経営コンサルタントへの道

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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-05 屋上架屋 ムダ・ムラ・ムリ~重複して、ムダのあること

2025-03-22 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-05 屋上架屋    ムダ・ムラ・ムリ~重複して、ムダのあること        


   四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-05 屋上架屋    ムダ・ムラ・ムリ
    ~ 重複して、ムダのあること ~

 「架」は、音読みで「か」ですが、訓読みすると「かける」とか「かかる」となります。例えば「架橋」といいますと、川などに橋を架けることです。
 「架」は、「かける」という意味の他に「棚」という意味もあります。図書館の本棚のことを「書架」といいますが、まさにこの意味で使われる用例のひとつです。
 「屋」は「屋根」という意味であることはどなたにも想像できることです。すなわち「屋上架屋(おくじょうかおく)」といいいますと、「屋上」は「屋根の上」ですので「屋根の上に屋根を架ける」ということになります。もともと屋根というのは、風雨から家を守るために作られている構造物ですので、厳しさに耐えられるように作られています。その上に、さらに屋根を作るとことは意味のないことです。このことから、屋上架屋は、「重複して、ムダのあること」、「無意味なことを繰り返す」という意味となります。
 しかし、現実には意味のある屋上架屋もあります。例えば中尊寺のさや堂は、金箔の金堂を風雨から守るための建物で、金堂の屋根の上に、さらに屋根を作り、豪雪地帯ですので、雪や風雨が金堂に直接あたらないようにしています。これは特殊な例ではありますが、意味のある屋上架屋もあることになります。
 経営コンサルタント業に永年携わってきていますが、例えば、製造現場におきまして、「ムダ・ムラ・ムリ」という「3ム」を基本として企業に遭遇することがしばしばあります。「3ム」を徹底することにより経費の無駄を省いたり、作業の効率が改善されたりします。
 ムダの例として、包装のオーバースペックがあります。お菓子を例にみてみましょう。個別包装をして、その上に中袋を入れ、外箱をつけ、さらに包装紙で包み、手提げ袋に入れるということがあまりにもあたり前になってしまっています。お菓子の種類や包装の方法によっては、一度に全部を食べきれないものもありますので、個別包装されていると大変便利です。個別包装は、日本のように湿気の多い島国では、湿気や酸化防止の役割も果たしていますので、それなりの役割があります。また、包装の分だけかさばり、外見的には量がたくさんあるようにも見えます。企業におけるマーケティング戦略の一環としての結果でもあります。
 欧米でクッキーを買ったことのある人はご存知でしょうが、個別包装をされていることはあまりありません。中袋に入れて、外箱や外袋で店頭に並べられています。極端な場合には、中袋も省略されていて、外袋に直接入れられていることがあるほどです。しかし、外袋が充分に中袋や個別包装の役割を果たしているのであれば、それでもよい場合が多いでしょう。
 2011年の東日本大震災の後で茨城県の農家を支援しようと、東京にあります、あるNPOの人達が、茨城野菜の産地直売を支援しました。泥のついたまま、大きさもばらついたまま、選別もされていないので形もそのままの不揃い、という販売方法を採りましたが、大変な人気であったというニュース放映されました。
 省けるところは、その気になってみればたくさん見つかるはずです。企業内から「ムダ」をなくしただけでも利益率を改善することができるかも知れません。原価が下がって、売価に反映させたり、宣伝広告をしたりして売上高を伸ばすことができるかも知れません。
 身の回りでムダを見つけますと、例えば、電気をこまめに切るという習慣は省エネになり、計画停電という不便を囲わなくても済むこともあるかもしれません。「もったいない」という言葉が海外でも使われるようになったと聞いていますが、むしろ日本人の方がもったいないことをしていることが多いのかも知れませんね。
 蛇足になりますが、「ムダ・ムラ・ムリ」という3ムの語尾部分をとって「ダラリの法則」という人もいます。
 私の知っているある経営コンサルタントが、新しいクライアントを訪問したときに、決算書を見ていて違和感を持ったそうです。経営コンサルタントを永くやっていますと、決算書を見るポイントを掴んでいますので、このケースのように「何かが変だ!」と直感することが多々あります。数年間の決算書を基に、数字をよく見ますと売上高に対して仕入高が異常に高いことに直ぐ気がつきました。その原因は、直ぐにはわからなかったそうです。
 通常より厚い鉄板を加工する会社で、競合も少ない、ニッチ産業とも言える業種ですので、本来なら利益率は高くてもやって行けるはずです。粗利率が低い会社では、仕入原価が高すぎるとか、製造原価が高いとか、不良在庫が多いというケースが一般的です。この会社の場合には、製造原価報告書を見る限りにおいては仕入原価も製造原価も高すぎないと判断できました。在庫そのものが少なく、不良在庫が問題になることはなさそうです。
 ただ、売上件数に対して、仕入件数が多いことには気がつきましたが、あまり気にも留めていなかったそうです。結局、何処に原因があるのか、直ぐには解らないまま、加工工場を見学した後、工場の裏手に回ったところで、野ざらしの鉄板の山を見つけました。錆の出た鉄板の山を前にして、それが何かの説明を受けたところ、鉄板を斬った残りだというのです。
 さらに詳しく訊きますと、顧客からの注文毎に、資材商社に発注したり、まっさらの鉄板を倉庫から出してきたりして、顧客の注文に応じてカットをしているという説明です。残りの部分を裏庭に運び出したものが、山となっているのです。すなわち、一度カットした鉄板は、残りをすべて廃棄していたのです。廃棄していますので、不良在庫にはならず、原価は、一枚分まるまるかかってきますので、当然のことながら粗利率が低いのです。
 板をカットする前に、材料の取り方を検討させ、残りを工場内に一時保管したり、倉庫に運び込んだりして、再利用できるようにしました。それだけで利益が急速に改善しましたので、改善して上がった利益の半額を全てボーナスとして社員に支給しました。社員は大喜びしただけではなく、仕入の仕方やカット方法を工夫するなど、モラールが一挙に高まったそうです。
 ちょっとした工夫で、ムダを省き、業績は改善し、社員のモラールは高く、明るい職場になったのです。難しい経営理論ではなく、ダラリの法則だけで収支トントンの企業が儲かる会社に生まれ変われるのです。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-04 因循姑息 目先に追われて大局を見失う ~ 古くから慣れ親しんできた習慣や慣習に従う ~

2025-03-15 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-04 因循姑息 目先に追われて大局を見失う ~ 古くから慣れ親しんできた習慣や慣習に従う ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-04 因循姑息 目先に追われて大局を見失う
    ~ 古くから慣れ親しんできた習慣や慣習に従う ~



 経営コンサルタントとして仕事をしていますと「何で、このような帳票や資料を作成しているのだろう」「なぜ、このような加工方法を採るのだろう」「なぜ、この機能がいるのだろう」などと、首を傾げたくなることが多々あります。そのようなときに、「なぜ、そうするのですか?」と尋ねますと、「先輩から、このように教えられたから」「マニュアルにこのように記載されているので」「このようにやるのが常識ではないですか?」というような答が返ってきます。
 私たちは、意識していないうちに、現状を肯定してしまいがちです。このことは、「因循姑息(いんじゅんこそく)」に繋がります。「因」は「~による」「~に基づく」いう意味です。「循」は、「従う」という意味で「循環」というのは「環に循(従)う」ということで、サイクルの意味に使われます。このことから「因循」は、「すでに出来上がっているレール、すなわち既成の物や規則などに寄り添う」という意味になります。「姑」は、「しゅうとめ」という意味が一般的ですが、ここでは「しばらく」という意となり、「息」は、「一息つく」という意味です。「姑息」は、「しばらくの間休む」ということから、「現状のまま過ごす」という意味です。
 このことから、因循姑息というのは、「古くから慣れ親しんできた習慣や慣習に従う」ことを基本とし、そこに疑問を持たずに、逆にそれに固執して、例え不便や問題があったとしても改めて、これまでのやり方に拘ってしまうことを指します。このことが転じて「.消極的な態度に終始し、決断力に欠けて、現状のままズルズルと引きづられてしまい、非建設的な発想になってしまう」という状況の時に使われます。
 将来の変化を予測して行動するという、別項で紹介しました「深謀遠慮」という姿勢が見えない人は、目先のことを心配して自分の考えを変更しようとしないことがあります。このような人を、「遠慮近憂(えんりょきんゆう)」という四字熟語をつかって表現します。すなわち、この四字熟語は「将来のことを考慮に入れて判断し、先手を打って行動を起こすべきところ煮も関わりませずそうしておきませんと、近い将来にそれがトラブルとになってしまいます」という意味ですので、先手を打っておかないとならないという教えです。
「石橋をたたいて渡る」という諺がありますが、物事に非常に慎重な人を例えるときに使います。世の中には、石橋をたたいても、心配となって渡らない人もいます。そのような人は、過去に大きな失敗をしたり、怖い思いをしたりした経験があり、それがトラウマとなってしまっているのかもしれません。そのような人を表すときに「懲羮吹膾(ちょうかんすいかい)」という四字熟語を使います。訓読みしますと「羮(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く」となり、わかりやすいでしょう。羹を食べたときに、熱い思いをしたり、口にやけどをした人が、膾(なます)という冷たい物が出されても、熱いかもしれないといってフーフーとして、冷ましたりしてから食べようとする、というムダな行為をいいます。まだ、そのようにしても食べる人は許容されても、食べない人は困りますね。
 因循姑息な部下を持ちますと、懲羮吹膾な態度にイライラすることもあるかもしれませんが、「右顧左眄(うこさべん)な部下も困ります。「左顧右眄(さこうべん)」とも「右顧左顧(うこさこ)」とも書くことがあります。「右大臣の顔を見たり、左大臣をチラッと見たり」ということから「右顧左眄」が正しいのでしょうが、それがあやふやな人が、誤用をしているうちにこのような別の表記が存在してしまったのではないでしょうか。
 話が脱線してしまいましたが、「顧」は「気を配る」、「眄」は「流し目で見る」という意味で、どちらも正面からしっかりと相手を見据えないという意味です。このことから、「周囲ばかりを気にして決断しない」という意味の他に、そのしぐさから、「自信がなく、ためらっている」ことを表す時にも使われます。
 周囲に気を遣いすぎる人のことを「八方美人(はっぽうびじん)」「八面玲瓏(はちめんれいろう)」ともいいます。どこから見ても欠点のない美人というのが原意ですが、そこから転じて、「誰とでも如才なくつきあう人」という意味で使われます。時には、あまりにもいろいろな人とつきあうために、鳥か獣かを問われたコウモリのように振る舞う人ということから、悪い意味で用いられることが多くなってしまいました。
 関連して「内股膏薬(うちまたこうやく)」という、またの内側に塗った「膏薬(練った外用薬)」が歩く度に左右反対側につく様を言う、似た四字熟語があります。これも「コウモリのように、あっちについたりこっちについたりして、節操のない」という意味から、「定見がなく、その時の気持ちで動く」そのような人のことをあざける時に用います。日和見主義な人のことを指します。
 世の中の管理職の中には、因循姑息で、指示や命令が不明瞭でありましたり、大局を掴めていませんでしたりして、相談してもイエスかだノーだかわからない人もいます。意見を求めても、小手先のことばかりを話して、本来経営計画に基づいて、全社一丸となって行動すべき所を、自分がミスを犯さないようにすることのみに終始する人もいます。そのような人は、右顧左眄な人が多く、実力もありませんのに、意外と出世街道をまっしぐらという人がいるのは、釈然としませんね。
 別項でも触れていますが、有能な管理職というのは、始末書をたくさん書いていると言われています。積極的に何かにと組もうとか、新しいことを始めるとかすれば、中にはうまくいかないこともあります。失敗したくなければリスクを冒して、何もしないことです。もし、私が定年退職するとしたら、その時には「過去○十年、大過なくやってこられました」とう挨拶はしたくないと思っています。大過なくビジネスパーソンをやってきたと言うことは、自分はリスクを冒して何もしてこなかったと言うことを自分が認めることになるように思えるからです。
 何もしないで、後からしなかったことを後悔するより、やってみて、例え失敗しても立ち上がり、再挑戦する道を選びたいと思っています。


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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-03 苦肉之計 なし崩しに物事に対処するなかれ~苦し紛れで考えついた方法で対峙する~

2025-03-08 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-03 苦肉之計    なし崩しに物事に対処するなかれ~苦し紛れで考えついた方法で対峙する~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-03 苦肉之計    なし崩しに物事に対処するなかれ
    ~ 苦し紛れで考えついた方法で対峙する ~


 絶体絶命の状態でも、弱者が意外な力を発揮して、強者を苦しめるということはランチェスターの弱者の法則でも、経営面で知られています。別項におきましてでたきました「窮鼠噛猫」という四字熟語と同じ意味で、「窮鼠噛狸(きゅうそごうり)」というのがあります。前者が猫でしたが、後者は狸が登場します。窮地に追いやられるとネズミが身体の大きな狸にもかみついて必死に生き抜こうとするということを教えてくれています。
 企業経営におきましても、窮状に至りますと、「苦心惨憺(くしんさんたん)」してもなかなかその状況から脱することが困難で、「孤城落日(こじょうらくじつ)」となりがちです。「苦心惨憺」とは、課題解決のために一所懸命に知恵を絞り、策を弄して、困難克服のために非常に苦労や工夫の努力を重ねることを指します。「苦心」とは、あれやこれやと心を砕き考えることで、「惨憺」は、心を悩ませることで、「悪戦苦闘(あくせんくとう)」とか「粒粒辛苦(りゅうりゅうしんく)」などと同じような意味で用いられます。
「孤城落日」の「孤城」は、援軍から遠く、孤立してしまった城のことです。「落日」は、沈んでゆく夕陽のことで、落ちぶれるという意味にも使われます。すなわち、「孤城落日」は、「孤城落月(こじょうらくげつ)」とも言いますが、「援軍もない心許ない」状況を指します。
 窮地に陥っても、簡単に諦めるなという教えは、列子の「愚公移山(ぐこういざん)」という言葉からも学べます。訓読では「愚公山を移す」と読みます。愚公が、生活の邪魔になる山を切り崩そうと村人に声をかけました。しかし、人々は、「それは不可能」と嘲笑しましたが、「子々孫々の代までかかってもやり遂げる」という愚公の熱意に動かされた天帝が、山を他所に移動してやったという故事に基づく四字熟語です。
「必死になって、根気強く努力を続ければ、最後には必ず困難を克服でき、志を成し遂げられる」という教えです。ところが、最善の策が見出せないときもあります。そのようなときには「窮余一策(きゅうよいっさく)」、すなわちいろいろと熟慮を重ねましたが、良策に至らず、困り切った挙げ句にやむを得ず採用した方法を指します。その意味では、「非常手段(ひじょうしゅだん)」という言葉と通じるところがあります。
「窮余一策」に通ずる四字熟語として「苦肉之計(くにくのけい)」とか「苦肉之策(くにくのさく)」という言葉もあります。計画を軽視し、「窮余一策」は「苦肉之計」で行いますと、何ごとも不完全なままで終えざるを得ません。
 ギリシャ神話の中に「トロイの木馬」と言うのがあります。トロイア戦争の時に、ギリシャ軍が、「金城鉄壁(きんじょうてっぺき)」なトロイア国の城を攻めあぐねていました。大きな木馬を作り、ある夜、それを敵の城門の前に置いておきました。朝になって、城門前の大きな異物を発見したトロイア軍の兵士は、それを場内に運び込みました。その晩、要塞堅固な城に油断をして、手薄になっている所に、大きな木馬の中に潜んでいたギリシャ兵士が木馬から出てきて、城門を開けてギリシャ軍を勝利に導いたというストーリーです。
 これによく似た話が、中国の漢書にでてきます。ある男が、敵を欺くために、わざと自分の身体に傷を付けて、敵陣に逃げ込んだ振りをしました。敵陣内に入ったその男は、敵の内情を探り、見方を勝利に導いたと言います。苦肉之策というのは、苦し紛れに考えついた方法で課題に対峙するという意味です。
 因みに「金城鉄壁」というのは、「金城」は金で作ったような堅牢で、守りが堅固という意味です。敵が容易に城壁内に入れなくて、陥落が困難な城という意味から、「堅固で隙がない」という意味に用いられます。中国におけます「城」は、日本の城と異なり、都市を城壁で囲み、民衆もそこで生活できる広い範囲を指します。「金城鉄壁」と同じ意味で「難攻不落(なんこうふらく)」「金城湯池(きんじょうとうち)」という四字熟語があります。「湯池」は、「湯の池」すなわち、熱湯のたぎる堀に囲まれた城のことです。
 多くの企業で、PDCAが定着しているかのように見えます。計画を立てても、期限がまだ充分ありますので、スケジュール的にゆとりがあると油断してしまい、期限が近づいて慌てることがあります。時間的制約があり、余裕がないあまりない中、作業を進めるとどうしても雑になりがちです。また、腰を落ち着けて考えるゆとりがなく、本来なら生まれてくるような知恵が十分発揮できません。「時間がないので、これでやるしかない」と窮余一策を絞り出してくることがあります。窮鼠噛猫で良いアイディアが生じてきたのでしたら良いのですが、得てしてそのようなときと言うのは、「思案投首(しあんなげくび)」、すなわち「考えてはいるけど名案が浮かばないで、困って首を傾げる」ならまだしも、「時間がない」のではなく、「時間がなくなるような、ギリギリの状態に追い込まれてしまってやむをえない」状況を作ってしまっているのです。そのような社風の企業は、万事において、このように「なし崩し」で業務が行われる傾向にあります。その結果、中途半端な計画で、中途半端に仕事をし、そのチェックやアクションも中途半端になってしまいがちです。
 ある会社で、販売促進のための企画課長が主催して企画会議を開催することになりました。販促策はまだ数か月先ということもあり、開催案内の配布を先延ばしにしていました。あるとき、部長から指摘を受けて会議を開催したのですが、企画まで一か月足らずになってしまいました。
 その販促策のコンセプトも十分に審議せず、複数の担当者に業務を割り振って、準備に着手しました。案内状を作成する担当者は、以前の販促企画時の案内状を基に作成、それを発送しました。開催予定の会場予約の担当者は、予定していた会場の予約ができず、別の会場を予約せざるを得ませんでした。会場の設定も展示業者との打合せがちぐはぐとなり、装飾の変更を起こさざるを得なくなりました。案内状発送担当者は、来客の動員活動に入ったときに、案内状内の会場が間違えていることを発見し、急遽印刷物の手配をやり直し、再発送したりしました。
 いろいろな不手際がありましたが、当日がやってきました。その日は、週末のために会社はお休みの日でした。念のために、販促企画担当者のひとりを会社に待機させておいたのですが、「会場に行ったけど、誰もいないがどうなっているのか」という電話がひっきりなしで、対応に大童でした。二度目に出した会場変更の案内状を見落としたお客様が旧案内状の会場に行ってしまったのです。
 会場の装飾も、企画内容にふさわしくない、ケバケバとしたものであったり、会場に展示すべき商品が案内状にそぐわなかったりという問題も起こりました。また、予定した集客数の五十%にも至らない動員結果となってしまいました。会場案内の手違いで来なかった人も多いのかもしれませんが、なによりも案内状の内容が抽象的で、具体性に欠けていました。そのために、案内状を受け取った人が、「行きたい」という気持ちを起こさなかったようです。
 この企画の担当者達は、当然のことながら、PDCAということを知っています。その効果や価値も解っていながら、それが絵に描いた餅にすぎなかったのです。計画段階、準備段階、直前の確認、当日の対応等々、すべてが「時間がない」ということを理由にして、「なしくずし」に進めてきました。なし崩しで進めてきたことが問題であることを認識せず、お互いに「連絡が悪い」「聞いていない」等々の責任のなすりあいでした。「なし崩し」が「日常茶飯」に行われている企業体質ですと、それが繰り返されてしまいます。これでは将来が危ういといっても過言ではないでしょう。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-01 旱天慈雨 個から組織で動くへ~苦境に立っているときに差し伸べられる助け ~

2025-03-01 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-01 旱天慈雨    個から組織で動くへ~苦境に立っているときに差し伸べられる助け ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-01 旱天慈雨    個から組織で動くへ
    ~ 苦境に立っているときに差し伸べられる助け ~


「旱天(かんてん)」とは、「干天」とも書き、「干ばつ」という字からも想像が付くと思いますが「日照り」のことです。「慈雨(じう)」は、文字通り恵みの雨ですので、「旱天慈雨(かんてんじう)」という四字熟語は、「干ばつのような日照りが続いているときに降る恵みの雨」のことです。このことから、私たちが「苦境に立っているときに差し伸べられる助けや支援が提供されるありがたいこと」をいいます。
 このことから「干天慈雨(かんてんじう)」とも書きますし、同じ意味合いで「大旱慈雨(だいかんじう)」とう言葉もあります。

 かつて私が経営コンサルタントの第一線で活動していたときに、「乳母日傘(おんばひがさ)」の若者がいました。その青年は、某証券会社の重役の息子さんで、子供の頃いつも乳母が付き添って世話をしてくれました。箸より重い物を持ったことがないような、何不自由ない恵まれた環境に育ちました。まさに「乳母日傘」を地で行くような生活で、どこかへの移動は運転手付きで乳母と共に移動し、車から目的地までのわずかな距離でも日傘を差してもらうような生活でした。
「砥㸿之愛(しとくのあい)」は、「㸿」は、「仔牛」のことで「犢」という旧字体で用いられることが多く「砥犢之愛(しとくのあい)」というのがもともとの表記のようです。「親牛が仔牛を舐めてかわいがる」ことから「親が子供を溺愛する」という意味です。
 そのような乳母日傘で育てられた子供がどの様な大人になるのかは想像がつきます。その結果、「横行闊歩(おうこうかっぽ)」がまかり通る人間になってしまいました。「横行」は、勝手気儘に、我が物顔で歩き回るという意味で、それが転じて「自由に振る舞う」と言う意味でも使われます。「横行闊歩」というのは、「辺り構わず、思いのままに大いばりで歩く」という意味で、そこから転じて「わがまま勝手な振る舞い」の意味でも使われます。
 同じような意味で「気随気儘(きずいきまま)」という四字熟語があります。「気随」という熟語も「気儘」も、自分の思うがままに勝手に振る舞うという意味で、同じ意味の熟語を重ねることにより、意味を強めています。

 その青年が大学生の時に父親の会社が倒産し、大学も中途退学をせざるを得なくなりました。そのために、無名な中小企業の会社に勤務することになり、始めは遅刻・早退はあたり前、無断欠勤もしばしばでした。社内での発言も、周囲の空気を読むことができず、勝手気ままな発言をするなどして、鼻つまみ者の存在でした。各部署の管理職が厭がり、たらい回しにされて、最後にたどり着いたのが営業部でした。
 営業という仕事は、結果が数字として出てきますので、この青年にとっては、「孤軍奮闘(こぐんふんとう)」しても、万年最下位の結果に甘んじなければなりませんでした。「孤軍」とは、孤立した軍隊が、「奮闘」して善戦すること、支援者がない中で、ひとりで懸命に努力することを指します。
 営業部長が「これから三か月以内に一度でも良いから最下位を脱出できなければ、会社を辞めてもらう」と厳しく言い渡しました。もともと、頭の良い青年だったらしく、真剣に仕事に取り組み始めたのですが、一向に注文をとることができません。
 そのようなある日、営業部長から、ある知恵を授かり、三週間目にして、初めて注文をとることができました。この青年は、その時初めて人の心の温かさを感じたと後になって漏らしています。営業部長のアドバイスが「旱天慈雨」だったのです。「背水之陣」で、必死に仕事をすることで結果を出せることを学んだ彼は、「君子豹変(くんしひょうへん)」して、まじめにコツコツと仕事をするようになりました。
 その青年は、後に「神出鬼没の営業パーソン」といわれるほど、ライバル企業の営業パーソンに怖れられるようになったといいます。「神出鬼没(しんしゅつきぼつ)」は、「神や鬼のように変幻自在に出没する」とうことから「神や鬼のように自在に現れたり、隠れたりする」という意味です。「鬼出電入(きしゅつでんにゅう)」ともいいます。後者の「電」は「稲妻」のことで「現れたり消えたりがすばやく、目にとまらない(新明解四字熟語辞典)」という意味です。
 易経の中で、得のある君子が、自らの過ちを素直に見つめ、直ちに自分のやり方を改めた結果、直ぐに良い結果を生むようになったという話から「君子豹変」という四字熟語が生まれました。「豹変」とは、豹(ひょう)のまだら模様がくっきり、鮮やかに変化しているという意味です。このことから転じて、君子豹変とは、「態度や思想が急に変わる」という時にも使われます。ただし、希に「変わり身の早さ」というあまり良くないニュアンスで使われることもありますが、もともとは肯定的な意味でした。
「首尾一貫(しゅびいっかん)」は、「始めから終わりまで言動が変動せず、一筋に貫かれている」という意味です。「終始一貫(しゅうしいっかん)」とか「徹頭徹尾(てっとうてつび)」も同じような意味で、主義や主張、あるいは態度が定まっていて、ぶれない人のことを指します。

 ここに登場します営業部長ですが、大変有能な管理職で「管理職は、ルールを破る人」という考えをもっていました。私も十年間サラリーマンをしていましたので、有能な管理職からいろいろと学んだことがあります。ところがその管理職は、しばしば始末書を書かされていました。例えば、部下が自分の権限内では、定められた値引きしかできないときに、部長権限で大幅値引きをしました。顧客が困っていることを解決するにあたりまして、現状の商品では対応できない状況に遭遇したときのことです、勝手に規格外の仕様で、顧客の要望を聞いて注文をとってきました。社内に戻ると技術部に掛け合い、そこで埒があかなくなりますと、開発部に掛け合って、特別仕様の商品を作らせたとのことです。そのために、新商品開発が遅れたり、生産計画が乱れたりと大変な影響が出て、始末書を書くことになりました。
 私は、この話を目の当たりにしたときに、有能な管理職というのは、会社の種々の決まり事に縛られていては、手腕を発揮できないことを感じ取りました。すなわち、仕事で結果を出すには、「臨機応変(りんきおうへん)」な考え方が必要なのです。臨機応変という四字熟語も、いまさら説明する必要もないほど、一般に流布された言葉です。「各種の条件下で、その条件に応じて適切な判断をしたり、道具を使ったりして対処する」ことです。
 この営業部長も、会社のルールを「金科玉条(きんかぎょくじょう)」のごとく守っていては仕事にならないことを知っているのです。かといって、この人がコンプライアンスを軽視しているわけではなく、むしろ社会人としては立派な人です。
「金科玉条」の「金」も「玉」も貴重で、高価な物です。「科」と「条」は法律や決まりごとのことです。すなわち、金科玉条とは、「黄金や珠玉のように、素晴らしく、美しくもある」ようなルールという意味です。ここから、融通の利かないこととして、あまり良い意味では使われないことも多い四字熟語です。
 また、この営業部長は「即決即断(そっけつそくだん)」の人で、「朝令暮改(ちょうれいぼかい)」を厭いません。それどころか臨機応変な経営管理こそ金科玉条で、朝令暮改はあって当然と言うことを口癖のように言っていました。
「即決即断」は、「意思決定を、その場で直ぐに行う」ことで、日本企業は、商慣習上の稟議制度などがあり、海外の企業から嫌われることの一つです。「速戦即決(そくせんそっけつ)」ができないために、グローバル市場で負けてしまっているとも言われています。
「朝令暮改」の戻りますが、「朝令」とは、朝出した法律という意味です。「暮改」は、夕暮れに、それを改める、すなわち夕方には、朝一旦決定した法律を直ぐに改めてしまういう意味です。このことから「命令や法規法令などが頻繁に変更される」ことを言います。あまり良い意味で使われなく、「しばしば」、すなわち「再三再四(さいさんさいし)」変更されて、あてにならないという意味でも使われます。
 朝令暮改は、漢書に出てくるのですが、類似四字熟語として「朝改暮変(ちょうかいぼへん)」というのがあり、同じ意味で使われています。

 旱天慈雨の人は、単に優しさを持つだけではなく、考え方がフレキシブルなのかもしれません。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-02 死中求活 背水の陣であたる~生き延びる方策や道を求める~

2025-03-01 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-02 死中求活    背水の陣であたる~生き延びる方策や道を求める~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-02 死中求活    背水の陣であたる
    ~ 生き延びる方策や道を求める ~


「死中求活(しちゅうきゅうかつ)」とは、訓読しますと「死中に活を求める」となります。「死中」とは、死を待つしかない切羽詰まった状況を指します。一方「求活」というのは、「活」すなわち活路のことで、「求」は、字のごとく「求める」ですので、「求活」は、問題・課題の解決策や生き延びる方策や道を求めるということになります。
 私たちに馴染みがあり、史記に出てきます「背水之陣(はいすいのじん)」という四字熟語と同じような意味です。中国・漢の韓信(かんしん)が、川を背にした陣形をとるというそれまでの常識的な陣取りを覆した陣形をとり、敵国・趙の軍勢に勝利を収めたという故事を基にこの四字熟語が生まれました。
 後ろに川や絶壁を控え、自分自身の退路を断つことにより、一歩も後に引けない困難な状況を作ったおかげで、全員が必死になり、全力を尽くした結果事を成せるという戒めです。すなわち、「火事場のバカ力」、絶体絶命的な状況を作ることにより、人間は持てる力以上の力を発揮出るものであるというのです。
 吉田松陰が、「至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり」と塾生に言っていたと言われますが、一所懸命に努力してもなしえないのは、まだその努力が十分でないからであるという教えです。自分は、背水の陣と思って懸命に努力したつもりでいることが多くありますので、松蔭はそれを戒めたかったのでしょう。
 もともとの出典は「孟子 離婁」です。

   是故誠者、天之道也。思誠者、人之道也。
   至誠而不動者、未之有也。不誠、未有能動者也。

 思想家である孟子は、孔子の教えを形而上学にまで昇華した天才として知られています。「性善説」を唱えていることからも、孟子から学びたいと考える人が多いのではないでしょうか。
 企業の命は三〇年と言われますが、経済環境による影響を受けたり、内部の諸事情に拠ったり、商品のライフサイクルなどいろいろな要因で、経営には波があります。時には、わずかの資金の工面ができずに黒字倒産する企業もあります。
 何とかやりくりができるうちはよいのですが、「絶体絶命(ぜったいぜつめい)」、背後は断崖絶壁という状況に陥り、ヤミ金融を頼りにしなければならない窮地に追い込まれることもあります。
 このように絶体絶命的な状況の中で、何とかしようと必死に活路を求め、解決していこうと模索することを「死中求活」と言います。
 そのような状態になってから、コンサルタントに力を求めてくる経営者もいますが、そこまで追い詰められた状態では、さすがの辣腕コンサルタントでもほとんど解決することはできないでしょう。
 最後の最後に至る前に、専門家に相談することが大切です。
 しかし、さらに大切なことは、「勝って兜の緒を締めよ」すなわち、自分の会社がうまく行っているときに、甲冑のひもを締め直すことが大切です。また、そのようなときには多少なりともゆとりがありますので、いつ襲われるかわからない経営者の敵に対して備えをするだけのゆとりがあるはずです。
  社員研修を実施して、社員のレベルを高めておき、いざ敵が攻めてきた時でも上手に対処できれば痛手も少なくて済みます。場合によると予見ができて、困った状況を回避できるかもしれません。
 企業が土壇場で生き延びることができるかどうか、それが経営の基礎体力により結果が異なるのでしょう。基礎体力は「当たり前のことが当たり前にできる」ように平素から体力作りをしておくことが肝要です。それには自己流でやるのではなく、外部の経営のプロに依頼することによりホンモノの基礎体力を身につけることができることを、私は経験上、多くを見てきています。
「風前之灯(ふうぜんのともしび)」というのは、人生のはかなさのたとえとしてしばしば用いられますが、猫にネズミが追い詰められた状態から「窮鼠噛猫(きゅうそごうびょう)」という四字熟語もあります。前述の火事場の馬鹿力ではないですが、私自身も経営コンサルタントとして、初めて営業管理職を相手に研修講師を担当したときのことです。演壇の前に立つのがあまりにも恐ろしく、身体が硬直し、口は渇き、完全に上がりきっていました。かといって、上がってしまっていても、初めての研修講師体験などと言ってしまっては、受講者からなめられてしまいかねません。
 そこで「営業のベテランの皆様に、いろいろと知恵を学んでいただくための研修準備にあたりまして、目的を絞りました。現場のことは皆さんの方が多くを体験してきています。私が下手な準備をするよりは、いろいろな企業を見て、体験してきましたので、それを基に、お話させていただきます。他社の事例を疑似体験していただくことにより、何かを感じ取っていただければ幸いです」と切り出しました。
 続いて「夜も寝ないで、昼間うつらうつらしながら準備を進めたおかげで、体重も減らすことができました。これもひとえにこの研修のおかげです」と繋げました。これで、会場の雰囲気も和み、私の気持ちも落ち着くのがよくわかり、半日の初研修は、まずまずの体験となりました。
 人の前で話をする機会が、私も仕事柄多いですが、多くの読者もその様な機会があると思います。中には、そのようなときに上手に対応できる人もいると思いますが、大半の人は上がりながらやっていると思います。赤面症で上がるのが当たり前のような私の体験がお役に立つかどうかは解りませんが、ご紹介しておきます。
 まずは、事前準備です。私の場合には、パワーポイントを利用することがほとんどです。その時に、話す順序に従って、アニメーション機能を使います。画面に新たに表示されたことを基に話せばストーリー展開を気にしないで講演をすることができます。これが自分自身に安心感を与えてくれます。
 アニメーション機能を使って準備をするのには時間がかかりますが、安心して講演できるというメリットの方が遙かに大きいと考えています。それをもとにリハーサルを繰り返します。画面を印刷しておき、このフレーズや図版が出てきたら、このことを話すというメモを大きめの字で書き込んでおきます。このときに自分が話す言葉を書くのではなき、キーワードを大きく書いておきます。それを話す順番が来たときには、キーワードで話す内容を思い出せますので、心強いのです。準備を充分にしておきますと「準備万端、後はリハーサルにあわせて、肩の力を抜いて話せば良い」という気持ちで臨みます。
 上がり防止に王道はありません。準備することが死中求活に繋がります。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー09 我田引水 自分の考えに固執し、周囲に迷惑をかける~自分の都合ばかりの身勝手な振る舞い~

2025-02-22 00:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー09 我田引水 自分の考えに固執し、周囲に迷惑をかける~自分の都合ばかりの身勝手な振る舞い~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー09 我田引水 自分の考えに固執し、周囲に迷惑をかける
   ~ 自分の都合ばかりの身勝手な振る舞い ~


「我田引水(がでんいんすい)」とは、「我田」は、自分が所有したり耕作したりする田んぼのことで、そこに「引水」すなわち水を引くという意味です。このことから、自分の田に水を引き入れることばかりを考えて、他の田のことは考えないことから、「自分の都合ばかりを考えて、身勝手で他の人のことを考えない」ことをいいます。「手前勝手(てまえがって)」という言葉と同じです。
 自分の利益ばかりを考える利己主義者でも困りますが、自分の理屈でものごとを判断し、他の人の意見や条件等を勘案しないのも困ります。世の中には、「頑固一徹(がんこいってつ)」な人がいます。意志が強く、それを貫き通すといいますと、非常に魅力ある表現となりますが、自分の考えだけで、あるいは自分の流儀だけをかたくなに守り、ひたすらそれを相手に押しつけたり、自分の考えを押し通したりすると組織活動を渋滞させたり、時には破壊したりしかねません。
 私の身近に、身障者がいます。その人は、遠慮深く、また大変人に対する思いやりのある人です。人には迷惑をかけないように、できるだけ自分で何でもやってしまう人です。自分で無理をしてやるために、痛い思いをしたり、筋肉痛になってしまったりと、その弊害が出てきます。それが一因となって頭痛や肩こりで悩み、本人は明るく接しているつもりですが、暗い顔をしていることがしばしばあります。
 そばにいる者としては、そのような状態を見るのが辛いですので、できる限り、その人が何をしたいのか、何をしてあげたらその人が楽をできるのか、終始注意を払っていなければなりません。その人は、何方の人にしてもらうのは悪いと思って遠慮をしているのですが、反って周囲の人に余計な気を遣わせてしまっているのです。
 例え、自分は良いことをしているつもりでも、それが我田引水で、時には人に対して失礼であったり、迷惑をかけていたりすることもあるということを知っておくべきでしょう。
 人間は人と接するときに、四種類に大別されるといわれています。攻撃性という軸と表出性という軸でポートフォリオを作成します。攻撃性というのは、人との付き合いの中で、相手を打ちのめす傾向が強いか、弱いかという観点です。一方の表出性というのは、その言動が表に明確に出る人と、そうでない人とがあります。
 攻撃性も表出性も、いずれの指標も高い人のことを「攻撃型」と分類します。相手の意図を斟酌せず、自分の考えや気持ちをそのまま相手に押しつけるタイプです。我田引水型の人に多いと思います。このような人は、フェース・ツー・フェースでありましょうが、会話の中に攻撃相手がいないこともありましょうが、自分のことを棚に上げて、相手を攻撃します。自分が、相手を傷つけているという意識はなく、人のことを悪くいいます。いじめという問題では、いじめる側の人です。
「陰湿型」というのがあります。攻撃型とよく似ているのは、攻撃性が高い面ですが、相手への攻撃が表立ってはあまり見えない人です。陰口をたたく人がその代表です。近年は、メールやSNSなどを使うとさらに高揚して、攻撃性が強くなります。
 攻撃性も表出性も、いずれの因子も弱いのが「受身型」人間です。どちらかといいますと口数の少ない人に多く、相手の人のことを考えすぎて、自分の気持ちを表に表さない人です。何かを言われますと、自分は弱い人間だ、ダメな人間だと、気持ちが内に向いてしまいます。そのことに固執しすぎて、時には何日も悩んでしまうのです。
 攻撃性はあまり高くないのですが、表出性の高い人を「八方美人型」といいます。誰とでも仲良くできるのですが、意外と信頼されていないタイプの人です。ぶりっこであったり、優等生タイプであったりする人が多く、このような人は他の人から嫌われないように、自分の気持ちを殺してしまったり、感情を隠したりしてしまいがちです。責任感が強い人ですと、鬱病にかかってしまうこともありますので、感情のコントロールを本人も、周囲の人も配慮が必要です。
 これらの分類は、もちろん、明確に分類できるわけではないのですが、攻撃性が強いと人間関係がギスギスしてしまいます。攻撃性が弱いと主体性のない人生を送りがちです。相手の立場を常に意識して、自分の気持ちや考え方、要望やニーズを率直に伝えることがコミュニケーションの基本です。誠意を持って接すれば、多くの場合に相手に通じますので、受身型の人でも、中庸性が次第に出てきて、人間関係が改善されて行くでしょう。
 私が会社勤務をしている頃、部下に我田引水型の人がいました。その人とは、そりの合う人の方が少ないくらいで、仲間から敬遠されがちでしたが、仕事は熱心でした。あるとき、事前に彼とは仕事の進め方でぶつかっていたのですが、彼が自分の主張に基づいて仕事を進めることになりました。「失敗させて人を育てる」ということを信条としていましたので、彼のやり方で進めることを容認したのです。
 彼が徹夜や残業が続いたときに「○○さん、頑張っていますね。あと少しでこの仕事も終わりますから、がんばってください」と励ましたつもりでした。ところが、彼にしてみれば、自分は徹夜までして頑張っているのに、その上、さらに頑張れといいますことは、彼の方法論に異を唱えていた私が、彼に当てつけに言ったと解釈したのでしょう。その後、口も利こうとしなくなってしまいました。
 そこで、日を改めて、仕事のやり方で、彼から中間報告を聞くことにしました。業務報告ですから彼も口をきかざるを得ません。「君の頑張りは、他の課員にいい刺激になっているよ。でも、たまには息抜きをしたらどうかね。ても、手抜きはダメだよ」と軽口をたたきました。それで軟化したのか、彼が、自分の方法では解決できそうにないので、私のやり方でやってみたいと思うという提案をしてきました。ただ、説明するだけではなく、私も彼と一緒にやり、その日のうちに問題を解決することに成功しました。
 我田引水の部下でしたが、こちらが敬遠するのではなく、積極的にアプローチをかけ、また相手の仕事ぶりを高く評価することにより、二人の気持ちの距離感が縮まったように思えました。また、一方的に命令口調で言うのではなく、自分がして欲しいことをキチンと伝えるとともに、相手の状況についてもキチンと把握した上で、業務を進めることが大切です。たとえ我田引水の人であっても、共感し、共鳴しますと、こちらの気持ちにも寄り添ってくれることを実感したのです。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー08 一視同仁 仁義と公平性の原則 ~ 人を差別せず、平等に見て愛し慈しむ ~

2025-02-15 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー08 一視同仁    仁義と公平性の原則 ~ 人を差別せず、平等に見て愛し慈しむ ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー08 一視同仁    仁義と公平性の原則
     ~ 人を差別せず、平等に見て愛し慈しむ ~


 一視同仁(いっしどうじん)は、韓愈の「原人」の中に出てきます。「すべての人を差別せず、平等に見て愛し慈しむこと」とあります。
 「仁」は「慈しみ」「思いやり」「哀れみ」のことです。
【広辞苑】仁
 いつくしみ。思いやり。特に、孔子が提唱した道徳観念。礼にもとづく自己抑制と他者への思いやり。忠と恕の両面をもつ。以来、儒家の道徳思想の中心に据えられ、宋学では仁を天道の発現とみなし、一切の諸徳を「統(す)べる主徳」とした。封建時代には、上下の秩序を支える人間の自然的本性とされたが、近代、特に中国では、万人の平等を実現する相互的な倫理とみなされるようになった。


 「仁義」という言葉があります。時代劇で、渡世人が、世話になる人に対して「仁義を切る」というシーンがあります。親分・子分の間の道徳観とでもいうのでしょうか。
 この仁義というのは「いつくしみの心と道理にかなった方法。仁と義。【広辞苑】」というのがもともとの意味で、我々が平素感じているニュアンスとちょっと異なるような気がします。
 因みに「克己復礼(こっきふくれい)」は、「己に克ちて礼を復(ふ)む」と訓読みをします。「克己」は「己の欲望に勝つ」という意味で、「克己心」というような表現で私達は使います。「復む」とは、「実践する」という意味で、「復礼」は「礼の道に従う」ことです。従って「克己復礼」は「私利私欲、私情を抑え、社会的な規範やルール、マナーやエチケットなどに則って行動する」ことを指します。孔子が「仁」について弟子の顔淵(がんえん)に答えた言葉と言われています。(四字熟語辞典)
 ブログを見ていましたら「為政第2-15 31  仁以て己が任と為す。亦た重からずや」という論語の一節が紹介されていました。「学徒たる者は、重みに耐える強さ、遠くまで続く粘りがなければだめだ。仁の追求を任務に背負っているのだから、こんな重荷はない。死ぬまで続く生涯教育だから、こんな遠い道はない。(論語と渋沢栄一 プレジデント社)」という説明からも「仁」という言葉のニュアンスが感じ取れます。
「仁義」というのは、人が踏み外してはいけないこと、世間の義理や人情を大切にすることを説いているのです。社会人として、人間関係をスムーズにする「基準」となるのが「仁義」かも知れません。
 仁義の道という意味で「安宅正路(あんたくせいろ)」という四字熟語があります。「安宅」は、住み心地の良い家、「正路」は、人が進むべき正しい道のことという意味で、母子に出てきます。(四字熟語辞典)
 脱線しますが、かつて日本の十大商社の一つに「安宅産業」という商社がありました。この四字熟語を思いますと、創業の精神に「安宅(あんたく)」という、家族重視の思いが込められていたのかもしれません。同社が犯した原油ビジネスでの失敗の一因が、同族経営であったというように言われていますが、家族重視が同族重視に繋がってしまい、それが前面に出すぎてしまったのかもしれません。
 人事おきましては、しばしば問題になるのが「依怙贔屓(えこひいき)」です。「依怙」は「一方だけの肩を持つ」という意味で「贔屓」も同じような意味ですので、類語を重ねて強調表現にしている四字熟語です。いまさら紹介するまでもなく「依怙贔屓」とは、「自分が気に入った人や自分にメリットのある人を重用し、引き立て、公平でない扱いをする」ことを指します。
 経営においては「規矩準縄」の項に記述されていますが、何ごとにおいても「基準」というのは重要です。企業における基準となるのが経営理念とか社是・社訓、ミッション、クレド等々が代表的です。例えば経営計画を立案しようとします。どのような商品・サービスを、どのような市場に、どのように提供していくか、経営の基本戦略を基に経営計画が立案されなければなりません。
「世の中におけます人の心の幸せを願う」という下りが経営理念の中に含まれているとします。その企業が、自社の技術を応用すると素晴らしい武器を製造することができるかもしれません。武器というのは戦争で使われる道具であり、それは経営理念に反しないのだろうかというような見方ができれば判断を誤ることはないでしょう。一方、見方を変えて、戦争が起こったときにはその商品が役に立つという安心感を国民に与えるという観点で見ますと、NOがYESに変わるかもしれません。
「戦争は悪いもの」という観点に固執してしまいますと、「兵器製造会社は社会の悪である」という結論に至ってしまいます。一方、上述のように「兵器を持つことは、国にとっては保険のようなもの」と考え、国民に安堵してもらうという観点では、「兵器は必要不可欠なモノ」という考えに至るかもしれません。
 別項にありますように「俯瞰細観(ふかんさいかん)」しますと、上述のようにいろいろな観点で見ることができます。私は父を戦争で亡くしていますので、戦争礼賛論者ではありません。「戦争は悪いもの」という決めつけではなく、何ごとも公平に見るという視点も必要と考えています。
 多くの企業においては、年功序列から実力主義を重視した社員査定の方法が変化しています。別項でも紹介していますように、一人の社員の一面を見ただけで、その社員の全体が、目の前に見えている状況であるかのような見方をしてはならないでしょう。なぜなら、人間というのは、多面性を持っていますし、人の良いところというのは、見方を変えることにより異なって見えるものです。ある一面が悪いからと言って、切り捨ててしまうのは、企業にとって損失ではないでしょうか。
「十人十色(じゅうにんといろ」という四字熟語があります。十人の人間がいれば、それぞれが異なって見えます。人の考えや性質も、好みも、それぞれ違うものです。共通する言葉に、「各人各様(かくじんかくよう)」「多種多様(たしゅたよう)」という四字熟語があります。
 企業における理念も戦略や方針も「百社百様(ひゃくしゃひゃくよう)」です。上述のような兵器製造メーカーも、視点を変えれば良いところがあるわけです。要は、社会的か、反社会的かという視点で見る場合も、視点を変えれば「十人十色」なのです。
 因みに「この方法を採用すれば、効果覿面、必ず会社はうまく行く」という成功経営の法則のようなものがあれば良いと経営コンサルタントという立場で永年模索をしてきましたが、残念ながら経営に秘策はないようです。「効果覿面(こうかてきめん)」の「覿面」は「むくいや効果がすぐにあらわれるようす(広辞苑第六版)」ですが、もともとは「目の周り」という意味でした。
 近年、コンプライアンスということが企業経営にも強く求められるようになりました。「是非曲直(ぜひきょくちょく)」という四字熟語がありますが、「道理にかない、正しいこととそうでなこと」という意味です。「是非善悪(ぜひぜんあく)」「理非善悪(りひぜんあく)」「理非曲直(りひきょくちょく)」も同じような意味です。
 他の人の話を傾聴するときにも、自分の意見をまとめてから発言するときにも、まず、自分のスタンスを決めてから、行動に移すと人間関係を壊すことなく、自己主張もできるのではないでしょうか。「十人十色」「百社百様」という視点で、公平に、いろいろな角度から見ることが、多様化の時代には必要なのではないでしょうか。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー07 瓜田李下 コミュニケーションの難しさを克服~ 誤解されそうな行為はやめる ~

2025-02-08 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー07 瓜田李下    コミュニケーションの難しさを克服~ 誤解されそうな行為はやめる ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー07 瓜田李下    コミュニケーションの難しさを克服
     ~ 誤解されそうな行為はやめる ~



「瓜田(かでん)」の「瓜」は、畑になる瓜(うり)のことで、瓜畑で靴をはき直したり、靴紐を締め直したりしますと、他の人から見ればあたかも瓜を盗もうとしているように見えるかもしれません。そのことから、「誤解されそうな行為は止めた方が良いですよ」という戒めを表しています。このことから同じ意味で「瓜田之靴(かでんのくつ)」という四字熟語もあります。
 「李下(りか)」の「李」は、スモモのことです。「李下」はスモモの木の下という意味です。すなわち、スモモの木の下で冠の紐を締め直したり、帽子をかぶり直したりする行為は、遠目には、あたかもスモモを盗んでいるようにも見えてしまい兼ねません。瓜田之靴と同様に、紛らわしい行為は止めた方が良いと教えてくれています。これに関連して「李下之冠(りかのかんむり)」という同じ意味の四字熟語があります。
 これらのことから「瓜田李下(かでんりか)」は、「人に疑われるような、紛らわしい行為はしないほうがよい」という教えとなります。日本では訓読みして「瓜田に履(くつ)を納(い)れず、李下に冠を正さず」とも言います。
「人間は感情の動物」ということも良く聞きます。ちょっとした表現で、気持ちが傷ついたり、誤解を呼んだりしがちです。昨今では、メールが不可欠と言われる時代になりましたが、フェース・ツー・フェースとは異なり、相手の表情や態度の変化を読み取れず、人間関係をこじらせてしまうこともあります。
 部下などに苦言を言わざるを得ない場合には、フェース・ツー・フェースで行うのが良いでしょう。しかし、フェース・ツー・フェースだと、イントロから始め、事細かに説明せざるを得なくなりますが、メールですと相手から直截的な質問を受けることなく、こちらの考えを済ますことができるような場合があります。そのようなときには、自分の失敗談をベースに記述し、相手に感じ取らせるという手法をとることがあります。
「メールというのは、表現力を問われる、難しいコミュニケーション・ツールである」ということを常に認識して書くことをお薦めします。それだけに、相手の立場を理解し、わかりやすいメールを書くことが求められます。では、どの様なメールが”良いメール”なのでしょうか。この問題を考えるときに、「どの様なメールが”悪いメール”なのか」という視点で考えてみますとわかりやすいです。
「瓜田李下」を心がけましょう。すなわち、紛らわしい表現を避けて、できるだけ固有名詞や数値、裏付けのとれている情報などを下に内容が正確に伝わるようにします。
 また、一つの文章を短くし、一つの内容的な括りで段落を区切ることにより、メリハリを付けます。
 メールは、相手の顔が見えないために、詰問的に厳しい表現になってしまいがちです。フェース・ツー・フェースで、言葉で伝える時のことを想定して、一旦書いた文章を見直します。もし、時間的な猶予があるのであれば、配信を翌日にし、時間をおくようにします。自分の気持ちも落ち着き、読み直してみますと、少々言い過ぎである、というような気づきを覚えることがしばしばあります。厳しい表現では相手の気分を害してしまいかねず、その状態で読んでもらっても、こちらの意図が正しく伝わりません。軟らかい表現でも、「このような厳しいことでも、やさしく書いてくれる○○さんに敬意を表したい」と逆に感謝される方が、良い結果に繋がるでしょう。
 人間関係を悪化させるのは、メールを書くときの姿勢に影響されます。上述の例は、「自己主張型」と言いますか、相手が見えないので表現がきつくなってしい、時には攻撃的になってしまうケースです。
 それに対して「受動型」は、自己主張型が相手の気持ちなどに対する新釈がないのですが、逆に相手のことを考えすぎて自分の気持ちを正確に伝えられないタイプです。一見するとトラブルにならないように見えますが、どうしても「八方美人」的な言動をとりがちで、その結果、信用を失って人間関係がこじれてしまうことがあるのです。
 三番目は「暗示型」と命名していますが、自分の言いたいことを直截的には言わないで、遠回しな言い方でありながらトゲのある表現の人です。少々陰湿的なやり方のように思えます。あるいは、自分が言いたいことを「第三者が言っている」ように表現して、自分が嫌われないようにする人です。しかし、それらはいずれ化けの皮がはげてしまいます。
 相手に気持ちよくメールを読んでいただくためには、三部構成にすると良いといわれています。
 ① 本件に繋がる導入部で何を言いたいかを伝えます
 ② 本文は、簡潔な表現で、導入部を受けて説明を記述し、要件の本質を伝えます
 ③ 締めは、お願いなのか、指示なのか、連絡などかなどがわかるように、」目的を意識して記述します
 書き終わったら、まずは、誤変換やテニオハなど、文書としてキチンとできているかどうかを確認します。その過程で、内容に問題がないかどうかを確認しながら読み、訂正します。その上で、再度読み直しをしますが、一度文書として確認していますので、内容に集中して推敲します。最後に全体的に見直しますが、その時に、5W1Hを強く意識するとよいでしょう。
 コミュニケーションは、相手にこちらの意図を正確にかつ確実に伝えることが重要ですので、瓜田李下のような誤解を生まないようにしたいですね。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー06 格物致知 原点に戻りコンセプトを明確に ~ 道理をきわめて知識豊かな人 ~

2025-02-01 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー06 格物致知    原点に戻りコンセプトを明確に ~ 道理をきわめて知識豊かな人 ~      


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー06 格物致知    原点に戻りコンセプトを明確に
      ~ 道理をきわめて知識豊かな人 ~

 中国古典の一つに「大学」があります。その中の有名な一文として、下記がしばしば例示されます。
少(わか)くして学べば
則(すなわ)ち壮(そう)にして為すことあり
壮にして学べば
則ち老いて衰えず
老にして学べば
則ち死して朽ちず
 若いうちに学んだことは、成長してからそれがいかされ、壮年になってから学ぶことは、それ以前に学んだことが活かされて、一人前の人物として認められるようになるということを言っています。年を重ねてから学ぶことは、それまでの経験が年輪として蓄積されていますので、死後もそれが残り、後進の育成に繋がるという教えです。
 この「大学」の中に「格物致知(かくぶつちち)」という四字熟語があります。「知を致すは、物に格(いた)る」と音読みします。「知」は「道理の源泉」を示しますので、「ものごとの道理を極めて、学問をなし、知識を習得することにより、大成する」ということです。このことから、道理を極めて知識豊かな人を指します。
 このことから、ものごとを思考しましたり、行動するときには、「原点に戻る」ということに繋がることをこのことから感じ取れたりします。何かを行おうとするときに、そのことはなぜ行わなければならないのか、そのことの背景には何があるのだろうか、等々を意識することにより、その本質から外れないPDCAが行われるべきです。換言しますと、コンセプトを明確にしますと、判断に迷ったり、困ったり、あるいは自分または一緒に仕事をしている人や部下の言動が間違えていないかどうかを判定したりする時に、「原点に戻る=コンセプトに照らし合わせる」という行動がとれるようになります。それにより判断するようになりますので、物事の途中で誤りに気づいて、失敗という結果に至ることが少なくなります。
 中国唐の時代の文学者・自然詩人としてまた政治家としても知られています柳宗元の著「陸文通先生墓表」に「汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)」とい四字熟語があります。「汗牛」とは、車に蔵書を積んで、牛に引かせますと、あまりにも重くて牛が汗をかくほどであるという状況です。「充棟」というのは、家の中で蔵書を積み上げますと、棟にまで届くほどであるということで、前後で同じことを別な表現を使って強調し、書物がたくさんあるということを表現しています。このことから「蔵書が多い、読書家」という意味でつかわれます。本だけ多くても「つんどく」では、知識として血となり肉となりはしませんが、私を含め、そのような人は結構いらっしゃるのではないでしょうか。
 道理を究めるには、「眼光紙背(がんこうしはい)」という四字熟語の含蓄を味わうことも必要です。この四字熟語は、「鋭い目の光が紙の裏まで貫く」ということで、しばしば「眼光紙背に徹す」という形で用いられます。「読解力が鋭いこと」の例えで、「行間を読む」などという言葉にも通じます。「熟読玩味(じゅくどくがんみ)」も同じような意味で、書かれている文章や言葉、字句の奥に潜んでいる深い意味まで読み取ることができることにより、道理を知ることに繋がります。あるいは、他者の言いたいことを正しく理解することができるようになります。
「韋編三絶(いへんさんぜつ)」という四字熟語があります。「韋編」は、中国の古書のひとつで、「三絶」は、書籍の綴りが何度も切れるという意味です。孔子が「易経」を綴じている紐が何度も切れてしまうほど、繰り返し読んだという史記に記述されています故事から来ています。このことから、先人の教えを理解するためには、何度も繰り返し書物を読み、行間を理解できるように、熱心に学ぶという意味で用いられます。
「意味深長(いみしんちょう)」という四字熟語は、表面上の意味だけではなく、深い身が含まれているという意味で、やはり行間を読む大切さを説いています。もともとは詩文などで、内容が深く趣があったり、含蓄が豊かであったりするという処から来ています。
 自分の言葉を相手に正しく受け止めていただくために「月下推敲(げっかすいこう)」という言葉を思い出すようにしています。もともとは「詩を作るときに、字句を工夫し、表現を練り上げる」という意味です。「門を押す(推す)」「月の光の下で思案する」という意味です。自分自身が用いる文章や言葉を、それがもともと持つ意味から考えて、用いるようにします。
 例えば「きく」という言葉も、「どこからともなくきこえてくる」というときには「聞く」、「耳を傾けて相手の言うことをきく」というときには「聴く」という字を充てるようにしています。また、誰かにものを尋ねると言うときには「訊く」という字を充てます。
 近年、プロと言われる人が、ホンモノのプロでないことが多々あります。そのような状況に遭遇したときに「眼高手低(がんこうしゅてい)」という四字熟語を想定して下さい。これは、文章や絵画など、真贋力はあるのですが、一方で、それを他の人に伝える表現力が伴っていないという時に用いられます。このことから、「理想は高いが、実行が伴わない」、すなわち、口だけは達者ですが、自分のことはそっちのけで、人の批判をするだけな人のことをさします。
 史記の中には「曲学阿世(きょくがくあせい)」という四字熟語があり、真理を曲げて世の人に迎合して、人気を得ようとすることやそのようなことをする人を指します。「曲学」は真理を自分の都合の良いように曲げた学問であり、「阿」は「おもねる」という意味です。
 また「狂言綺語(きょうげんきご)」という類似四字熟語があり、「きょうげんきぎょ」とも読みます。道理に合わない言葉や、うわべだけを飾った言葉という意味から、転じて、小説や戯曲などのことを揶揄的に指すこともあります。
 例えば営業管理職が、営業パーソンの報告を狂言綺語として、作文を読まされることが時々あります。それを見抜く眼光紙背に徹する力が管理職には不可欠です。部下の報告を聞いて、何もコメントをしませんでしたり、適切なアドバイスができなかったりでは、管理職として失格です。自分の経験に格物致知で得た道理に基づいてリーダーシップを発揮しなければなりません。その時に、コンセプトを意識すると管理職として、適切な指示や命令、アドバイスができます。
 管理職は、経験的に部下の報告から「何かおかしい」と感ずることがあると思います。その時に「何か」が何を表しているのか、その正体がわからないことがあるでしょう。その時には、私の体験では「この業務の原点・コンセプトは何だったか?」と考えることを習慣にしますと、何らかのヒントが浮かび上がってくるように思えます。問題の核心が何か、企業として、組織としての価値基準をどうとらえれば問題がつかみやすくなるか、それらを前提にしながら本質を追求して行きますと良いようです。
 では、コンセプトはどの様に構築したら良いのでしょうか?
「コンセプト」とは、ものごとの背景にある情報をもとに、論理的に事象の構造を整理し、構造の再組立をしてから、思考を展開しますと、創造的で、新規性ある考え方として「コンセプト」を作り上げることができます。
 ビジネスの世界では、例えば差異化(差別化)戦略を立案したり、企業文化を見直し、変革する時に目標や基本方針などを中長期的に立案したりする時に、コンセプトが重要になります。自社独自のコアコンピタンス(核となるビジネス)が明確になってきたりします。そこには他社と同じような、物まねでは自社らしさが失われ、生き残りは愚か、勝ち残りも困難となります。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー05 一目瞭然 見せ方で結果が大きく変わる ~ 一見するだけで、誰でもがはっきり解る ~

2025-01-25 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー05 一目瞭然    見せ方で結果が大きく変わる ~ 一見するだけで、誰でもがはっきり解る ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー05 一目瞭然    見せ方で結果が大きく変わる
      ~ 一見するだけで、誰でもがはっきり解る ~


「疑心暗鬼」は、人間関係を悪化しかねません。その対策の一つが「一目瞭然(いちもくりょうぜん)」です。「瞭」は、「明瞭」という熟語からも解りますように「はっきりしている様」を指します。「然」は、「自然」という熟語からも「ぜん」と読むのが一般的で、前に来る言葉をあわせて「状態を表す語」です。「紳士然としている」というような用例に見られる使い方です。因みに「然」を「ねん」と読むのは呉音読みです。「一目」は、そのまま「一目見て」という意味ですので、「一目瞭然」というのは「一目見ただけで、誰でもがはっきり解る」ことを指します。
 近年は、セミナーなどに行きますと必ずと言っても良いほど、プレゼンテーション・ソフトを利用している場に臨みますし、プレゼンテーションをする機会も多くなっていると思います。「一目瞭然」としたパワーポイント制作もあれば、わかりづらいものもあります。
 用いる言葉も、親しみやすい言葉を使い、難しい専門用語や横文字はできる限り控えます。幼稚園の子供でも解る言葉ということをしばしば私は使いますが、そのくらいやさしいことばでという意味で、内容やレベルを軽視しろというのではありません。
 あまり受けが良くなかったセミナー等の経験では、受講者と講師側が言いたいことにずれがあるときです。事前に打ち合わせをしていても、お恥ずかしながら、このようなことが起こってしまうことがあります。受講者の多くが事例紹介を求めています。自分の体験から紹介するようにします。受講者に合わせてるためには、パワーポイントはシンプルに作っておくと良いでしょう。単純で要旨を理解されやすいというメリットもありますが、受講者にあわせてレベルを変更したり、内容を雰囲気に合うように変えながら話をしたりしやすいからです。
 反応が良くない場合に、こちらに注意を強く引くためには、意外性ある事例を紹介したり、体験談を挿入したりして関心を引きつけるようにしてみてはどうでしょうか。反応が今ひとつ好ましくないときには、途中であっても、この後のストーリー展開を話してしまう方法があります。それにより、次のどの様な話の展開になるのかに関心を持ってもらえますと、目先の話がこれからどうなるのか、耳を傾けてくれます。
 セミナーなどでは、主催者が最後にアンケートを採りますが、印象的なクロージングを用意しておきます。大きな声では言えませんが、それにより最後は拍手喝采となり、アンケートのポイントも上がるかもしれません。その結果、次の講演依頼に繋がる確率が高くなります。
 昨今、セミナーでパワーポイントが使われないことはないと言えるほど、定着しています。私も職業柄、パワーポイントなしでは仕事になりません。一方、パワーポイントなしでも上手に人前で話のできる人に出会いますと、それだけで敬意を払いたいほどの感動を覚えることがあります。他方、セミナー等では、いろいろなレベルの人が受講されますので、できる限り多数の人に、多くを理解してもらうことを最重要課題の一つと考えています。
 相手の心に届くプレゼンテーションといいますと、二〇二〇年オリンピック招致の開催を勝ち取った東京の招致チームが活躍したことはまだ記憶に新しいです。スピーチライターに、ニック・バーレーを、プレゼンテーションにマーティン・ニューマンが起用され、聴衆に訴えかける伝え方が功を奏しました。
 プレゼンテーションとは異なりますが、裁判で、誰が見ても有罪判決が出るだろうと思っているにもかかわらず、予想外の判決が出ることがあります。弁護士の入念な準備と雄弁さが、このような結果を導く例と考えます。とりわけ印象的だったのが、片足を失った女性アスリートの感動的なスピーチでした。「癌で脚を失った」という言葉の後に四秒の沈黙があり、「絶望しました」と続きました。沈黙は金という言葉がありますが、スピーチとしては、ベストな仕上がりであったと思いました。
 因みに、雄弁な人を形容する言葉として「懸河之弁(かんがのべん)」という言葉があります。「懸河」は、「つるし懸けたように水が奔流する川。急な早瀬の川(広辞苑第六版)」という意味ですので、「とうとうと流れる大河のように、よどみなくスラスラと話す」という意味です。「一瀉千里(いっしゃせんり)」という類語もあります。「文章や弁舌にすぐれ、よどみなくスラスラと行く」という意味です。
「瀉(しゃ)」という字は「水の流れ」あるいは「水が流れる」とか「水が注ぐ」という意味です。土砂災害などで、「あっという間に泥水が流れてきた」などと被災者が良く言いますが、このように一気に流れ出す様子を「一瀉千里」と言います。これが転じて「ものごとが非常に早く進み、はかどる」という意味でも使われます。こちらは「一気呵成(いっきかせい)」という類語があり、やはり「素早くものごとを成し遂げる」という場合に用います。
 経営者の集まりなどで、自己紹介をする機会があると思います。与えられた時間内に、自社の概要、特徴、強味など自社商品・サービスを要領よく、懸河之弁のごとく説明する人が多いのに驚きます。そのような人というのは、与えられた時間が、一分の時にはこのように話す、三分や五分の時にはそれぞれ何処まで話すかということが身についているのです。
 いずれにせよ、事前準備が不可欠です。私は、「1:2:3:4」の割合で準備をします。コンセプトづくりに10%の時間をじっくりかけます。ストーリー作りに20%、パワーポイント制作に30%をかけ、残りの40%をリハーサルに投じます。制作したパワーポイントをストーリー展開に合わせてアニメーションで構成し、リハーサルをしながら、動作確認をするのです。この過程がストーリーが記憶に焼き付けることに繋がりますので、赤面症の私でも人前で堂々と話すことができるのではないかと思います。
 事前準備の一つとして、配付資料があります。資料と話す順序が一致しますと、プレゼンターも受講者も安心していられます。事前準備ができていますので話し始める前に「準備万端」と自分に言い聞かせ、「失敗しないか」という気持ちを起こさせないようにします。リラックスした姿勢で、脚を肩幅に拡げて立ち、身体を安定させて話し出しますと気持ちが落ち着きます。その後は、息をゆっくり吐きながら話すと喉の準備状態が万全となり酸素が自然と取り込めるようです。
 早口にならず、ソフトな声を出すようにしますと、自然とジェスチャーが出てきましたり、直立していた姿勢が、動きと共になめらかになってきたりします。自分が重要だと思うところは、パワーポイントもズームアップする動きにしておけば、自然と声も大きくなります。時には、やや音量を下げて、ささやくようにしますと、受講者が身を乗り出してきます。このようにして、パワーポイントとシンクロして、発声をして行きますと、話下手な私でも「大変よく理解できました」「わかりやすかったです」というような賛辞をいただけます。
 上手に話そうとか、見栄えのするパワーポイントを制作するなど、技に走らず、自分の思いを熱く語り、思いを届けるという気持ちを忘れて欲しくないのです。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー04 拈華微笑 以心伝心から見える化の時代へ ~ 言葉を使わず心から心へ伝える ~

2025-01-18 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー04 拈華微笑    以心伝心から見える化の時代へ ~ 言葉を使わず心から心へ伝える ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー04 拈華微笑    以心伝心から見える化の時代へ
      ~ 言葉を使わず心から心へ伝える ~


「以心伝心(いしんでんしん)」という四字熟語もしばしば耳にしてきましたが、近年は、以前ほどではないような気がします。それどころか、以前は日本人の特質的に良い意味で使われていましたが、昨今では「以心伝心」ができなくなってきたことへの憂いの言葉のように使われます。古い人間にとっては、日本人の良さが消え去るようで寂しい思いをします。
「以心伝心」を訓読みしますと「心を以(もっ)て、心に伝う」となります。「以て」は「手段・方法・材料などを示し、”…によって””…で”(広辞苑第六版)」という意味ですので「以心」は「心を使って」という意味になります。「伝心」は「心を伝える」という意味ですから、「以心伝心」というのは、「心を使って、心を伝える」という意味です。すなわち、「文字や言葉を使わなくても、お互いの心と心で通じ合う(新明解四字熟語辞典)」こととなります。
 出典は「禅源諸詮集都序」に出てきますので、禅宗の語で、「言葉や文字で表されない仏法の神髄を、師から弟子の心に伝える」ことを意味します。
 類義語として「拈華微笑(ねんげみしょう)」があります。「拈」は訓読みで「ひねる」、すなわち、「捻(ひね)る」と同意です。「拈華」とは「華を拈る」で「微笑」は、通常私たちは「びしょう」と読み、「ほほえむ」という意味です。
 釈迦が説法をした折に、黙って花を拈って示したところ、迦葉(かしょう)という釈尊十大弟子の一人だけが、その意味を理解してにっこり笑ったという故事から「以心伝心」と同様な意味で「拈華微笑」が用いられます。(四字熟語辞典)因みに、この故事からも解りますが、迦葉は、釈尊の入滅後には教団の統率者となりました。
 同じような意味で、「教外別伝(きょうげべつでん)」や「 不立文字(ふりゅうもんじ)」という四字熟語があります。前者「教外別伝」は、同じような意味ですが、禅宗の教えから「悟りは言葉や文字で伝えられるものではなく、直接心から心へと伝えるもの(新明解四字熟語辞典)」という意味です。類語の「不立文字」もやはり仏典にあり、悟りというものは文字では表せないということから「悟りは修行を積んで、心から心へ伝えるもの」となります。
 日本人は、口に出さなくても自分の気持ちは相手に伝わると思い込んでいたため、アメリカ人を始め多くの外国人のように I love you. ということを言わない時代が続いて来ています。ところが近年、日本人も拈華微笑が通じる人が少なくなって来ています。そのうちに、アメリカ人と同様に、一日に一回以上I love you.と言わないと離婚理由として正式に認められるようになるかもしれません。
 有能な人は、相手が何を考えているのか、読心術とまで行かなくても、ある程度雰囲気を読んで、それを別の方法で確認して、すなわちウラを取ってから実務に応用すると言われています。拈華微笑は私たちにとって必要な能力なのかもしれません。
 では、その能力をどのようにして修得したらよいのでしょうか?
 一つには、その様な経験の場数を踏むことだと思います。しかし、その様な場に遭遇することはそれほど多くはないでしょう。とりわけ「ノウハウ」と言われるような目に見えないことを伝えたり、習得したりすると言うことは大変困難なことです。コンサルタントを対象としたある研修会では、経営コンサルタント歴の永く豊富な講師は「教えてもらうのではなく、感じ取る」という知識修得よりは拈華微笑を大切にしています。
 日本人は、「腹芸」などと言われるように、また「以心伝心」の類語が複数ありますように、「言わなくてもわかってくれるはず」「簡単な説明だけだったが、伝わっているはず」と考えがちです。
 昨今では、拈華微笑ができない人が多くなっているために、思わぬトラブルに巻き込まれたり、想定外のことが発生したりすることもあります。ある企業でのことです。先輩が、後輩に「どう、昼飯でも一緒に」と声をかけました。後輩は「結構です」と答えたそうです。
 昼休みになって、先輩は玄関のところで、後輩の来るのを待っていたのですが、いつまで経っても後輩は来ません。それもそのはずです。先輩は「結構です」という後輩の言葉を「結構なお誘いをありがとうございます」と”同意”と解釈しました。ところが、後輩は、先輩と昼飯を食べるなんて、固苦しいですので、「ノー」の意味で「結構です」と答えたのです。
 このようなことがありますと、先輩としては、後輩達の言葉の使い方が難しく感じ、何ごとにおいても「疑心暗鬼(ぎしんあんき)」になってしまいます。「疑心」すなわち疑う心があると「暗鬼」すなわち「くらがりの鬼」を呼んでしまうのです。すなわち、「疑心暗鬼」というのは「実際にはいないのにその姿が見えるような気のする鬼。不安・妄想から起こる恐れ(広辞苑第六版)」という意味から「心に疑いを抱いてますと、何でもないことでも恐ろしいものに見えたり、些細なことに不安を覚えたりする」ことに繋がるのです。「以心伝心」がなかなかできない時代になってしまいましたので、言うべきことをキチンと表現しないと「疑心暗鬼」に繋がってしまいかねませんね。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー03 名論卓説 きれいな日本語を使う ~ 見識の高い人達による優れた意見や議論 ~

2025-01-11 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー03 名論卓説    きれいな日本語を使う ~ 見識の高い人達による優れた意見や議論 ~      


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー03 名論卓説    きれいな日本語を使う
      ~ 見識の高い人達による優れた意見や議論 ~



  名論卓説(めいろんたくせつ)は、高論卓説ともいいます。見識の高い人達の優れた意見や議論のことです。
 テレビを見ていますと、解説者とか、評論家とかいうような人達がすばらしい意見を述べていることがありますが、これはまさに名論卓説といえます。
 ある番組で日本語の乱れに関することがテーマの中で、「ら抜き言葉」が俎上の載せられました。ら抜き言葉は、「見れる」というように、本来は「見られる」という表現にすべきところを「ら」という文字が脱落した表現のことです。
 ある出演者が「西日本では昔から“ら”抜き表現が普通ですので、許されるべき表現です」と主張しました。別の出演者である、ある大学院の教授は「昨今では日本語の揺らぎの時代に入っているので、このような表現があってもおかしくありません」という意見を出していました。
 まさに名論卓説といえる場面なのかも知れませんが、国語学者といわれる立場の人が、国文法というものが存在し、それに反する表現であるにもかかわらず、若者に迎合するだけのような肯定一辺倒な意見に失望しました。容認することは、寛容の精神からあってもしるべきと思います。ただ、単に肯定するだけではなく、「しかし、日本人が誇りとして今日まで培ってきた国語ですので、美しい日本語を守ってゆきたいですね」くらいのことを言って欲しかったです。そうでなければ「日本語の文法というルールを作る立場の人達が、そのルール破りを頭から容認するだけで、無能な評論家的なコメントで終わってしまうのでは、日本語は、益々乱れてしまうのではないでしょうか。
 私は仕事柄、社員研修の講師を依頼されることがしばしばあります。その一環で、コミュニケーションについての研修は依頼されることが多いテーマの一つです。私自身は日本語について高い見識を持っているわけではないですが、日本語について講師を務めることが時々あります。
 言葉は、相手の受取り方次第では、よい感じを与えないことがあります。例えば、日本語にうるさい経営者を相手に、営業パーソンが”ら抜き言葉”を使ったとしたらどうでしょうか。あまり気にしない人もいるでしょうが、「日本語を乱すような営業パーソンから商品は買えない」ということに繋がることもあり得ます。
 現実に、私の顧問先の営業パーソンが、上述のようにお得意先から敬遠されたことがあります。研修の場では、これを例にとって「ら抜き言葉は、西日本では昔から使われているところもあったりしますので、気にしなくてもよいのかも知れません。しかし、このような事例もありますので、相手によってはら抜き言葉を避ける方が良いのではないでしょうか」というようにしています。
 近年、「○○コンサルタント」とか「□□の分野でご活躍中の人」などというだけで、アマチュアに毛が生えた程度の人が、偉そうにテレビで得々と話をしていたり、書籍や雑誌でそれらしいことを述べている状況に出くわしたりします。例えば、福島第一原発の災害を見ていますと、「想定外」という言葉を乱発して、災害時の対応にしろ、その後の復旧・復興にしろ、専門家と言われる人達の無力さを目の当たりにしたことは、まだ記憶に新しいと思います。
 昨今は、マスコミに騒がれる人があたかも「プロ」であるかのようにいわれています。人を見る目が衰えているといいますか、「マスコミに騒がれる=プロ」と言うような尺度でしか判断できないようです。学歴とか、勤務先の役職名とか、判断材料とする情報がありませんと、その人の真の実力を判断できなくなっているように思えます。
 私たちが講師として登壇しますと、主催者がアンケートを採ります。例えば五段階評価で、点数を付けて、それで講師の評価をします。受講者の立場で、アンケートに答えようとしますと、質問の意図が複数に解釈できて、答えに窮することが多々あります。また、5段階の評価に3とか4、あるいは逆に人によっては2など中央値に近い評価となりがちです。それを単に集計するだけで、その講師の評価を正しくできるとは思えないことが多いのです。5段階評価が良くないわけではないのですが、「感じ取って正しく評価するというアナログ評価ができず、このようにデジタル化しないと判断できない傾向が強く、評価者のプロとしてのレベルが低すぎるように思えます。
 因みに「懸河之弁(けんがのべん)」という四字熟語があります。「懸河」は急流のことで、これは中国の「隋書」に出てきます。書くことと話すこととは異なりますが、とうとうと流れる川のように、よどみなく話をすることを言います。
 言葉というのは、態度と共に相手に与えるニュアンスが異なることがあります。その一例が「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」です。「慇懃」は「非常に丁寧で礼儀正しい様子」を表し、「無礼」は、平素、私たちが使う「無礼な」とか「無礼者」という時と同じ意味です。「言葉や態度などは丁寧ですが、心の中はその逆」というような意味で、丁寧すぎますと、かえって無礼であることを指します。言動が、あまりに丁寧すぎますと、かえって嫌味に感じ、誠意が感じられない、実は返って尊大にこちらを見下しているという思いをされことがあるでしょう。何ごとも、度を過ぎると逆効果になってしまいます。
 名論卓説からだいぶ脱線してしまいましたが、一見して名論卓説のように見える場面でも、見方を変えると頭を傾げたくなるようなことが結構あるということを知っておかれるとよろしいかと思います。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー02 起承転結 相手に応じた話方をする ~ 四部構成で相手の理解を得やすくする ~

2025-01-04 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー02 起承転結    相手に応じた話方をする ~ 四部構成で相手の理解を得やすくする ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー02 起承転結    相手に応じた話方をする
      ~ 四部構成で相手の理解を得やすくする ~



 文章の書き方と言いますと、必ずと言っても良いほど「起承転結(きしょうてんけつ)」という言葉が出てきます。【Wikipedia】によりますと、もともとは、四行から構成されます漢詩の絶句を指します。一行目から順に起句、承句、転句、結句と呼びますので、その頭をとって「起承転結」といいます。ところが、原文では、「起承転合(きしょうてんごう」と記述されているそうです。
 日本においては、本来の意味から転じて、文章やストーリーを大きく四つの部分に分け、それぞれが「起承転結」になるように全体を構成しますと、文章としてのまとまりが良いと考えられています。すなわち、始まりの部分を「起動」などという言葉にもありますように「起」とし、続きを読んでもらえるように書き出すと良いといわれています。
 次にそれを受けた部分、「継承」に見られるように「承」として、「起」の部分を引き継いで、内容を発展させます。それに続いて、その内容を大きく変化させる「転」により、読者にインパクトを与えます。最後は結論、すなわち「結」となり、まとめ上げるのです。これにより全体にメリハリがつき、言いたいことが納まるのです。
 一方で、「起承転結」による文章は論理的ではないという指摘もあります。近年では、「時は金なり」、世の中が忙しくなってきましたので、まずは「結論」を先に言うのが良いとされています。英文の書き方に関する書物等を見ますと、「パラグラフ・ライティング」と言われ「主張→根拠→主張’(主張の言い換え)」と、上述の「結論を先に言う」ということに繋がっています。
 学術論文ではIMRADがしばしば採用されます。IMRADに基づく文章は、骨格部が、少なくともIntroduction(導入)、Methods(研究方法、Results(実験結果)、Discussion(考察)の四つの要素を含める書き方です。
 映画などの脚本では、三幕構成が主に用いられます。全体のストーリーを「設定」「対立」、「解決」に分け、全体の比率を1:2:1とするとバランスの良い作品となると言われています。幕間は、ターニングポイントとなり、主人公の行動面に変化が現れ、全体に強弱をもたせることができると言われています。そのために、テレビドラマや小説だけではなく、ドキュメントや近年はやりのコミックなどの分野でも利用されています。
 文章やプレゼンテーションのストーリー作りも、上述のようにケースバイケースで、構成法が異なります。私は、職業柄、人前で話をする機会が多いですし、難しい交渉の場に直面することが多々あります。その時に、気をつけることの一つに、相手の正確や思考法により、ストーリー構成を変えるようにしています。
 日本で近年一般的なストーリー構成として言われます「最初に結論をいう。それに続いて、その結論の論左・論証を持ってきて、まとめる」という構成は、利用頻度が高いといえます。特に多忙な人やせっかちな人の場合には、「この男は何を言いたいのか」ということをまず念頭においています。結果重視型の人も、まず、故知ライの言いたいことが、その人の考え方に沿っているのか、それとも反対なのかを解らせるためにも効果的です。
 人前という言葉を使いましたが、「衆人環視(しゅうじんかんし)」とい四字熟語があります。「環視」は、「輪になってみる」ということで「周囲を取り囲んでみる」ということですので、「衆人環視」は「多くの人が取り囲んで注意して見る」という意味となります。


 アイディアマンといわれるような、いろいろな発想に長けている人は、自分の考え方のどの部分をこの人は選択しているのかをまず知りたがります。それにより、どの様に反論しようかとか、どの部分で同意するかなどを考えながら、こちらの話に耳を向けてくれます。資料とかデータなどをあまり重視しない人もいます。直感力の高い人に多いのですが、話し手の結論から、直感的に話し手の言いたいこと、能力や思考法などを推理して、対応してきます。
 何を話し手もこちらの言うことに耳を傾けてくれる人という、信頼関係ができている場合も、結論を先に言います。逆に信頼関係ができていない人の場合、話し手の結論をどの様に撃破しようか考えながら話を聞いていることが多いですので、先に結論を言わず、相手をこちらのペースに巻き込むようなストーリー展開をしながら、こちらの考えに引き込んでしまうように話をします。
 相手によっては、まず状況を話し、その原因や理由が何かを理解させ、最後に結論を言う場合もあります。手順を重視する人の場合に効果的で、相手に「うん、うん」と言わせながら、こちらのペースに巻き込んで行きます。相手が、こちらの考え方に反対していることが事前に解っている場合にもしばしばこのストーリー構成にします。相手の顔色を見ながら、そのときどきの状況に応じて内容を選択し、相手の反論を回避しながら、自分の考えに同意させてしまう手法です。
 数値やデータ、事例やファクトを重視する人の場合には、事実や事例を挙げ、その分析過程や結果を示しながら、結論を最後にもってきます。資料の作り方が重要で、細かい資料が好きな人、数値データなど裏付けを重視する人に適しています。こちらに対して不信感を持っている人の場合も、事実を示すことにより、こちらが客観的に説明すれば、次第にこちらに対する不信感が弱くなってきます。まずは、相手をデータなどで説得し、相手の性格に応じて、例えば人情の厚い人であれば、情に訴えるなどして、納得させて行きます。事実の積み重ねが、不信感を払拭させることに繋がるのです。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー01 一所懸命 陳腐な言葉にも謙虚に耳を傾ける ~ 命がけで物事に取り組む ~

2024-12-28 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー01 一所懸命    陳腐な言葉にも謙虚に耳を傾ける ~ 命がけで物事に取り組む ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー01 一所懸命    陳腐な言葉にも謙虚に耳を傾ける
      ~ 命がけで物事に取り組む ~



「一生懸命(いっしょうけんめい)」という四字熟語を知らない人はいないでしょう。「懸命」は、音読みをしますと「命を懸ける」となり、命を懸けてもやり抜くということから、「本腰を入れて物事に取り組む」という意味に通じます。「一生」は、もともとは「一所」でした。すなわち、本来は「一生懸命」ではなく「一所懸命(いっしょけんめい)」だったのです。
 NHKが、サイトで下記のように説明をしています。


「昔、武士が賜った『一か所』の領地を命がけで守り、それを生活の頼りにして生きたこと」に由来したことばです。これが「物事を命がけでやる」という意味に転じて、文字のほうも「一生懸命」[イッショーケンメイ]とも書かれるようになりました。


 ある会社の課長が、部下を叱ったときに、部下から「一生懸命にやっています」という言葉が返ってきたそうです。その時に「自社の常識は他社の非常識」という表現を知っているその課長は、それをもじって「自分の一所懸命は、同僚から見たら”あそび”である」と言ったのです。ところが、その部下は、その課長の言っている意味を理解できなかったのです。その課長は、「あきれてものが言えなかった」で終わらず、いろいろと事例を挙げながら、時間をかけて説明し、その部下がようやく「一生懸命やっている”つもり”では、まだ一生懸命さが十分ではない」ということを悟ったそうです。
 昨今では、本家本元の「一所懸命」よりも「一生懸命」という表現の方が多用される傾向にありますが、私は、「一所懸命」を使うようにしています。これをもじって「会社人間」の仕事ぶりを表して、「一社懸命」という表現もあるそうです。
 一所懸命と同じような意味で、「一意専心(いちいせんしん)」という四字熟語があります。以前、某関取が、横綱に推挙されたときにこの言葉が使われたように記憶しています。また、「一心不乱(いっしんふらん)」という、同様な意味の言葉もあります。「櫛風沐雨(しっぷうもくう)」、「櫛風浴雨(しっぷうよくう)」「風櫛雨沐(ふいしつうもく)」も同様に、髪を風でくしけずられ、雨に洗われるような環境でも努力するということから、同様に使われます。
「一所懸命」と同じ「一所」を使った四字熟語として「一所不住(いっしょふじゅう)」という四字熟語もあります。こちらは、一所懸命とはかけ離れた意味で、「主として行脚僧が諸所をまわって『一か所』に定住しないこと」「居所が一定しないこと」を意味します。(NHKサイト) もっとも行脚僧の心境は「一所懸命」であり、「一生」修行のみで過ごすことを心に念じているのかもしれません。


 別項でも書きましたが、近年、人の評価を以前ほどできる人が少なくなっているような気がします。人を評価するときに、学歴とか社歴、資格などでしか判断できなくなっているように思えます。何かを判断するときに、多くの場合、5段階評価のチェックシートを使うことが最近の主流のように思えます。真の意味の「デジタル」ではありませんが、これを私は「デジタル基準」と呼んでいます。
 私は、「人を”診る”目」については、自信があるわけではありません。仕事柄、経営コンサルタントの資格付与とか、中途社員や役員選定などの面接に立ち会わされることが多々ありますが、採用すべきかどうかを判断するのは自信がありません。そのような人が多いので、昨今ではデジタル基準が多用されるようになっているのでしょう。
 判定のためのチェックシートでは、「2なのか3なのか」判断に困ることが多々あります。設問そのものの解釈が何通りも考えられて、判断に窮することもあります。私の判断思考が、デジタル基準にそぐわないのかもしれません。
 私の場合には、「日本語が乱れていないか」、「人に対する思いやりはあるのか」、「規律遵守に対して厳しいか」「自分に甘く、他人に厳しくないか」等々、非常に感覚的な部分で”診る”ことが多いです。これを「アナログ基準」による思考と言っています。
 上述の「一所懸命」もその一つです。「一生懸命」という言葉を使う人はダメだという減点思考ではなく、「一所懸命」とう言葉を使う人がいたときには加点するようにしています。そのような日本語をしゃべる人は、自分に近いように感ずるのです。なぜなら、そのような人というのは、何か判断に窮したときに、「原点は何か」ということを判断規準として採用できる人ではないかと推察できるからです。すなわち、元来「一所懸命」であったものが、誤用されて「一生懸命」に変化したのであって、後者を使うことは、好ましくないと考える人達です。


 別項でも触れていますように、「鳥肌が立つ」という表現は、元来は、あまり良い意味で使われていないのが、近年、良い意味で使う人が多いように思えます。同様に、おいしい物を食べるときの表現として「舌鼓を打つ」という言葉があります。これを「したずつみ」と誤用されます。「情けは人のためならず」という諺も「人に情けをかけることは、その人のためにならない」という意味に誤用されることも気になります。
 「本日も○○鉄道をご利用いただきましてありがとうございます」というようなアナウンスを、毎日のように耳にしている人が多いと思います。その中で、何%の人が違和感を持っているか解りませんし、何処がおかしいのか解らない人が多いのではないでしょうか。
「いただく」は謙譲語ですので、この場合、主語(日本語文法の「主部」)がお客様ですから、お客様に対して謙譲語を使うことは失礼です。丁寧語や時には尊敬語を用いるべきです。この場合ですと、「ご利用下さいまして」に置き換える方が良いのです。あまりにもこの誤用が頻発しますので、NHKでは、この種の謙譲語は「許容する」という姿勢になってしまいました。


 近年、しばしば耳にする言葉で気になるのが「すごい」という言葉です。「すごいおいしい料理」というように使われます。「すごい料理」という表現も、「おいしい料理」というのも文法的にも正しいので問題ありません。「すごい」も「おいしい」も形容詞ですから「料理」という言葉を引き立てるために使われています。
 ところが「すごい」と「おいしい」という二つが合体しますと、文法違反になります。なぜなら、「すごい」というのは「おいしい」という形容詞を強調することになりますので、「すごく」という副詞を使って表現を強めるべきなのです。すなわち「すごくおいしい料理」と表現すべきです。「すごい料理」や「おいしい料理」という表現がありますので、それを混同して「すごいおいしい料理」と言われるのだろうと思います。
 このような日本語の誤用があまりにも頻発しているような気がします。それに加えて誤用に迎合しているような風潮を感じます。デジタル基準では、そのような用法が奇異に感じられることを教えてくれないのでしょう。少々言い過ぎかもしれませんが、アナログ基準も大切にする私には、そのような人を敬遠したくなってしまうのです。人を採用するときに、他の採用担当者はデジタル基準で行う人であることが多いですので、私はあえてアナログ基準で判定するようにしています。
 私のような人間は、「世の中の流れに沿えない人」と、抵抗を感じる読者も多いでしょう。しかし、私は、そのような傾向を否定しているのではなく、心密やかに残念に思っているだけなのです。


 さて、本題の「一所懸命」ですが、昔は「転職することは、履歴書を汚すことである」というようなことが言われました。一旦入社したらそこに「終生お世話になる」、すなわち「就職」ではなく「就社」という感覚でした。若い人が、自分のやりたい仕事とは違いますので、入社まもないにも関わりませず会社を辞めようとすると、以前なら「石の上にも三年」という諺が持ち出されました。私が、会社勤めを辞めて、経営コンサルタントとして独立起業すると決めたときも、私のことを親身に思ってくれる人達は、こぞって反対しました。
 昨今では、アメリカ流の「転職はキャリアアップに繋がる」とう考え方が一般的ですので、人それぞれ、「十人十色」ですから、その考え方に反対はしません。しかし、私の元に転職したいという人が相談に来ましたら、転職した方が良いのか、そのまま留まって我慢をする方が良いのか、相手の状況を充分に聞いた上で判断をします。


「一所懸命」は、「一か所に命を懸ける」と読めますので、「雫(しずく)も石に穴を掘る」ことができるということにも繋がります。凄腕の営業パーソンの若かりし頃の話題として、「駆け出しの頃は、顧客開拓に苦労し、くつを何足も買い換えた」というような話が出てきます。その時に言われることが、一社を落とすために「夜討ち朝駆け」したという話がつきものです。
「艱難辛苦(かんなんしんく)」の末、獲得した顧客は、辛ければ辛い経験ほど、その顧客を大切に、時には愛おしくさえ思います。「艱難」は、「苦しみ悩む」ことですので、「艱難辛苦」は、「困難や辛いことに直面し、非常に苦労する」という意味です。「千辛万苦(せんしんばんく)」も「四苦八苦(しくはっく)」も、苦しさの多いことを、言葉を重ねて表現し、同じような意味で用いられます。


「閑話休題(かんわきゅうだい)」は、話の本筋から余談にそれてしまった場合に、基の本筋に話を戻すときに用いる表現です。「閑話」は「むだ話」「」休題」は、「話題を止める」という意味で「それはさておき」と言った意味合いの時にしゃれて使います。
 さて、「閑話休題」、上述の辛い話を何度も聞かされてきましたので、「夜討ち朝駆けとは、また陳腐な事例か」と若い頃はその度に思いました。「一所懸命」の精神を伝えたいという思惑を理解できれば、その事例を聞く度に「自分にその大切さを再認識させる機会が与えられた」と考えることができるようになりました。そのようなときに「誠意を持って接すれば、石に穴をあけることもできる」ということも語られるでしょう。誠意の大切さも、耳にたこができるほど聞いていますので、知識としては持っています。しかし、知識として知っていることと、それを実行できることは異なります。ましてや、それを実行して、結果に結びつけられることとは別なことです。
 陳腐な言葉にも、謙虚に耳を傾けますと、自らを反省する機会に繋がるのです。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー09 抜本塞源 問題解決と原因除去 ~ 原則をおろそかにして道理を乱す ~

2024-12-21 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】4ー09 抜本塞源    問題解決と原因除去 ~ 原則をおろそかにして道理を乱す ~       


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第4章 判断力を養いベターな意思決定
 ビジネスだけではなく、日常生活におきましても、私たちから「判断」をするという作業を切り話すことはできません。同じ状況においても、人により判断結果は異なります。例え論理思考で現状や状況分析をキチンとできても、また例え思考力の高い人でも、判断の仕方次第でものごとがうまくいくこともあれば、うまくいかなかったり、さらには悪循環に陥ってしまったりすることもあります。
 四字熟語の中には、私たちが判断に迷わないように、また迷ったときのヒントを与えてくれたりもします。迷ったときに、答を教えてくれるわけではありませんが、解決の糸口が見つかりやすくなったり、解決の時間を短縮してくれたり、よりよい解決策を見出したり、現状が悪化するのを防いでくれたりと、ヒントを与えてくださる時にはそれにより助けられることもあるでしょう。
 4ー09 抜本塞源    問題解決と原因除去
      ~ 原則をおろそかにして道理を乱す ~



「抜本塞源(ばっぽんそくげん)」は、「根本を忘れ、道理を乱す」という意味で、出典は春秋左氏伝です。ところが近年は、「抜本」は木の根から全てを抜き、「塞源」は水源をせき止めるという意味から、「抜本塞源」は「災難の原因を完全に除去する」という意味で使われることが一般的です。
 問題を解決するということは、大小あれど日々の生活の中で、何らかの形で存在します。問題があっても「快刀乱麻(かいとうらんま)」のごとく解決できる神様のような経営コンサルタントがいたら素晴らしいと思います。「快刀、乱麻を断たつ」の略で、「快刀」は「鋭利でよく切れる刃物」、「乱麻」は「乱れ、もつれた麻」のことを指します。よく切れる刃物で、もつれた麻糸のもつれた部分を切り取るように「こじれた物事を鮮やかに解決し、処理する」という意味です。
 東日本大震災で起こった原発問題ですが、ピーク時に大需要を持つ企業の15%電力削減が一律に適用されました。マスコミもピーク時のことばかりに偏重して報道していました。
 一般家庭もピーク時電力削減ばかりに目が行ってしまいますが、ムダな電力消費そのものを減らすだけではなく、電力消費そのものを減らす努力をすべきです。ムダなTV番組を減らすことにより、制作側、放送局、視聴電力等々を減らすことができます。ただし、このことは経済原則からしますと、異なった見方ができますが、上述のように解釈したいと思います。
 一方で、それによる経済的な側面をはじめ、多面的にそれによるディメリットも検証しなければなりません。その際にも根本を忘れて枝葉末節的な論争を延々とやっていてはならないとお思います。因みに「枝葉末節(しようまっせつ)」は、「主要部分ではない些末なこと」、すなわち「本質から外れたつまらないこと」という意味です。
 企業経営においても、しばしば類似した過ちを犯しがちです。「赤字である」ということから、「経費削減」「人員削減」と決めつけてはなりません。人間も生きるために最低限度のエネルギーと栄養が必要なように、企業にもそれが必要です。
 正しく原因分析をし、原因を根本から除去し、正しい方針で、正しい方法で解決することが望まれます。他書でも記述していますが、分最適ができても、必ずしも全体最適とは限りません。素人の生兵法で判断しては抜本塞源にならないことが多いことを忘れてはならないでしょう。
 マズローの欲求五段階説にもありましょうに、生活程度が高くなりますと、人間のニーズは多様化し、複雑化します。抜本塞源を意識することにより問題解決に結びつけやすくなりますが、昨今では「盤根錯節(ばんこんさくせつ)」している課題にしばしばであいます。
 インターネットのkotobankによりますと「盤根(ばんこん)」とは、下記のように説明されています。
雑木、特にもみじやぶな、姫しゃらなど根張りを見所とする樹種において、上根が癒着してひとかたまりになった状態を盤と言い、その根を盤根と呼ぶ。


「錯節(さくせつ)」の「錯」は「乱れて入りくむ」と言う意味で、「節」は「ふし」のことです。kotobankでは「 入り組んだ木の節」とあります。また「入り組んでいて解決しにくい事件や問題」ともあります。
 すなわち「盤根錯節」とは、根が張り、それが入り組んでいましたり、枝が複雑に絡んで節がごつごつしているようなことを指します。このことから、物事が複雑に絡み合っていて、処理するのが難しいことのたとえなのです。
 企業経営というのは、いろいろな問題が絡み合っています。それを整理するのが別項にあります「論理思考(ろんりしこう)」です。ロジカル・シンキング・ツールを使って事象を整理するのは大変ですが、それを実施し、全体が見えてきたときには、問題が解決していない段階でありましても、嬉しくなり、何としても解決に導こうという気になります。
 受験生の頃、数学の難問集に取り組み、解決できたときの快感は、登山で頂上を極めたときのそれに通ずるところがありました。経営コンサルタントも、クライアント・顧問先の問題を解決できたときには「“日本で”経営コンサルタントをやっていてよかった~」と叫びたくなります。少々古いですが、「日本で猫をやっていて良かった」というTVコマーシャルを見た人はわかる表現です。
 京都の鞍馬山を訪れたことがある人はご存知ですが、地上に根が露出して、ゴツゴツとなり、非常に歩きにくいところがあります。牛若丸がそれを利用して、ここで修行をしたと言われています。
 これを見たときに、盤根錯節という言葉を思い出し、上を見上げましたが、木々はすんなりと育って、錯節状態ではありませんでした。
 叡山電鉄鞍馬駅→徒歩10分→由岐神社→徒歩15分→鞍馬寺→徒歩20分→鞍馬寺・魔王殿→徒歩30分→貴船神社→徒歩30分(またはバス)→叡山電鉄貴船口駅(ウェブサイトより)というルートをある年の初夏に歩きました。
 まさか、山越え・峠越えとは知らず、革靴で行ったために往生しました。革靴といってもウォーキングシューズですが、右足の親指の爪が内出血して、黒くなり、数ヶ月した今もまだ抜け切れていません。
 訪れるところがどういう状態の場所なのかを事前に調査もせず、山に行きますと、自然に圧倒されて遭難に至ってしまうこともあるでしょう。
 若い頃は、山歩きが好きで、南アルプスを始めあちこちには行きましたので、「半山男」と言えますのに、この顛末は恥ずかしい次第です。
 何ごとも事前に情報収集しないとこのようなことになると自戒しています。
 因みに「山紫水明(さんしすいめい)」は「自然に囲まれた景色は清々しく、美しい」という意味です。山派紫に霞み、川は清らかに澄んだ流れをしているという、一幅の絵を連想させる四字熟語です。
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