経営コンサルタントへの道

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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 青森県鶴田町 鶴の舞橋 岩木山の雄大な山影を湖面に映し三連太鼓橋がはえる

2023-04-23 14:01:35 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 青森県鶴田町 鶴の舞橋 岩木山の雄大な山影を湖面に映し三連太鼓橋がはえる

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。
 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。
 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 青森県鶴田町 鶴の舞橋 岩木山の雄大な山影を湖面に映し三連太鼓橋がはえる 
  http://www.town.tsuruta.lg.jp/kankou/kankou-kankou/tsurumaihashi.html
 青森県五所川原の西に位置し、岩木山の雄大な山影を湖面に美しく映す津軽富士見湖に、ヒバ材だけで造られた、三連の太鼓橋を持っています。春は桜、夏は緑、秋は紅葉、冬は雪景色の四季を通じた景勝地です。
 その伝説に満ちた優美な湖面に美しい姿を映す鶴の舞橋は、吉永小百合のJR東日本のCMでも知られています。しかし、この湖は、ため池として造られた人造湖です。この地域には、岩木山からの涌水・雪解け水を利用して、100以上のため池があります。
 全長300mのこの橋は、三連太鼓橋では日本一長い木橋であり、そのぬくもりたっぷりの優しいアーチは、鶴と国際交流の里・鶴田町の新しい魅力となっています。
 長さ・幅    長さ:300m  幅:3m
 橋脚の径    直径30cm(樹齢150年以上を700本)
 使用材料    青森県産「ひば」1等材
 使用量        丸太3千本、板材3千枚(4LDKだと約30棟)
 設備         休憩所(中間2カ所) 大ステージ:10m×21m 小ステージ:9m×9m
 総工事費    2億6千万円(木橋部及び休憩所)
 ため池名称「廻堰大溜池(まわりぜきおおためいけ)」
 通称        「津軽富士見湖(つがるふじみこ)」
廻堰大溜池の沿革
 古記に、このため池は岩木山を水源とする白狐沢からの自然流水による貯水池でした。万治3年3月(西暦1660年)に、四代藩主津軽信政が、樋口権右衛門を廻堰大堤奉行に任命し、柏村地方の用水補給のための堤防を築き用水池にしたものと記録されています。
 その後、豪雨、融雪と自然災害により元禄、寛政、文政、明治、大正と堤防が決壊し、そのたびに大修理が加えられました。これに関係者が知恵を絞って対応しようとしたのがこのため池の契機です。長期にわたる努力と地域住民の献身的な働きかけにより、昭和16年から県営事業として築堤工事に着手し、その後国営工事に切替られ、総工事費約4億円を投じて昭和35年に現在の堤防が完成されました。
 春の増水期には1,100万トン(かんがい面積393ヘクタール)の貯水量を有します。このうち木造新田地方の補給用水として566万トン(補給面積5,500ヘクタール)をかかえ、水深約7m、満水面積281.28ヘクタールと県内でも人造湖としては最も大きな貯水湖です。西津軽一円の農業にとって欠くことのできない重要な役割を果たしています。
 また、このため池の特徴として周囲11kmのうち堤の延長4,178.44m、堤高7.08mは他に例がなく、ことに堤長に関しては日本一です。そのうえ大溜池の中に壮大な岩木山を映すさまはまさに『津軽富士見湖』の愛称どおり"美"そのものといわれています。


アクセス
 最寄りの陸奥鶴田駅からは、車で10分ほどのところにありますが、路線バスは通っていません。駅からは、車の到着時刻にあわせて待機しているタクシーを利用するのが良いでしょう。
(有)能率タクシー    TEL:0173-22-2002
(有)鶴田タクシー    TEL:0173-22-3515
 介護タクシーつがる(要予約)    TEL:090-4563-8972
近隣観光地
① トドロッポ ② 鶴の里ふるさと館 ③ 丹頂鶴自然公園 ④ 富士見湖パーク
⑤ 鶴の舞橋 ⑥ 津軽富士見湖 ⑦ 鶴田町歴史文化伝承館 ⑧ 大性神明宮のイチョウ(巨木) ⑨ 道の駅つるた 鶴の里あるじゃ
 

 

駐車場から鶴の舞橋への道

桜吹雪で路面がピンクに染まっています

サクラの木の間から、ヒバ材による三連太鼓橋として知られる

鶴の舞橋が見えてきました

      長さ・幅    長さ:300m  幅:3m
      橋脚の径    直径30cm(樹齢150年以上を700本)
      使用材料    青森県産「ひば」1等材
      使用量        丸太3千本、板材3千枚(4LDKだと約30棟)
      設備         休憩所(中間2カ所) 大ステージ:10m×21m 小ステージ:9m×9m
      総工事費    2億6千万円(木橋部及び休憩所)

100mの太鼓橋が三連、300mのヒバ材の木橋です

太鼓橋ですので、中間に立つ休憩所の三角屋根のみが見えます

振り返ると桜林の上に岩木山が顔を出しています

歌に謳われる「おいわき山」です

三連の継ぎ目には休憩所があります

休憩所から見た橋桁

3000本の丸太を使っています

顔を隠した岩木山

青森県人の誇り、津軽富士

鶴の舞橋の対岸の一部「へら岬」が見えてきました

へら岬の柵とユニークな形状の「へら岬公園」の標識板

へら岬公園から見た鶴の舞橋と岩木山

ようやく人姿が消えた鶴の舞橋

丹頂鶴自然公園から見た鶴の舞橋と岩木山

丹頂鶴育成館

 

 弘前公園など東北三大桜を追いかける、一泊の駆け足旅行でしたが、無事に帰京できました。

 ユーチューブで動画とともにアップロードしましたので、そちらでもお楽しみいただけます。

 桜舞う鶴の舞橋公園

 

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!ひとり旅】 宮城県仙台市 輪王寺庭園15 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園 三重塔周辺物と朱塗り橋 141101

2023-04-23 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県仙台市 輪王寺庭園15 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園 三重塔周辺物と朱塗り橋 141101

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県仙台市 輪王寺庭園15 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園 三重塔周辺と朱塗り橋 141101

 

 輪王寺は、仙台の寺町であります北町地区にある、室町時代からの歴史のある伊達家ゆかりの寺院で、「北山五山」の一つと数えられています。

 輪王寺は、伊達家第九世大膳大夫政宗夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、第十一世、大膳大夫持宗により嘉吉元年(1441)太菴梵守和尚を開山として、奥州伊達郡梁川に創建されました。

 その後、伊達家の居城の遷移に従い、西山、米沢、会津、米沢、岩出山を転々とし、慶長七(1602)年、現在の地に移りました。

 明治維新後、輪王寺は伊達家の庇護を失い、さらに明治九年(1876)北山に発した野火のため、仁王門を残し七堂伽藍を全焼してしまいました。

 曹洞宗大本山、永平寺と總持寺の意を受けて、明治三十六年(1903)、福定無外和尚により、復興に着手し、現在の本堂と庫裡を完成しました。無外和尚は、庭園の建設にも意を注ぎました。次の五峰和尚により、梵鐘、位牌堂、坐禅堂、開山堂が完成し、七堂伽藍の全てが整いました。

 庭園には、茶室「半杓庵」が建設され、東北有数の名園となりました。

 昭和五十六年(1981)道閑和尚の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、昔日の偉容を回復するに至りました。

 

アクセス

 

 JR仙山線北山駅から徒歩15分ほどのところにあります。

 仙台駅から路線バスで、近くまで行くこともできます。

 

 

庭園
 無外和尚は庭園の建設にも意を注ぎ、その晩年にはほぼ現在の規模を備えた庭園が出来上がり、今日の輪王禅苑の基礎が整えられました。

 無外和尚以来の伽藍の復興と庭園の整備は次の日置五峰和尚(1893-1972)に受け継がれ、梵鐘・位牌堂・坐禅堂・開山堂が次々と完成して七堂伽藍のすべてが整い、庭園も茶室半杓庵が建設され東北有数の名園となりました。

 さらに昭和五十六年(1981)日置道閑和尚(1926-2009)の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、輪王寺は昔日の偉容を回復するほどに至りました。

 

境内と庭園

 

三重塔をいろどる周辺の諸物

 

輪王寺庭園の池泉は、大きく西池と東庭園とに分かれています。

西池の西側に三重塔が立ち、池にその華麗なる姿を映しています。

蘭亭堂の奥に三重塔があります。

蘭亭堂の前に配されている飛び石沿いにゆきますと

三重塔にでます。

朱塗りの橋や手水鉢、石や石灯籠などなど

いろいろな物が配されています。

 

どこを切り取っても絵になります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【話材】 昨日04/22のつぶやき 筋の通った人生を送るためのスキル体得ノウハウ

2023-04-23 07:30:13 | ブログでつぶやき

 

  【話材】 昨日04/22のつぶやき 筋の通った人生を送るためのスキル体得ノウハウ

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a6054fcd57618f8f5baf7dca6cee3197

曇り

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

>> もっと見る

 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見

 

 バックナンバー

 

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■【きょうの人】 0423 呑龍 浄土宗大光院にある子育ての仏様

2023-04-23 06:33:00 | 【話材】 きょうの人04月

  【きょうの人】 0423 呑龍 浄土宗大光院にある子育ての仏様

 

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 呑龍 浄土宗大光院にある子育ての仏様

 

 どんりゅう
 弘治2年4月23日(1556年6月2日)- 元和9年8月9日(1623年9月3日)

 

 群馬県太田市の浄土宗大光院(だいこういん)、正式には「義重山大光院新田寺」という寺院があります。通称「子育て呑龍(こそだてどんりゅう)」もしくは「呑龍様(どんりゅうさま)」と親しまれています。

 真偽の程は定かでありませんが、徳川家康は源氏の流れを汲む新田義重の末裔であるといいます。

 慶長18年(1613年)、家康は呑龍を招聘して大光院を創建させました。境内裏には、新田義重や呑龍の墓があります。義重は九条兼実に従い法然上人に帰依しました。

 大光院は、もともとは建久6年(1195年)に、寺尾城内に建立され、家康は観智国師・土井利勝・成瀬正成に遺跡を探させ、墓石と礎石などをここに移させました。

 当時、多くの子どもが間引きといわれ、殺されていいましたが、呑龍は、これを悲しみ、これらの子どもを弟子として引き取って育てたため、後世の人々から「子育て呑龍」と慕われました。

 話は、昭和の第二次大戦前になりますが、中島飛行機で開発された百式重爆撃機という航空機がありましたが、その愛称「呑龍」でした。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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