧慮するよりもさらに一歩を進めて国家の為に興国安民法を構ずるのが、いっそう急務であると信じます」

 あたかも政府を双肩に担われ國政料理の大任に当たっておられる貴方が、一小局部の相馬藩の為に遺法を存続されようと奔走せられるが、一国の公国安民法をお認めくださらないで一藩の為に心を労せられるのは、本末転倒の甚だしきものでその意を得ぬように考えられます」と無遠慮に申しあげた。

 「成る程、聞いてみると君の意見も尤ものように思うが、ただし儂(わし)は今日は君にものを頼みにきたので、議論を聞きに来たのではない。兎も角よく考えてできるならばなるべく都合よくしてくれるように頼む」と莞爾(かんじ)として笑われ、別に私の無礼を咎(とが)めずに帰られたが、その寛仁大度は実に敬服の至りであって・・・とありました。

                参考文献 論語と渋沢栄一 プレジデント社

 上述から、理路整然とした考えの下、寛容の精神で何事にもあたること、人々の間で愛情と尊敬を守るために、他人を愛し、時には憎む場合でも全てのひとに開かれた人となって、いつでも慈しみ深く、まずは、他人の意見を真摯に受け止めることと同時に自らを省みる重要性についても学んだ一項であります。

 経営士・コンサルタントにおいても基本となる人間性のうえに学術的に研鑚を重ね、社会人として必要とされる人間性を磨いてゆきたいと、年頭に当たり心新たに致した次第です。

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■■【心de経営】 論語に学ぶ経営03 子曰く、 君子不器 実践編 16

2025-05-01 20:11:26 | 【心 de 経営】 藤原流

■■【心de経営】 論語に学ぶ経営03 子曰く、 君子不器 実践編 16



  【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じた学びをお届けしています。


【筆者紹介】 特定非営利活動法人日本経営士協会理事長 藤原 久子 氏


 北海道札幌市出身、平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し代表取締役として現在に至っています。  平素、自社において、従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、ワーク・ライフ・バランスを重視した経営に心がけています。  一方、自社における経験をもとに、経営コンサルタントとしての専門知識を活用しながら、客観的に現状を認識し、問題発見・解決策の提案や業務改善案、経営戦略への提言など、企業の様々な問題の共有を図りながらアドバイスをしています。


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 本メルマガで【心で経営】の新シリーズが始まり数か月が経過しました。混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が私の愛読書の一つとなっています。


 中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(ちこくへいてんか:国を治め天下を平和に保つこと)の方が主体でありますが、私の論語への想いは、個人的規範が主体になっています。自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。


 何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「おきあがりこぼし」と同意)として行き抜いて、人間の持っていた自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。


 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準のトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む事を教えられていて、学ぶという基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。



■■ 渋沢栄一の論語講義 : 為政第2-12 ■■


             子曰く、 君 子 不 器



 日本経営士協会に於いては【心で経営】の新シリーズが始まり数か月が経過しました。混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が愛読書の一つとなっています。中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(治国平天下:国を治め天下を平和に保つ事)の方が主体でありますが、私の論語への想いは、個人的規範が主体になっています。そのことから自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(起き上がりこぼし)と同意として行き抜いて、人間の持っていた自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。


 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは論語でした。7歳の頃に読み始め、亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。


 


◆ 為政(いせい)第2-12


 子曰く、君子不器


読み   子曰く、君子は器ならず


口語訳 子曰く、諸君は器械になってもらっては困る。


 孔子が言った、器(うつわ)はすべて、ある目的のための専用につくられたもの。しかし、学徳とともにすぐれた君子と言われる人物は、ある一つのことだけの専門であってはならない。学徳の備わった君子は、一芸一役の用をなしうるだけの器ではない。器を用いる働きのある人間である。


解説に出てくるキーワード 「大量大度(たいりょうたいど) 」


 人間として真に完成した状態のこと、「器」は器物であり、孔子は「在上の君子は器物のごときものではない、器物を使う人である」とといている。人間である以上は、その技能に従がって用いさえすれば、だれでも何かの役にたつものである。人にはおのおの得意の一技一能が必ずあるものである。もしそれ非凡達職の人になると、一技一能に秀れた器らしい所はなくなってしまい、万般に行き渡って奥底の知れぬ大量大度の所があるものである。


     参考文献 論語と渋沢栄一 プレジデント社


 企業の価値を決定するものは、環境を認識し、戦略を創造ないし事業を構想し、戦略を実行する組織能力であると考えます。組織能力の向上をはかるものが組織学習に他ならず、それが持続可能な組織運営をもたらし、優秀な知的人材の獲得は競争力の源泉であることはいうまでもありません。そのうえで組織価値を高めるために共通のルールに従って組織メンバーの共有の財産とするために日常的な実践を通してコミュニケーションが図れている限り、一定の方向で知識を獲得しつつ連携してゆくことが組織成長に繋がる鍵になる事でしょう。


 絶えず能力の向上を図るものへと研鑚を積むことが、持続的に組織価値を高めてゆくことになります。優秀な人材が、新たな価値基準を生み出しながらスパイラルアップし、それが組織の成長を推進してゆくということです。


 人間は誰でも、限りある自分の時間や人生を納得のできる様に過ごしたいと願っています。ましてや知的社会意識が高く、遣り甲斐のある仕事に魅力を感ずる環境の中で成長してゆくためには、社会的存在を自問自答したりするものです。他人の体験を自分のことの様に味わえることも、組織としてどういう方向に向かってゆくかをしっかりと決めてゆくこと、組織は目的を見破らないこと、チームとしての利点を考えるとき、それは「利他主義」にあって相手を思い遣る、喜ばせる精神で、企業人としてどこまで楽しめるかを組織のなかで体得してゆきたいものです。


 人の修養は最初から不器(天性の器量のない者)の器とはなれないのです。まず一器として完成を志し、一事に長ずるものは万事にも長ずともいう様に、一事に長じない者は、他事に長じ得ることは出来ないのです。それぞれの才能に応じてその能力を尽くし、その各人の完成を期して努めれば、人間性の霊妙さはその人それなりの不器の器と成り得ると思います。



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■■【心de経営】 論語に学ぶ経営04 吾(わ) が道は一以(いちもっ)て之を貫く 実践編 17 81

2025-04-30 06:31:51 | 【心 de 経営】 藤原流

■■【心de経営】 論語に学ぶ経営04 吾(わ) が道は一以(いちもっ)て之を貫く 実践編 17 81

 

  【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じた学びをお届けしています。

【筆者紹介】 特定非営利活動法人日本経営士協会理事長 藤原 久子 氏

 北海道札幌市出身、平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し代表取締役として現在に至っています。  平素、自社において、従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、ワーク・ライフ・バランスを重視した経営に心がけています。  一方、自社における経験をもとに、経営コンサルタントとしての専門知識を活用しながら、客観的に現状を認識し、問題発見・解決策の提案や業務改善案、経営戦略への提言など、企業の様々な問題の共有を図りながらアドバイスをしています。

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 中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(ちこくへいてんか:国を治め天下を平和に保つこと)の方が主体でありますが、私の論語への想いは、個人的規範が主体になっています。自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。

 何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「おきあがりこぼし」と同意)として行き抜いて、人間の持っていた自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準のトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む事を教えられていて、学ぶという基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

■■ 渋沢栄一の論語講義 : 里仁(りじん)第4-15 81 ■■

 

              吾(わ) が道は一以(いちもっ)て之を貫く

 

 日本経営士協会に於いては【心で経営】の新シリーズが始まり数か月が経過しました。混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が愛読書の一つとなっています。

 中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(治国平天下:国を治め天下を平和に保つ事)の方が主体でありますが、私の論語への想いは、個人的規範が主体になっています。そのことから自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(起き上がりこぼし)と同意として行き抜いて、人間の持っていた自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。

 『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

 

◆里仁第4-15 81  吾(わ)が道は一以て之を貫く

子曰く、参や、吾が道は一以て之を貫く。曾子曰く、唯(い)。子出ず。門人、問うて曰く、何の謂いぞや。曾子曰く、夫子(孔子を指す)の道は忠恕のみ。

【口語訳】子曰く、参(曾子の名前)よ、私の道はただ一筋の道だ。曾子曰く、分かりました。孔子が去った後、門人が曾子に尋ねた。どういう意味だったのでしょうか。曾子曰く、先生の道は真心の一本道なのだ。

宮崎市定は忠恕を真心と訳した理由として「論語の新研究」でこう説明している。『忠恕は二字をもって一つの意味を表わす。普通にこれを忠と恕の二者と解するが、それでは、一以貫之、という言葉と矛盾する。忠の中の恕的な部分、恕、おもいやりの中の忠的な部分、すなわち両語を重ね合わせたとき、共通する部分が忠恕である。勿論幾何学の作図のようにはいかぬので、訳字は一方にかたよるが、此処では真心と訳した』

<参考文献 論語と渋沢栄一 プレジデント社>

 

【コメント】

 私は、いままでのながい人生を通し、生涯を捧げられるような一つの仕事に巡り会うことができたなら、こんなに幸せなことは無いだろうと思います。

 思いやりと慈しみの心で忠恕(真心)をもって働くことの素晴らしさを感じながら、働くという事で孔子が長い年月をかけて出した人間として最も大切な『道』とは、人に対する「思いやり」だといっています。そして生き方に於いての根本は終始一貫して変わるものではないと説き、孔子が貫いたのは、真心や思いやりをもった道徳的な生き方でした。

 企業経営に於ける根本的な思想も同じく、揺るぎない理念のもとに社会との係わりを考策しながら、永続的発展に向けて前進してゆきます。そこをあらゆる角度から支援してゆくのが経営コンサルタントの使命と考えます。

 上述の孔子の教えそのものを実践していらっしゃるのが、当協会の今井会長です。常に自分自身を律し、『プロのコンサルタント』育成に尽力されながら社会情勢に眼を向けて経営支援の在り方について、今なお研鑚を重ねていらっしゃいます。

 ほんとうの教育は、人をみてそれぞれに対していう言葉が違って当然で、一律一体おなじことを言っていれば、情勢変化の対応や問題解決の矛盾にも気付かない事が生ずる場合もありかねません。人生をプロフェッショナルに生きる為に、一生涯を捧げられるような仕事に巡り会うこと、働く以上その道に長けること、そこに誇りを持って歩む事のできる「経営コンサルタントの道」があります。

 「不倒翁」として生き抜いた渋沢栄一をはじめ、多くの実業家の生き方の根本は、終始一貫して変わるものではなく、向上心・信念の強さがあって、また物事を俯瞰的に観る眼や、「夢」多き精神の持ち主であることなども共通しています。プロフェッショナルな経営コンサルタントを目指すために、今何をやるべきかを考えて参りましょう。

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■■【心de経営】 論語に学ぶ経営05 未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わ 実践編 18 学而第1-7-7

2025-04-29 20:03:00 | 【心 de 経営】 藤原流

■【心de経営】 論語に学ぶ経営05 学而第1-7-7 未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わ

 【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じた内容をお届けします。
【筆者紹介】 特定非営利活動法人日本経営士協会理事長 藤原 久子 氏
 北海道札幌市出身、平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し代表取締役として現在に至っています。
 平素、自社において、従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、ワーク・ライフ・バランスを重視した経営に心がけています。
 一方、自社における経験をもとに、経営コンサルタントとしての専門知識を活用しながら、客観的に現状を認識し、問題発見・解決策の提案や業務改善案、経営戦略への提言など、企業の様々な問題の共有を図りながらアドバイスをしています。

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 そのことから自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「起き上がりこぼし」と同意として行き抜いて人間の持っていた、自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。
 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。
 その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。
■■ 渋沢栄一の論語講義 : 学而第1-7-7 ■■
  未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わ
 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。
◆ 学而(がくじ)第1-7-7
  未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わ   
【読み】
 未(いま)だ学ばずと日(い)うと雖(いえど)も、吾(われ)は必ず之を学びたりと謂(い)わん

 子夏曰く、賢賢(けんけん)たるかな易(とかげ)の色や、とあり。父母を事(つか)得ては能(よ)く其の力を竭(つく)し、君に事(つか)えては能(よ)くその身を致し、朋友と交わり、言いて信あらば、未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わん。

【口語訳】
 子夏曰く、蜥蜴(とかげ)の色は賢々として周囲に応じて変わるもの、という古語がある。これは人間が父母に仕えるときには、その力のある限りを尽くし、君に仕えるときには、その身命すらも捧げ、朋友と交わる時には、言ったことには責任を持つ事の譬(たと)えである。この様な人は、もし学問をしたことがないと世間からみなされていても、私ならば、そういう実践こそが学問で、この古語の意味を真にわきまえた人だと断言してはばからない。

 世間の一般通念として学問をしたと言えない人でも、其の行為が道にかなっていれば、それこそ学問をしたと言えるという、この発想は極めて論理的な発想で、孔子思想のもっとも鮮やかな特色が論語の中で随所に見られる。実はこのような伝統的な、何気ない言葉に新しい解釈を吹き込んで教え、同じように人生の目的、人間の生き方にも、この新しい言葉の概念によって指標を示したところである。

        参考文献 論語と渋沢栄一 プレジデント社

 【コメント】

 ご紹介の一節では、学問と実践の共有性を説いています。「論語読みの論語知らず」という言葉があるように哲学を学んでも日々の行いに生かさなければ何もならず、人間同士の愛情や優しさのようなものが、人道的な文明社会の根底にあると考える必要性を含め、賢人を賢人として尊敬しなければならないことを伝授しています。
 企業経営に於いても同様の考えの下で永続的発展を遂げなければいけません。企業の成長のためにトップに求められるものは、自身の生き方そのものであると思います。つまりすべてを弁えて実践してゆくことこそが実は学問をしていることに繋がっているというこの思想には深い意味を感じます。
 経営コンサルタントの立場で、企業診断をさせて戴く折に、成長する企業には秘められた何かが有る事に気付かされます。それは、経営者ご自身の人生観・生き方にあるといっても過言では無いと信じます。
 また多くの方は揺るぎない信念のもとに限りなく豊かな感性を持ち、日々研鑚を積んでいます。
 コンサルタントとしてのプロフェッショナルを目指す為には、人は死ぬまで『学び』という言葉も心地よく聴こえて参ります。「人の道」を誠実に真摯に謙虚に歩み続けることに徹し、常に自分の生き方を振り返りながら先人の教えを紐解きつつ、時代に即応した歩調で前進して参りましょう。背中を多くの方達から押し、支えて戴けるように倫理的行動規範が必須となり社会貢献を目指したいものです。

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■■【心de経営】 論語に学ぶ経営06 学んで思わざれば罔し。思って学ばざれば殆うし 為政第2-15 31 19

2025-04-28 20:03:00 | 【心 de 経営】 藤原流

■【心de経営】 論語に学ぶ経営06 為政第2-15 31  学んで思わざれば罔し。思って学ばざれば殆うし

 【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じた内容をお届けします。

【筆者紹介】 特定非営利活動法人日本経営士協会理事長 藤原 久子 氏

 北海道札幌市出身、平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し代表取締役として現在に至っています。
 平素、自社において、従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、ワーク・ライフ・バランスを重視した経営に心がけています。
 一方、自社における経験をもとに、経営コンサルタントとしての専門知識を活用しながら、客観的に現状を認識し、問題発見・解決策の提案や業務改善案、経営戦略への提言など、企業の様々な問題の共有を図りながらアドバイスをしています。

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 本メルマガで【心で経営】の新シリーズが始まり数か月が経過しました。混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が私の愛読書の一つとなっています。

 中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(ちこくへいてんか:国を治め天下を平和に保つこと)の方が主体でありますが、私の論語への想いは、個人的規範が主体になっています。

 そのことから自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「起き上がりこぼし」と同意として行き抜いて人間の持っていた、自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。

 その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

 

 

■■ 渋沢栄一の論語講義  ■■


 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

 

■■ 渋沢栄一の論語講義  ■■


 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。


◆ 為政第2-15 31  学んで思わざれば罔し。思って学ばざれば殆うし
 
【読み】

 子曰く、学んで思わざれば罔(くら)し。思って学ばざれば殆(あや)うし。

 

【口語訳】

 子曰く、教わるばかりで、自ら思索しなければ、独創がない。自分で考えるだけで教えを仰ぐことをしなければ大きな陥(おと)し穴にはまる。

 「教えありて類なし」【論語】衛霊公第15-38-417 人間の差違は教育の差であり、人種の差でない。ちなみに、渋沢栄一の「論語講義」では「教うるあって類なし」と読み下し、こう解釈している。「それ政教の民を化するや、人の知愚・貴賤、習気の善悪・世類の美悪等の種類あることなし」。

 「性、相い近し。習い相い遠し」【論語】陽貨第17-2-436宮崎市定氏の口語訳「生まれ月は互いに似たものだが、習慣によって人間がすっかり変わってくる」。「教えありて類なし」「性、相い近し。習い相い遠し」の二つは、孔子が教育の大切さを説いたものとして、よくしられている。山本七平さんは、学ぶというのは、それを用いて探究する、すなわち思う事を始める基本になるもので、これは孔子の教育論の一番基本となっている、と解説している。

        参考文献 論語と渋沢栄一 プレジデント社

 

【コメント】

 書籍を読み、セミナーに参加していろいろな角度・視点から思索を深めても、それを具体的に実行し、確認することや、せっかく学んでも、そこから何をどれだけ考えたか、というステップを踏まなければ確かな知識とはなりません。教えを受けただけで、自ら思索しなければ決して道理を理解することはできません。

 つまりいくら知識を学んでも、思索しなければ、物事を本当に理解することはできませんし、逆にいくら思索をしても、知識を学ばなければ、独断に陥って視野が狭くなり危険であると教示しているのです。

 この思想は企業経営にも繋がり、日本経営士協会に於いても各種の学びの場を生涯教育として会員様は切磋琢磨して「共用・共業・共育」を唱え実践を目指しております。思ったことを探求してゆくと同時に、常に柔軟に学ぶ姿勢を崩さないこと、つまり生涯知的関心を消さず、生涯情熱を失わない事が大切であると痛感しております。物事をプロフェッショナルに探究し続けるためには限界に挑戦する心が必要であると感じます。

 企業経営に於いても同様の考えの下で永続的発展を遂げなければいけません。企業の成長のためにトップに求められるものは、自身の生き方そのものであると思います。つまりすべてを弁えて実践してゆくことこそが実は学問をしていることに繋がっているというこの思想には深い意味を感じます。

 

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■■【心de経営】 論語に学ぶ経営07 仁以て己が任と為す。亦た重からずや 泰伯第8-7 191 20

2025-04-27 12:03:00 | 【心 de 経営】 藤原流

■【心de経営】 論語に学ぶ経営07 仁以て己が任と為す。亦た重からずや 泰伯第8-7 191 20

 【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じた内容をお届けします。

【筆者紹介】 特定非営利活動法人日本経営士協会理事長 藤原 久子 氏

 北海道札幌市出身、平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し代表取締役として現在に至っています。
 平素、自社において、従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、ワーク・ライフ・バランスを重視した経営に心がけています。
 一方、自社における経験をもとに、経営コンサルタントとしての専門知識を活用しながら、客観的に現状を認識し、問題発見・解決策の提案や業務改善案、経営戦略への提言など、企業の様々な問題の共有を図りながらアドバイスをしています。

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 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。

 その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

 

■■ 渋沢栄一の論語講義  ■■


 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

 

■■ 渋沢栄一の論語講義 : 泰伯第8-7 191 ■■


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◆ 為政第2-15 31

  仁以て己が任と為す。亦た重からずや

 
【読み】

 曾子曰く、士は以て弘毅(こうき)ならざるべからず。任重くして道遠し。仁(じん)以(もっ)て己(おの)が任と為す。亦(ま)た重(おも)からずや。死して後已(のちや)む。亦(ま)た遠からずや。

【口語訳】

曾子曰く、学徒たる者は、重みに耐える強さ、遠くまで続く粘りがなければだめだ。仁の追求を任務に背負っているのだから、こんな重荷はない。死ぬまで続く生涯教育だから、こんな遠い道はない。

「任重くして道遠し」と家康の生涯を渋沢栄一は『論語講義』で、徳川家康こそこの章句の実現者であるとし、その生涯について、次の様に語っている。

《もっともよく体験したる人は、東照公徳川家康である。家康の一生この章句の露現である。関ヶ原の戦争に克ちて、(略)子孫にのこしたる遺訓の文いわく、「人の一生は重荷を負いて遠き道をいくがごとし」学問あり、思慮あり、見識あり、忍耐あり、節制あり、自己の力を以て自己の運命を開拓したる成功者の、実験中より得たる、知恵の結晶というべきものなり》と解説しております

        参考文献 論語と渋沢栄一 プレジデント社

【コメント】

 何事につけても任務を遂行するためには、度量が広く包容力があって意志強固でなければ仁道の実践は出来ず、重責の道は遠くにあるのでないかと思うのです。人生を生き抜く羅針盤として読み継がれ、私共に誤りなき歩みの道をしめしてくれているこの章句は、「死ぬまで続く生涯教育だからこそこんなに遠い道はない」と結んでいるところに、一種の感慨深いものがあります。幸い長寿社会に生かされ、道徳教育の貴さを知り、心を広く、志を強くもって社会貢献に繋ぐための一助になることを願うものです。

 経営コンサルタントとして企業を診断する場合に於いても遵守すべき事項を念頭におきながら、常に謙虚さを忘れず、自己責任で業務を遂行することと考えています。また思いやりを忘れずコミュニケーションよくタイムリーに報連相を実践して、プロのコンサルタントとしての資質の向上に努めなければいけません。クライアントからの信頼を得るためには創意工夫が必要ですが、倫理的思考・複々線思考による言動が求められます。

 

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■■【心de経営】 渋沢栄一の論語とそろばんに学ぶ経営08 其れ恕か。己れの欲せざる所は人に施すことなかれ 衛霊公第15-23 402 21

2025-04-26 20:03:00 | 【心 de 経営】 藤原流

■■【心de経営】 渋沢栄一の論語とそろばんに学ぶ経営08 其れ恕か。己れの欲せざる所は人に施すことなかれ 衛霊公第15-23 402 21


 【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じて、発信いたします。


【筆者紹介】 特定非営利活動法人日本経営士協会元理事長 藤原 久子 氏

 北海道札幌市出身、平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し代表取締役として現在に至っています。
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 そのことから自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「起き上がりこぼし」と同意として行き抜いて人間の持っていた、自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。

 その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

 

■■ 渋沢栄一の論語講義 : 衛霊公第15-23 402 ■■


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◆ 衛霊公第15-23 402

  其れ恕か。己れの欲せざる所は人に施すことなかれ

 

  
【読み】

 子貢(しこう)、問うて曰く、一言にして以て終身これを行うべきものあるか。子曰く、其(そ)れ恕(じょ)か。己れの欲せざる所は人に施(ほどこ)すことなかれ。

 

【口語訳】

 

 子貢が尋ねた。簡単に一言で、生涯それを行う価値のあるものがありましょうか。子曰く、それは恕、人の身になることだ。人の身になってみたら、自分の欲しない事を、人に加えることなどできるものではない

 

【解説に出てくるキーワード】

 「参(しん)や、吾が道は一以て之を貫く・・・夫子(ふうし)の道は忠恕のみ」【『論語』里仁第4-15 (81)参とは曾子のこと。解説者山本七平さんは、孔子が「一以て」の問答で、曾子と子貢とで、字句が異なることを次のように解説している。 「曾子には『一以て之を貫く』の一の意味するところを『忠恕』と言っていまして、子貢にはただ一言『恕』と言っています。(こうした違いを指して)『論語』はずいぶん矛盾したことを言っている、一貫していない、と言うのはちょっとおかしいのです。本当の教育は、人を見てそれぞれに対して言う言葉が違って当然で、一律一体同じことを言っていれば、むしろその方がおかしい」

        参考文献 論語と渋沢栄一 プレジデント社

 

 

【コメント】

 

 ここでは「自分がされたくないと思う事は、他人に対してしてはならない」という事から一言で生涯の行為を律すべき言葉を、それは「恕(じょ)」と申しております。

 

 そこで組織運営では、こうした心理を生かした道徳的リーダーシップが求められるということは、注目すべき事実であります。他方では、人それぞれに考え方も環境も異なります。あらゆる場面を想定して、より広く社会から容認される倫理的価値を創造することが必要です。また、価値が多元的な現代社会の中では、それなしに、経営が永続的に存続・発展してゆくことは困難と考えます。

 

 失敗や挫折の多くは、社会的に全体的な配慮を欠いた結果といえましょう。また組織内に倫理感を浸透させる事によって経営者自身の揺るぎない理念の心髄を持続させる事ができるのです。加えてコミュニケーション能力により倫理を遵守した、責任ある言動により、自立した企業体へと導く事が重要です。

 

 社会全般にモラルを問い正す機運が高まる中、実践的な道筋の必要性を全ての人々に再考して戴きたいと願うものです。

 

 私達人間は、他者との協働や組織の成長とともに、やがては社会貢献に繋がる「恕」の生き方をしたいと考えます。

 

 そこで人間の持っている「智」で人間関係を築き、行動を起こすことは最重要項目であります。しかも、それらに纏わる手段には熟慮が必要です。「本当の教育とは、人を見てそれぞれに対して言う言葉が違って当然で、一律一体、同じことを言っていれば、むしろその方がおかしい」と述べられていますが、正にその通りと考えます。

 

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■■【心de経営】 渋沢栄一の論語とそろばんに学ぶ経営09 政を為すに徳を以てす 為政第2-1 17 22

2025-04-25 20:03:00 | 【心 de 経営】 藤原流

■■【心de経営】 渋沢栄一の論語とそろばんに学ぶ経営09 政を為すに徳を以てす 為政第2-1 17 22

 

 【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じた内容をお届けします。

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 平素、自社において、従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、ワーク・ライフ・バランスを重視した経営に心がけています。
 一方、自社における経験をもとに、経営コンサルタントとしての専門知識を活用しながら、客観的に現状を認識し、問題発見・解決策の提案や業務改善案、経営戦略への提言など、企業の様々な問題の共有を図りながらアドバイスをしています。

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 中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(治国平天下:国を治め天下を平和に保つ事)の方が主体でありますが、私の論語への想いは、論語は個人的規範が主体になっています。

 そのことから自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「起き上がりこぼし」と同意として行き抜いて人間の持っていた、自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

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■ 渋沢栄一の論語講義 : 為政第2-1 17

  政を為すに徳を以てす

 

【読み】

政(まつりごと)を為(な)すに徳を以てす

 子曰く、政を為すに徳を以てす。譬えば北辰(ほくしん)の其所(そのところ)に居(お)りて、衆星(しゅうせい)の之に共(むか)うが如(ごと)きなり。

 

■【口語訳】

 子曰く、政(まつりごと)を成すには徳を以てす、という言葉がある。これは、北極星がその位置を少しも変えず、周りのすべての星が、これを中心に目指しながら回転する様子を譬(たと)えたのである。

                参考文献 論語と渋沢栄一 プレジデント社

【コメント】

 「徳の深い政治を行うという事は、ちょうど北極星が天空の一点にいて、そのまわりを他の多くの星がまわっている様子に」譬えているのです。この様子はちょうど北極星がいつも同じ場所にいるのに対し、他の多くの星が北極星を中心に目指して回転運行している状況を指しています。

 言い換えますと「仁の心で恕の政治」を行えば、道徳性を持った信頼する政治ができないものかと考えたのです。徳を慕って集まってくるという北極星のような人物になりたいですし、目指したいと願います。

 民衆を愛する徳を兼ね備えたものが政治にあたるのであれば、天の無数の星を規則正しく運動させる北極星のように、徳を有すトップと無数の人民が最適な場所に布置されることによって国家安泰の政治が出来るというのが孔子の政治哲学であります。

 また孔子が理想とした政治のあり方とは有徳の君子が「仁・義・礼・智・信」の徳をもって率先垂範を旨とする政治をいい、人民に道徳や良心を自発的な社会秩序として生み出そうと尽力したのです。こうした考え方を企業・組織に置き換えて考えると同様の事がいえると思います。

 そこで人間としての歩む道を基軸に、コンサルタントとしてクライアント様の繁栄・成長のために何が必要なのかを常に価値を創出発信し、まわりの環境に変化を齎す様な動きが必要です。個を磨き組織を動かす精神の波動が今、求められているのです。

 

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■■【心de経営】 渋沢栄一の論語とそろばんに学ぶ経営10  吾は日に三たび吾が身を省みる 為政第2-11 27 23

2025-04-24 12:03:00 | 【心 de 経営】 藤原流

■■【心de経営】 渋沢栄一の論語とそろばんに学ぶ経営10  吾は日に三たび吾が身を省みる 為政第2-11 27 23

 【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じた内容をお届けします。

【筆者紹介】 特定非営利活動法人日本経営士協会元理事長 藤原 久子 氏

 北海道札幌市出身、平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し代表取締役として現在に至っています。
 平素、自社において、従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、ワーク・ライフ・バランスを重視した経営に心がけています。
 一方、自社における経験をもとに、経営コンサルタントとしての専門知識を活用しながら、客観的に現状を認識し、問題発見・解決策の提案や業務改善案、経営戦略への提言など、企業の様々な問題の共有を図りながらアドバイスをしています。

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 混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が愛読書の一つとなっています。

 中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(治国平天下:国を治め天下を平和に保つ事)の方が主体でありますが、私の論語への想いは、論語は個人的規範が主体になっています。

 そのことから自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「起き上がりこぼし」と同意として行き抜いて人間の持っていた、自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。

 その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

 

■ 渋沢栄一の論語講義 : 学而第1-4 4 

  吾は日に三たび吾が身を省みる

 

■【読み】 

 吾(われ)は日に三(み)たび吾(わ)が身(み)を省(かえり)みる

 曾子曰く、吾は日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀(はか)りて忠(ちゅう)ならざるか。朋友(ほうゆう)と交わりて信ならざるか。習わざるを伝うるか。

 

■【口語訳】 

曾子曰く、自分は毎日三度、自分のしたことを反省する。人の相談に乗ってあげて、十分誠意を尽くしたか。友人と話し合うとき、いい加減なことを言わなかったか。弟子たちに未熟な知識を教えなかつたか。

 

■【解説に出てくるキーワード】 

◇『雨夜譚』(うやものがたり)--- 渋沢栄一自伝 ---

激動の幕末維新を背景に渋沢栄一が疾風怒濤の青春を語った自伝。尊攘倒幕の志士、徳川家家臣、明治政府官僚、在野実業家と転身を重ねるが、いつでも現実主
義を貫いた生き方をしてきたことが綴られている。明治20年刊行。

◇「三省」(さんせい)

「日に三たび吾が身を省みる」。この言葉から「三省」という。渋沢栄一の『論語講義』では、三省、つまり「毎日三度、自分のした事を反省する」の意味を、
三度ではなく、しばしばの意なりと解釈している。

                参考文献 論語と渋沢栄一 プレジデント社

【コメント】

 曾子は、孔子の門人で、孔子より46歳年下で最年少の弟子でした。孔子から親しく教えを受けたのはわずか数年ですが、孔子を尊敬して忠実に仕え、後世に「孔子の道」を伝えた第一人者です。

 この省では、日々の社会生活の中で、自分の信念に忠実に人のために誠意を尽くし、真心を注いでいる自分でありましょうか。ここではいかに人を大切にしている自分であるかを特に省みている様に諭しています。人として正しい道を歩む為に反省は欠かせないということであります。

 次に友人との交わりに於いても信頼を得られる様に、言行一致に努めているでしょうか。

 また、自らの学びを実践する中で会得したものを他人に誠実に伝えているでしょうか。

 この三省の実践こそがいつの世も人道に繋がるのではないでしょうか。

 企業経営・組織運営をしている方達のみならず全ての目指す人間像になるためには、謙虚な気持ちで日常を省みることの重要性を改めて感じます。その上で多くの学びから人道を窮め、コンサルタントの視点でクライアント様をはじめ、関係者様への温かい支援が出来ます様にと研鑚を重ねる事の重要性を感じます。

 

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■■【心de経営】 渋沢栄一の論語とそろばんに学ぶ経営11  国を為むるには礼を以てす 先進第11-25 278 29

2025-04-23 20:03:00 | 【心 de 経営】 藤原流

■■【心de経営】 渋沢栄一の論語とそろばんに学ぶ経営11  国を為むるには礼を以てす 先進第11-25 278 29


 【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じた内容をお届けします。

【筆者紹介】 特定非営利活動法人日本経営士協会元理事長 藤原 久子 氏

 北海道札幌市出身、平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し代表取締役として現在に至っています。
 平素、自社において、従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、ワーク・ライフ・バランスを重視した経営に心がけています。
 一方、自社における経験をもとに、経営コンサルタントとしての専門知識を活用しながら、客観的に現状を認識し、問題発見・解決策の提案や業務改善案、経営戦略への提言など、企業の様々な問題の共有を図りながらアドバイスをしています。

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 混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が愛読書の一つとなっています。

 中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(治国平天下:国を治め天下を平和に保つ事)の方が主体でありますが、私の論語への想いは、論語は個人的規範が主体になっています。

 そのことから自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「起き上がりこぼし」と同意として行き抜いて人間の持っていた、自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。

 その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

■ 渋沢栄一の論語講義 29  先進第11-25 278 

 国を為むるには礼を以てす
 

■【読み】

 国(くに)を為(おさ)むるには礼(れい)を以(もっ)てす
 

■【口語訳】

 子路(しろ)、曾(そうせき)、冉有(ぜんゆう)、公西華(こうせいか)の4人が陪席していた。子曰く、今日は私が先生だからといって少しも遠慮しないで話をしてもらいたい。諸君は雑談のおりにいつも口癖のように、自分の才能を用いてくれる人がいないと言っているが、もし本当に登用される機会があったら、何をしたいと思うかね。子路(しろ)が口を開いた。戦車千乗を常備する一流国家で、強国の間に介在し、戦争で疲弊したあと、飢饉(ききん)があって困窮していたとします。私がその国の政治を任されたなら三年も経った頃には再び活気を取り戻し、その上、道義を尊重する国に育てあげてみたいと思います。
 国を治めるには礼譲の精神が不可欠だ。しかし子路(しろ)の言葉には譲り合いの精神が感じられない、だから私は笑ったのだ。冉有(ぜんゆう)もまた国の統治に志があるようだ。

              参考文献 論語と渋沢栄一 プレジデント社


■【コメント】

 自分を律して「礼」の原点に戻ることができるということは、人々が「仁の心」に立ち戻る瞬間でもありましょう。すべては自分次第で、決して他人を責めてはいけないと思います。

「礼に適わぬ時は見ない、聞かない、言わない、動かない」ことに徹し、他人に対する敬意をこころがけて行動すれば、まわりにいる人々と真心や思い遣りを互いに感じ取る事ができるようになります。

 人をつくり、組織を創ること、そこには夢の社会実現に向かう豊かな環境創りがあります。やがて礼を以て国を治めることに繋がります。

 企業経営、組織運営に於いても同様で、相手の立場に立って思い遣りの精神がとぎすまされてゆく事が必要です。私達は、謙虚に学び続けるこころと素直な気持ちが未来の成長を支えることを知っているはずです。

 さて、去る2月20日(土)に開催されました日本経営士協会の今井会長による講座では「信頼される経営士・コンサルタントのための成功への道・プロに求められる資質と能力」等々多義にわたりご教示賜りました。

 経営士・コンサルタントにとって必要不可欠な要項を心の底から伝授して下さったのですが、すべてが重厚でした。

 経営とは、夢の実現を通して社会貢献をすること、また経営コンサルタントの定義は、一定の事項について相談・助言・指導を行う専門家でありますが、クライアント様と共に考え、成長してゆくことで、経営者様に寄り添い気付きを覚えていただきながら、様々な事柄の変化を楽しみながら、心に響く経営の大切さをご指導賜る機会に恵まれたのです。

「コンサルタントのためのコンサルタント」と呼ばれて40余年のご経験とその歴史から生まれた魂の叫びは重厚で宝物として拝受できました。ひとつでも多くを、後世に繋ぐべき責任を感じております。また同時に、この教えを今後はプロの経営士・コンサルタントとして研鑚を重ねとぎすまされた形となって成長してゆくこと、それは社会貢献に繋がります。

 そして最後に経営士・コンサルタントがこれまで以上に求められている現代であることを感じ大きな希望を持つ事が出来たのです。礼を以て精進してゆく心の絆を深めて参りましょう。

 

 
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