■■【経営コンサルタントのお勧め図書】 200526 なぜ論語は「善」なのに儒教は「悪」なのか—日本と中韓「道徳格差」の核心—
「経営コンサルタントがどのような本を、どのように読んでいるのかを教えてください」「経営コンサルタントのお勧めの本は?」という声をしばしばお聞きします。
日本経営士協会の経営士・コンサルタントの先生方が読んでいる書籍を、毎月第4火曜日にご紹介します。
■ 今日のおすすめ
『なぜ論語は「善」なのに儒教は「悪」なのか—日本と中韓「道徳格差」の核心—』
(石 平著 PHP新書)
■ 何故『「儒教」と「論語」の違いを知る必要性』があるのか(はじめに)
2017.6.27の本欄でご紹介した『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(ケント・ギルバード著)で、『「儒教」に対し抱いている日本人の「倫理・道徳規範」的イメージと、「特亜三国(中・韓・北鮮)」の非常識の源泉となっている「儒教」との乖離』と記されています。ここでは、「儒教」が二つの意味を含んでいます。善の「儒教」と悪の「儒教」です。
石 平は今回の紹介本を通して、『善の「儒教」』は「論語」、『悪の「儒教」』は善・後漢時代の「儒教」と南宋時代以降の「朱子学」であるとし、『悪の「儒教」』の理論的準備の役割を果たしたのが孟子・荀子の「儒学」と位置づけ、「論語」⇒「儒学」⇒「儒教」⇒「朱子学〈「新儒学」「新儒教」〉」の道筋を明らかにしています。
石 平は紹介本の中で、『前漢に成立した「儒教」は、南宋時代に「朱子学」という新しい教学を生み出し、それを理論的中核にして「新儒教」としての「礼教」が成立した。中国伝統の「礼教」と「礼教」のつくり出した社会は、「論語」の心の暖かい「礼(“仁”=“愛”にもとづく礼儀)」と「和(思いやり)」とは無縁な世界であり、過酷さと残忍さを基調とする世界であった』と述べ、心の暖かい「論語」との大きな隔たりを指摘しています。
私達にとり、隣国「特亜三国」の支配的文明・文化「儒教」・「朱子学(新儒教)」と、江戸時代の御用教学「朱子学」を捨て「論語」に「愛」を求めた日本文化との違いを深く理解しておくことは、関連する様々な経営的判断をする上で必要な事と思います。このことを次項『初めて知る「論語」・「儒学」・「儒教」・「朱子学(新儒学・新儒教)」』で深堀してみたいと思います。
■ 初めて知る「論語」・「儒学」・「儒教」・「朱子学(新儒学・新儒教)」
【「論語」・「儒学」・「儒教」・「朱子学」を明確に区分・把握してみよう】
石 平は、「論語」と「儒学」・「儒教」・「朱子学」は全く別物と強調します。賢明な生き方・学び方・物の見方を弟子たちに諄々と語り教えた、それが「論語」という書物のすべてであるとします。
更に石 平は、一般的には儒家という括りで一緒になっている孔子・孟子・荀子について、『儒学がその始祖とすべきは儒学の学問的体系化をした戦国時代の孟子(「性善説」「徳治主義の王道政治」)・荀子(「性悪説」「礼治(政治)主義」)であり、春秋時代の孔子ではない。「王道政治」にしても「礼治主義」にしても「為政者が万民を導く」必要性を説くものであり、前漢・後漢以降の中央集権国家における支配的イデオロギーの理論的準備と言えるもので、孔子の「論語」とは正反対のもの』と主張します。
それでは、前漢時代に成立する「儒教」と南宋時代に成立した「朱子学」についての石平説を見てみましょう。
「儒教」「朱子学」の共通点は、皇帝(前・後漢以降清王朝まで)の地位と絶対的な権力を正当化するための思想・理論、御用教学・国教であることです。さらに、これらの思想・理論を試験科目とする「挙考簾」・「科挙」制度を通じて、国家権力を支える官僚組織に「儒教」「朱子学」が浸透して行ったのです。
「儒教」「朱子学」の相違点です。まず「儒教」は前漢武帝の時代、董仲舒によって創成されました。董仲舒は、『天人相関説(【注1】参照)』により皇帝の地位の絶対化を図る装置を打ち立てました。さらに、この時代の儒学者たちにより「儒教」の経典として「五経(『詩経』『書経』『易経』『礼教』『春秋』)」が作られました。経典に「論語」が入っていないことに注目してください。
その後、前・後漢に続く魏晋南北朝から北宋時代は仏教・道教が重用されましたが、儒教の御用・支配教学の地位は維持されていました。北宋王朝が女真族(満州民族/清)の金により滅ぼされ、南に逃れ南宋王朝(BC1127~)を創建します。その三年後、朱子が生まれ、成人して「朱子学」を打ち立てました。
「朱子学」の特徴は、前・後漢時代の「儒教」を否定し、『理気二元論(【注2】参照)』と『性即理説(【注3】を参照)』の二つを基本的理論・思想とし、更に、朱子学の正統性を創るため、五経の内の「礼経」の注釈書である「礼記」から「大学」「中庸」を抜き出し、それに「論語」と「孟子」を加え「四書」とし朱子学の基本経典としての『「四書」「五経」(朱子独自の解釈書も創り上げる)』を制定します。こうして、新儒学(朱子による「孟子」の独自解釈+荀子の「性悪説」は継承しない)・新儒教(漢代の儒教を全面否定)としての朱子学を打ち立てたのです。
【注1】『天人相関説』;『天』の意思により『「天子」=「皇帝」』を通じて、『天下万民』を支配するという思想・理論。
【注2】『理気二元論』;万物が、形而上の「理(天地万物を主宰する法則性)」と形而下の「気(万物を構成する要素)」から成り立っている。「理」は根本的実在として「気」の運動に対して秩序を与えるとする存
在論。
【注3】『性即理説』;朱子学の実践倫理・理論。人間にあって「理」は精神を意味し、その精神を構成する人間の心は「性」と「情」から成り、「性」が「気」によって動くと「情」になり、さらに激しく動きバランスを崩すと「欲(悪)」となる。よって、たえず「情」を統御し「性」に戻す努力である『格物致知〈万物を観察・研究と「理」の発見〉』と『持敬〈心の静を保つ修養法、仏教=禅宗の二番煎じ〉』が必要と説く。この「性」にのみ「理」を認める(=性即理)。
この二つの理論・思想から帰結する朱子学のスローガンは『在天理、滅人欲(天理を存し、人欲を滅ぼす)』です。その為の「格物致知」「持敬」が出来るのは一部エリート層のみで、それが出来ない一般民衆には導きが必要であり、導きの手段として社会全体と一般民衆を「朱子学」によって統制していくべきと考えます。
そこで朱子学が提唱するのが「礼経社会」の実現です。「礼」即ち礼節と道徳規範を以って庶民を「教化」し、社会・一般民衆の心を「性」に立ち返らせることが朱子学の唱える「礼教」の役割だとします。こうして朱子学は、元、明、清王朝の体制教学として「礼教」にもとづく国家体制作りに利用される思想になっていくのです。
■ 文明・文化を知ることの意義(むすび)
紹介本を通じ、中国で青年時代を経験した著者の正確・客観的な「儒教」観を知り、「儒学」「儒教」「朱子学」と「論語」を区分出来たのではないでしょうか。
ここで大切なことは、『彼を知り己を知れば、百戦して殆からず』と同時に、『小異を残して大同につく(一般的には「小異を捨てて大同につく」)』の格言に従い、「儒学」「儒教」「朱子学」と「論語」がどの様な思想かを理解し、経営の場で判断材料として活用すると同時に、お互いが「共通のアイデンティティー(ビジョン)」を共有し、それに向かって進んでいく前向きな姿勢も大切にしたいものです。
■ 【酒井 闊 先生 プロフィール】
10年以上に亘り企業経営者(メガバンク関係会社社長、一部上場企業CFO)としての経験を積む。その後経営コンサルタントとして独立。
企業経営者として培った叡智と豊富な人脈ならびに日本経営士協会の豊かな人脈を資産として、『私だけが出来るコンサルティング』をモットーに、企業経営の革新・強化を得意分野として活躍中。
http://www.jmca.or.jp/meibo/pd/2091.htm
http://sakai-gm.jp/
【 注 】
著者からの原稿をそのまま掲載しています。読者の皆様のご判断で、自己責任で行動してください。
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