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■【きょうの人】 0430 ■ 高田屋 嘉兵衛 江戸時代後期の廻船問屋でロシアに抑留

2021-04-30 13:19:57 | 【話材】 きょうの人04月

■【きょうの人】 0430 ■ 高田屋 嘉兵衛 江戸時代後期の廻船問屋でロシアに抑留

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■ 高田屋 嘉兵衛 江戸時代後期の廻船問屋でロシアに抑留

 たかたや かへえ
 明和6年1月1日(1769年2月7日)- 文政10年4月5日(1827年4月30日)

 江戸時代後期の廻船業者、海商で、ロシアに抑留されるも、ゴローニン事件を日ロ交渉の仲立ちをして解決に導く功績があります。

 淡路島で生まれ、幼名は菊弥です。兵庫津に出て船乗りとなり、後に廻船商人として蝦夷地・箱館(函館)に進出します。国後島・択捉島間の航路を開拓、漁場運営と廻船業で巨額の財を築き、箱館の発展に貢献しました。

 ゴローニン事件とは、当時、日本の対ロシア感情は極めて悪化していたことに起因しています。

 文化8年(1811年)、ロシアの軍艦ディアナ号が千島列島の測量を行っていました。その首領がヴァーシリー・ゴローニンです。国後島の泊に入港した際、厳戒態勢下にありました国後陣屋の役人が捕えらえ、松前で幽閉した事件です。

 函館山の麓、高田屋屋敷跡を通る高田屋通(護国神社坂)のグリーンベルトに嘉平の銅像が建っています。


 

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■【きょうの人】 0429 上杉 謙信 「敵に塩を送る」で有名なだけではない

2021-04-29 06:33:00 | 【話材】 きょうの人04月

■【きょうの人】 0429 上杉 謙信 「敵に塩を送る」で有名なだけではない

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■ 上杉 謙信 「敵に塩を送る」で有名なだけではない

 うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)
 享禄3年1月21日(1530年2月18日)(グレゴリオ暦1530年2月28日)-死没
天正6年3月13日(1578年4月19日)

 戦国時代の越後国の大名で、後に山内上杉家16代当主となります。武田信玄と並ぶ、戦国時代でも屈指の戦上手といわれ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称されました。

 越後守護・上杉家に仕える越後守護代・長尾為景(三条長尾家)の四男として生まれ、初名は長尾 景虎(ながお かげとら)でした。

 1561年(景虎31歳)の折に、関東管領・上杉憲政の養子となり山内上杉氏の家督を譲られました。「上杉」姓と憲政の「政」の1字を与えられて、上杉 政虎(うえすぎ まさとら)と改名したのです。

 上杉氏が、世襲していた室町幕府の重職関東管領を引き継ぎました。

 後に室町幕府の将軍・足利義輝より偏諱として「輝」の1字を受けて、最終的には輝虎と名乗りました。謙信は、さらに後に称した法号です。

 内乱続きであった越後国を統一し、戦や政だけではなく、産業を振興して国を繁栄させたのですから、単なる戦国武将ではなかったのです。

 他国から救援を要請されますと、黙っていられない聖覚で、秩序回復を掲げ、幾度となく出兵しました。

 闘った相手は、武田信玄だけではなく、北条氏康や織田信長、また、越中一向一揆にも遭遇しています。特に宿敵武田信玄との5回にわたる川中島の戦いはよく知られています。

 さらに足利将軍家からの要請を受けて上洛を試み、越後国から北陸路を西進して越中国・能登国・加賀国へと勢力を拡大しましたが、48歳で死去しました。

 謙信には実子がなく、死後、上杉家の家督の後継をめぐって御館の乱が勃発しました。

 「道理をもって誰にでも力を貸す」と、『白河風土記』に述べられています。私達経営コンサルタントの心得の一つに繋がります。

 謙信が敵将武田信玄に塩を送った逸話から、「敵に塩を送る」という故事も生まれましたが、本当に塩を送ったのかどうかの真偽の程は解明されていないようです。

 

  

 

  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/yamagata/yamagata-yonezawa/yamagata-yonezawa00.htm

 

 

 

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■【きょうの人】 0428 西郷 頼母 幕末の会津藩家老

2021-04-28 06:33:00 | 【話材】 きょうの人04月

■【きょうの人】 0428 西郷 頼母 幕末の会津藩家老

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■ 西郷 頼母 幕末の会津藩家老

 さいごう たのも
 文政13年閏3月24日(1830年5月16日) - 明治36年(1903年)4月28日)

 江戸時代後期(幕末)の会津藩の家老で、諱は近悳(ちかのり)です。明治維新後は、保科 頼母(ほしな たのも)と改名し、号を栖雲、または酔月とし、晩年は八握髯翁とも号しました。

 会津藩家老・西郷近思の子として生まれました。会津藩の家老は世襲制で、身分意識が強く、会津の名門九家の門閥しか家老に就くことが許されませんでした。また、「ならぬものはならぬのです」という教えによって、身分が低くても優秀であれば出世できるということが許されなかったのです。

 万延元年(1860年)、家督と家老職(家禄1,700石)を継いで藩主・松平容保に仕えました。

 藩の請け負った京都守護の責務に対して否定的な姿勢を覆さず、隆盛の怒りを買っています。また、禁門の変が起きる直前に上京して藩士たちに帰国を説くなど、隆盛の考え方の異なるところが多かったようです。

 戊辰戦争の後の新政府から、頼母等の初景を命ぜられますと、反旗を翻し、結局新政府軍に囲まれてしまいました。

 会津から逃げ延びて以降、榎本武揚や土方歳三と合流して箱館戦線で江差まで戦い続けましたが、旧幕府軍が降伏すると箱館で捕らえられ、館林藩預け置きとなりました。

 明治36年(1903年)に会津若松の十軒長屋で、74歳で死去、墓所は妻・千重子の墓とともに、会津の善龍寺にあります。

 

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■【きょうの人】 0427 前島密 日本郵便制度の父 切手や葉書の命名に始まる

2021-04-27 06:33:00 | 【話材】 きょうの人04月

■【きょうの人】 0427 前島密 日本郵便制度の父 切手や葉書の命名に始まる

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

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 前島密 日本郵便制度の父 427

 まえじま ひそか
 天保6年1月7日(1835年2月4日)-大正8年(1919年)4月27日

 1円切手の肖像で知られる、日本の官僚、政治家です。日本の近代郵便制度の創設者の一人であり、その功績から「郵便制度の父」と呼ばれています。

「郵便」とか「切手」、「葉書」という名称も彼が中心となって命名したと言われています。



【日本郵政サイト】

越後国(現在の新潟県)に生まれ。享年84歳。「縁の下の力持ちになることを厭うな。人のためによかれと願う心を常に持てよ」という信条どおり、近代化が進む日本でまさしく陰ながらより便利でより快適な暮らしの方法を提案し続けた。肖像画は、明治末ころのもの。向かって右えりに勲二等瑞宝章のバッジ、左えりには当時の貴族院議員記章が描かれています。

 

 

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■【きょうの人】 0426  後白河天皇 保元・平治の乱など戦乱の世を生きる

2021-04-26 14:52:52 | 【話材】 きょうの人04月

■【きょうの人】 0426  後白河天皇 保元・平治の乱など戦乱の世を生きる

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■  後白河天皇 保元・平治の乱など戦乱の世を生きる


 ごしらかわてんのう
 1127年10月18日〈大治2年9月11日〉-1192年4月26日〈建久3年3月13日〉

 

 第77代天皇(在位: 1155年8月23日-1158年9月5日)、諱は雅仁(まさひと)。

 鳥羽天皇の第四皇子として生まれ、異母弟・近衛天皇の急死により皇位を継ぐことになりました。譲位後は、後白河法皇として、34年の長きにわたり院政を行ったことから、「天皇」という呼称より「法王」というほうに馴染みを感じます。

 保元・平治の乱、治承・寿永の乱と戦乱が相次ぎ、二条天皇・平清盛・木曾義仲との対立により、幾度となく幽閉・院政停止に追い込まれました。しかし、不死鳥のごとく、そのたびに復権を果たしたことはよく知られています。

 ただ、政治的に定見がある人ではなかったようです。その時々の情勢に翻弄され、新興の鎌倉幕府とは多くの軋轢を抱えながらも協調する面もありました。その後の公武関係の枠組みを構築した人ともいえます。

 南都北嶺といった寺社勢力には厳しい態度で臨みましたが、その反面、仏教を厚く信奉しました。京都のお寺さんを回りますと、しばしば後白河法皇の名前が出てきます。晩年には、東大寺の大仏再建に積極的に取り組みました。

 和歌はにがてだったようで、歌があまり残っていません。

 

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■【きょうの人】 0425 孔子 春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖

2021-04-25 20:12:00 | 【話材】 きょうの人04月

■【きょうの人】 0425 孔子 春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

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 孔子

【Wikipedia】 孔子
 孔子(こうし、ピン音: Kǒng zǐ; ウェード式: K'ung-tzu、紀元前551年9月28日‐紀元前479年4月11日)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。 氏名は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子とは尊称である(子は先生という意味)。


■ 俊じょう(月輪大師)



 しゅんじょう/がちりんだいし
 仁安元年8月10日(1166年9月6日)- 嘉禄3年閏3月8日(1227年4月25日)

 字は「我禅」、号は「不可棄」、勅号は「大興正法国師」です。一般には、「月輪大師(がちりんだいし)」と呼ばれることが多いです。

 鎌倉時代前期の僧で、肥後国飽田郡の出身ということはわかっていますが、出自については不詳です。

 土御門帝正治元年、中国・宋で12年間修行をしました。そこでは、四分の律並に天台、密禅の諸宗を学びました。

 帰国後泉涌寺に入り、真言宗泉涌寺派の宗祖となりました。

 貴賤を問わず、民と接したことから、その得をしたい、帰依する人が多かったと言われています。


■ 西山

 せいざん

 西山上人は、浄土宗の開祖法然上人の高弟で、「証空」として知られています。

 自らが唱える「西山義」の教えを広め、西山によって唱えられた西山義は、やがて浄土宗西山派として知恩院の浄土宗鎮西派に次ぐ浄土宗内での大きな派となりました。

 現在の西山浄土宗の母体である光明寺派は、その浄土宗西山派の流れをくむ一派です。

 西山の弟子である西谷(せいこく)流の浄音が、西山の教えの上に更に自らの考えをも交えて西谷流を唱えだし、光明寺や禅林寺(永観堂)を中心に西山義、西谷流の教えを広めたのが直接の始まりです。

 紅葉で名高い京都光明寺で、10月26日は、西山忌として、西山上人の法事があります。

 御詠歌が奉納され、賑やかな法要として、全国から大勢の参拝者が集まります。

 西山浄土宗の総本山光明寺は、長岡京市西山のふもと、粟生広谷という地にあります。

 宗祖は円光大師と呼ばれる法然上人で、法然43歳の時に、日本で最初に念仏の産声を上げ地でもあります。


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■【きょうの人】 0424 鉄眼道光 江戸時代前期の黄檗宗の禅僧

2021-04-24 16:28:57 | 【話材】 きょうの人04月

■【きょうの人】 0424 鉄眼道光 江戸時代前期の黄檗宗の禅僧 

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 鉄眼道光

 正字: 鐵眼道光(てつげん どうこう)
 寛永7年1月1日(1630年2月12日) - 天和2年3月22日(20日説あり)(1682年4月27日)

 江戸時代前期の黄檗宗の禅僧、諡号は宝蔵国師。

 肥後国益城郡守山村(現・熊本県宇城市)に生まれ、13歳で出家しました。明暦元年、隠元や木菴に学びました。

 大蔵経の観光のために全国行脚を行い、1678年(延宝6年)に完成しました。宇治黄檗山に法増員を立てて、その木版を貯蔵しました。

 その後、金禅寺(大阪府)、海蔵寺(東京都)など7か寺を開くなどの功績もあります。

 

 

 

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■【きょうの人】 0423 呑龍 浄土宗大光院にある子育ての仏様

2021-04-23 06:33:00 | 【話材】 きょうの人04月

■【きょうの人】 0423 呑龍 浄土宗大光院にある子育ての仏様

 

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■ 呑龍 浄土宗大光院にある子育ての仏様

 

 どんりゅう
 弘治2年4月23日(1556年6月2日)- 元和9年8月9日(1623年9月3日)

 

 群馬県太田市の浄土宗大光院(だいこういん)、正式には「義重山大光院新田寺」という寺院があります。通称「子育て呑龍(こそだてどんりゅう)」もしくは「呑龍様(どんりゅうさま)」と親しまれています。

 真偽の程は定かでありませんが、徳川家康は源氏の流れを汲む新田義重の末裔であるといいます。

 慶長18年(1613年)、家康は呑龍を招聘して大光院を創建させました。境内裏には、新田義重や呑龍の墓があります。義重は九条兼実に従い法然上人に帰依しました。

 大光院は、もともとは建久6年(1195年)に、寺尾城内に建立され、家康は観智国師・土井利勝・成瀬正成に遺跡を探させ、墓石と礎石などをここに移させました。

 当時、多くの子どもが間引きといわれ、殺されていいましたが、呑龍は、これを悲しみ、これらの子どもを弟子として引き取って育てたため、後世の人々から「子育て呑龍」と慕われました。

 話は、昭和の第二次大戦前になりますが、中島飛行機で開発された百式重爆撃機という航空機がありましたが、その愛称「呑龍」でした。

 

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■【きょうの人】 0422 細川 幽斎(藤孝) 生誕 武将・大名ですが歌人としても知られる

2021-04-22 06:33:00 | 【話材】 きょうの人04月

■【きょうの人】 0422 細川 幽斎(藤孝) 生誕 武将・大名ですが歌人としても知られる

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■ 細川 幽斎(藤孝) 生誕 武将・大名ですが歌人としても知られる

 ほそかわ ゆうさい / 細川 藤孝(ほそかわ ふじたか)
 天文3年4月22日(1534年6月3日)-慶長15年8月20日(1610年10月6日)

 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、大名、歌人、幼名は、万吉(まんきち)で、元服して藤孝を名乗ります。幽斎は雅号で、法名を玄旨といいます。

 初め室町幕府13代将軍・足利義輝に仕え、その死後は織田信長の協力を得て15代将軍足利義昭の擁立に尽力しました。

 後に、義昭が信長に敵対して京都を逐われますと、信長に従って名字を長岡に改め、丹後国宮津11万石の大名となりました。

 本能寺の変の後、信長の死に殉じて剃髪して家督を忠興に譲りました。

 しかし、その後も豊臣秀吉、徳川家康に仕えて重用され、近世大名肥後細川家の礎を築きました。

 また、二条流の歌道伝承者三条西実枝から古今伝授を受け、近世歌学を大成させた当代一流の文化人でもありました。

 享年77(満76歳没)で、京都市左京区南禅寺福地町の瑞竜山太平興国南禅寺の塔頭寺院である天授庵に墓があります。

 

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■【きょうの人】 0421 千利休忌 わび茶の完成車がなぜ切腹させられたか  本日、ゆかりの人

2021-04-21 17:36:21 | 【話材】 きょうの人04月

■【きょうの人】 0421 千利休忌 わび茶の完成車がなぜ切腹させられたか

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 千利休忌

 せん の りきゅう、せん りきゅう
 大永2年(1522年)-天正19年2月28日(1591年4月21日)

 戦国時代から安土桃山時代にかけての商人で、むしろ茶人として広く知られています。

 わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、「茶聖」とも呼ばれています。また、今井宗久や津田宗及とともに、茶湯の天下三宗匠と称せられます。

「利休七哲」に代表される数多くの弟子を持ち、その子孫は、茶道の三千家として続いています。

 豊臣秀吉の側近でもあり、茶道を通じて多くの大名にも影響力をもったといわれていますが、秀吉との関係に不和が生じ、最後は切腹へと追い込まれたことはよく知られています。

 不和の真相については諸説があり、定説はないようです。


 茶道を嗜む人でなくても利休を知らない人はいないでしょう。お恥ずかしながら私は、コーヒーショップで「お茶」はしますが、茶道の「茶」はしません。でも、時々妻が茶を入れてくれますが、何かホッとします。やはり、日本人なのでしょうか。

 

 

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■【きょうの人】 0420  栄西 お茶と臨済宗  本日、ゆかりの人

2021-04-20 17:33:00 | 【話材】 きょうの人04月

■【きょうの人】 0420  栄西 お茶と臨済宗

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

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 栄西 お茶と臨済宗

 明菴栄西
 みょうあん えいさい/ようさい
 永治元年4月20日(1141年5月27日) - 建保3年7月5日(1215年8月1日)

 平安時代末期から鎌倉時代初期の僧で、日本における臨済宗の開祖で、京都・建仁寺を開山しました。天台密教葉上流の流祖でもあります。

 字が「明菴」、諱が「栄西」です。

 中国より持ち帰った茶の木の種をもとに、廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えたことでも知られています。

 ちなみに、京都高山寺は、鳥獣戯画図で有名ですが、ここに日本で最初の茶畑があります。

「喫茶養生記」という上下2巻からなる本を書いていて、上巻では、茶の種類や抹茶の製法、身体を壮健にする茶の効用をといています。下巻では、飲水(現在の糖尿病)、中風、不食、瘡、脚気の五病に関して桑の効用や用法について説いています。

 このことから、「茶桑経(ちゃそうきょう)」という別称もあるほどです。

「誓願寺盂蘭盆縁起」は、栄西の肉筆文書で国宝となっています。福岡市・誓願寺に滞在した時に書いたといわれ、同寺が所蔵(九州国立博物館寄託)しています。

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■【きょうの人】 0419 上杉 謙信 没 戦国武将、関東管領

2021-04-19 06:33:00 | 【話材】 きょうの人04月

■【きょうの人】 0419 上杉 謙信 没 戦国武将、関東管領

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

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■ 上杉 謙信 没 戦国武将、関東管領

 うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)
 享禄3年1月21日(1530年2月18日)(グレゴリオ暦1530年2月28日)-天正6年3月13日(1578年4月19日)

 戦国時代の越後国の大名で、後に山内上杉家16代当主となります。武田信玄と並ぶ、戦国時代でも屈指の戦上手といわれ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称されました。

 越後守護・上杉家に仕える越後守護代・長尾為景(三条長尾家)の四男として生まれ、初名は長尾 景虎(ながお かげとら)でした。

 1561年(景虎31歳)の折に、関東管領・上杉憲政の養子となり山内上杉氏の家督を譲られました。「上杉」姓と憲政の「政」の1字を与えられて、上杉 政虎(うえすぎ まさとら)と改名したのです。

 上杉氏が、世襲していた室町幕府の重職関東管領を引き継ぎました。

 後に室町幕府の将軍・足利義輝より偏諱として「輝」の1字を受けて、最終的には輝虎と名乗りました。謙信は、さらに後に称した法号です。

 内乱続きであった越後国を統一し、戦や政だけではなく、産業を振興して国を繁栄させたのですから、単なる戦国武将ではなかったのです。

 他国から救援を要請されますと、黙っていられない聖覚で、秩序回復を掲げ、幾度となく出兵しました。

 闘った相手は、武田信玄だけではなく、北条氏康や織田信長、また、越中一向一揆にも遭遇しています。特に宿敵武田信玄との5回にわたる川中島の戦いはよく知られています。

 さらに足利将軍家からの要請を受けて上洛を試み、越後国から北陸路を西進して越中国・能登国・加賀国へと勢力を拡大しましたが、48歳で死去しました。

 謙信には実子がなく、死後、上杉家の家督の後継をめぐって御館の乱が勃発しました。

 「道理をもって誰にでも力を貸す」と、『白河風土記』に述べられています。私達経営コンサルタントの心得の一つに繋がります。

 謙信が敵将武田信玄に塩を送った逸話から、「敵に塩を送る」という故事も生まれましたが、本当に塩を送ったのかどうかの真偽の程は解明されていないようです。

 

  上杉神社

  

 

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■【きょうの人】 0418 葛飾 北斎 没 江戸時代後期の浮世絵師

2021-04-18 17:41:27 | 【話材】 きょうの人04月

■【きょうの人】 0418 葛飾 北斎 没 江戸時代後期の浮世絵師

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■ 葛飾 北斎 没 江戸時代後期の浮世絵師

 かつしか ほくさい、葛飾 北齋
 宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉? - 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉

 江戸時代後期の浮世絵師で、化政文化を代表する一人といえます。

 代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家であることは周知の通りです。

 森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表したと言われますので、超人的な面もあると言えます。

 若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵も傑出した作品を残しています。

 北斎は、絵師としての地位は「富嶽三十六景」の発表により、不動のものとなったといえます。

 北斎は、浮世絵で高い芸術性を表しましたが、大衆的な『北斎漫画』の中にも彼の卓越した描写力が見えます。さらに、読本(よみほん)・挿絵芸術に新機軸を見出したことや、『北斎漫画』を始めとする絵本を多数発表したことは、意外と知られていません。

 毛筆による形態描出に敏腕を奮ったことなどは、絵画技術の普及や庶民教育にも益するところが大であると、専門家は表しています。

 葛飾派の祖であることはいうまでもありませんが、ゴッホなどの印象派画壇の芸術家を始め、多くの芸術面でも大きな影響を与えています。

 ありとあらゆるものを描き尽くそうとした北斎は、晩年、銅版画やガラス絵も研究し、自分で試みたといいます。

 また、油絵に対しても関心が強かったようですが、遂に果たせなかったのです。

 1999年には、アメリカ合衆国の雑誌である『ライフ』の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクインしています。

 その功績の大きさは、計り知れないということでしょうか。



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■【きょうの人】 0417 ■ 徳川 家康 いろいろな主君に仕え、生き方を体得? ■ 頓阿 新拾遺和歌集の撰進

2021-04-17 06:33:00 | 【話材】 きょうの人04月

■【きょうの人】 0417 ■ 徳川 家康 いろいろな主君に仕え生き方を体得? ■ 頓阿 新拾遺和歌集の撰進

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■ 徳川 家康 いろいろな主君に仕え生き方を体得

 

 とくがわ いえやす、旧字体:德川 家康
 天文11年12月26日(ユリウス暦1543年1月31日、遡及グレゴリオ暦1543年2月10日)- 元和2年4月17日(グレゴリオ暦1616年6月1日)
 主君 今川義元 → 今川氏真 → 足利義昭 →織田信長[2]→ 豊臣秀吉→豊臣秀頼

 

 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名で、天下人と呼ばれます。安祥松平家9代当主で、徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖です。

 家系は、三河国の国人土豪・松平氏、旧称は松平元康(まつだいら もとやす)で、戦国時代に終止符を打ち、朝廷より征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開き、三英傑のひとりといわれます。

 幼名は、竹千代、通称は次郎三郎で、のちに蔵人佐とも呼ばれていたようです。諱は今川義元より元信(もとのぶ)を授かり、元康とも名乗っていましたが、今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改めました。

 本姓は、私的には源氏を称していましたが、徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し、豊臣政権では豊臣氏を称した形跡もあるほど、ブランディングを目的として苗字にはこだわりました。天正16年(1588年)以降に源氏を再び称しています。

 このことから、家康の出自は、それほど良いとは言えず、それを糊塗するための戦略でしょう。そこから読み取れることは、一般に知られるほどには肝が据わった男ではなく、小心な面を持っていたのではないかと、勝手に、独断と偏見でもって感じています。

 家康につきましては、多くを語る必要がないほど、よく知られています。


■ 頓阿 新拾遺和歌集の撰進


 とんあ / とんな
 正応2年(1289年)-文中元年/応安5年3月13日(1372年4月17日)


 鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての僧であり歌人でもあります。父は二階堂氏一族とされていますが、藤原師実の子孫という説もあります。

 俗名は二階堂貞宗(にかいどう さだむね)で、父と祖父のなから一字ずつとって命名されたと言われています。

 比叡山で篭居して天台教学を学び、その後高野山でも修行し、20歳代後半に金蓮寺の真観に師事しています。

 西行を崇拝し、その史蹟を慕って諸国を行脚し、京都東山双林寺の西行の旧跡に草庵を構えるなどして隠遁者の生活を送りました。

 二条為世に師事してから活躍が広がり、二条派(歌道)再興の祖とされるまでになり、20歳代で慶運・浄弁・吉田兼好とともに和歌四天王の一人と称されています。宮仕えをすることを地下(じげ)といいますが、頓阿はずっと宮仕えをした歌人でしたので、歌壇での本格的な活躍は晩年であったようです。

 「新拾遺和歌集」の撰者二条為明(ためあき)を引き継いで完成させました。

 「続千載集」以下の勅撰和歌集に44首が入集されています。著書に『井蛙抄』、『愚問賢註』などがあります。

 兼好との交流も深いようで、徒然草第82段に登場します。

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■【きょうの人】 0416 岡崎嘉平太の誕生日 全日空を創業

2021-04-16 06:33:00 | 【話材】 きょうの人04月

■【きょうの人】 0416 岡崎嘉平太の誕生日 全日空を創業

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

 岡崎嘉平太の誕生日

 実業家岡崎嘉平太が1898年4月16日に誕生しました。全日空の前身である日本ヘリコプター輸送の創業者の一人で、二代目社長を務めています。
 
 岡崎が社長をしている頃は、まだ経営体として充分成熟しておらず、当時の運輸省からの資金援助や様々な経営上の支援を受けて経営拡大路線を取りました。拡大速度に整備や安全面が追いつかず、墜落事故が足を引っ張り、経営危機に陥り、責任を取って社長を辞任するまでに至ってしまいました。

 そのようなクリしい経験を経て、日本国際貿易促進協会常任委員や日中覚書貿易事務所代表・経済協会顧問などで日中関係改善、日中国交正常化にあたって周恩来首相から特別招待されるまでになりました。
 
 後に、岡崎嘉平太国際奨学財団を設立、全日空は岡崎の遺志を継いで社員寮の一部を留学生に提供しています。

 日本を代表する経済人・実業家の一人としてその名を知られますが、過去においては失敗も多かったようです。今日、中小企業で活躍している、あるいは現況に苦しんでいる経営者も一度や二度の失敗にめげずがんばってほしいですね。

 

 

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