経営コンサルタントへの道

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■【あたりまえ経営のすすめ】2部 管理編2-33 リーダーシップを発揮するための論理思考や管理会計活用のスキルを磨く

2023-04-08 12:03:00 | 【心 de 経営】 あたりまえ経営のすすめ2 管理編

■【あたりまえ経営のすすめ】2部 管理編2-33 リーダーシップを発揮するための論理思考や管理会計活用のスキルを磨く

 多様化の時代になり、ホンモノ智恵が求められる昨今です。

 世の中には、「専門家」とか「プロ」と呼ばれる人が多数いらっしゃいます。

 ところが、残念なことに、その大半というのが、「エセ専門家」「エセプロ」なのです。

 管理職も、“真”のプロ管理職にならなければなりません。

 ホンモノのプロ、要は「“真”のプロ」とは、どの様な人を指すのでしょうか。

 エセプロの多くは、「あたり前のことが、あたり前にできる」ということを軽視しています。

 「今の時代、最新の経営理論に基づく経営が重要である」と「あたり前」を蔑視をしている人もいるほどです。

 では、「あたり前」とは、なんでしょうか?

 「“真”のあたり前」を知らずして、あたり前を軽視して欲しくないですね。

 あたり前は、その辺に転がっているのではなく、「あたり前は創るもの」です。

 1970年代から、半世紀近くの経営コンサルタント経験から、最善の策ではないにしても、ベターな策を講じるための智恵をご紹介してまいります。

メモ

■ 2部 【管理編】 プロの管理職のあり方

 本シリーズは、経営士・コンサルタントなどの経営専門業・士業の先生方を対象として、第1部の【経営編】をお送りしてきました。しかし、その内容は、視点を変えれば経営者・管理職のためのお話でもあります。ビジネス界においては、フレキシブルな視点の持ち方をできる人が高く評価されるのです。

 筆者は、経営コンサルタントという仕事柄、しばしば管理職研修も実施してきました。その時に、必ずといって問うことは、「管理とは何でしょうか?」ということです。

 管理職の皆さんは、よく勉強していて、私より立派な回答が返ってきます。

 「では、それをどの様に実務に活かしていらっしゃいますか」と問いますと、期待するような回答が返ってきません。

 難しいことを勉強しすぎているのではないでしょうか。知識と実務が乖離していますと、せっかくの知識が知恵として活かせません。

 管理職として、「あたりまえ」なことが、実務で行われているのかどうか、謙虚に自分自身を見ることも大切なのではないでしょうか。

 管理職は、「管理とは何か」「温かい管理」を正しく理解しなければ、部下からも、上司からも、社会からも正しく評価されません。

  温かい管理とは  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8b7833c2ebc019660a3813e9dedbf92f

 ここでは、管理職なら誰もが知っているようなことを整理してみました。

 知識としてはご存知のことでしょうが、それを実務に活かすにはどうしたらよいのかを考えてくださる契機となると幸いです。

 

■ 第2部2章 プロ管理職のリーダーシップ 

 私達は、ひとりでは生きていくことはできません。社会や組織に所属して、他の人と共に力をあわせることが、近道といえます。そこに求められるのが、「リーダーシップ」です。

 管理職だけではなく、ビジネスパーソンにはリーダーシップを取れることが、成功への近道であり、自己実現には不可欠といっても過言ではありません。では、ビジネス界におけるリーダーシップとはどのようなものなのでしょうか。原点に戻って、再度考え、新たな気持ちでチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

 

■ 2-33 リーダーシップを発揮するための論理思考や管理会計活用のスキルを磨く

 前項では、リーダーシップを発揮するためには、目標・目的意識を持ち、問題発見・課題解決への取り組みを行う貯めに決断力や行動力が必要である旨を記述しました。

 ここでは、それをスムーズに進めるために必要な能力やスキルについてお話します。


◇ 論理的に話して、納得を得る

 リーダーは、多くの場合に、複数の人を相手にリーダーシップをとることが多いです。そのためには、一人一人がリーダーの考え方を理解し、自分の任務・役割に納得できていなければなりません。

 口がうまいだけのリーダーでは、すぐにメッキがはげてしまいます。

 プロジェクトの目的とその背景や理由や、何を、どこまで求めているのかが明らかでありませんと、指示・命令を受ける側は、どの様に判断して良いのかわかりません。どの様な障壁が懸念され、どのくらいの経営資源の投入が必要か、時間的猶予や緊急度等々、それを受ける側の立場に立った話し合いが必要となります。

 それらが、順序だって話される場合と比べて、主語や目的語など重要な要素を含まない、中途半端で、抽象的な指示・命令では、受ける側が判断に窮したり、その判断がリーダーと行き違っていたりしては、好ましい結果には至らないでしょう。

 論理的思考力が、ある人とない人との差は、結果で大きく異なってくるかもしれません。それでは、リーダーとしても困るでしょう。リーダーが求める成果物を得られるような仕事の進め方が求められることはいうまでもありません。

 論理的思考力といいましても、いろいろとあります。

 論理思考が苦手だといわれます日本人にとりましては、グローバル経済の下では、身に付けなければ単一民族の世界でも生きて行かれません。

 私達にとりまして、論理思考におきましては、ロジカル・シンキングが最も身近な存在といえます。ロジカル・シンキングは、論理的思考を養うスキルでありますと共に、論理思考を展開するためのスキルでもあります。

 このロジカル・シンキングをベースに、現状など、課題や状況を鵜呑みにせず、そこに疑問を持って取り組むときに使われるのがクリティカル・シンキングです。

 論理的思考力は、生まれながらに身に付けている人もいますが、ダイヤモンドと同じで、磨かないと光りません。逆に、論理的思考力を持っていない人でも、それを利用しながら、論理思考を身につけて行くことが可能です。

 経営コンサルタントなど専門業務・士業の先生だけではなく、ビジネスパーソンにも不可欠なスキルといえます。


◇ 管理会計思考でデータと情報でリーダーシップをとる

 本屋さんのビジネス書コーナーに行って、管理会計関連の書籍を探しますと、すぐに見つかるほど多くの書籍が出版されているのがわかります。それだけ、管理会計に対する関心が高いのですね。

 ところが、アカデミックな書籍が多く、これらの本を読んで実務に使いこなせる人や企業がどの程度いらっしゃるのか心配になります。

 管理会計は、研究開発から、営業、アフターサービス部門まで、企業のあらゆる分野で利用できます。それは財務分析や営業業績管理、開発部門のスケジュールや開発費管理など幅広い業務で利用できます。

 ところが、大半の企業で、管理会計は導入してはいますものの、それを充分に活かし切れていません。管理会計に対する基本姿勢や捉え方が、実務とかけ離れてしまっているのです。

 管理会計は、温かい管理で、活かされやすいのですが、温かい管理も定着していないがために、上司が部下の尻をたたく道具というような認識が高いのです。

 まず、「管理会計が目指す末広がり八項」を理解してから、管理会計に取り組んでいただきたいと思います。(詳細は当該項をご参照ください)

 

 

<続く>

 

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【カシャリ!庭園めぐりの旅】宮城県大崎市 旧有備館および庭園4 御中島と茶室 1465

2023-04-08 11:28:33 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】宮城県大崎市 旧有備館および庭園4 御中島と茶室 1465

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。



 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。



 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。



■ 宮城県大崎市 旧有備館および庭園4 御中島と茶室 

 

 「有備館」は、江戸時代の仙台藩家臣である岩出山伊達家が開設した、家臣の子弟を教育する郷学(学問所)です。開校は十代邦直が当主の嘉永3(1850)年頃と考えられ、岩出山城北側の隠居所・下屋敷の敷地内に開設されました。



 現存する有備館の「御改所(主屋)」は、二代宗敏の隠居所として延宝5(1677)年に建てられた可能性が高い建物で、下屋敷としても利用され「対影楼」と呼ばれました。



 明治維新後の明治2(1869)年には,有備館の御改所と附属屋は岩出山伊達家の居宅となり、庭園とともに守り伝えられてきました。



 昭和8(1933)年2月28日、居宅と庭園は「旧有備館および庭園」として国の史跡及び名勝に指定され、昭和45(1970)年に岩出山伊達家の厚意により岩出山町(現大崎市)に移管され、一般に公開されるようになりました。



 池を取り囲む庭園は、四季折々の景色を楽しむことができ、特に、晴れた日に見える、水に映える庭園と御改所は荘重で優美なたたずまいを見せてくれます。

 

アクセス

 宮城県大崎市岩出山字上川原町6 0229-72-1344

 営業時間 9:00-17:00(最終入館は16:30まで)

 定休日  月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日~1月3日)

 料金

 【個人】 大人350円、高校生260円、小・中学生180円

 最寄駅

  JR陸羽東線有備館駅 最寄駅から徒歩1分

  東北新幹線古川駅で陸羽東線新庄方向行きの列車

 駐車場  あり

 公式サイト https://yubikan.jp/top.html

 

【コメント】

 新幹線古川駅でJR陸羽東線の山形県新庄駅方向に向かう列車に乗ります。1時間に一本ほどの本数で、時間帯によっては増減がありますので、時刻表の確認は不可欠です。

 古川駅周辺も、時間を過ごせるような喫茶店などはあまり期待できません。

 旧有備館庭園は、伊達家の関わり代表的な庭園のひとつです。交通の便はあまり良いところにあるわけではないのですが、訪れる価値はある庭園といえます。

 

 

 

右下方向が北

 

古川方向 ◀ 有備館駅▶ 新庄方向

 

 

 

 

 

 

 

北: 左上方向

 

 

 

 旧有備館庭園 御中島と茶亭 

 

 

 

 

塀重御門

 

付属屋玄関の左側に、庭園に通じる門があります。

 

 

庭園は付属屋の前に広がり、御中島は、この写真左手

 

松の枝がわずかに見えます。

 

 

御中島

 

附属矢川から見た御中島北側

 

左手に見える土橋から島に渡れます。

 

 

右に御中島の松、左手(見えない)に塀重御門

 

写真を直進すると庭園右回りのコース

 

橋の左たもとに松が見えます。(下写真)

 

 

天皇・皇后行幸記念植樹の松

 

 

御中島への橋のたもとにある石

 

 

 

 

御中島への橋を渡る

 

 

橋奥に立つ松

 

 

御中島への橋を渡りきったところから見た付属屋(旧有備館)

 

左の松は、御中島の北に植えられた松

 

 

御中島の北所の松

 

 

御中島の小径を進むと左手に茶亭が見えてきました。

 

 

御中島南端から見た島の北半分

 

 

茶亭裏

 

 

御中島茶亭前から見た対岸

 

鶴ヶ島と亀子中島

 

右は対岸の「出先」

 

御中島対岸 出先、築山方向

 

<旧有備館5へ続く>

 

宮城県大崎市 旧有備館および庭園1 有備館駅と有備館の森公園   

宮城県大崎市 旧有備館および庭園2 周囲から覗く有備館庭園    

宮城県大崎市 旧有備館および庭園3 有備館庭園エントランスと付属屋







ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】



写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。



静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm

映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 



【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【話材】 昨日04/07のつぶやき 映像で学ぶ 信頼されるコンサルタント

2023-04-08 07:19:23 | ブログ

 

  【話材】 昨日04/07のつぶやき 映像で学ぶ 信頼されるコンサルタント

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/7f6b35af381d8f3b080d7f6c5ba0f6fd

晴れb5

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

>> もっと見る

 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見

 

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■【きょうの人】 0408 ■ 聖徳太子 ■ 釈迦 ■ 智証大師 円珍 ■ 日朗

2023-04-08 06:33:00 | 【話材】 きょうの人04月

  【きょうの人】 0408 ■ 聖徳太子 ■ 釈迦 ■ 智証大師 円珍 ■ 日朗

 

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

 

■ 釈迦

 「釈迦」、一般にはお釈迦様と言われ、知らない人はいないでしょう。

 釈迦は、シャカ族の王子でゴータマ・シッダッタという俗名があることも知られています。

 私どもは、「釈迦」とか「お釈迦様」と言っていますが、その称号はいろいろとあります。その一つに「釈迦牟尼世尊」がありますが、略して「釈尊(しゃくそん)」とか「釈迦如来」と言っています。

【Wikipedia】 釈迦
 釈迦は紀元前5世紀頃、シャーキャ族王・シュッドーダナ(漢訳名:浄飯王 じょうぼんのう)の男子として現在のネパールのルンビニで誕生。王子として裕福な生活を送っていたが、29歳で出家した。
 35歳で正覚(覚り)を開き、仏陀(覚者)となったことを成道という。まもなく釈迦のもとへやってきた梵天の勧めに応じて、釈迦は自らの覚りを人々に説いて伝道して廻った。南方伝ではヴァイシャーカ月の満月の日に80歳で入滅(死去)したと言われている。
 


■ 智証大師 円珍

 ちしょうだいし/えんちん
 弘仁5年3月15日(814年4月8日- 寛平3年10月29日(891年12月4日)

 平安時代の天台宗の僧で、天台寺門宗(寺門派)の宗祖でもあります。

 法号は「南無大師智慧金剛(なむだいしちえこんごう)」で、諡号は智証大師(智證大師、ちしょうだいし)と称し、入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人ですので、最澄・空海らと肩を並ぶお人なのです。

 讃岐国(香川県)金倉郷に誕生しました。その地の豪族・佐伯一門のひとりで、俗姓は「」和気」といいます。空海(弘法大師)の甥(もしくは姪の息子)にあたるといわれています。

 15歳で比叡山に登り、義真に師事、12年間の籠山行を終えました。

 役行者を慕い、大峯山・葛城山・熊野三山を巡礼しました。吉野での修験道の発展に寄与することになり、承和13年(846年)には、延暦寺の学頭となりました。

 仁寿3年(853年)に、新羅商人の船で唐に向かう途中で暴風に遭って台湾に漂着したいりしました。

 天安2年(858年)帰国後、比叡山の山王院に住したの地、第5代座主となり、園城寺(三井寺)を賜りました。三井寺には、円珍が感得したとされる「黄不動」「新羅明神像」等の美術品の他、円珍の手による文書が他数残されており、日本美術史上におきましても注目されることです。

 
■ 日朗

 にちろう
 寛元3年4月8日(1245年5月5日)- 元応2年1月21日(1320年3月1日)

 鎌倉時代の日蓮宗・法華宗の僧で、日蓮六老僧の一人です。号は筑後房、大国阿闍梨とも称します。日朗門流・池上門流・比企谷門流の祖です。下総国の出身、父は平賀有国です。

 1261年(文応2年)日蓮を師として法を学び、1271年(文永8年)日蓮の流罪の際に、土牢に押込となりました。

 1274年(文永11年)佐渡に流罪となっていた日蓮を8回も訪ね、赦免状を携えて佐渡に渡っています。但し、これは伝承で幕府の公文書である赦免状を流罪者の弟子に託すことはあり得ず、誤伝である可能性が高いといわれています。

 日蓮滅後に、久遠寺の墓所にあった日蓮所持の釈迦立像を、日蓮の遺言に背き勝手に持ち去っています。

 1282年(弘安5年)池上宗仲の協力のもと、池上本門寺の基礎を築きました。1309年(延慶2年)千葉胤貞の妻より、土地の寄進を受け、本土寺を建立しました。鎌倉光則寺は、1274年に、日朗を開祖として創建されました。

  光則寺 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/kanagawa/kanagawa-kamakura-kousokuji.htm

 1320年(元応2年)安国論寺にて荼毘に付され、法性寺に葬られました。
 

■ 聖徳太子 

 しょうとくたいし
 敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) - 推古天皇30年2月22日(622年4月8日))

「聖徳太子」は、後世の諡号で、厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)といい、飛鳥時代の皇族・政治家です。用明天皇の第二皇子として生まれ、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女です。

 推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど進んでいる中国の文化・制度を積極的に取り入れました。

 冠位十二階や「和をもって貴しとなす」ではじまる十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立に功績があったといえます。また、仏教を取り入れ、神道とともに厚く信仰し興隆につとめました。

 大阪の四天王寺を建立し、療病院施薬院、悲田院を設け、社会事業の鏑矢をなしたことは注視すべきことです。

 聖徳太子は、天皇にならなかった著名な皇族の一人です。

 毎月22日は、処々で大師会とか太子講と称して法会が営まれます。4月15日は「聖徳太子祭」として、わが国の「文化の祖」と言われる聖徳太子を奉賛する祭日です。


 聖徳太子は、一度に十人の人の言葉を聞き分けたという伝説があります。その真偽は別として、ビジネスパーソンには「複々線思考・行動」が必要と考えます。

 私達の多くは、毎日、複数の業務や作業などを並列的に進めて行かなければなりません。列車が単線上を、並んだ順に走るのではなく、複線や複々線上に異なった列車という業務等に取り組まなければなりません。

 優先順位が高い業務は、専用線上を走らせたり、他の業務を停車させたり、それを追い越していくこともあります。

 聖徳太子のように一時に多数の業務をすることができなくても、PDCAをキチンと回すことにより複々線思考・行動をすることは可能ですし、それが求められています。

 

 

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

 


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