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経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】7-04 泰山北斗 ニッチ市場で力を発揮 ~ ある分野で最も仰ぎ見られ、尊敬される人 ~

2025-05-17 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】7-04 泰山北斗        ニッチ市場で力を発揮 ~ ある分野で最も仰ぎ見られ、尊敬される人 ~       

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。
 
第7章 自育共育でプロフェッショナルに
 世の中の変化、とりわけICT(IT)分野では「秒進分歩」といわれるほど技術革新のスピードが速くなっています。ビジネスの世界では、時代の変化に取り残されることは、死を意味するほどで、ビジネス関係者は必死で努力をしています。
 自己研鑽という言葉がありますが、一人の力には限界があります。毎日どこかで開催されているといいましても過言ではないほど、セミナーが各処で開催されていますので、足繁く通っている人もいるでしょう。同じような志を持った仲間達が、例えば「朝会」と称して勉強しているところもあります。仲間とグループを作り、勉強会を開いているかもしれません。
 「共育」は「教育」の誤変換ではなく、「共に育み合う」時代になってきているのです。自育共育のあり方を四字熟語から感じ取っていきましょう。

■7-04 泰山北斗        ニッチ市場で力を発揮
     ~ ある分野で最も仰ぎ見られ、尊敬される人 ~



 泰山(たいざん)は、中国にある山ですが、Wikipediaでは下記のように記述されています。
 泰山は、中華人民共和国山東省泰安市にある山。高さは1,545m(最高峰は玉皇頂と呼ばれる)。
 封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山(=五岳)のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。 ユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録されている。
 泰山山頂までは現在、一般道が中腹まであり、またそこからはロープーウェイが走っており、容易に登れるようになっている。但し、泰山の標高は1500mに過ぎないが、山麓の地表の高度は0mに近いため麓から歩いて登るときには3時間は掛かるだろう。
 泰山は、北京からそう遠くないところに位置することもあり、行かれた方も多いのではないでしょうか。延々と続く石段の風景はテレビでもおなじみです。
 北斗は、北斗七星のことで、Wikipediaでは、下記のように紹介されています。
 北斗七星(ほくとしちせい Big Dipper)は、おおぐま座の腰から尻尾を構成する7つの明るい恒星で象られる星座のこと。北斗、北斗星、七つの星、七曜の星とも呼ばれる。柄杓の形をしているため、それを意味する「斗」の名が付けられている。日本では四三の星、七剣星とも呼ばれた。δ星メグレズ(3.3等)を除く6星は全て2等星であり、全天で60個しかない2等星の10分の1がここに集中していることになる。このため春の星空で目立ちやすく、世界各地で様々な星座神話が作られている。
 泰山も北斗もいずれも天高くに位置する仰ぎ見る存在です。このことから「泰山北斗(たいざんほくと)」とは、「ある分野で最も仰ぎ見られ、尊敬される人」のことを言います。
 経営コンサルタントというのは、日本では2万人とも6万人いるとも言われています。アメリカなどに比べると数は少ないのですが、需要面で考えますと、クライアントを見つけ、仕事にありつくことは結構大変です。経営コンサルタントの半数以上が年収1,000万円に届かないという厳しい業界です。
 かつては、経営コンサルタントは「ゼネラル・コンサルタント」たるべきと言われて来ました。中小企業の経営は、規模は小さくても、経営の全部門にまたがるため、大企業と何ら変わりありません。企業の全般についてエキスパートでなければ経営コンサルタントは務まらないと考えられていました。その結果、デパート的に、どのような仕事でもこなせないと仕事にありつけなかったのです。
 しかるに、現代では経営環境が技術革新などと共に変化し、時間的なファクターが重要になって来ています。そのために、中小企業といえどもそれぞれの分野で専門的な知識や経験がないと企業経営をやって行けなくなっています。その環境下で、経営コンサルタントも生半可な知識や技法だけは、その役割が務まらなくなってきました。
 すなわち、現代のコンサルティングは専門家集団による対応が中小企業でも求められてきたのです。経営コンサルタントとして、生き残って行く為には「専門性」を高める必要がります。専門分野を何処にするかは、切り口をどのように持つかで色々な専門分野の設定ができます。
 切り口次第で、他の経営コンサルタントとの差異化(差別化)を図ることができ、その結果、仕事が先方から飛び込んでくるようになれば素晴らしいですね。
 企業経営も自社の特質を明確にしないとユーザーニーズにマッチしなくなります。中小企業の戦略は間口を拡げすぎてもいけません。戦略の一環としてニッチ市場を模索する場合、どのような切り口でニッチを見つけるか、自社が持つコアコンピタンス(自社の強み)やコンピテンシー(強みの蓄積活用)の活かし方を見つけることがポイントです。
 何処にニッチ市場があるのかを見つけるのは、ただ漠然と考えていては見つかりません。ニッチ市場を見つけるのはある面では「ひらめき」が重要です。ひらめきは、いつの間にか自然と発生するのではないのです。平素の努力の継続と蓄積が必要です。
 例えば、市場や製品を色々な角度からセグメントして分解したり、異なったセグメント同士を逆に結合したりと、平素からの思考が重要です。この手法に慣れないうちは「オズボーンの発想法」を利用すると次第にセグメント化思考ができるようになります。
「オズボーンのチェックリスト法」とも言われ、もともとは商品の改良を検討するときのヒントを九つの切り口から検討しようというものです。例えば、Aと言う商品・サービスのライフサイクルを延ばすために、改良を加えようと試みるとします。Aを他の用途に転用したり、現機能を他に応用できないかという視点で検討したりします。あるいは仕様を変更したり、大きさを大きくするとか、逆に小さくしたらどうだろうか、というように進めたりします。他の部品を代用したり、部品の位置を変えたり、向きを逆転させたり、他と結合してしまったりしてはどうか、というように思考を進めるのです。
 思考の積み重ねの中から湯川秀樹博士のノーベル賞受賞のようなひらめきが生まれるのです。

オズボーンのチェックリスト法


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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】7-03 博引旁証 フィリップ・コトラーの功績 ~ 多くの事例を紹介し、証拠を示して説明する ~

2025-05-10 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】7-03 博引旁証    フィリップ・コトラーの功績 ~ 多くの事例を紹介し、証拠を示して説明する ~       

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。
 
第7章 自育共育でプロフェッショナルに
 世の中の変化、とりわけICT(IT)分野では「秒進分歩」といわれるほど技術革新のスピードが速くなっています。ビジネスの世界では、時代の変化に取り残されることは、死を意味するほどで、ビジネス関係者は必死で努力をしています。
 自己研鑽という言葉がありますが、一人の力には限界があります。毎日どこかで開催されているといいましても過言ではないほど、セミナーが各処で開催されていますので、足繁く通っている人もいるでしょう。同じような志を持った仲間達が、例えば「朝会」と称して勉強しているところもあります。仲間とグループを作り、勉強会を開いているかもしれません。
 「共育」は「教育」の誤変換ではなく、「共に育み合う」時代になってきているのです。自育共育のあり方を四字熟語から感じ取っていきましょう。

■7-03 博引旁証    フィリップ・コトラーの功績
     ~ 多くの事例を紹介し、証拠を示して説明する ~



「博引」は、「ひろく例を引用すること(広辞苑)」という意味で、「旁証」は「傍証」に同じで「証拠となるべき傍系の資料。間接の証拠。(広辞苑)」です。このことから「博引旁証(はくいんぼうしょう)」とは、「広範囲に多くの例を引き、証拠を示して説明すること(広辞苑)」という意味となります。
 例えば、テレビに出て来る解説者とか評論家という方々は、ご自身の専門分野のことを中心に調査をしているだけではなく、熟知した内容を素人にもわかりやすく解説してくれます。
 マーケティングをかじったことがある人は、フィリップ・コトラー(Philip Kotler、1931年 - )をご存知でしょう。アメリカの経営学者で、現在は、ノースウェスタン大学ケロッグ・スクールで教授を歴任したりしていて、現代マーケティングの第一人者の一人です。
 コトラーは、自分独自の学説・理論はもちろん持っていますが、それにも増してむしろこれまでいろいろな学者や実務者のマーケティング理論を体系化したという点で、その功績の大きさが高く評価されています。コトラーこそは、博引旁証という言葉にふさわしい人のひとりであるといえます。
 広く書物を読んだり、物事を見聞したりして、広い知識を持つことは、企業経営でも、経営コンサルタント業でも不可欠です。ところが、それを取り違えて、経営者との知識や情報の格差を利用して、偉そうに、得々として“教えてやる”という態度のコンサルタントを時々見受けます。経営コンサルタントの仕事というのは、「書物などから多くの例を集め、証拠としてあげながら説明する」ということが「博引旁証」だと思い込んでいるとしたら、大きな過ちと考えます。
 日本を代表するような商工業団体や業界の組合、あるいは大手社員研修企業などから講師依頼を受けますと、必ずと言っても過言ではないほど、「成功事例をたくさん紹介してください」というリクエストを受けます。
 そのリクエストは、聴講者であります、経営者から出ていると思われます。経営者は、ライバル企業が自社とは異なることをやっていますと、それをまねすれば自分の会社も良くなると考えている人がいます。それでは自社の特質を活かすことにはなりません。企業は各々異なった体験や土壌を持っています。他の成功事例をそのまま導入しても、自社の体質に合うかどうかわかりません。すなわち他社では成功しても自社でも成功するという保証はないのです。むしろ、条件が異なりますので、そのままの導入は失敗する可能性があるのです。
「百聞は一見にしかず」といいますので、成功事例を知ることはそれなりのヒントとなるでしょう。しかし、それを自社の状況に合わせて、工夫を凝らすことは簡単ではありません。むしろ、成功事例に引っ張られて、自社には合わないやり方を導入してしまって、消化不良を起こしてしまう失敗事例を多数見てきています。
 何ごとにも「ノウハウ」があると考えた方がよろしいでしょう。そのノウハウを見出すには相当なるエネルギーが必要です。多忙な経営者が、そのことばかりを考えている訳には行きません。「餅は餅屋」その道のプロにお願いするのも一つの方法でしょう。経営者が、腹をくくって、社内に特別なプロジェクト・チームを作って、その課題に取り組ませるなど、何らかの形で本腰を入れないと成功しないと言えます。
 博引旁証と言うことは、使い方を間違えると必ずしも良い結果を生み出すわけではないことも知っておくべきでしょう。
 朱子は「先知後行学」の中で「先ず知識を蓄え、それを基にして行動を起こすべきである」と説いています。何か問題に遭遇しても、知識を持たないよりは、知識を持っていれば、一般的には好ましい判断ができることを推測できます。
 それに対して、王陽明は陽明学の一環として「伝習録」の中で「知行合一(ちこうごういつ)」を説いています。知識と実践は同一でなければならないという考え方です。
 知識と行動がバラバラの例として「言行不一致」ということが挙げられます。いくら良いことを言っていても、自分自身はそれを実践できていなければ、折角良いことを伝えようとしても、聞く側は、聴く耳を持ちません。
 例えば、経営者・管理職が部下を叱咤激励しても、自分は海外でギャンブルにうつつを抜かしていては、社員のモラールは上がりません。
 同じことは、私の職業である経営コンサルタント業においてもいえます。5S運動を実践し、整理整頓をいくら主張しても、経営コンサルタント自身が自分の整理整頓ができていなければ、折角の5S運動も成功しないでしょう。
 経済のグローバル化が進むにつれて、大企業から始まったISO導入は、その大企業との取引上、中小企業でもISO取得が義務づけられたかのような状態になってきます。ところが多くの中小企業では、準備や推進法、持続等に戸惑いをもっての対応となり、なかなか定着できません。
 ところが中小企業でも製造業は3Sや5Sといった整理、整頓、清掃、清潔、躾が徹底されている企業が多く、その様な企業はISOの導入もスムーズにいくところが多いようです。
 5SもISOも、企業の理想像を宣言し、それに近づけ、持続することがポイントです。始めは「先知後行」であっても、理想像に近づこうと努力をしてゆけば、「知行合一」の状態になってきます。結果として企業経営は従来より一層レベルが高まってくることを体験してきています。その過程においては経営者・管理職や社員との双方向コミュニケーションが行われないで、一方通行なコミュニケーションだけでは企業は良くなりません。
 同様に机上の空論的な知識や理論だけでは結果に結びつかず、口先で言うだけではなく、行動することが重要なのです。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】7-02 鶏口牛後 先手必勝か、二番手商法か ~ 大きな組織のしっぽより、小さくても頭を選ぶ ~

2025-05-03 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】7-02 鶏口牛後    先手必勝か、二番手商法か ~ 大きな組織のしっぽより、小さくても頭を選ぶ ~       

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。
 
第7章 自育共育でプロフェッショナルに
 世の中の変化、とりわけICT(IT)分野では「秒進分歩」といわれるほど技術革新のスピードが速くなっています。ビジネスの世界では、時代の変化に取り残されることは、死を意味するほどで、ビジネス関係者は必死で努力をしています。
 自己研鑽という言葉がありますが、一人の力には限界があります。毎日どこかで開催されているといいましても過言ではないほど、セミナーが各処で開催されていますので、足繁く通っている人もいるでしょう。同じような志を持った仲間達が、例えば「朝会」と称して勉強しているところもあります。仲間とグループを作り、勉強会を開いているかもしれません。
 「共育」は「教育」の誤変換ではなく、「共に育み合う」時代になってきているのです。自育共育のあり方を四字熟語から感じ取っていきましょう。

■7-02 鶏口牛後    先手必勝か、二番手商法か
     ~ 大きな組織のしっぽより、小さくても頭を選ぶ ~


「鶏口牛後(けいこうぎゅうご)」という四字熟語は、「むしろ鶏口となるも牛後となる勿(なか)れ」と訓読みされます。「鶏口」とは、文字通り「鶏の口」のことです。このことから、「小さな団体のかしらのたとえ(三省堂国語辞典第七版)」という意味でも使われます。「牛後」は、「牛のしりえ」、すなわち牛の最後尾についているしっぽのことです。「鶏口」の対語として「強大なものの後について使われる者のたとえ(広辞苑第六版)」という意味を持ちます。
 すなわち「鶏口牛後」は、牛の尾、すなわち強大なものの後について使われる者になるより、鶏のくちばし、すなわち小さな団体のかしらになる道を選べという教えです。このことから「鶏口」が「鶏頭」に、「牛後」が「牛尾」に誤用され「鶏頭牛尾(けいとうぎゅうび)」という誤用が定着してきている傾向もあります。
 誤用と言うよりは、中国から口伝されたために、その意味が中心となって日本に伝えられたこともあり、「鶏頭牛尾」という形で日本で使われるようになったのかもしれません。時々「鶏口牛尾」とか「鶏頭牛後」というような形で、クロスしてしまった表記を見ることがありますが、これらは誤用といっても過言ではないでしょう。
「鶏口牛後」の出典は、中国の戦国時代を記した史記の中に出てきます蘇秦伝です。その中に既述されています洛陽にある遊説家の一人、蘇秦の言葉に基づいています。戦国時代ですので、「群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)」している中で、当時の大国でありました秦と燕・韓・魏・斉・楚・趙という六つの小国が覇権争いをしていました。
「群雄」は、実力者が群れをなすことで、「割拠」は、拠点を分割することです。すなわち、「群雄割拠」とは、たくさんの英雄や豪族、実力者が各地でにらみ合い、抗立する様子を言います。
 蘇秦は、平和を確立するために大国秦に行き、六国と和解するように説得しましたが受け入れられませんでした。そこで蘇秦は、燕に赴き、「六国従合(りっこくしょうごう}」、すなわち六国が一つにまとまれば、大国秦に負けない国になると説得を始めました。
 その時に「寧為鶏口、無為牛後」と言って、秦に吸収されるのと(牛後になる)、小国なりにリーダーシップを発揮して先頭を切るのとどちらが良いのかと問い詰めたそうです。このときの言葉から「鶏口牛後」という四字熟語が生まれたのですS。
「鶏口牛後」という言葉は、私が十三歳になったときに、母から教えられました。これが、わたくしの生き方に大変大きな影響を与えることになったように思えます。まず、大学受験の折に、受験指導の先生から進められた日本を代表する国立大学への進学をやめ、その下のランクと当時目されていた大学に進学しました。アメリカで勉強する機会が与えられたときも、ビジネスパーソンなら誰もが憧れるビジネススクール(大学院)ではなく、日本ではあまり知られていないところで勉強しました。
 当時、「経営の神様」という人ががトップにいて日本を代表する企業が、「まねした電器」と揶揄される時代でした。二番手商法で、顧客志向をじっくりと研究してから新製品を発表するという慎重なやり方をしていました。私は、その商法を、人々がなぜ見下すような言い方をするのか解りませんでしたが、最先端を切り拓く、すなわち鶏口になることに血眼になるよりは、成功確率が高い二番手商法と揶揄されるやり方を好みました。
 就職するときも、当時学生のあこがれでした商社を選ぶことは諦めませんで、三井・三菱・住友というような財閥系の商社ではなく、人気はそれほど高くない商社に入社しました。私は、まだ誕生間もないマーケティングをアメリカで学んでいました。日本では、あまり見向きもされない分野でしたので、毛色の変わった知識を持ち合わせていることになります。現代で言いますと「差異化(差別化)」ができていたと言えます。
 入社して、一年強で、アメリカ駐在所長を命じられました。当時、一ドルが三百六十円の時代でしたが、一年あまりしかビジネス経験のない若造に対しては、無謀とも言える人選のように思いました。もし、私が「鶏口牛後」という母の教えを無視して、超一流企業に入社していましたら、ドングリの背比べの中、このような幸運な機会は巡ってこなかったでしょう。
 十年のサラリーマン生活で、自分の生き方に進路変更をすることにしました。当時、経営コンサルタントという職業は、知名度も低く、そちらに職種転換をしようとした時に、周囲の人から強く反対されました。当時、中小企業診断士は、試験もやさしく、資格としてはあまり魅力を感じませんでした。知名度としては二番手でしたが、難関と言われる、日本で最初に誕生した「経営士」という経営コンサルタント資格に挑戦しました。資格試験の受験では、当時某一流大学のマーケティングの教授とトップ争いをすることになりました。残念ながらトップ合格には至りませんでしたが、経営コンサルタントとして、新しい人生を送り始めました。
 昨今でも、経営コンサルタント資格として、経営士の知名度は、中小企業診断士には及びませんが、中小企業診断士が「中小企業」という冠を付けているのにために、大企業からは敬遠されがちな中、経営士という資格から、中小企業から大企業まで幅広くクライアントを持ち、仕事をすることができました。中小企業診断士は、資格保有者が多数いる中(鶏口)、経営士は、厳選されたコンサルタントの先生の集まりですので、ちょっとしたことでも目立つことになりました。その結果、多くのベテランの先生を差し置き、この団体の理事長に推挙されることになりました。お陰さまで、若手経営コンサルタントの育成という、私のライフワークを見出すことになり、今日に至っています。
「鶏口牛後」、私の人生は悪くなかったと言えます。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】■7-01 自育共育 仲間と共に自己研鑽 ~ 自己研鑽で成長するだけではなく、仲間と共に育つ ~

2025-04-26 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】■7-01 自育共育    仲間と共に自己研鑽 ~ 自己研鑽で成長するだけではなく、仲間と共に育つ ~     


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第7章 自育共育でプロフェッショナルに
 世の中の変化、とりわけICT(IT)分野では「秒進分歩」といわれるほど技術革新のスピードが速くなっています。ビジネスの世界では、時代の変化に取り残されることは、死を意味するほどで、ビジネス関係者は必死で努力をしています。
 自己研鑽という言葉がありますが、一人の力には限界があります。毎日どこかで開催されているといいましても過言ではないほど、セミナーが各処で開催されていますので、足繁く通っている人もいるでしょう。同じような志を持った仲間達が、例えば「朝会」と称して勉強しているところもあります。仲間とグループを作り、勉強会を開いているかもしれません。
 「共育」は「教育」の誤変換ではなく、「共に育み合う」時代になってきているのです。自育共育のあり方を四字熟語から感じ取っていきましょう。

■7-01 自育共育    仲間と共に自己研鑽
~ 自己研鑽で成長するだけではなく、仲間と共に育つ ~

 中国西晋の文学者である左思(さし、生没年不明、一説に252年 - 307年頃<Wikipedia>)の作品に「三都の賦」という書物があります。「賦(ふ)」とは「土地または人口に割りあてたみつぎもの。租税。年貢<広辞苑>」という意味で、「三都賦」は三国時代の社会生活を幅広く紹介した本です。当時の皇帝から庶民まで、それだけではなく後世にも、その内容である、国の統一などの問題等に言及したこともあり、評判となりました。
 因みに「好評嘖嘖(こうひょうさくさく)」という「評判が非常に良い」という意味でも散られる四字熟語があります。「嘖嘖」は「人が口々に噂する」という意味です。
 三国志で有名な三国時代は、中国の魏、蜀、呉の三国が鼎立した222年から263年を刺すことが多いですが、中国の時代区分としては、黄巾の乱の蜂起(184年)による漢朝の動揺から、西晋による中国再統一(280年)までを指すようです。(【Wikipedia】)このことから「三者鼎立(さんしゃていりつ)」という四字熟語があります。「三人の人や二二や組織などの勢力が三つどもえ」である状態を指します。「鼎」は、祭祀などに用いられる三本脚の器を指し、三本脚がバランス良いことからこの四字熟語が生まれたようです。
「三都賦」の話を戻しますが、その序文に、当時著名であった皇甫謐が書いたり、張載が注釈を加えたりしたこともあり、こぞってこの書物を読みました。貴族や富豪が争ってこの作品を模写したことから洛陽に紙品不足問題が発生し、値段も高騰しました。このことから「洛陽の紙、価をたからしむ」ということが言われ、「洛陽紙価(らくようのしか)」という言葉が生まれました。
 すなわち、「洛陽紙価」というのは「著作物が人気を博し、盛んに読まれること」という意味です。すなわちベストセラーと言えます。
 昨今、出版不況と言うことがしばしば言われますが、書籍に対する需要減退がその原因であると言われています。ところが、タブレット型電子端末機器の普及とともに、電子書籍の流通が増え、実際には需要は減退しているどころか、増えていると思います。いわゆる「紙媒体」に「印刷」された書籍が売れないということでしょう。
 その一因は、電子書籍化という時代の流れですが、書籍出版業界の閉鎖性に起因している部分が大きいようです。自分達の権益を侵されないように大手出版社や印刷会社が力にモノを言わせた横暴さがあると聞いています。
「自育共育(じいくきょういく)」の「自育」は、「自分を育む」ということで「自己研鑽(じこけんさん)」という意味です。「研鑽」というのは「学問などを深くきわめること。研究(広辞苑第六版)」ということで、個人の努力で学問などを深く極めることです。
「共育」というのは、あまり使われない言葉ですが、訓読みしますと「共に育つ」という意味で、「共生」などと多少通じる意味合いを持っています。すなわち、「自育共育」というのは「個人で努力して成長するだけではなく、仲間と共に育つ」という意味の四字熟語です。
 私たちが、「自己研鑽」をする時に、印刷された物であり、電子媒体であれ、書物と言われるものだけではなく、いろいろな情報が不可欠です。これらを基に自分自身を充電することにより、知識も豊富になり、人間性も豊になる物です。とりわけ洛陽紙価、すなわちベストセラーと呼ばれる、書店店頭に平積みされている本というのは、多くの人が読んで、考えている訳ですから、書いている人の意図だけではなく、読者がどの様な思いで読んでいるのかを推測することも必要です。各地で読書会というグループ活動がありますが、指定された本を参加者が読んだ上で出席し、意見や情報交換をしたり、異なった見方やとらえ方を語り合ったりして、理解を深め、記憶を定かなモノしています。
 一日は二十四時間しかありません。残念ながら、一人の人間では習得できる物も限界があります。睡眠時間を削るという安易な方法もありますが、その悪影響も懸念されます。限られた時間内に、たくさんの知識や智慧を蓄え、養うためには、質を高めることです。
 その方法の一つが、他人の力を借りることです。その一つとして、私は、永年セミナーと言われるような勉強会にしばしば足を運にできました。セミナーは、講師が長い時間をかけて知識や情報を収集し、整理し、わかりやすいようにまとめて受講者に提供してくれるのです。受講者は、短時間に、凝集された知識や情報を入手できます。私は、同じ人のセミナーを複数回受講することがあります。例えテーマが同じであっても、話を聞く度に、新しい発見があります。前回理解できなかったことでも二回目には理解できたり、理解度が高まったりすることがあるのです。自分と異なる考えであっても、いろいろな意見や考え方があるということを散るだけでも大いなる学びの一つといえます。
 私が所属しています組織では、「知修塾」と称する勉強会があります。そこでは、上述の読書会の変形といってよいのでしょうか、定められた書籍をもとに塾員がそれを深く理解してから参加します。当番の塾員が、パワーポイントを使って、研究成果を発表します。他の塾員は、それを基に理解度を深めると共に、解釈が異なったり、重要度のウェイト付けが違っていたりした場合に、後で討議をします。経営コンサルタントの勉強会である知修塾では、単に「知識を修める」だけではなく、発表の場で講師力養成の体験ができます。また、討論を通じて、人を納得させる話術を学ぶこともできます。ベテランのコンサルタントもいれば、これから経営コンサルタント資格を取ろうという人もいます。さながら塾長を中心にした松下村塾です。
 松下村塾といいますと、幕末の時代変革時の独特なやり方をする教育者でした。幕末には必ず登場するします高杉晋作や久坂玄瑞、明治時代を率いる伊藤博文やなどを育てて来ましたので、知らない人がいないほどの人物です。
 松蔭は後の世に残るいろいろな言葉を発してきましたが、なかでも「草莽崛起」(そうもうくっき)」は、代表的なひとつと考えます。「草莽(そうもう)」というのは、「名もない雑草のような在野の人」を指します。「崛起(くっき)」は、「山などの高くそびえ立つこと。にわかに起こり立つこと(広辞苑第六版)」という意味です。すなわち、このことから「草莽崛起」というのは「在野の志士よ、一斉に立ち上がれ」という意味で、列強各国の外圧に対する攘夷を掲げる強烈な檄です。
 自分が国のために何ができるのかを考えさせるという考えを強く訴えてきました。それは、故ケネディー大統領の就任演説の一端に通じるものを私は感じ取ります。一人ではできないことも、同じ志を持った人達が団結をすると大きな力を発揮します。群衆に埋もれることなく、きらりと光る人達を育てて来たところに松蔭の存在価値があるのでしょう。
 松蔭の教えの中で、自己流に解釈しますと「志を立てよ。自分よりもすぐれた人と交われ。書物を読んで勉強しろ」ということを、二年余に短い松下村塾の教えとしてきたと言えます。その教育法は、ユニークで、十代半ばの少年を相手に激論を交わすなど、「熱く燃えるが、人間味のある人」という印象を受ける人だと考えています。そこに「自育共育」の魂を見る気がします。
【 注 】下記URLにて紹介されています。
  「三都賦」http://japanese.cri.cn/chinaabc/chapter16/chapter160411.htm
  「吉田松陰」http://www.yoshida-shoin.com/torajirou/soumoukukki.html
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-09 堅白同異 多元論的発想でトラブル回避 ~ 二つのことが同時に成立することはない?

2025-04-19 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-09 堅白同異    多元論的発想でトラブル回避 ~ 二つのことが同時に成立することはない?   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-09 堅白同異    多元論的発想でトラブル回避
    ~ 二つのことが同時に成立することはない? ~


 部下を叱るときには「ピグマリオン効果」を使うと成功することが多いです。「ピグマリオン効果」というのは、教育心理学における心理的行動の1つです。教師が期待すると生徒はそれに応えようと努力し、その結果教育効果が上がるというのです。
「君は、このようなミスをするような人ではないはずです。君らしくないですね」と相手への期待や信頼が伝わるように、誠意を込めて話します。人間というのは、期待されるとその期待通りに成長しようとするという、「ピグマリオン効果」を上手に使いましょう。ただし、相手によっては、「何を偉そうに」という反発があるかもしれませんので、本当に期待している相手に限定して、私は使うようにしています。
 十分信頼しきれない部下の場合には、自分が冷静になって相手を納得させるようにすることが必要です。理屈や権力で相手をねじ伏せては、説得はできても、相手の納得は得られないでしょう。
 一方、最近は「モンスターペアレント」などと言われる理不尽な要求をする人が増えてきています。
 こじつけや詭弁のたとえとして「堅白同異(けんぱくどうい)」という四字熟語があります。中国の戦国時代の趙の国にいた公孫竜が「堅白同異之論」というのがあります。堅くて白い石を目で見れば白いことは解りますが、堅いかどうかは解りません。手で触ると堅いと言うことはわかりますが、それが白か他の色香までは解りません。このことから、「堅いことと白いことは同時には成立することはない」というこじつけをいうことを「堅白同異」と言います。詭弁を弄するという意味では「三百代言(さんびゃくだいげん)」もあります。「詭弁を弄する人」という意味ですが、「三百文というわずかなお金で、悪人の代言をする」とうことからもともとは弁護士を罵倒するときに用いる表現でした。
「小人閑居(しょうじんかんきょ)」は、大悪人ではありませんが、「小人」すなわち「得のない人」、「器量の小さい人」は悪いことをするということから「小人物は、暇があると良くないことを考える」という意味です。「小人」は、多くの場合「小心翼翼(しょうしんよくよく)」であることが多いです。「翼翼」は「恭しく、慎み深い」ことをいい、本来は「慎み深い」ことを指しました。昨今では「気が小さく、びくびくしている」様子をいいます。


 真実に反したことでも、自分の都合の良いように解釈し、強引な理屈をこじつけることを、別の類似四字熟語で「牽強付会(けんきょうふかい)」といいます。「牽強」は強引なこじつけという意味ですし、「付会」も同じような意味です。夏目漱石の名前の由来でもあります「漱石枕流(そうせきちんりゅ)」も同じような意味です。「石に漱(くちすす)ぎ流れに枕す」と訓読みできます。
 広辞苑第六版では、晋書(孫楚伝)として、晋の孫楚が、「石に枕し流れに漱ぐ」と言うべきところを、「石に漱ぎ流れに枕す」と言い誤り、「石に漱ぐ」とは歯を磨くこと、「流れに枕す」とは耳を洗うことと強弁した故事から)こじつけて言いのがれること。まけおしみの強いこととあります。
 意見が合わない場合の多くが価値観の違いがあり、必ずしも「話せばわかる」とは限らないことがあります。対立している相手とは、価値観の共有はなく発想は異なり主張が通らないことが多いです。
 価値観が異なる場合には、自分もそれをわきまえた上で、「相手の言い分もわかる」という点を探れば、相手の理解を得られる可能性が高まります。「私はあなたの言うようには考えませんが、あなたのような考え方も理解できます」というように持って行きますと、相手もこちらの言うことを受け入れられないまでも、価値観とか文化の違いとかを理解し、敵対的な感情のもつれを回避することができるでしょう。
 養老孟司著の「バカの壁」という書籍の中で「話せばわかると思ってはダメ、人と人の間には高く分厚い理解力の壁や思い込みの壁がある」と言っています。「真理は一つ」ではなく、いろいろな発想があってしかるべきという、多元論的な発想が重要と考えます。それにより相手を尊重し、合意点を見出す努力を続けるべきでしょう。
 私事になりますが、私は喘息を永年患っています。たばこの煙や仏壇の線香の煙ですら、喘息の発作を起こしてしまいます。ある日、道を歩いていますと、前方からたばこを吸いながらアラフォーの男性が歩いてきました。
「なぜ、俺の顔をジッとみるんだ」
「・・・・・」
「なぜ、俺を睨むのかって言ってんだヨ」
「睨まれているように感ずるのは、あなたが何かやましいことをしているからではありませんか」
「なにを~」
「・・・・・」
―― 条例で歩行喫煙を禁じられていることを知っていながら、照れ隠しですごんでいるようでした。
「私は、あなたを睨んでいたのではなく、あなたがはき出した煙の行方を追っていたのです」
「何で、そんなことをするんだ」
「日本だけで、喘息で二千人以上の人が亡くなっています。多い時には五千人を超えています。たばこをお吸いの方は、嗜好品として愛煙権を振りかざしていればよろしいのかもしれませんが、私はその煙で命を落とすかもしれません。煙の流れる方角を見定めて、歩く経路を模索していたのです。もし、あなたを睨んでいるようにお感じになったのでしたら謝ります」
「わかりゃ、いいんだ」
「ご理解くださり、御協力くださると、同じように睨んでいるような誤解をされて不快な思いをさせることがなくなります」
「解ったよ」
 納得は、相手が気づくといとも簡単にしてもらえます。しかし、気づきがありませんと、益々こじれてしまいます。上述の会話例では「愛煙権を振りかざして」という挑発的なことを言っていながら「五千人の死」というような厳しい事実を突きつけられ、その後で「謝ります」と下出に出た、その落差と、こちらが堂々と持論をぶつけたことにより、次第に気持ちが落ち着いてきたのでしょう。喘息患者というのは、常に死と向き併せにいるのだという事実を知り、歩行喫煙は条例違反で制裁金も科されるという事実を思い出された、問題の本質を理解できたことにより、納得したのでしょう。 
 ビジネスでは、利害が絡むことが多く、難しい面も多いのですが、原点回帰を心がけてみてはどうでしょうか。何ごとにおきましても、実行する目的があるはずです。その目的は、さらに上位概念、例えば経営理念などに基づいているかどうか、という観点で話を進めます。その結果、相手は「なるほど、部長のおっしゃるとおりですね」と自分の非を認めることになるでしょう。
 世の中、いつ、何が起こるか解りません。人は見かけによらず、何かすぐれている面を持っていることもあります。それが開花して立場が逆転することもあるでしょう。自分が、失敗して「冠履倒易」が怒ることもあります。私は、相手が年齢や地位の上下に関係なく、「さん」づけで相手を呼ぶようにしています。「さん」づけをすることにより、自分自身に、相手を尊重するように注意を促すことに繋がるのです。平素の接し方において、配慮をすることにより、相手を尊重することに繋がるように思えます。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-08 冠履倒易 立場逆転はいつ起こるか解らない ~ 立場や価値が逆転する

2025-04-12 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-08 冠履倒易    立場逆転はいつ起こるか解らない ~ 立場や価値が逆転する        


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-08 冠履倒易    立場逆転はいつ起こるか解らない
    ~ 立場や価値が逆転する ~


 日本型企業の特徴として「終身雇用(しゅうしんこよう)」という形がありました。「就職ではなく就社」というのが常識で、「転職するのはガマンがたりない」とか「転職で履歴書を汚すな」などということが言われて来ました。近年、労働力の流動化現象が一般的にありますと、むしろ転職して一歩上のポストに就く「キャリアアップ」という思想が一般的になってきました。
 このような時代になりますと、しばしば遭遇するのが後漢書に出てきます「冠履倒易(かんりとうえき)」です。「冠」は文字通り冠のことで、「履」は、音読みで靴などを「はく」という意味です。「倒」は「倒れる」という意味から、ここでは「逆さまになる」という意味で用いられています。「易」は、「入れ替わる」という意味ですので、「冠履倒易」というのは、頭にかぶるべき冠を足に着け、足に履くべき靴を頭にかぶって、逆さまに入れ替わることを指します。
 このことから「人の地位や立場の上下が入れ替わる」、また転じて、「物事の価値が上下逆さまで秩序が乱れる」ことを指します。「冠履転倒(かんりてんとう)」「主客転倒(しゅかくてんとう)」とも表現され、またニュアンスは異なりますが、関連する言葉に「本末転倒(ほんまつてんとう)」があります。前項いずれも「転」は「顛」と書くこともあります。
 若い人が、自分より年齢の上に立って、人を雇ったり、使ったりする光景は、珍しくなくなりました。上に立つ若い人は、冠履倒易を気にせず、自分が人を使う身ですので、上司として振る舞いますが、使われる年齢の上の人の心境は必ずしも穏やかではありません。それを意識せず、上から目線でばかりに見たり、言ったりしていては、本当の意味での信頼関係は築けないでしょう。
 そればかりではなく「因果応報(いんがおうほう)」という言葉もあります。上から目線でのみ相手を見ていますと、「江戸の仇を長崎で討つ」とう言葉がありますように、何処でしっぺ返しを受けるか解りません。
「因」は「因縁」とうことから「原因」という意味です。「果」は「果報」、訓読みしますと「報いを果たす」となり、原因によって生じた結果や報いがあることです。このことから「良いことをすれば良い報いがあり、悪いことをすれば悪い報いがある(新明解四字熟語辞典)」ということになります。もともとは仏教用語で「過去における善悪の業(ごう)に応じて現在における幸不幸の果報を生じ、現在の業に応じて未来の果報を生ずること(広辞苑第六版)」で前世の行いに応じて、因果があるという意味になります。
 行為の善悪に応じて、その報いがあるというのがもとの意味ですが、昨今では悪いニュアンスで、「悪行を行いますと、その罰を受ける」という意味で用いられることが多いようです。類義語として「悪因悪果(あくいんあっか)」「善因善果(ぜんいんぜんか)」という表現があります。「悪因悪果」は悪業には、必ず悪い報いがあるということで、「善因善果」は、よい行いをしていれば、いずれよいことが起こるという意味になります。
 話を「冠履倒易」に戻したいと思います。自分より、若い上司に仕えるときの心得も見て行きましょう。まず、重要なことは、自分自身を納得させることです。知識としては、「若いとはいえ、上司は上司である」ということは当然持っています。「組織で動く」ということを自分自身が心から、それが正しいことであると信ずることです。これを実践することは容易ではないですが、現実を直視していくうちに自然と受け入れられるようになると信ずることです。
 例え若いとは言え上司ですので、相手の顔を立てて、力を「お借りする」という気持ちを忘れず、自分の言葉遣いから配慮してゆきましょう。話を切り出すときに「お願いしたいことがあるのですが」というように始めます。当然、若い上司は、自分の気持ちをくすぐられます。こちらは、それにより「相手は上司」ということを自分自身に意識付けさせることになります。
「実は、先方が値引き攻勢を緩めてくれませんので、部長にマークアップ率をご検討頂き、できれば一緒に先方を訪問してくださいませんでしょうか」という質問をする形で投げかます。勘の良い上司であれば、「自分が同行するから、値引きも自分の権限でしてやれる」ということで、自分の株が上がると計算するかもしれません。
 当然のことながら、「部長がそうしてくだされば助かりますし、私も自信を持って折衝に当たることができます。お忙しいにもか変わりませず、お時間を取ってくださりありがとうございました」感謝の気持ちを伝えれば、上司だけではなく、自分も気持ちよく仕事に戻れるでしょう。「お客様を大切にする」ということを第一義として考えていれば、相手が年下の人間であれ、誰であれ、頭を下げることはできるはずです。
 上司を上手に使って、自分の成果を上げることは、「組織で動く」ということの大きなメリットのひとつではないでしょうか。逆に、自分が管理職の立場で、部下に接するときにも、相手の人間性を軽視してはならないと思います。あまり感心することではないですが、いつ「冠履倒易」という事態が自分の身に降りかかるか解りませんので、管理職だからと言ってふんぞり返っていないで、平素から言動に注意することも必要でしょう。
 部下を叱るときにも、感情的になって、怒鳴りつけますと、決して良い結果は生まれません。部下を叱るときには、場所選びも大切です。しかし、信頼している部下を心から育成していこうと思ったら、腹の底から怒ることが大切です。こちらの気持ちが相手に正しく伝わるでしょう。
 部下の管理や育成という観点では、「一張一弛(いっちょういっし)」という見方も重要です。中国の礼記に周の文応の逸話が掲載されています。弓を張ったり、緩めたりするように、人民に対しても緩急をもって接する政治を行ったとあります。すなわち、ケースバイケースで、あるときには締め、あるときには緩める、すなわち厳格にしたり、寛大に接したりすることを言っています。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-07 愚者一得 人の評価は難しい ~ 誰でも、たまには良いことを言ったり、思いついたりする

2025-04-05 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-07 愚者一得    人の評価は難しい ~ 誰でも、たまには良いことを言ったり、思いついたりする   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-07 愚者一得    人の評価は難しい
~ 誰でも、たまには良いことを言ったり、思いついたりする ~


「愚者一得」というのは、史記の中に記述されていて「どのような愚かな人(愚者)であっても、たまには良いことを言ったり、思いついたりするもの」という意味です。「千慮一得(せんりょいっとく)」という言葉もありますが、ほぼ同意と言われています。
 似たような四字熟語として「千慮一失(せんりょいっしつ)」という言葉があります。どのように賢い人でも、数多いアイディアの中には一つ二つの陳腐な提案もあるという意味です。熟慮の末でも、失敗をすることもあります。
 われわれ経営コンサルタントも、自分の提案がうまくいったときには一人でほくそ笑んだり、乾杯したりします。一方で失敗することもあり、その時には相当落ち込みます。その代わり、大金を出してくださったクライアント・顧問先に対して申し訳けありませんので、次の機会があればさらに妙案を提供するように努力をします。私の失敗を見て、クライアントの中には、「千慮一失さ」と私の将来を見てくださったこともあり、そのようなクライアントとは長いおつきあいをさせていただいています。
 別項でも触れましたが、いろいろな経営者・管理職にお会いしていますと、「うちの社員は無能揃い」「うちの役員と来たら全く役に立たん」と自分の会社の社員や部下を悪く言う経営者・管理職にお会いします。
 しかし、本当にそうでしょうか?「愚者一得」というと失礼ですが、社員や部下が何も良い提案やアイディアを出さないとは思えません。むしろ、そういう経営者・管理職の方が部下の提案を正しく評価できていませんから、愚者と思えるのではないでしょうか。
 このことからおわかりのように「愚者一得(ぐしゃいっとく)」というのは、愚者であっても、たまには良いことを言うという意味から、愚者と思える人であっても必ず長所はあり、自分より優れている面を持っていたり、しばしば自分が知らないことに詳しかったりします。
 一方、どのように賢い人でも、それがたとえ熟慮の末のことであっても、失敗をすることもあります。数多いアイディアの中には一つ二つは陳腐であったり、効果がなかったりする提案もあるという意味です。
「愚者一得」には、「例え愚かと思える人でも、何か良い面を持っている」という意味でも使われます。幕末の賢者、吉田松陰の言葉に「人賢愚(ひとけんぐ)ありと雖(いえど)も、各々一、二の才能無きはなし」という件があります。まさに愚者一得に繋がる名言と言えます。
 部下や他の人達が愚かに思えたときは、自分の驕りではないかと振り返ってみることが必要と考えます。
「一得一失(いっとくいっしつ)」という言葉があります。もともとは、「一方に益があれば、他方に損がある」という意味でした。これが転じて「良いこともあれば、悪いこともある」「長所もあれば短所もある」という意味でも用いられます。類語として「一長一短(いっちょういったん)」「一利一害(いちりいちがい)」という四字熟語もあります。
「乳母日傘(おんばひがさ)」な人だからと言って軽視することはできません。「雲蒸竜変(うんじょうりゅうへん)」という言葉がありますように、人間というのは、あることを契機として、急に成長することがあります。「雲蒸」は、雲がむくむくと湧き上がる様を言います。その雲が龍に変身して、天高く登るということから、人の急成長を表す表現でもあります。しばしば、英雄が時宜に応じた判断をして急に世の中に出現するというようなたとえで、人の成長を表現します。
 人の内面がわかりにくいというのは「燕雀鴻鵠(えんじゃくこうこく)」という四字熟語にも表れています。「燕雀」というのは、燕や雀のような小さな鳥、「鴻鵠」の「鴻」は、「鳳」や「鵬」とも通じ、「大鵬」という元名横綱の名前になるような「大きな鳥」という意味です。このことから「鴻鵠」すなわち、大人物の志を、「燕雀」すなわち小人物には理解できないという、人の評価の難しさを謳っています。
 世の中には、自分は人を見る目があると自負する方を時々見受けます。そのような人の中には、占い師であるがごとく、相手を的確に見抜ける人がいます。しかし、大半は、自分でそう思い込んでいるように思えます。「街談巷説(がいだんこうせつ)」という四字熟語があります。「街談」は、「街中の話」、「巷説」は「巷に聞く話」ということで、いずれも世間話とか噂ということです。
 我々、経営コンサルタントも時として、ある情報を入手しますと、それが正しいこと、あるいは事実であるというとらえ方をして、失敗することがあります。別項でも触れていますが、「刑事は現場百遍」「ウラを取る」という言葉がありますが、これはわれわれ経営コンサルタントにも通ずることと考えています。われわれ経営コンサルタントは、情報は必ずウラを取ることを忘れてはいけないと考えています。
 史記に登場します「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」はしたくないものです。「鶏鳴」は、鶏の鳴き声、「狗盗」は、犬のようにこそこそと食べ物を漁り、盗むことから、そのようなことをする卑しい人を指します。
 中国・戦国時代の斉国の孟嘗君(もうしょうくん)が、鶏の鳴き真似ができる食客と、こそ泥を利用して難を逃れたという故事から来ています。このことからもとの意味から転じて「くだらないことや人でも、何かの役に立つことがある」というたとえにも使われます。
「愚者一得」神様は、公平にわれわれに天分を与えてくれているのです。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-06 羽化登仙 マズローの欲求五段階説 ~ 俗世間の煩わしさを忘れ、仙人のような心地よい境地

2025-03-29 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-06 羽化登仙    マズローの欲求五段階説 ~ 俗世間の煩わしさを忘れ、仙人のような心地よい境地   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-06 羽化登仙    マズローの欲求五段階説
    ~ 俗世間の煩わしさを忘れ、仙人のような心地よい境地 ~

 「羽化登仙(うかとうせん)」の「羽化」は「羽が生える」、「仙」は「仙人」ですから「羽化登仙」は、直訳的には「羽が生えて、仙人となり、天に昇る」ということです。
 酒に酔うと良い心地になります。それはあたかも天に昇るような良い気持ちです。仙人しか登れない天の心地と言ってもよい状態です。
 私は下戸ですので、お酒のみにいわせれば、羽化登仙の本当の意味は体感的にはわからない不孝な人間なのかもしれません。
「仙人」というのは、「採薪吸水(さいしんきゅうすい)」の人、すなわち「世捨て人」でもあり、広辞苑によりますと下記のような説明があります。ちなみに「採薪吸水」は「山野で薪を集めたり、川の水を汲んだりする」ことで「自然の中で簡素な生活をする」人のことから転じて「日常生活」という意味で用いられることもあります。
1)道家の理想的人物。人間界を離れて山中に住み、穀食を避けて、不老・不死の法を修め、神変自在の法術を有するという人。
2)〔仏〕世俗を離れて山や森林などに住み、神変自在の術を有する修行者。多く外道を指すが、仏を仙人のなかの最高の者の意で大仙、あるいは金仙(こんせん)ということもある。
3)浮世離れした人のたとえ
 このことから、「羽化登仙」は、「俗世間の煩わしいことを一切忘れて、仙人のように自由で気ままな心地よい境地」になるたとえと言えます。
 仏教では108の煩悩を人間は持つと言われています。煩悩から脱却することは難しいので、仏教が存在するのでしょうが、我々は色々な欲望の渦巻く中で生活しています。
 しばしば「悠悠自適(ゆうゆうじてき)」という言葉を聞きます。「悠々」は「優遊」とも書きますし、自信たっぷりなときに「ゆうゆうとして」というような表現を用います。「自適」は、「自らに適する」ということからも想像ができますように「自分の心のまま」という意味です。このことから「世の中の煩わしさから解放されて、自由自在に、思うがままに、ゆったりと過ごす」ことを刺します。
 類語として「一竿風月(いっかんふうげつ)」というのがあります。「一竿」は一本の釣り竿、「風月」は、自然を表しますので、太公望のように、とりわけ欲も持たず、のんびりと釣りを嗜むように、人生を楽しむという意味です。「雲心月性(うんしんげっせい)」は、「雲や月のように清らかな心」という意味の四字熟語です。名声や富などの欲を持たず超然としている人を形容します。宮沢賢治の「雨にも負けず」を連想します。
 さらに類語としまして、「のどかに浮かぶ雲や、のに遊ぶ鶴のように、何かに梗塞されずに悠々と自然の中で生きる」とう意味の「閑雲野鶴(かんうんやかく)」や「孤雲野鶴(こうんやかく)」という四字熟語もあります。
 荘子に「曳尾塗中(えいびとちゅう)」が出てきます。莊氏に仕官の話があった折に、「亀が死んで、占いに使われ、利用価値が認められるのと、尾を引きずりながら泥の中で生き延びるのと、どちらを選ぶだろうか」と言って、婉曲的にやんわりと仕官をこだわったと言います。このことから「曳尾塗中」というのは、高貴な身分になって束縛されるよりも、貧しくても「自由奔放(じゆうほんぽう)」に生きる方が良いというたとえをする時に用いられます。
「自由奔放」の「奔放」は「勢いある」ことを指し、「他の人の思惑を気にせず、自分の思うままに生きるというやりたいように振る舞うこと」を言います。類語として「不羈奔放(ふきほんぽう)」「奔放不羈(ほんぽうふき)」があります。「羈」は繋がれるということですので、「不羈」は、繋がれていない状態を指し、「自由奔放」と同じような意味となります。
 中には社長は何をしても良いものと勘違いして「酒池肉林(しゅちにくりん)」「肉山脯林(にくざんほりん)」の贅を我が物顔に尽くす人もいます。前者は、「酒を満たした池や肉で飾った林」という意味で、「贅沢で豪華な酒宴をしたり、おごり高ぶった遊興をしたりする」ことを指します。
 出典は、史記で、殷の暴君で名高い紂王(ちゅうおう)が、「池に酒を満たし、木々に肉を掛け、男女を裸にして、その間を追いかけ回らせ、昼夜を分かたず酒宴を張った(新明解四字熟語辞典)」という故事からきています。
 後者では、「肉」は生の肉のことで、「脯」は干した肉で、「山」「林」はともに量がたくさんあることから前者と同じような意味で用いられます。
 多少意味合いは異なりますが、「天衣無縫(てんいむほう)」という四字熟語があります。「天衣無縫」は「天女の衣には縫い目がない」という意味で、自然で巧みな詩文を指したり、純真で無邪気な人柄を表していったりします。「天真爛漫(てんしんらんまん)」も同じような意味で用いられます。


 欲望という言葉で連想することは多種多様でしょうが、私はマズローの欲求五段階説を先ず思い浮かべました。
 人間は、「生理的欲求」が満たされるようになりますと、自分の身を守るという「安全の欲求」を意識します。
 欲求五段階説のレベルの低い間については、ロビンソン・クルーソー(イギリスの小説家ダニエル・デフォーの書いた小説)を思い浮かべながら、マズローの欲求五段階説を考えます。安全の欲求を満たすために、クルーソーは家を作ります。家ができ、安全の欲求が満たされると一人でいる孤独の寂しさを覚えます。奴隷や犬と共に生活を始めます。それは第三レベルの「帰属と愛情の欲求」に相当します。
 奴隷や犬との主従関係は、第四レベルの「尊敬の欲求」までを充分満たし得るとは思えませんが、人間社会では人から馬鹿にされることは誰しも嫌います。クルーソーは、母国に戻って第五レベルの自己実現として何をやりたかったのでしょう。
【ウィキペディア】 ロビンソン・クルーソー
 経済学的な視点からも注目を集めてきた。カール・マルクスは『資本論』の中でロビンソンを引き合いに出して論じており、シルビオ・ゲゼルは主要著書『自然的経済秩序』の中で独自のロビンソン・クルーソー物語を紡ぎ出している。
 また、マックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中でロビンソン物語を取上げ、主人公の中に合理主義的なプロテスタントの倫理観を読み取っている。
 同時代の文人ジョナサン・スウィフトが代表作『ガリヴァー旅行記』を執筆したのも、本作の影響が大きいと言われている。


 クルーソーから目を転じてみます。少しでも良い大学を出て、良い会社に入るというのがかつての大学生やその親の考え方でした。東日本大震災以降それが少し変化をして来ているようですが、人から尊敬されたいという気持ちは誰しも持っていると思います。名誉欲はその典型かも知れません。
 尊敬の欲求を持たすために、人は自分の夢の実現を願います。「自己実現の欲求」です。「経営コンサルタントになって、困っている社長さんの手助けをしたい」というのもこの段階の欲求です。
 この欲求があればこそ、人はがんばれるのです。裏を返しますと、「自己実現の欲求」を失うと人間の成長は止まってしまうのかも知れません。「自己実現」で重要なことは、「夢を持つ」その夢実現のために「計画性」ということを忘れてはなりません。
 俗に「P・D・C・Aサイクル」というデミングサイクルを回し続けることが重要です。
 マズローの欲求五段階説という言葉を見ますと、私は「意馬心猿(いばしんえん)」という四字熟語を思い浮かべます。
 人間というのは、欲望・欲情から逃れることがなく、仏教では108の煩悩を持つと言われています。この煩悩を押さえがたいというのが、意馬心猿です。「意」も「心」という字も、われわれの「心」を指します。野生馬が野を駆け巡ることも、猿が騒いでいるのも、本能的な行動の成せる業です。私たち人間も、自分の心の乱れを押さえることができず、その欲望に打ち負かされてしまいがちですね。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-05 屋上架屋 ムダ・ムラ・ムリ~重複して、ムダのあること

2025-03-22 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-05 屋上架屋    ムダ・ムラ・ムリ~重複して、ムダのあること        


   四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-05 屋上架屋    ムダ・ムラ・ムリ
    ~ 重複して、ムダのあること ~

 「架」は、音読みで「か」ですが、訓読みすると「かける」とか「かかる」となります。例えば「架橋」といいますと、川などに橋を架けることです。
 「架」は、「かける」という意味の他に「棚」という意味もあります。図書館の本棚のことを「書架」といいますが、まさにこの意味で使われる用例のひとつです。
 「屋」は「屋根」という意味であることはどなたにも想像できることです。すなわち「屋上架屋(おくじょうかおく)」といいいますと、「屋上」は「屋根の上」ですので「屋根の上に屋根を架ける」ということになります。もともと屋根というのは、風雨から家を守るために作られている構造物ですので、厳しさに耐えられるように作られています。その上に、さらに屋根を作るとことは意味のないことです。このことから、屋上架屋は、「重複して、ムダのあること」、「無意味なことを繰り返す」という意味となります。
 しかし、現実には意味のある屋上架屋もあります。例えば中尊寺のさや堂は、金箔の金堂を風雨から守るための建物で、金堂の屋根の上に、さらに屋根を作り、豪雪地帯ですので、雪や風雨が金堂に直接あたらないようにしています。これは特殊な例ではありますが、意味のある屋上架屋もあることになります。
 経営コンサルタント業に永年携わってきていますが、例えば、製造現場におきまして、「ムダ・ムラ・ムリ」という「3ム」を基本として企業に遭遇することがしばしばあります。「3ム」を徹底することにより経費の無駄を省いたり、作業の効率が改善されたりします。
 ムダの例として、包装のオーバースペックがあります。お菓子を例にみてみましょう。個別包装をして、その上に中袋を入れ、外箱をつけ、さらに包装紙で包み、手提げ袋に入れるということがあまりにもあたり前になってしまっています。お菓子の種類や包装の方法によっては、一度に全部を食べきれないものもありますので、個別包装されていると大変便利です。個別包装は、日本のように湿気の多い島国では、湿気や酸化防止の役割も果たしていますので、それなりの役割があります。また、包装の分だけかさばり、外見的には量がたくさんあるようにも見えます。企業におけるマーケティング戦略の一環としての結果でもあります。
 欧米でクッキーを買ったことのある人はご存知でしょうが、個別包装をされていることはあまりありません。中袋に入れて、外箱や外袋で店頭に並べられています。極端な場合には、中袋も省略されていて、外袋に直接入れられていることがあるほどです。しかし、外袋が充分に中袋や個別包装の役割を果たしているのであれば、それでもよい場合が多いでしょう。
 2011年の東日本大震災の後で茨城県の農家を支援しようと、東京にあります、あるNPOの人達が、茨城野菜の産地直売を支援しました。泥のついたまま、大きさもばらついたまま、選別もされていないので形もそのままの不揃い、という販売方法を採りましたが、大変な人気であったというニュース放映されました。
 省けるところは、その気になってみればたくさん見つかるはずです。企業内から「ムダ」をなくしただけでも利益率を改善することができるかも知れません。原価が下がって、売価に反映させたり、宣伝広告をしたりして売上高を伸ばすことができるかも知れません。
 身の回りでムダを見つけますと、例えば、電気をこまめに切るという習慣は省エネになり、計画停電という不便を囲わなくても済むこともあるかもしれません。「もったいない」という言葉が海外でも使われるようになったと聞いていますが、むしろ日本人の方がもったいないことをしていることが多いのかも知れませんね。
 蛇足になりますが、「ムダ・ムラ・ムリ」という3ムの語尾部分をとって「ダラリの法則」という人もいます。
 私の知っているある経営コンサルタントが、新しいクライアントを訪問したときに、決算書を見ていて違和感を持ったそうです。経営コンサルタントを永くやっていますと、決算書を見るポイントを掴んでいますので、このケースのように「何かが変だ!」と直感することが多々あります。数年間の決算書を基に、数字をよく見ますと売上高に対して仕入高が異常に高いことに直ぐ気がつきました。その原因は、直ぐにはわからなかったそうです。
 通常より厚い鉄板を加工する会社で、競合も少ない、ニッチ産業とも言える業種ですので、本来なら利益率は高くてもやって行けるはずです。粗利率が低い会社では、仕入原価が高すぎるとか、製造原価が高いとか、不良在庫が多いというケースが一般的です。この会社の場合には、製造原価報告書を見る限りにおいては仕入原価も製造原価も高すぎないと判断できました。在庫そのものが少なく、不良在庫が問題になることはなさそうです。
 ただ、売上件数に対して、仕入件数が多いことには気がつきましたが、あまり気にも留めていなかったそうです。結局、何処に原因があるのか、直ぐには解らないまま、加工工場を見学した後、工場の裏手に回ったところで、野ざらしの鉄板の山を見つけました。錆の出た鉄板の山を前にして、それが何かの説明を受けたところ、鉄板を斬った残りだというのです。
 さらに詳しく訊きますと、顧客からの注文毎に、資材商社に発注したり、まっさらの鉄板を倉庫から出してきたりして、顧客の注文に応じてカットをしているという説明です。残りの部分を裏庭に運び出したものが、山となっているのです。すなわち、一度カットした鉄板は、残りをすべて廃棄していたのです。廃棄していますので、不良在庫にはならず、原価は、一枚分まるまるかかってきますので、当然のことながら粗利率が低いのです。
 板をカットする前に、材料の取り方を検討させ、残りを工場内に一時保管したり、倉庫に運び込んだりして、再利用できるようにしました。それだけで利益が急速に改善しましたので、改善して上がった利益の半額を全てボーナスとして社員に支給しました。社員は大喜びしただけではなく、仕入の仕方やカット方法を工夫するなど、モラールが一挙に高まったそうです。
 ちょっとした工夫で、ムダを省き、業績は改善し、社員のモラールは高く、明るい職場になったのです。難しい経営理論ではなく、ダラリの法則だけで収支トントンの企業が儲かる会社に生まれ変われるのです。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-04 因循姑息 目先に追われて大局を見失う ~ 古くから慣れ親しんできた習慣や慣習に従う ~

2025-03-15 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-04 因循姑息 目先に追われて大局を見失う ~ 古くから慣れ親しんできた習慣や慣習に従う ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-04 因循姑息 目先に追われて大局を見失う
    ~ 古くから慣れ親しんできた習慣や慣習に従う ~



 経営コンサルタントとして仕事をしていますと「何で、このような帳票や資料を作成しているのだろう」「なぜ、このような加工方法を採るのだろう」「なぜ、この機能がいるのだろう」などと、首を傾げたくなることが多々あります。そのようなときに、「なぜ、そうするのですか?」と尋ねますと、「先輩から、このように教えられたから」「マニュアルにこのように記載されているので」「このようにやるのが常識ではないですか?」というような答が返ってきます。
 私たちは、意識していないうちに、現状を肯定してしまいがちです。このことは、「因循姑息(いんじゅんこそく)」に繋がります。「因」は「~による」「~に基づく」いう意味です。「循」は、「従う」という意味で「循環」というのは「環に循(従)う」ということで、サイクルの意味に使われます。このことから「因循」は、「すでに出来上がっているレール、すなわち既成の物や規則などに寄り添う」という意味になります。「姑」は、「しゅうとめ」という意味が一般的ですが、ここでは「しばらく」という意となり、「息」は、「一息つく」という意味です。「姑息」は、「しばらくの間休む」ということから、「現状のまま過ごす」という意味です。
 このことから、因循姑息というのは、「古くから慣れ親しんできた習慣や慣習に従う」ことを基本とし、そこに疑問を持たずに、逆にそれに固執して、例え不便や問題があったとしても改めて、これまでのやり方に拘ってしまうことを指します。このことが転じて「.消極的な態度に終始し、決断力に欠けて、現状のままズルズルと引きづられてしまい、非建設的な発想になってしまう」という状況の時に使われます。
 将来の変化を予測して行動するという、別項で紹介しました「深謀遠慮」という姿勢が見えない人は、目先のことを心配して自分の考えを変更しようとしないことがあります。このような人を、「遠慮近憂(えんりょきんゆう)」という四字熟語をつかって表現します。すなわち、この四字熟語は「将来のことを考慮に入れて判断し、先手を打って行動を起こすべきところ煮も関わりませずそうしておきませんと、近い将来にそれがトラブルとになってしまいます」という意味ですので、先手を打っておかないとならないという教えです。
「石橋をたたいて渡る」という諺がありますが、物事に非常に慎重な人を例えるときに使います。世の中には、石橋をたたいても、心配となって渡らない人もいます。そのような人は、過去に大きな失敗をしたり、怖い思いをしたりした経験があり、それがトラウマとなってしまっているのかもしれません。そのような人を表すときに「懲羮吹膾(ちょうかんすいかい)」という四字熟語を使います。訓読みしますと「羮(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く」となり、わかりやすいでしょう。羹を食べたときに、熱い思いをしたり、口にやけどをした人が、膾(なます)という冷たい物が出されても、熱いかもしれないといってフーフーとして、冷ましたりしてから食べようとする、というムダな行為をいいます。まだ、そのようにしても食べる人は許容されても、食べない人は困りますね。
 因循姑息な部下を持ちますと、懲羮吹膾な態度にイライラすることもあるかもしれませんが、「右顧左眄(うこさべん)な部下も困ります。「左顧右眄(さこうべん)」とも「右顧左顧(うこさこ)」とも書くことがあります。「右大臣の顔を見たり、左大臣をチラッと見たり」ということから「右顧左眄」が正しいのでしょうが、それがあやふやな人が、誤用をしているうちにこのような別の表記が存在してしまったのではないでしょうか。
 話が脱線してしまいましたが、「顧」は「気を配る」、「眄」は「流し目で見る」という意味で、どちらも正面からしっかりと相手を見据えないという意味です。このことから、「周囲ばかりを気にして決断しない」という意味の他に、そのしぐさから、「自信がなく、ためらっている」ことを表す時にも使われます。
 周囲に気を遣いすぎる人のことを「八方美人(はっぽうびじん)」「八面玲瓏(はちめんれいろう)」ともいいます。どこから見ても欠点のない美人というのが原意ですが、そこから転じて、「誰とでも如才なくつきあう人」という意味で使われます。時には、あまりにもいろいろな人とつきあうために、鳥か獣かを問われたコウモリのように振る舞う人ということから、悪い意味で用いられることが多くなってしまいました。
 関連して「内股膏薬(うちまたこうやく)」という、またの内側に塗った「膏薬(練った外用薬)」が歩く度に左右反対側につく様を言う、似た四字熟語があります。これも「コウモリのように、あっちについたりこっちについたりして、節操のない」という意味から、「定見がなく、その時の気持ちで動く」そのような人のことをあざける時に用います。日和見主義な人のことを指します。
 世の中の管理職の中には、因循姑息で、指示や命令が不明瞭でありましたり、大局を掴めていませんでしたりして、相談してもイエスかだノーだかわからない人もいます。意見を求めても、小手先のことばかりを話して、本来経営計画に基づいて、全社一丸となって行動すべき所を、自分がミスを犯さないようにすることのみに終始する人もいます。そのような人は、右顧左眄な人が多く、実力もありませんのに、意外と出世街道をまっしぐらという人がいるのは、釈然としませんね。
 別項でも触れていますが、有能な管理職というのは、始末書をたくさん書いていると言われています。積極的に何かにと組もうとか、新しいことを始めるとかすれば、中にはうまくいかないこともあります。失敗したくなければリスクを冒して、何もしないことです。もし、私が定年退職するとしたら、その時には「過去○十年、大過なくやってこられました」とう挨拶はしたくないと思っています。大過なくビジネスパーソンをやってきたと言うことは、自分はリスクを冒して何もしてこなかったと言うことを自分が認めることになるように思えるからです。
 何もしないで、後からしなかったことを後悔するより、やってみて、例え失敗しても立ち上がり、再挑戦する道を選びたいと思っています。


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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-03 苦肉之計 なし崩しに物事に対処するなかれ~苦し紛れで考えついた方法で対峙する~

2025-03-08 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-03 苦肉之計    なし崩しに物事に対処するなかれ~苦し紛れで考えついた方法で対峙する~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-03 苦肉之計    なし崩しに物事に対処するなかれ
    ~ 苦し紛れで考えついた方法で対峙する ~


 絶体絶命の状態でも、弱者が意外な力を発揮して、強者を苦しめるということはランチェスターの弱者の法則でも、経営面で知られています。別項におきましてでたきました「窮鼠噛猫」という四字熟語と同じ意味で、「窮鼠噛狸(きゅうそごうり)」というのがあります。前者が猫でしたが、後者は狸が登場します。窮地に追いやられるとネズミが身体の大きな狸にもかみついて必死に生き抜こうとするということを教えてくれています。
 企業経営におきましても、窮状に至りますと、「苦心惨憺(くしんさんたん)」してもなかなかその状況から脱することが困難で、「孤城落日(こじょうらくじつ)」となりがちです。「苦心惨憺」とは、課題解決のために一所懸命に知恵を絞り、策を弄して、困難克服のために非常に苦労や工夫の努力を重ねることを指します。「苦心」とは、あれやこれやと心を砕き考えることで、「惨憺」は、心を悩ませることで、「悪戦苦闘(あくせんくとう)」とか「粒粒辛苦(りゅうりゅうしんく)」などと同じような意味で用いられます。
「孤城落日」の「孤城」は、援軍から遠く、孤立してしまった城のことです。「落日」は、沈んでゆく夕陽のことで、落ちぶれるという意味にも使われます。すなわち、「孤城落日」は、「孤城落月(こじょうらくげつ)」とも言いますが、「援軍もない心許ない」状況を指します。
 窮地に陥っても、簡単に諦めるなという教えは、列子の「愚公移山(ぐこういざん)」という言葉からも学べます。訓読では「愚公山を移す」と読みます。愚公が、生活の邪魔になる山を切り崩そうと村人に声をかけました。しかし、人々は、「それは不可能」と嘲笑しましたが、「子々孫々の代までかかってもやり遂げる」という愚公の熱意に動かされた天帝が、山を他所に移動してやったという故事に基づく四字熟語です。
「必死になって、根気強く努力を続ければ、最後には必ず困難を克服でき、志を成し遂げられる」という教えです。ところが、最善の策が見出せないときもあります。そのようなときには「窮余一策(きゅうよいっさく)」、すなわちいろいろと熟慮を重ねましたが、良策に至らず、困り切った挙げ句にやむを得ず採用した方法を指します。その意味では、「非常手段(ひじょうしゅだん)」という言葉と通じるところがあります。
「窮余一策」に通ずる四字熟語として「苦肉之計(くにくのけい)」とか「苦肉之策(くにくのさく)」という言葉もあります。計画を軽視し、「窮余一策」は「苦肉之計」で行いますと、何ごとも不完全なままで終えざるを得ません。
 ギリシャ神話の中に「トロイの木馬」と言うのがあります。トロイア戦争の時に、ギリシャ軍が、「金城鉄壁(きんじょうてっぺき)」なトロイア国の城を攻めあぐねていました。大きな木馬を作り、ある夜、それを敵の城門の前に置いておきました。朝になって、城門前の大きな異物を発見したトロイア軍の兵士は、それを場内に運び込みました。その晩、要塞堅固な城に油断をして、手薄になっている所に、大きな木馬の中に潜んでいたギリシャ兵士が木馬から出てきて、城門を開けてギリシャ軍を勝利に導いたというストーリーです。
 これによく似た話が、中国の漢書にでてきます。ある男が、敵を欺くために、わざと自分の身体に傷を付けて、敵陣に逃げ込んだ振りをしました。敵陣内に入ったその男は、敵の内情を探り、見方を勝利に導いたと言います。苦肉之策というのは、苦し紛れに考えついた方法で課題に対峙するという意味です。
 因みに「金城鉄壁」というのは、「金城」は金で作ったような堅牢で、守りが堅固という意味です。敵が容易に城壁内に入れなくて、陥落が困難な城という意味から、「堅固で隙がない」という意味に用いられます。中国におけます「城」は、日本の城と異なり、都市を城壁で囲み、民衆もそこで生活できる広い範囲を指します。「金城鉄壁」と同じ意味で「難攻不落(なんこうふらく)」「金城湯池(きんじょうとうち)」という四字熟語があります。「湯池」は、「湯の池」すなわち、熱湯のたぎる堀に囲まれた城のことです。
 多くの企業で、PDCAが定着しているかのように見えます。計画を立てても、期限がまだ充分ありますので、スケジュール的にゆとりがあると油断してしまい、期限が近づいて慌てることがあります。時間的制約があり、余裕がないあまりない中、作業を進めるとどうしても雑になりがちです。また、腰を落ち着けて考えるゆとりがなく、本来なら生まれてくるような知恵が十分発揮できません。「時間がないので、これでやるしかない」と窮余一策を絞り出してくることがあります。窮鼠噛猫で良いアイディアが生じてきたのでしたら良いのですが、得てしてそのようなときと言うのは、「思案投首(しあんなげくび)」、すなわち「考えてはいるけど名案が浮かばないで、困って首を傾げる」ならまだしも、「時間がない」のではなく、「時間がなくなるような、ギリギリの状態に追い込まれてしまってやむをえない」状況を作ってしまっているのです。そのような社風の企業は、万事において、このように「なし崩し」で業務が行われる傾向にあります。その結果、中途半端な計画で、中途半端に仕事をし、そのチェックやアクションも中途半端になってしまいがちです。
 ある会社で、販売促進のための企画課長が主催して企画会議を開催することになりました。販促策はまだ数か月先ということもあり、開催案内の配布を先延ばしにしていました。あるとき、部長から指摘を受けて会議を開催したのですが、企画まで一か月足らずになってしまいました。
 その販促策のコンセプトも十分に審議せず、複数の担当者に業務を割り振って、準備に着手しました。案内状を作成する担当者は、以前の販促企画時の案内状を基に作成、それを発送しました。開催予定の会場予約の担当者は、予定していた会場の予約ができず、別の会場を予約せざるを得ませんでした。会場の設定も展示業者との打合せがちぐはぐとなり、装飾の変更を起こさざるを得なくなりました。案内状発送担当者は、来客の動員活動に入ったときに、案内状内の会場が間違えていることを発見し、急遽印刷物の手配をやり直し、再発送したりしました。
 いろいろな不手際がありましたが、当日がやってきました。その日は、週末のために会社はお休みの日でした。念のために、販促企画担当者のひとりを会社に待機させておいたのですが、「会場に行ったけど、誰もいないがどうなっているのか」という電話がひっきりなしで、対応に大童でした。二度目に出した会場変更の案内状を見落としたお客様が旧案内状の会場に行ってしまったのです。
 会場の装飾も、企画内容にふさわしくない、ケバケバとしたものであったり、会場に展示すべき商品が案内状にそぐわなかったりという問題も起こりました。また、予定した集客数の五十%にも至らない動員結果となってしまいました。会場案内の手違いで来なかった人も多いのかもしれませんが、なによりも案内状の内容が抽象的で、具体性に欠けていました。そのために、案内状を受け取った人が、「行きたい」という気持ちを起こさなかったようです。
 この企画の担当者達は、当然のことながら、PDCAということを知っています。その効果や価値も解っていながら、それが絵に描いた餅にすぎなかったのです。計画段階、準備段階、直前の確認、当日の対応等々、すべてが「時間がない」ということを理由にして、「なしくずし」に進めてきました。なし崩しで進めてきたことが問題であることを認識せず、お互いに「連絡が悪い」「聞いていない」等々の責任のなすりあいでした。「なし崩し」が「日常茶飯」に行われている企業体質ですと、それが繰り返されてしまいます。これでは将来が危ういといっても過言ではないでしょう。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-01 旱天慈雨 個から組織で動くへ~苦境に立っているときに差し伸べられる助け ~

2025-03-01 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-01 旱天慈雨    個から組織で動くへ~苦境に立っているときに差し伸べられる助け ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-01 旱天慈雨    個から組織で動くへ
    ~ 苦境に立っているときに差し伸べられる助け ~


「旱天(かんてん)」とは、「干天」とも書き、「干ばつ」という字からも想像が付くと思いますが「日照り」のことです。「慈雨(じう)」は、文字通り恵みの雨ですので、「旱天慈雨(かんてんじう)」という四字熟語は、「干ばつのような日照りが続いているときに降る恵みの雨」のことです。このことから、私たちが「苦境に立っているときに差し伸べられる助けや支援が提供されるありがたいこと」をいいます。
 このことから「干天慈雨(かんてんじう)」とも書きますし、同じ意味合いで「大旱慈雨(だいかんじう)」とう言葉もあります。

 かつて私が経営コンサルタントの第一線で活動していたときに、「乳母日傘(おんばひがさ)」の若者がいました。その青年は、某証券会社の重役の息子さんで、子供の頃いつも乳母が付き添って世話をしてくれました。箸より重い物を持ったことがないような、何不自由ない恵まれた環境に育ちました。まさに「乳母日傘」を地で行くような生活で、どこかへの移動は運転手付きで乳母と共に移動し、車から目的地までのわずかな距離でも日傘を差してもらうような生活でした。
「砥㸿之愛(しとくのあい)」は、「㸿」は、「仔牛」のことで「犢」という旧字体で用いられることが多く「砥犢之愛(しとくのあい)」というのがもともとの表記のようです。「親牛が仔牛を舐めてかわいがる」ことから「親が子供を溺愛する」という意味です。
 そのような乳母日傘で育てられた子供がどの様な大人になるのかは想像がつきます。その結果、「横行闊歩(おうこうかっぽ)」がまかり通る人間になってしまいました。「横行」は、勝手気儘に、我が物顔で歩き回るという意味で、それが転じて「自由に振る舞う」と言う意味でも使われます。「横行闊歩」というのは、「辺り構わず、思いのままに大いばりで歩く」という意味で、そこから転じて「わがまま勝手な振る舞い」の意味でも使われます。
 同じような意味で「気随気儘(きずいきまま)」という四字熟語があります。「気随」という熟語も「気儘」も、自分の思うがままに勝手に振る舞うという意味で、同じ意味の熟語を重ねることにより、意味を強めています。

 その青年が大学生の時に父親の会社が倒産し、大学も中途退学をせざるを得なくなりました。そのために、無名な中小企業の会社に勤務することになり、始めは遅刻・早退はあたり前、無断欠勤もしばしばでした。社内での発言も、周囲の空気を読むことができず、勝手気ままな発言をするなどして、鼻つまみ者の存在でした。各部署の管理職が厭がり、たらい回しにされて、最後にたどり着いたのが営業部でした。
 営業という仕事は、結果が数字として出てきますので、この青年にとっては、「孤軍奮闘(こぐんふんとう)」しても、万年最下位の結果に甘んじなければなりませんでした。「孤軍」とは、孤立した軍隊が、「奮闘」して善戦すること、支援者がない中で、ひとりで懸命に努力することを指します。
 営業部長が「これから三か月以内に一度でも良いから最下位を脱出できなければ、会社を辞めてもらう」と厳しく言い渡しました。もともと、頭の良い青年だったらしく、真剣に仕事に取り組み始めたのですが、一向に注文をとることができません。
 そのようなある日、営業部長から、ある知恵を授かり、三週間目にして、初めて注文をとることができました。この青年は、その時初めて人の心の温かさを感じたと後になって漏らしています。営業部長のアドバイスが「旱天慈雨」だったのです。「背水之陣」で、必死に仕事をすることで結果を出せることを学んだ彼は、「君子豹変(くんしひょうへん)」して、まじめにコツコツと仕事をするようになりました。
 その青年は、後に「神出鬼没の営業パーソン」といわれるほど、ライバル企業の営業パーソンに怖れられるようになったといいます。「神出鬼没(しんしゅつきぼつ)」は、「神や鬼のように変幻自在に出没する」とうことから「神や鬼のように自在に現れたり、隠れたりする」という意味です。「鬼出電入(きしゅつでんにゅう)」ともいいます。後者の「電」は「稲妻」のことで「現れたり消えたりがすばやく、目にとまらない(新明解四字熟語辞典)」という意味です。
 易経の中で、得のある君子が、自らの過ちを素直に見つめ、直ちに自分のやり方を改めた結果、直ぐに良い結果を生むようになったという話から「君子豹変」という四字熟語が生まれました。「豹変」とは、豹(ひょう)のまだら模様がくっきり、鮮やかに変化しているという意味です。このことから転じて、君子豹変とは、「態度や思想が急に変わる」という時にも使われます。ただし、希に「変わり身の早さ」というあまり良くないニュアンスで使われることもありますが、もともとは肯定的な意味でした。
「首尾一貫(しゅびいっかん)」は、「始めから終わりまで言動が変動せず、一筋に貫かれている」という意味です。「終始一貫(しゅうしいっかん)」とか「徹頭徹尾(てっとうてつび)」も同じような意味で、主義や主張、あるいは態度が定まっていて、ぶれない人のことを指します。

 ここに登場します営業部長ですが、大変有能な管理職で「管理職は、ルールを破る人」という考えをもっていました。私も十年間サラリーマンをしていましたので、有能な管理職からいろいろと学んだことがあります。ところがその管理職は、しばしば始末書を書かされていました。例えば、部下が自分の権限内では、定められた値引きしかできないときに、部長権限で大幅値引きをしました。顧客が困っていることを解決するにあたりまして、現状の商品では対応できない状況に遭遇したときのことです、勝手に規格外の仕様で、顧客の要望を聞いて注文をとってきました。社内に戻ると技術部に掛け合い、そこで埒があかなくなりますと、開発部に掛け合って、特別仕様の商品を作らせたとのことです。そのために、新商品開発が遅れたり、生産計画が乱れたりと大変な影響が出て、始末書を書くことになりました。
 私は、この話を目の当たりにしたときに、有能な管理職というのは、会社の種々の決まり事に縛られていては、手腕を発揮できないことを感じ取りました。すなわち、仕事で結果を出すには、「臨機応変(りんきおうへん)」な考え方が必要なのです。臨機応変という四字熟語も、いまさら説明する必要もないほど、一般に流布された言葉です。「各種の条件下で、その条件に応じて適切な判断をしたり、道具を使ったりして対処する」ことです。
 この営業部長も、会社のルールを「金科玉条(きんかぎょくじょう)」のごとく守っていては仕事にならないことを知っているのです。かといって、この人がコンプライアンスを軽視しているわけではなく、むしろ社会人としては立派な人です。
「金科玉条」の「金」も「玉」も貴重で、高価な物です。「科」と「条」は法律や決まりごとのことです。すなわち、金科玉条とは、「黄金や珠玉のように、素晴らしく、美しくもある」ようなルールという意味です。ここから、融通の利かないこととして、あまり良い意味では使われないことも多い四字熟語です。
 また、この営業部長は「即決即断(そっけつそくだん)」の人で、「朝令暮改(ちょうれいぼかい)」を厭いません。それどころか臨機応変な経営管理こそ金科玉条で、朝令暮改はあって当然と言うことを口癖のように言っていました。
「即決即断」は、「意思決定を、その場で直ぐに行う」ことで、日本企業は、商慣習上の稟議制度などがあり、海外の企業から嫌われることの一つです。「速戦即決(そくせんそっけつ)」ができないために、グローバル市場で負けてしまっているとも言われています。
「朝令暮改」の戻りますが、「朝令」とは、朝出した法律という意味です。「暮改」は、夕暮れに、それを改める、すなわち夕方には、朝一旦決定した法律を直ぐに改めてしまういう意味です。このことから「命令や法規法令などが頻繁に変更される」ことを言います。あまり良い意味で使われなく、「しばしば」、すなわち「再三再四(さいさんさいし)」変更されて、あてにならないという意味でも使われます。
 朝令暮改は、漢書に出てくるのですが、類似四字熟語として「朝改暮変(ちょうかいぼへん)」というのがあり、同じ意味で使われています。

 旱天慈雨の人は、単に優しさを持つだけではなく、考え方がフレキシブルなのかもしれません。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-02 死中求活 背水の陣であたる~生き延びる方策や道を求める~

2025-03-01 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-02 死中求活    背水の陣であたる~生き延びる方策や道を求める~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-02 死中求活    背水の陣であたる
    ~ 生き延びる方策や道を求める ~


「死中求活(しちゅうきゅうかつ)」とは、訓読しますと「死中に活を求める」となります。「死中」とは、死を待つしかない切羽詰まった状況を指します。一方「求活」というのは、「活」すなわち活路のことで、「求」は、字のごとく「求める」ですので、「求活」は、問題・課題の解決策や生き延びる方策や道を求めるということになります。
 私たちに馴染みがあり、史記に出てきます「背水之陣(はいすいのじん)」という四字熟語と同じような意味です。中国・漢の韓信(かんしん)が、川を背にした陣形をとるというそれまでの常識的な陣取りを覆した陣形をとり、敵国・趙の軍勢に勝利を収めたという故事を基にこの四字熟語が生まれました。
 後ろに川や絶壁を控え、自分自身の退路を断つことにより、一歩も後に引けない困難な状況を作ったおかげで、全員が必死になり、全力を尽くした結果事を成せるという戒めです。すなわち、「火事場のバカ力」、絶体絶命的な状況を作ることにより、人間は持てる力以上の力を発揮出るものであるというのです。
 吉田松陰が、「至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり」と塾生に言っていたと言われますが、一所懸命に努力してもなしえないのは、まだその努力が十分でないからであるという教えです。自分は、背水の陣と思って懸命に努力したつもりでいることが多くありますので、松蔭はそれを戒めたかったのでしょう。
 もともとの出典は「孟子 離婁」です。

   是故誠者、天之道也。思誠者、人之道也。
   至誠而不動者、未之有也。不誠、未有能動者也。

 思想家である孟子は、孔子の教えを形而上学にまで昇華した天才として知られています。「性善説」を唱えていることからも、孟子から学びたいと考える人が多いのではないでしょうか。
 企業の命は三〇年と言われますが、経済環境による影響を受けたり、内部の諸事情に拠ったり、商品のライフサイクルなどいろいろな要因で、経営には波があります。時には、わずかの資金の工面ができずに黒字倒産する企業もあります。
 何とかやりくりができるうちはよいのですが、「絶体絶命(ぜったいぜつめい)」、背後は断崖絶壁という状況に陥り、ヤミ金融を頼りにしなければならない窮地に追い込まれることもあります。
 このように絶体絶命的な状況の中で、何とかしようと必死に活路を求め、解決していこうと模索することを「死中求活」と言います。
 そのような状態になってから、コンサルタントに力を求めてくる経営者もいますが、そこまで追い詰められた状態では、さすがの辣腕コンサルタントでもほとんど解決することはできないでしょう。
 最後の最後に至る前に、専門家に相談することが大切です。
 しかし、さらに大切なことは、「勝って兜の緒を締めよ」すなわち、自分の会社がうまく行っているときに、甲冑のひもを締め直すことが大切です。また、そのようなときには多少なりともゆとりがありますので、いつ襲われるかわからない経営者の敵に対して備えをするだけのゆとりがあるはずです。
  社員研修を実施して、社員のレベルを高めておき、いざ敵が攻めてきた時でも上手に対処できれば痛手も少なくて済みます。場合によると予見ができて、困った状況を回避できるかもしれません。
 企業が土壇場で生き延びることができるかどうか、それが経営の基礎体力により結果が異なるのでしょう。基礎体力は「当たり前のことが当たり前にできる」ように平素から体力作りをしておくことが肝要です。それには自己流でやるのではなく、外部の経営のプロに依頼することによりホンモノの基礎体力を身につけることができることを、私は経験上、多くを見てきています。
「風前之灯(ふうぜんのともしび)」というのは、人生のはかなさのたとえとしてしばしば用いられますが、猫にネズミが追い詰められた状態から「窮鼠噛猫(きゅうそごうびょう)」という四字熟語もあります。前述の火事場の馬鹿力ではないですが、私自身も経営コンサルタントとして、初めて営業管理職を相手に研修講師を担当したときのことです。演壇の前に立つのがあまりにも恐ろしく、身体が硬直し、口は渇き、完全に上がりきっていました。かといって、上がってしまっていても、初めての研修講師体験などと言ってしまっては、受講者からなめられてしまいかねません。
 そこで「営業のベテランの皆様に、いろいろと知恵を学んでいただくための研修準備にあたりまして、目的を絞りました。現場のことは皆さんの方が多くを体験してきています。私が下手な準備をするよりは、いろいろな企業を見て、体験してきましたので、それを基に、お話させていただきます。他社の事例を疑似体験していただくことにより、何かを感じ取っていただければ幸いです」と切り出しました。
 続いて「夜も寝ないで、昼間うつらうつらしながら準備を進めたおかげで、体重も減らすことができました。これもひとえにこの研修のおかげです」と繋げました。これで、会場の雰囲気も和み、私の気持ちも落ち着くのがよくわかり、半日の初研修は、まずまずの体験となりました。
 人の前で話をする機会が、私も仕事柄多いですが、多くの読者もその様な機会があると思います。中には、そのようなときに上手に対応できる人もいると思いますが、大半の人は上がりながらやっていると思います。赤面症で上がるのが当たり前のような私の体験がお役に立つかどうかは解りませんが、ご紹介しておきます。
 まずは、事前準備です。私の場合には、パワーポイントを利用することがほとんどです。その時に、話す順序に従って、アニメーション機能を使います。画面に新たに表示されたことを基に話せばストーリー展開を気にしないで講演をすることができます。これが自分自身に安心感を与えてくれます。
 アニメーション機能を使って準備をするのには時間がかかりますが、安心して講演できるというメリットの方が遙かに大きいと考えています。それをもとにリハーサルを繰り返します。画面を印刷しておき、このフレーズや図版が出てきたら、このことを話すというメモを大きめの字で書き込んでおきます。このときに自分が話す言葉を書くのではなき、キーワードを大きく書いておきます。それを話す順番が来たときには、キーワードで話す内容を思い出せますので、心強いのです。準備を充分にしておきますと「準備万端、後はリハーサルにあわせて、肩の力を抜いて話せば良い」という気持ちで臨みます。
 上がり防止に王道はありません。準備することが死中求活に繋がります。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー09 我田引水 自分の考えに固執し、周囲に迷惑をかける~自分の都合ばかりの身勝手な振る舞い~

2025-02-22 00:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー09 我田引水 自分の考えに固執し、周囲に迷惑をかける~自分の都合ばかりの身勝手な振る舞い~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー09 我田引水 自分の考えに固執し、周囲に迷惑をかける
   ~ 自分の都合ばかりの身勝手な振る舞い ~


「我田引水(がでんいんすい)」とは、「我田」は、自分が所有したり耕作したりする田んぼのことで、そこに「引水」すなわち水を引くという意味です。このことから、自分の田に水を引き入れることばかりを考えて、他の田のことは考えないことから、「自分の都合ばかりを考えて、身勝手で他の人のことを考えない」ことをいいます。「手前勝手(てまえがって)」という言葉と同じです。
 自分の利益ばかりを考える利己主義者でも困りますが、自分の理屈でものごとを判断し、他の人の意見や条件等を勘案しないのも困ります。世の中には、「頑固一徹(がんこいってつ)」な人がいます。意志が強く、それを貫き通すといいますと、非常に魅力ある表現となりますが、自分の考えだけで、あるいは自分の流儀だけをかたくなに守り、ひたすらそれを相手に押しつけたり、自分の考えを押し通したりすると組織活動を渋滞させたり、時には破壊したりしかねません。
 私の身近に、身障者がいます。その人は、遠慮深く、また大変人に対する思いやりのある人です。人には迷惑をかけないように、できるだけ自分で何でもやってしまう人です。自分で無理をしてやるために、痛い思いをしたり、筋肉痛になってしまったりと、その弊害が出てきます。それが一因となって頭痛や肩こりで悩み、本人は明るく接しているつもりですが、暗い顔をしていることがしばしばあります。
 そばにいる者としては、そのような状態を見るのが辛いですので、できる限り、その人が何をしたいのか、何をしてあげたらその人が楽をできるのか、終始注意を払っていなければなりません。その人は、何方の人にしてもらうのは悪いと思って遠慮をしているのですが、反って周囲の人に余計な気を遣わせてしまっているのです。
 例え、自分は良いことをしているつもりでも、それが我田引水で、時には人に対して失礼であったり、迷惑をかけていたりすることもあるということを知っておくべきでしょう。
 人間は人と接するときに、四種類に大別されるといわれています。攻撃性という軸と表出性という軸でポートフォリオを作成します。攻撃性というのは、人との付き合いの中で、相手を打ちのめす傾向が強いか、弱いかという観点です。一方の表出性というのは、その言動が表に明確に出る人と、そうでない人とがあります。
 攻撃性も表出性も、いずれの指標も高い人のことを「攻撃型」と分類します。相手の意図を斟酌せず、自分の考えや気持ちをそのまま相手に押しつけるタイプです。我田引水型の人に多いと思います。このような人は、フェース・ツー・フェースでありましょうが、会話の中に攻撃相手がいないこともありましょうが、自分のことを棚に上げて、相手を攻撃します。自分が、相手を傷つけているという意識はなく、人のことを悪くいいます。いじめという問題では、いじめる側の人です。
「陰湿型」というのがあります。攻撃型とよく似ているのは、攻撃性が高い面ですが、相手への攻撃が表立ってはあまり見えない人です。陰口をたたく人がその代表です。近年は、メールやSNSなどを使うとさらに高揚して、攻撃性が強くなります。
 攻撃性も表出性も、いずれの因子も弱いのが「受身型」人間です。どちらかといいますと口数の少ない人に多く、相手の人のことを考えすぎて、自分の気持ちを表に表さない人です。何かを言われますと、自分は弱い人間だ、ダメな人間だと、気持ちが内に向いてしまいます。そのことに固執しすぎて、時には何日も悩んでしまうのです。
 攻撃性はあまり高くないのですが、表出性の高い人を「八方美人型」といいます。誰とでも仲良くできるのですが、意外と信頼されていないタイプの人です。ぶりっこであったり、優等生タイプであったりする人が多く、このような人は他の人から嫌われないように、自分の気持ちを殺してしまったり、感情を隠したりしてしまいがちです。責任感が強い人ですと、鬱病にかかってしまうこともありますので、感情のコントロールを本人も、周囲の人も配慮が必要です。
 これらの分類は、もちろん、明確に分類できるわけではないのですが、攻撃性が強いと人間関係がギスギスしてしまいます。攻撃性が弱いと主体性のない人生を送りがちです。相手の立場を常に意識して、自分の気持ちや考え方、要望やニーズを率直に伝えることがコミュニケーションの基本です。誠意を持って接すれば、多くの場合に相手に通じますので、受身型の人でも、中庸性が次第に出てきて、人間関係が改善されて行くでしょう。
 私が会社勤務をしている頃、部下に我田引水型の人がいました。その人とは、そりの合う人の方が少ないくらいで、仲間から敬遠されがちでしたが、仕事は熱心でした。あるとき、事前に彼とは仕事の進め方でぶつかっていたのですが、彼が自分の主張に基づいて仕事を進めることになりました。「失敗させて人を育てる」ということを信条としていましたので、彼のやり方で進めることを容認したのです。
 彼が徹夜や残業が続いたときに「○○さん、頑張っていますね。あと少しでこの仕事も終わりますから、がんばってください」と励ましたつもりでした。ところが、彼にしてみれば、自分は徹夜までして頑張っているのに、その上、さらに頑張れといいますことは、彼の方法論に異を唱えていた私が、彼に当てつけに言ったと解釈したのでしょう。その後、口も利こうとしなくなってしまいました。
 そこで、日を改めて、仕事のやり方で、彼から中間報告を聞くことにしました。業務報告ですから彼も口をきかざるを得ません。「君の頑張りは、他の課員にいい刺激になっているよ。でも、たまには息抜きをしたらどうかね。ても、手抜きはダメだよ」と軽口をたたきました。それで軟化したのか、彼が、自分の方法では解決できそうにないので、私のやり方でやってみたいと思うという提案をしてきました。ただ、説明するだけではなく、私も彼と一緒にやり、その日のうちに問題を解決することに成功しました。
 我田引水の部下でしたが、こちらが敬遠するのではなく、積極的にアプローチをかけ、また相手の仕事ぶりを高く評価することにより、二人の気持ちの距離感が縮まったように思えました。また、一方的に命令口調で言うのではなく、自分がして欲しいことをキチンと伝えるとともに、相手の状況についてもキチンと把握した上で、業務を進めることが大切です。たとえ我田引水の人であっても、共感し、共鳴しますと、こちらの気持ちにも寄り添ってくれることを実感したのです。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー08 一視同仁 仁義と公平性の原則 ~ 人を差別せず、平等に見て愛し慈しむ ~

2025-02-15 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー08 一視同仁    仁義と公平性の原則 ~ 人を差別せず、平等に見て愛し慈しむ ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー08 一視同仁    仁義と公平性の原則
     ~ 人を差別せず、平等に見て愛し慈しむ ~


 一視同仁(いっしどうじん)は、韓愈の「原人」の中に出てきます。「すべての人を差別せず、平等に見て愛し慈しむこと」とあります。
 「仁」は「慈しみ」「思いやり」「哀れみ」のことです。
【広辞苑】仁
 いつくしみ。思いやり。特に、孔子が提唱した道徳観念。礼にもとづく自己抑制と他者への思いやり。忠と恕の両面をもつ。以来、儒家の道徳思想の中心に据えられ、宋学では仁を天道の発現とみなし、一切の諸徳を「統(す)べる主徳」とした。封建時代には、上下の秩序を支える人間の自然的本性とされたが、近代、特に中国では、万人の平等を実現する相互的な倫理とみなされるようになった。


 「仁義」という言葉があります。時代劇で、渡世人が、世話になる人に対して「仁義を切る」というシーンがあります。親分・子分の間の道徳観とでもいうのでしょうか。
 この仁義というのは「いつくしみの心と道理にかなった方法。仁と義。【広辞苑】」というのがもともとの意味で、我々が平素感じているニュアンスとちょっと異なるような気がします。
 因みに「克己復礼(こっきふくれい)」は、「己に克ちて礼を復(ふ)む」と訓読みをします。「克己」は「己の欲望に勝つ」という意味で、「克己心」というような表現で私達は使います。「復む」とは、「実践する」という意味で、「復礼」は「礼の道に従う」ことです。従って「克己復礼」は「私利私欲、私情を抑え、社会的な規範やルール、マナーやエチケットなどに則って行動する」ことを指します。孔子が「仁」について弟子の顔淵(がんえん)に答えた言葉と言われています。(四字熟語辞典)
 ブログを見ていましたら「為政第2-15 31  仁以て己が任と為す。亦た重からずや」という論語の一節が紹介されていました。「学徒たる者は、重みに耐える強さ、遠くまで続く粘りがなければだめだ。仁の追求を任務に背負っているのだから、こんな重荷はない。死ぬまで続く生涯教育だから、こんな遠い道はない。(論語と渋沢栄一 プレジデント社)」という説明からも「仁」という言葉のニュアンスが感じ取れます。
「仁義」というのは、人が踏み外してはいけないこと、世間の義理や人情を大切にすることを説いているのです。社会人として、人間関係をスムーズにする「基準」となるのが「仁義」かも知れません。
 仁義の道という意味で「安宅正路(あんたくせいろ)」という四字熟語があります。「安宅」は、住み心地の良い家、「正路」は、人が進むべき正しい道のことという意味で、母子に出てきます。(四字熟語辞典)
 脱線しますが、かつて日本の十大商社の一つに「安宅産業」という商社がありました。この四字熟語を思いますと、創業の精神に「安宅(あんたく)」という、家族重視の思いが込められていたのかもしれません。同社が犯した原油ビジネスでの失敗の一因が、同族経営であったというように言われていますが、家族重視が同族重視に繋がってしまい、それが前面に出すぎてしまったのかもしれません。
 人事おきましては、しばしば問題になるのが「依怙贔屓(えこひいき)」です。「依怙」は「一方だけの肩を持つ」という意味で「贔屓」も同じような意味ですので、類語を重ねて強調表現にしている四字熟語です。いまさら紹介するまでもなく「依怙贔屓」とは、「自分が気に入った人や自分にメリットのある人を重用し、引き立て、公平でない扱いをする」ことを指します。
 経営においては「規矩準縄」の項に記述されていますが、何ごとにおいても「基準」というのは重要です。企業における基準となるのが経営理念とか社是・社訓、ミッション、クレド等々が代表的です。例えば経営計画を立案しようとします。どのような商品・サービスを、どのような市場に、どのように提供していくか、経営の基本戦略を基に経営計画が立案されなければなりません。
「世の中におけます人の心の幸せを願う」という下りが経営理念の中に含まれているとします。その企業が、自社の技術を応用すると素晴らしい武器を製造することができるかもしれません。武器というのは戦争で使われる道具であり、それは経営理念に反しないのだろうかというような見方ができれば判断を誤ることはないでしょう。一方、見方を変えて、戦争が起こったときにはその商品が役に立つという安心感を国民に与えるという観点で見ますと、NOがYESに変わるかもしれません。
「戦争は悪いもの」という観点に固執してしまいますと、「兵器製造会社は社会の悪である」という結論に至ってしまいます。一方、上述のように「兵器を持つことは、国にとっては保険のようなもの」と考え、国民に安堵してもらうという観点では、「兵器は必要不可欠なモノ」という考えに至るかもしれません。
 別項にありますように「俯瞰細観(ふかんさいかん)」しますと、上述のようにいろいろな観点で見ることができます。私は父を戦争で亡くしていますので、戦争礼賛論者ではありません。「戦争は悪いもの」という決めつけではなく、何ごとも公平に見るという視点も必要と考えています。
 多くの企業においては、年功序列から実力主義を重視した社員査定の方法が変化しています。別項でも紹介していますように、一人の社員の一面を見ただけで、その社員の全体が、目の前に見えている状況であるかのような見方をしてはならないでしょう。なぜなら、人間というのは、多面性を持っていますし、人の良いところというのは、見方を変えることにより異なって見えるものです。ある一面が悪いからと言って、切り捨ててしまうのは、企業にとって損失ではないでしょうか。
「十人十色(じゅうにんといろ」という四字熟語があります。十人の人間がいれば、それぞれが異なって見えます。人の考えや性質も、好みも、それぞれ違うものです。共通する言葉に、「各人各様(かくじんかくよう)」「多種多様(たしゅたよう)」という四字熟語があります。
 企業における理念も戦略や方針も「百社百様(ひゃくしゃひゃくよう)」です。上述のような兵器製造メーカーも、視点を変えれば良いところがあるわけです。要は、社会的か、反社会的かという視点で見る場合も、視点を変えれば「十人十色」なのです。
 因みに「この方法を採用すれば、効果覿面、必ず会社はうまく行く」という成功経営の法則のようなものがあれば良いと経営コンサルタントという立場で永年模索をしてきましたが、残念ながら経営に秘策はないようです。「効果覿面(こうかてきめん)」の「覿面」は「むくいや効果がすぐにあらわれるようす(広辞苑第六版)」ですが、もともとは「目の周り」という意味でした。
 近年、コンプライアンスということが企業経営にも強く求められるようになりました。「是非曲直(ぜひきょくちょく)」という四字熟語がありますが、「道理にかない、正しいこととそうでなこと」という意味です。「是非善悪(ぜひぜんあく)」「理非善悪(りひぜんあく)」「理非曲直(りひきょくちょく)」も同じような意味です。
 他の人の話を傾聴するときにも、自分の意見をまとめてから発言するときにも、まず、自分のスタンスを決めてから、行動に移すと人間関係を壊すことなく、自己主張もできるのではないでしょうか。「十人十色」「百社百様」という視点で、公平に、いろいろな角度から見ることが、多様化の時代には必要なのではないでしょうか。
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