経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】福島県郡山市 隈上苑 平安時代創建古寺如宝寺の日本庭園

2023-12-31 13:20:09 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

■【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】福島県郡山市 隈上苑 平安時代創建古寺如宝寺の日本庭園

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】福島県郡山市如宝寺・隈上苑ミニ 平安時代創建の歴史ある福島県郡山市の如宝寺にある池泉廻遊式庭園「隈上苑」 

 

 「高嶽山如宝寺(如寳寺)」は、郡山の中心市街地にある、創建は平安時代(802)と伝わる真言宗寺院です。
 一万坪という広い境内を持ち、敷地内には日本庭園・隈上苑があります。
 如宝寺の仁王門や山門の手前に位置し、道路に面しているという珍しい形式です。一段高いところに立つ如宝寺の伽藍を借景とした池泉廻遊式庭園です。
 「ミニ」は、特定のテーマだけに絞り込んで、コンパクトにまとめた短編映像です。統合版を別途再編集し、お届けしていますので、そちらも併せてご覧下さると幸いです。

 

 高嶽山如寳寺は、福島県郡山市に所在する、大日如来をご本尊とし、真言宗豊山派長谷寺(奈良県桜井市)をご本山としています。
 郡山の中心市街地にあり、一万坪という広い境内を持つ寺院です。如宝寺庭園“隈上苑”という池泉廻遊式庭園もあります。それほど遠くない、市の中央高台に位置しています。近くには、日本の歴史公園100選に選ばれている「麓山公園」や「21世紀記念公園 麓山の杜」もあります。

 明治時代の戊辰戦争の戦火によって主な建造物の多くを焼失してしまいました。住職を務めた鈴木信教は、子女の養育や学校教育、地域の開発などに尽力した名僧として知られ、境内にある墓は福島県指定史跡に指定されています。
 隣接する2階建ての書院は国登録有形文化財で、元は明治天皇行在所として白河に作られた建物をその後移築されたものです。2階建てという外見からもお寺らしくない建物です。
 境内には、「国宝殿」があります。
 仁王門は、文化財指定はされていませんが、江戸時代より残る、境内で最も古い建造物です。

 

 

 境内には、七堂伽羅の荘厳な建造物群が配されています。そのほか、平安朝時代の古瓦、鎌倉時代の古碑、明治の先覚者位碑などが保存され、千余年もの年月を数える由緒ある寺院です。


 当寺の縁起は大同二年(西暦807年)、この地を治めていた虎丸長者がはるばる京に上り時の帝・平城天皇に拝謁を賜った際、馬頭観音像を郷土住民の守護仏として下賜されたことに始まります。


 長者は守り本尊として現在地に観音堂を建立し、現在の郡山市中町に庵を結び、徳望が高かった笹久根上人を招いて荘厳な開眼供養をあげました。上人は本尊大日如来を奉じて庵室を観音堂境内に移し、“如寳寺”と称して観世音を守護したと伝えられています。

 

大本堂・光明殿・観音堂

 

 

如宝寺隈上苑
 

 如宝寺の日本庭園は、「隈上苑」といい、郡山駅から徒歩で10数分の所に位置しています。郡山の日本庭園のひとつである「麓山の杜」からは、徒歩5~6分の距離です。

 如宝寺は、平安時代に創建されましたが、池泉回遊式庭園「隈上苑」の開園は記録にはありません。
 昭和の初めには、「隈上苑」が存在することは解っているそうですので、開園は、昭和の初めか、それ以前と推定できます。

 池泉には中島が作られています。両側に石橋がかけられていて、直線状に配置されています。
 隈上苑は、それほど大きな庭園とはいえませんが、ずっしりとした石橋の奥に、滝石組を組むなど、作庭者の奥行きを感じられます。
 滝石組は、枯滝石組ですが、池泉には水が張られています。
 滝水が伝う水落石(みずおちいし)は、2段組です。そこに青石が使われていますので、水の流れが表現されていることが解ります。

 隈上苑では、橋添石と池泉に立つ池中立石の配置が見事といえます。
 

映像で視るカシャリひとり旅
如宝寺と池泉廻遊式庭園「隈上苑」

 

 



ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!ひとり旅】 山形県山形市 山寺(立石寺)9  160180

2023-12-19 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

  【カシャリ!ひとり旅】 山形県山形市 山寺(立石寺)9 観明院と修行者のための胎内堂 160180

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 山形県山形市 山寺(立石寺)9 観明院と修行者のための胎内堂

    https://www.rissyakuji.jp/

 「山寺」(やまでら)は、正式には「宝珠山立石寺」といいます。山形市より仙山線で北東方向に行った所にあります。

 奈良時代に開かれたと伝わる寺院で、東北を代表する霊山で、その岩山・絶壁に沿って多くのお堂が建てられています。途中に自然の岩肌、そして見上げる奥の院、そして五大堂からの眺望など風光明媚な景勝地として国指定名勝となっています。

 山形駅から仙山線で20分ほどで山寺駅に着きます。ホームから、堂于や岩肌が見え、思わずシャッターを切ってしまいます。参道へは、4本ほどの入り口がありますが、一番奥の参道入り口まで徒歩10分のところから登り始めます。「登山口」という立て看板があることからも、お寺参りと言うよりは登山なのだと認識した方がよろしいでしょう。

 石段を見上げますと、この先、並々ならぬ道のりであるという思いと、その背景に見える堂于に対する期待とが交錯します。石段を登り切りますと、最初に現れるのが根本中堂です。室町時代に初代山形城主・斯波兼頼が再建し、国指定重要文化財となっています。

 根本中堂から、西に向かう参道を進むと、芭蕉の有名な『閑さや 巌にしみ入る 蝉の声』という句碑や清和天皇御宝塔、日枝神社があります。その先にあるのが鎌倉時代に造られたとされる山門で、ここで入山料をお支払いします。ここから奥の院まで、1000段の石段があり、健脚な人なら30分でたどり着くと言われます。

 参道沿いにある堂宇や塚などで写真をとったりする私は、普通の参詣者の3倍の時間がかかります。

 参道のほぼ真ん中あたりにあるのがせみ塚です。そこからしばらく登りますと弥陀堂、仁王門があります。右手に修行のいわば胎内道などを山腹に見ながら、観明院にたどり着き、不徳ながら、そこの縁に腰を下ろして一休みをしました。

 その正面を見上げますと、開山堂・五大堂です。「五大堂」からの風景は絶景で、月並みな表現になってしまいますが、それまでの疲れが一気に吹き飛んだ気がします。そこでゆっくりとしたいところですが、座るところがありません。そこにあるのは、心ない人による落書きで、大変なる興ざめでした。

 半世紀前に来たときには一気に五大堂まで登ってきましたが、健脚な人なら20分ほどでたどり着けるでしょうが、私は1時間以上もかけて登りました。

 そこから、一切経堂や最上義光御霊廟に寄り道をしてから奥之院と大仏殿を参詣して下山の途につきました。

 下山口から西に進んだところに立石寺本坊があります。その手前に小さな池があり、門をくぐると本坊前の枯山水庭園が見えてきました。山々を借景にしたこじんまりとした庭園でした。

 庭園を見てから、対面石のところにある茶屋で食事をしてから、山形のホテルに戻りました。紅葉が処々に残る11月末の参詣でした。

■ アクセス  

 山形駅-山寺駅 20分弱

 JR仙山線 山寺駅より参道入口まで徒歩10分

 〒999-3301 山形県山形市山寺4456-1 

 

根本中堂から「山寺」の入り口、「山門」をくぐり、

姥堂や四寸道をまわり、せみ塚で一休みをしてから

弥陀洞の自然の力を運慶の仁王像に驚きながら、

階段を登ってゆきました。

 

仁王門から石段上方を見上げる

右:観明院 正面:売店

 

 仁王門をくぐってから、

右手に修行のいわば胎内道などを山腹に見ながら、

石段を登ってゆきます。

 

観明院

 

 観明院は、立石寺に古くからある支院ではありません。

 

観明院のご本尊

 

観明院にたどり着くと、

不徳ながら、そこの縁に腰を下ろして一休みをしました。

 

観明院から百丈岩を見上げますと、

正面に百丈岩の一部が見え、

その上にある堂于が開山堂と五大堂です。

 

修行の岩場 胎内堂

 

仁王門から観明院への階段から右手を見ますと、

谷を挟んで大きな岩場と堂于が見えます。

 

修行の岩場と胎内堂、そこへゆくための木造の橋が見えます。

そこに架かる橋は、遠目に見ますと、

今にも足元の木が折れそうにさえ見える、

古さを持っています。

 

胎内堂

 

胎内堂へは、岩の間を這うようにして

進まなければならないことから

この名前が付けられました。

正面の岩に巌をかさねた岩場は、釈迦が峰といい、

今では修行者以外の登山は禁じられています。

 

胎内堂上に見える六観音

 

六観音

 

 

倶利地羅不動

 

観明院から売店への石段の途中にあります。

 

<次号に続く>

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 山形県山形市 出羽国分寺・薬師堂庭園 旧宝幢寺本堂を移築 161015

2023-12-18 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 山形県山形市 出羽国分寺・薬師堂庭園 旧宝幢寺本堂を移築 161015

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 山形県山形市 出羽国分寺・薬師堂庭園 旧宝幢寺本堂を移築 161015 


 薬師公園に国分寺薬師堂と本堂裏に庭園があります。もともとは山形城主・松平忠弘が作庭した『旧宝幢寺庭園(もみじ公園)』にあった本堂が移築されました。

 大きな堂宇の裏に弁天池のある庭園があります。明治時代の1884年に、県令・三島通庸が開いた『千歳園』の名残です。

 国分寺の創建は、天平13年(741)、聖武天皇が仏教による国家鎮護のために、国司や郡司に詔を発して建立させた寺院です。創建時には別の場所にあり、その場所は不明ですが、伝承によれば、平安時代末期から鎌倉時代初期に、出羽国府が山形に移転され、その際に国分寺が、この地に移転されたようです。

 江戸時代には徳川家の庇護を受けて寛永寺直末寺院となり、天台宗の触頭として末寺23ヵ寺を擁するほどになりました。しかし、明治時代以降は徳川家の庇護を得られず存続困難となり、明治時代の神仏分離令により、隣接する柏山寺の管理となりました。

 当時の薬師堂は明治44年の山形市北部大火により焼失し、廃寺となっていた宝幢寺本堂を移築したのが現在の薬師堂です。

 境内は、薬師公園の中央に位置し、毎年5月8日~10日の祭礼には、全国三大植木市のひとつ「薬師祭植木市」が開催されます。

 

準備中




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 岩手県盛岡市 聖寿寺・榊山稲荷神社・緑風苑庭園(築山池泉廻遊式日本庭園)

2023-05-12 10:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 岩手県盛岡市 聖寿寺・榊山稲荷神社・緑風苑庭園(築山池泉廻遊式日本庭園)

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 岩手県盛岡市 聖寿寺・榊山稲荷神社・緑風苑庭園 

 

 「聖寿寺」(しょうじゅじ)と「榊山稲荷神社」(さかきやまいなりじんじゃ)は隣接する、盛岡市の北山一帯は、盛岡藩主・南部家の歴代の菩提所がある所です。この一帯は、市の高松風致地区に指定されています。榊山稲荷神社境内には、日本庭園「緑風苑」があります。

 「聖寿寺」は、建長六年(1254)、南部家第二代南部実光が、初代光行の菩提を弔うために、現在の青森県三戸郡南部町に創建されたことに始まります。開山は、三光国師(孤峰覚妙 1271~1361)で、ご本尊は、釈迦如来です。

 かつて、その一帯は、南部氏の居城になっていて、本三戸城(もとさんのへじょう)と呼ばれていました。後世になって聖寿寺館(しょうじゅじだて)とも呼ばれるようになりました。

 南部氏は、桃山時代の終わりから江戸時代はじめに、慶長3年(1598)第二十六代南部信直が、盛岡に築城を開始し、寛永10年(1633)に盛岡城が竣工しました。築城にともなって、諸寺院が北山周辺に集められ、聖寿寺もこの地に移転され、山号を『大光山』寺号を『聖壽萬年禅寺』と改めました。

 南部氏代々の菩提所として、七堂伽藍を供え、当時、盛岡城下でも有数の大寺院でした。戊辰戦争で幕府方の奥羽越列藩同盟に加わったことから、戦後に衰退してしまいました。

 更には廃仏毀釈によって、明治八年(1875)に、聖寿寺の広い境内地に、幕末まで盛岡城内に祀られていた桜山神社(榊山稲荷神社の前進)が移転してきました。当時呼称されていた『もりおか開運神社』という名も用いられています。

 そのため聖寿寺は境内の片隅で如意庵という仮本堂に移され、正規の住職もいない被兼務寺院となってしまったのです。正寿寺に江戸時代のたたずまいを残しているのは、かつて五重の塔であった千体地蔵堂だけとなってしまいました。

 昭和五年に、この地の正面に神明鳥居が配され、南部家の霊廟が建立されました。同年第四十三代利淳の遺骨が納められて以後、当主の遺骨はここに納められるようになりました。

 聖寿寺も1959年(昭和34年)に、東京女子医大学長をつとめた医学者・久慈直太朗の寄
昭和五十一年には山梨南部町の南部ライオンズクラブと盛岡中津川ライオンズクラブによる南部家墓所の石段の大改修が行われた。また、平成十一年には庫裡が完成している。
進で近代建築風の本堂が再建されました。

 1976(昭和51)年に、山梨南部町の南部ライオンズクラブと盛岡中津川ライオンズクラブによる南部家墓所の石段の大改修が行われ、また、平成十一年には庫裡が完成するなどして今日に至っています。
 

アクセス
 JR山田線 上盛岡駅より徒歩20分弱
 JR東北新幹線 盛岡駅より約3km(※駅周辺にレンタサイクルあり)
 盛岡駅より路線バス「坂の下」バス停下車 徒歩5分
 〒020-0061 岩手県盛岡市北山2丁目12-12
 

池を挟んで左下が聖寿寺境内、右上が榊山稲荷神社

聖寿寺には、山門はありません。

この地のメインは、榊山稲荷神社です。

昭和五年に、この地の正面に神明鳥居が、

南部家の霊廟とともに建立されました。

聖寿寺本堂

寂れていた聖寿寺も、篤志家のおかげで

平成十一年には庫裡が完成し、

近代建築風の本堂も再建されました。

本堂内陣

開山は、三光国師(孤峰覚妙 1271~1361)で、

ご本尊は、釈迦如来です。

千体地蔵堂

かつて、五重塔があり、廃仏毀釈で

解体されることが決まりました。

その時に有志が立ち上がり、

五重塔の一階部分を残し、改造して

千体地蔵堂にしたそうです。

よくみますと、五重塔の第一層であることが

うかがえます。

扁額

 

南部家納骨堂

緑風苑庭園の心字の池

方長老の作庭の池泉

池泉に立つ観音像

この中に経文が収められています。

榊山稲荷神社社殿

社殿への鳥居と旭橋(朱色の橋)

榊山稲荷神社社殿

枯山水庭園

山門

 

 映像で視る聖寿寺・榊山稲荷神社・緑風苑庭園(5分)

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県村田町 西湖山龍島院・庭園3 宮城県新観光名所百選 須弥山 1472

2023-05-03 10:33:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

 


  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県村田町 西湖山龍島院・庭園3 宮城県新観光名所百選 須弥山 1472


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

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■ 宮城県村田町 西湖山龍島院・庭園3 宮城県新観光名所百選 須弥山 1472 


 


 「龍島院」(りゅうとういん)は、宮城県村田町にある曹洞宗の寺院で、山号を「西湖山(せいこざん)」といいます。

 室町時代(天授年間)新潟県村上市耕雲寺七世審岩正察和尚により開山した、重要伝統的建造物群保存地区である宮城県村田町にある伊達家の菩提寺です。

 京都にて永眠した柴田刈田三万石城主伊達宗高(政宗七男・二十歳)の遺骸を当院に葬って以来、 伊達家より寺領を授かりました。伊達政宗の息子である村田藩主・伊達宗高の御廟があります。

 斜面の高い位置にある龍門爆からの流れが見所の池泉観賞式庭園であり、ツツジやサツキが咲く5月頃が最も良い時期といわれています。

 北国八十八ヶ所霊場 第十一番札所
 柴田三十三観音霊場 第二十二番札所 (東禅寺19世住職内嶋大哲老師選定)

宝物・文化財
 本尊 釈迦牟尼仏像
 毘沙門天像(金銅製、正和元年作、政宗より宗高拝領)
 茶釜(政宗より宗高拝領)

三十三観世音菩薩
 三十三観世音菩薩は、今は廃寺となった定龍寺の本尊でした。定龍寺は、弘仁3年(813)人皇五十二代嵯峨天皇の御代に弘法大師が開山しました。現在の村田町白鳥神社西隣に併祀されていましたが、明治初年の神仏分離令布告に伴い、定龍寺は廃寺となり、御本尊三十三観世音菩薩は、明治十一年当院に遷座されました。

十一面観世音菩薩
 定龍寺秘仏十一面観世音菩薩は、昭和五十四年六月十七日村田観世音菩薩の御遷座百年祭りに当たり、白鳥神社より遷宮され、観音堂の内陣に奉祀されました。

聖観世音菩薩
 更に青銅製聖観世音菩薩は、昭和五十年に仙台市千葉三二郎氏の寄進によって建立されました。

 これらの三十三観世音菩薩、十一面観世音菩薩、聖観世音菩薩を総括して村田観世音菩薩といいます。
 毎年6月17日大祭法要が営まれます。
 


(公式サイトを基に作成)


 


■ アクセス


 


仙台市内より村田・蔵王・遠刈田行き路線バス「村田町役場前」バス停下車 徒歩5分
JR大河原駅から路線バス「村田営業所」バス停下車 徒歩7分
〒989-1305 宮城県柴田郡村田町大字村田字大槻下92
TEL 0224-83-2160 FAX 0224-83-5431
E-Mail houjyou@ryutoin.jp
<開園時間> 午前8時~午後5時(年中無休)
<拝観料>  100円


 


■ 庭園


 


  龍島院庭園は、様式的には、滝組を中心として造られた池泉観賞式庭園です。

 山の斜面に沿った自然の地形を生かした庭園で、中央に配された三尊石組が核となっています。古式ゆかしい石組と植栽は、その数や種類も多く、四季折々野趣に富んでいます。

 右奥を須弥山とみなした石組が配され、庭園の深奥に福寿・無量の霊泉が湧き出し、龍化爆へと流れ落ち、これが龍門瀑となって臥龍池へと注ぎます。「幽邃(ゆうすい)の境を感じさせる造り」という表現がありますが、まさに言葉通りの造作となっています。

 「龍化瀑」と命名された滝名の由来は、中国黄河にかかる龍門瀑の故事からとったそうです。即ちこの険瀑を登り得た魚のみが昇天し龍神に変化するとの伝説に基づきます。人生の「登竜門」という言葉は、ここに起源があることは周く知られています。

 山腹には、青銅製の龍も配されています。龍島院は正に古来より龍神信仰と、神秘に満ちた類い稀なお寺さんといえます。
 


 



小山に続く小径に庭園門が立っています


 


 



須弥山とみなす小山から池泉(臥龍池)を見下ろす


 


 



本堂横から庭園の須弥山部分を見上げることができました


石灯籠の奥が池泉です


 



池泉から須弥山を見上げる


多宝石塔の横に龍島が覗いています。


 


右奥を須弥山とみなした石組が配され、


庭園の深奥に福寿・無量の霊泉が湧き出し、


龍化瀑へと流れ落ち、これが龍門瀑となって臥龍池へと注ぎます。


「幽邃(ゆうすい)の境を感じさせる造り」という表現がありますが、


まさに言葉通りの造作となっています。


 



龍化瀑を表す青銅製の龍


 



 



臥龍瀑


須弥山とみなした石組が配され、


庭園の深奥に福寿・無量の霊泉が湧き出し、


龍化爆へと流れ落ち、


これが龍門瀑となって臥龍池へと注ぎます。


 



臥龍瀑の上流


 



池に下る踏み石


 



須弥山から見た本堂と手前に池泉


 



 



庭園門の横に立つ石像


 



 



 



 



 


 


 





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写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
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【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県北上市 桜の名所「展勝地」2 桜と音楽を愛でる

2023-04-28 14:30:54 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県北上市 桜の名所「展勝地」2 桜と音楽を愛でる

 

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県北上市 桜の名所「展勝地」2 桜と音楽を愛でる

 

 北上市は、岩手県南西部に位置し、北上盆地の中央にあります。人口は約9万2千人で、岩手県では4番目に多く、県南広域振興圏に位置し、花巻市と共に北上都市圏を形成しています。
 江戸時代には、花巻市と水沢市の間にある農業地域でしたが、工業振興を町づくりに掲げ、企業誘致に取り組みました。
 人口が増加し、マンションやホテルが相次いで建設され、教育機関が多いため、学園都市としての姿もあります。また、豊かな自然に恵まれ、交通の要衝として国道4号、JR東北本線、国道107号、JR北上線が交差し、東北新幹線、東北縦貫自動車道、東北横断自動車道釜石秋田線などの高速交通体系も整備されています。
 北上市は、農業産出額・製造品出荷額とも県下有数で、注目を集めています。また、観光地としても、展勝地、北上・みちのく芸能まつり、スキー場、キャンプ場などのアウトドア施設があります。

 

 北上市の観光名所である北上展勝地は、桜の名所として知られ、令和3年に開園100周年を迎えました。
 毎年、桜の季節に開催される「北上展勝地さくらまつり」では、多くの花見客が集まります。期間中は、川上空をこいのぼりが泳ぎ、満開の桜並木をノスタルジックな雰囲気たっぷりの観光馬車が走ります。
 また、夜にはライトアップされた桜並木が美しく川面に映し出されます。
 展勝地公園内には、約150種類の桜があり、4月中旬から5月上旬まで咲き誇ります。レストハウスでは、地元の新鮮な野菜や山菜を使用した季節料理、手打ちそば、臼杵つき餅などの郷土料理を味わうことができます。
 

 

 

 

 

 

 

 北上展勝地の桜 

 

 

 

 

 

 

陣が丘から見た北上展勝地全景

 

 

ソメイヨシノの満開の時期(案内看板より)

 

 

ライトアップされたソメイヨシノ(案内看板より)

 

 

桜トンネルは、葉桜が見事でした<笑い>

 

 

 

 

陣が丘から見た北上展勝地のしだれ桜

 

ソメイヨシノには間に合いませんでしたが、

 

枝垂れ桜は満開でした。

 

 

陣が丘から見た北上展勝地の枝垂れ桜

 

 

陣が丘から見た北上展勝地の枝垂れ桜の並木

 

 

陣が丘から見た北上展勝地の枝垂れ桜並木にそうせせらぎ

 

 

 

 

八重紅枝垂れは、東北ではよく見られます。

 

ピンクがやや濃いのが特徴です。

 

 

観客のいないお猿さんの芸

 

 

 

 北上展勝地と音楽 

 

 

 

 

サトウ ハチロー
 1903年〈明治36年〉5月23日-1973年〈昭和48年〉11月13日 
 日本の詩人、童謡作詞家、作家
  多くの別名を用いています。
 作家の佐藤愛子氏は、異母妹にあたるのだそうです。
 「うれしいひなまつり」、「リンゴの唄」の作詞者として知られています。

 

 

 

 

 

北上夜曲(きたかみやきょく)
 1940年に、当時水沢農学校の生徒だった菊池規(1923年 - 1990年)が作詞を担当、

 

翌年2月に当時旧制八戸中学校の生徒だった安藤睦夫(1924年 - 2007年)が、

 

作曲しました。

 


 別名、「北上川の初恋」といいます。

 

蘇州や曲の知名度にちなみ

 

「北上夜曲」と改名されたといわれています。
 北上展勝地のある北上川の畔に歌碑が建っています。

 

 

北上夜曲化碑横に立つ「おいらん松」

 

 

 

宮城県北上市 桜の名所「展勝地」1 陣が丘

宮城県北上市 桜の名所「展勝地」2 桜と音楽を愛でる

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 






ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県北上市 桜の名所「展勝地」1 陣が丘

2023-04-28 13:42:03 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県北上市 桜の名所「展勝地」1 陣が丘

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県北上市 桜の名所「展勝地」1 陣が丘

 北上市は、岩手県南西部に位置し、北上盆地の中央にあります。人口は約9万2千人で、岩手県では4番目に多く、県南広域振興圏に位置し、花巻市と共に北上都市圏を形成しています。
 江戸時代には、花巻市と水沢市の間にある農業地域でしたが、工業振興を町づくりに掲げ、企業誘致に取り組みました。
 人口が増加し、マンションやホテルが相次いで建設され、教育機関が多いため、学園都市としての姿もあります。また、豊かな自然に恵まれ、交通の要衝として国道4号、JR東北本線、国道107号、JR北上線が交差し、東北新幹線、東北縦貫自動車道、東北横断自動車道釜石秋田線などの高速交通体系も整備されています。
 北上市は、農業産出額・製造品出荷額とも県下有数で、注目を集めています。また、観光地としても、展勝地、北上・みちのく芸能まつり、スキー場、キャンプ場などのアウトドア施設があります。

 

 北上市の観光名所である北上展勝地は、桜の名所として知られ、令和3年に開園100周年を迎えました。
 毎年、桜の季節に開催される「北上展勝地さくらまつり」では、多くの花見客が集まります。期間中は、川上空をこいのぼりが泳ぎ、満開の桜並木をノスタルジックな雰囲気たっぷりの観光馬車が走ります。
 また、夜にはライトアップされた桜並木が美しく川面に映し出されます。
 展勝地公園内には、約150種類の桜があり、4月中旬から5月上旬まで咲き誇ります。レストハウスでは、地元の新鮮な野菜や山菜を使用した季節料理、手打ちそば、臼杵つき餅などの郷土料理を味わうことができます。
 

 

 

 

 北上展勝地 陣ヶ丘 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北上川

 

 

 

陣が丘から見た北上展勝地

 

 

 

 

 

宮城県北上市 桜の名所「展勝地」1 陣が丘

宮城県北上市 桜の名所「展勝地」2 桜と音楽を愛でる

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 






ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

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映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県村田町 西湖山龍島院・庭園2 宮城県新観光名所百選 池泉 1472

2023-04-28 13:33:13 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県村田町 西湖山龍島院・庭園2 宮城県新観光名所百選 池泉 1472

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県村田町 西湖山龍島院・庭園2 宮城県新観光名所百選 池泉 1472 

 

 「龍島院」(りゅうとういん)は、宮城県村田町にある曹洞宗の寺院で、山号を「西湖山(せいこざん)」といいます。

 室町時代(天授年間)新潟県村上市耕雲寺七世審岩正察和尚により開山した、重要伝統的建造物群保存地区である宮城県村田町にある伊達家の菩提寺です。

 京都にて永眠した柴田刈田三万石城主伊達宗高(政宗七男・二十歳)の遺骸を当院に葬って以来、 伊達家より寺領を授かりました。伊達政宗の息子である村田藩主・伊達宗高の御廟があります。

 斜面の高い位置にある龍門爆からの流れが見所の池泉観賞式庭園であり、ツツジやサツキが咲く5月頃が最も良い時期といわれています。

 北国八十八ヶ所霊場 第十一番札所
 柴田三十三観音霊場 第二十二番札所 (東禅寺19世住職内嶋大哲老師選定)

宝物・文化財
 本尊 釈迦牟尼仏像
 毘沙門天像(金銅製、正和元年作、政宗より宗高拝領)
 茶釜(政宗より宗高拝領)

三十三観世音菩薩
 三十三観世音菩薩は、今は廃寺となった定龍寺の本尊でした。定龍寺は、弘仁3年(813)人皇五十二代嵯峨天皇の御代に弘法大師が開山しました。現在の村田町白鳥神社西隣に併祀されていましたが、明治初年の神仏分離令布告に伴い、定龍寺は廃寺となり、御本尊三十三観世音菩薩は、明治十一年当院に遷座されました。

十一面観世音菩薩
 定龍寺秘仏十一面観世音菩薩は、昭和五十四年六月十七日村田観世音菩薩の御遷座百年祭りに当たり、白鳥神社より遷宮され、観音堂の内陣に奉祀されました。

聖観世音菩薩
 更に青銅製聖観世音菩薩は、昭和五十年に仙台市千葉三二郎氏の寄進によって建立されました。

 これらの三十三観世音菩薩、十一面観世音菩薩、聖観世音菩薩を総括して村田観世音菩薩といいます。
 毎年6月17日大祭法要が営まれます。
 

(公式サイトを基に作成)

 

■ アクセス

 

仙台市内より村田・蔵王・遠刈田行き路線バス「村田町役場前」バス停下車 徒歩5分
JR大河原駅から路線バス「村田営業所」バス停下車 徒歩7分
〒989-1305 宮城県柴田郡村田町大字村田字大槻下92
TEL 0224-83-2160 FAX 0224-83-5431
E-Mail houjyou@ryutoin.jp
<開園時間> 午前8時~午後5時(年中無休)
<拝観料>  100円

 

■ 庭園

 

  龍島院庭園は、様式的には、滝組を中心として造られた池泉観賞式庭園です。

 山の斜面に沿った自然の地形を生かした庭園で、中央に配された三尊石組が核となっています。古式ゆかしい石組と植栽は、その数や種類も多く、四季折々野趣に富んでいます。

 右奥を須弥山とみなした石組が配され、庭園の深奥に福寿・無量の霊泉が湧き出し、龍化爆へと流れ落ち、これが龍門瀑となって臥龍池へと注ぎます。「幽邃(ゆうすい)の境を感じさせる造り」という表現がありますが、まさに言葉通りの造作となっています。

 「龍化瀑」と命名された滝名の由来は、中国黄河にかかる龍門瀑の故事からとったそうです。即ちこの険瀑を登り得た魚のみが昇天し龍神に変化するとの伝説に基づきます。人生の「登竜門」という言葉は、ここに起源があることは周く知られています。

 山腹には、青銅製の龍も配されています。龍島院は正に古来より龍神信仰と、神秘に満ちた類い稀なお寺さんといえます。
 

 

小山に続く小径に庭園門が立っています

 

本堂の脇を入ると池が見えてきます

 

庭園入り口(左)に石灯籠が立っています。

池には踏み石が並んでいます。

 

踏み石は須弥山とみなす小山の方向に続いています。

池泉廻遊式庭園ですので、

その奥に行くことはできません。

 

須弥山(しゅみせん)とは、

古代インドの世界観の中で中心にそびえる山のことです。

 

1月ということもあり、池には氷がはっていました。

 

対岸近くには、寒さで鯉が群れていました。

 

亀石の甲羅がホンモノの亀のように見えます。

 

池の最も奥方向を望む

 

池の奥方向へ、飛び石が並んでいます。

 

池の一番奥の畔にはサルスベリが立っています。

その根元に南天が植えてありました。

 

池の最深部から本堂方向を望む

 

庭園入り口近くに立つ石灯籠と飛び石

 

小山の方から池を見下ろす

 

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 山形県天童市 御苦楽園“修養の庭”3 銘石・格言・借景を楽しめる池泉回遊式庭園 主屋・蔵エリア

2023-04-25 10:33:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

 


  【カシャリ!ひとり旅】 【カシャリ!庭園めぐりの旅】 山形県天童市 御苦楽園“修養の庭”3 銘石・格言・借景を楽しめる池泉回遊式庭園 主屋・蔵エリア


 


 



 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。


 


 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。


 


 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。


 


 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・


 


 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。


 


 



名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道


 


 


■■ 山形県天童市 御苦楽園“修養の庭”3 銘石・格言・借景を楽しめる池泉回遊式庭園 主屋・蔵エリア
 


 「御苦楽園」(ごくらくえん)は、昭和初期に当地の実業家・水戸部弥作によって造られ、昭和40(1965)年に開園した池泉回遊式庭園です。天童市街地の外れにある、個人の作庭・運営による庭園ですので、正直なところ、行く前はあまり期待をしていませんでし。良い意味で、期待を裏切られました。

 庭園の設計は、地元の庭師・山口助松(養樹園)と、松下幸之助の『真々庵』を手掛けた京都の庭師・川崎幸次郎です。

 当園設立者、現園主の曾祖父で、山形県東村山郡干布村の農弥十郎の次男として生まれました。16歳の時、父親が多額の財産を分与しようとしましたが、深く考えるところがあって固辞し、当時金百円の資金のみを受けて分家しまし、水車、米穀販売業を営みました。

 生来、剛毅かつ独立心が強く、幾多の労苦を重ねて大いに発展しましたが、その後、長兄に死なれ、実家に戻り家督を相続しました。実家に戻って3年後、酒造業(山形正宗)に着手し、短期間に、地方の醸造家として世に知られる程でした。

 しかし自生活にはきわめてきびしく、その反面、学校教育および各種団体の育成にはきわめて熱心で、それらに対しての尽力は人の目を驚かすものがありました。

 50才の春、決するところがあって、長男に酒造業を、次男に醤油醸造業を担当させ、自らは敷地弐千数百坪の土地を買い上げて隠居しました。昭和初期の不況下に、失業対策をかねて、当園を庭することにし、多数の人夫を雇うなど、失業対策に尽力しました。

 子孫には財産よりも精神を相続させる方が有意義と信じ、自分が過ごした青年時代から経験してきた修養の資とした処世訓や、古今の金言の数々を柱石に刻み、庭園に立て、その一部が多数、今日までも残されています。近所の子供達を集め、その柱石を読ませ、褒美を与えたと言います。

 人生の苦しみと楽しみを盛った庭園という意味で「御苦楽園」と名づけました。

 園内には、県内外から銘石、銘木を集め、山、沢、池、滝を配しました。石灯籠の多さも特徴的で、「一家にお金は残さない」としましたものの、「いざという時、いつの時代にも価値あるもの」といった意味が石燈籠にあるという考えだったそうです。

 かつての主屋の前にも築山式の池泉鑑賞式庭園があり、隣接する蔵屋敷なども見学できます。大きく4つのエリアに分かれていると言って良いでしょう。

 入園してすぐ前が四阿(あずまや)跡と自動自活石柱のあるところで、四字熟語による代表的な格言としていることがわかります。

 そこに隣接する池泉エリアが最大のところで、宝来山(蓬莱山ではない)から見下ろすとその素晴らしさが格別です。

 三番目が、主屋・なまこ壁の蔵エリアで、小さな池があります。

 4つ目は、裏庭と言っても良いのでしょうか、築山のある池泉鑑賞型庭園です。

 各々がバラバラではなく、かといってまとまっているのでもなく、不思議な融合感で繋がっています。

 庭園面積は、5,940平方メートルですが、ちなみに隣接している小学校までが、かつての水戸部家の敷地であったそうです。教育に対して熱心な水戸部弥作が、その敷地の一部を寄贈したそうです。

 個人で、これほどの庭園を造れたのは、水戸部の強い社会観があったればこそと考えます。


 


  【 注 】 エリア名は、当ブログ管理者の命名
 


 


■ アクセス



 JR山形新幹線 天童駅・山形駅より路線バス「ごくらく園口」バス停下車 徒歩3分
 天童駅より約4km(レンタサイクルあり)
 JR奥羽本線 天童南駅より約3km(徒歩約40分)
 〒994-0051 山形県天童市奈良沢乙47 

 入園時間    8:00~17:00
 休園日冬期間    1月10日~2月末まで休園
 駐車場        無料駐車場
 入園料        個人 大 人 400円 子ども 200円(30名以上団体割引あり)
     ※ 案内希望の場合は別途1,500円
 事前予約    電話にて事前に予約 023-653-3392


 サイト    http://gokuraku-en.jp/gokurakuen.html


 


■ 【アドバイス】

 天童駅から4kmもありますし、路線バスも少ないので、スケジュールを組むときには、事前に調べておくことをお勧めします。
 私は、山形駅前から山交バス天童線・天童駅前行きに乗り、ごくらく園口で下車しました。この路線は、山形駅と天童駅の間を往復する路線ですので、おそらく天童駅で折り返すのでしょう。
 ごくらく園口バス停で降りると、20数m戻ったところの道を入るのですが、案内板が見にくいですので、注意が必要です。
 乗車時間は、40分弱、乗車賃は590円(2022年現在)です。長い距離を走るからか、乗車時間になってもなかなか来ないですので、諦めずに辛抱強く待つ必要があります。

 私は、予約なしでゆきましたが、親切に対応して下さいました。
 金言集も販売されています。


 


■ 池泉エリア 見晴台のある西半分




園内マップ(公式サイトより)


 


主屋・蔵エリアは、庭園部の北側に隣接した部分です。


ここには、主屋前の池となまこ壁の蔵とで校正されています。


 



宝来山のある主庭園から主屋・蔵エリアへ移動


 



母屋と蔵の間に池があります


 



蔵の手前に蹲踞(つくばい)様の石組みが配されています


 



主屋からは池や中島の松を鑑賞できるのでしょうか


 



主屋は、シックな感じの作りになったいます


 



なまこ壁の蔵は、存在感が大きいです


 



なまこ壁の蔵


 



 



なまこ壁の蔵は、土蔵ではなく


蔵屋敷となっていて、生活ができるようにしつらえています。


 



調度品も立派です


 



手前が蔵屋敷への玄関


奥が主屋


 



蔵屋敷玄関内部


 



玄関脇の窓のガラスがすてき!


 


 



左:主屋 右:蔵屋敷


 



裏側から見た主屋


 



主屋裏側の部屋


 



主屋裏廊下前


 


 



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  ■ カシャリ! ひとり旅




 






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【カシャリ!ひとり旅】 宮城県仙台市 輪王寺庭園15 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園 三重塔周辺物と朱塗り橋 141101

2023-04-23 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県仙台市 輪王寺庭園15 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園 三重塔周辺物と朱塗り橋 141101

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県仙台市 輪王寺庭園15 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園 三重塔周辺と朱塗り橋 141101

 

 輪王寺は、仙台の寺町であります北町地区にある、室町時代からの歴史のある伊達家ゆかりの寺院で、「北山五山」の一つと数えられています。

 輪王寺は、伊達家第九世大膳大夫政宗夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、第十一世、大膳大夫持宗により嘉吉元年(1441)太菴梵守和尚を開山として、奥州伊達郡梁川に創建されました。

 その後、伊達家の居城の遷移に従い、西山、米沢、会津、米沢、岩出山を転々とし、慶長七(1602)年、現在の地に移りました。

 明治維新後、輪王寺は伊達家の庇護を失い、さらに明治九年(1876)北山に発した野火のため、仁王門を残し七堂伽藍を全焼してしまいました。

 曹洞宗大本山、永平寺と總持寺の意を受けて、明治三十六年(1903)、福定無外和尚により、復興に着手し、現在の本堂と庫裡を完成しました。無外和尚は、庭園の建設にも意を注ぎました。次の五峰和尚により、梵鐘、位牌堂、坐禅堂、開山堂が完成し、七堂伽藍の全てが整いました。

 庭園には、茶室「半杓庵」が建設され、東北有数の名園となりました。

 昭和五十六年(1981)道閑和尚の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、昔日の偉容を回復するに至りました。

 

アクセス

 

 JR仙山線北山駅から徒歩15分ほどのところにあります。

 仙台駅から路線バスで、近くまで行くこともできます。

 

 

庭園
 無外和尚は庭園の建設にも意を注ぎ、その晩年にはほぼ現在の規模を備えた庭園が出来上がり、今日の輪王禅苑の基礎が整えられました。

 無外和尚以来の伽藍の復興と庭園の整備は次の日置五峰和尚(1893-1972)に受け継がれ、梵鐘・位牌堂・坐禅堂・開山堂が次々と完成して七堂伽藍のすべてが整い、庭園も茶室半杓庵が建設され東北有数の名園となりました。

 さらに昭和五十六年(1981)日置道閑和尚(1926-2009)の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、輪王寺は昔日の偉容を回復するほどに至りました。

 

境内と庭園

 

三重塔をいろどる周辺の諸物

 

輪王寺庭園の池泉は、大きく西池と東庭園とに分かれています。

西池の西側に三重塔が立ち、池にその華麗なる姿を映しています。

蘭亭堂の奥に三重塔があります。

蘭亭堂の前に配されている飛び石沿いにゆきますと

三重塔にでます。

朱塗りの橋や手水鉢、石や石灯籠などなど

いろいろな物が配されています。

 

どこを切り取っても絵になります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!ひとり旅】 宮城県仙台市 輪王寺庭園14 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園8 三重塔前白砂枯山水庭園 141101

2023-04-22 10:33:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県仙台市 輪王寺庭園14 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園8 三重塔前白砂枯山水庭園 141101

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県仙台市 輪王寺庭園14 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園8 三重塔前白砂枯山水庭園 141101

 

 輪王寺は、仙台の寺町であります北町地区にある、室町時代からの歴史のある伊達家ゆかりの寺院で、「北山五山」の一つと数えられています。

 輪王寺は、伊達家第九世大膳大夫政宗夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、第十一世、大膳大夫持宗により嘉吉元年(1441)太菴梵守和尚を開山として、奥州伊達郡梁川に創建されました。

 その後、伊達家の居城の遷移に従い、西山、米沢、会津、米沢、岩出山を転々とし、慶長七(1602)年、現在の地に移りました。

 明治維新後、輪王寺は伊達家の庇護を失い、さらに明治九年(1876)北山に発した野火のため、仁王門を残し七堂伽藍を全焼してしまいました。

 曹洞宗大本山、永平寺と總持寺の意を受けて、明治三十六年(1903)、福定無外和尚により、復興に着手し、現在の本堂と庫裡を完成しました。無外和尚は、庭園の建設にも意を注ぎました。次の五峰和尚により、梵鐘、位牌堂、坐禅堂、開山堂が完成し、七堂伽藍の全てが整いました。

 庭園には、茶室「半杓庵」が建設され、東北有数の名園となりました。

 昭和五十六年(1981)道閑和尚の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、昔日の偉容を回復するに至りました。

 

アクセス

 

 JR仙山線北山駅から徒歩15分ほどのところにあります。

 仙台駅から路線バスで、近くまで行くこともできます。

 

 

庭園
 無外和尚は庭園の建設にも意を注ぎ、その晩年にはほぼ現在の規模を備えた庭園が出来上がり、今日の輪王禅苑の基礎が整えられました。

 無外和尚以来の伽藍の復興と庭園の整備は次の日置五峰和尚(1893-1972)に受け継がれ、梵鐘・位牌堂・坐禅堂・開山堂が次々と完成して七堂伽藍のすべてが整い、庭園も茶室半杓庵が建設され東北有数の名園となりました。

 さらに昭和五十六年(1981)日置道閑和尚(1926-2009)の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、輪王寺は昔日の偉容を回復するほどに至りました。

 

境内と庭園

 

三重塔前の白砂枯山水庭園

 

輪王寺庭園の池泉は、大きく西池と東庭園とに分かれています。

西池の西側に三重塔が立ち、池にその華麗なる姿を映しています。

蘭亭堂の奥に三重塔があります。

蘭亭堂の前に配されている飛び石沿いにゆきますと

三重塔にでます。

基壇周囲の二面に枯山水庭園がL字型に面しています。

 

 

蘭亭堂前から見る三重塔

この前に、白砂枯山水庭園があります。

 

枯山水庭園は、三重塔基壇の二面に面しL字型をしています。

この写真は、蘭亭堂側の庭園です。

 

枯山水庭園のすぐ横は蘭亭堂です

 

庭園の奥には石組みがありますが、

手前にはあまり石組みはありません。

 

庭園奥角部分の石組み

 

三重塔基壇から見た奥の角部分の石組み

 

三重塔基壇の他の面から見た角部分の石組みと

手前は道路側の石組み

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県仙台市 輪王寺庭園13 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園 三重塔 141101

2023-04-21 10:33:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県仙台市 輪王寺庭園13 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園 三重塔 141101

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県仙台市 輪王寺庭園13 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園 三重塔 141101

 

 輪王寺は、仙台の寺町であります北町地区にある、室町時代からの歴史のある伊達家ゆかりの寺院で、「北山五山」の一つと数えられています。

 輪王寺は、伊達家第九世大膳大夫政宗夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、第十一世、大膳大夫持宗により嘉吉元年(1441)太菴梵守和尚を開山として、奥州伊達郡梁川に創建されました。

 その後、伊達家の居城の遷移に従い、西山、米沢、会津、米沢、岩出山を転々とし、慶長七(1602)年、現在の地に移りました。

 明治維新後、輪王寺は伊達家の庇護を失い、さらに明治九年(1876)北山に発した野火のため、仁王門を残し七堂伽藍を全焼してしまいました。

 曹洞宗大本山、永平寺と總持寺の意を受けて、明治三十六年(1903)、福定無外和尚により、復興に着手し、現在の本堂と庫裡を完成しました。無外和尚は、庭園の建設にも意を注ぎました。次の五峰和尚により、梵鐘、位牌堂、坐禅堂、開山堂が完成し、七堂伽藍の全てが整いました。

 庭園には、茶室「半杓庵」が建設され、東北有数の名園となりました。

 昭和五十六年(1981)道閑和尚の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、昔日の偉容を回復するに至りました。

 

アクセス

 

 JR仙山線北山駅から徒歩15分ほどのところにあります。

 仙台駅から路線バスで、近くまで行くこともできます。

 

 

庭園
 無外和尚は庭園の建設にも意を注ぎ、その晩年にはほぼ現在の規模を備えた庭園が出来上がり、今日の輪王禅苑の基礎が整えられました。

 無外和尚以来の伽藍の復興と庭園の整備は次の日置五峰和尚(1893-1972)に受け継がれ、梵鐘・位牌堂・坐禅堂・開山堂が次々と完成して七堂伽藍のすべてが整い、庭園も茶室半杓庵が建設され東北有数の名園となりました。

 さらに昭和五十六年(1981)日置道閑和尚(1926-2009)の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、輪王寺は昔日の偉容を回復するほどに至りました。

 

境内と庭園

 

三重塔

 

輪王寺庭園の池泉は、大きく西池と東庭園とに分かれています。

西池の西側に三重塔が立ち、池にその華麗なる姿を映しています。

 

蘭亭堂の奥に三重塔があります。

 

蘭亭堂の前に配されている飛び石沿いにゆきますと

三重塔にでます。

 

三重塔の扁額「宝楼閣」

 

 

蘭亭堂前から見る三重塔

 

三重塔を見上げる

 

西池西端越しに見る三重塔

 

東池エリア花壇から観る

雪吊りが三重塔と競っているように見えます

 

東池越しに見る

 

東池エリア白砂枯山水庭園横から見る

 

 

 

 

 

 




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静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県仙台市 輪王寺池泉廻遊式庭園12 蘭亭堂 141101

2023-04-20 10:33:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県仙台市 輪王寺池泉廻遊式庭園12 蘭亭堂 141101


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県仙台市 輪王寺池泉廻遊式庭園12 蘭亭堂 141101


 


 輪王寺は、仙台の寺町であります北町地区にある、室町時代からの歴史のある伊達家ゆかりの寺院で、「北山五山」の一つと数えられています。

 輪王寺は、伊達家第九世大膳大夫政宗夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、第十一世、大膳大夫持宗により嘉吉元年(1441)太菴梵守和尚を開山として、奥州伊達郡梁川に創建されました。

 その後、伊達家の居城の遷移に従い、西山、米沢、会津、米沢、岩出山を転々とし、慶長七(1602)年、現在の地に移りました。

 明治維新後、輪王寺は伊達家の庇護を失い、さらに明治九年(1876)北山に発した野火のため、仁王門を残し七堂伽藍を全焼してしまいました。

 曹洞宗大本山、永平寺と總持寺の意を受けて、明治三十六年(1903)、福定無外和尚により、復興に着手し、現在の本堂と庫裡を完成しました。無外和尚は、庭園の建設にも意を注ぎました。次の五峰和尚により、梵鐘、位牌堂、坐禅堂、開山堂が完成し、七堂伽藍の全てが整いました。

 庭園には、茶室「半杓庵」が建設され、東北有数の名園となりました。

 昭和五十六年(1981)道閑和尚の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、昔日の偉容を回復するに至りました。


 


アクセス


 


 JR仙山線北山駅から徒歩15分ほどのところにあります。


 仙台駅から路線バスで、近くまで行くこともできます。


 



 


庭園
 無外和尚は庭園の建設にも意を注ぎ、その晩年にはほぼ現在の規模を備えた庭園が出来上がり、今日の輪王禅苑の基礎が整えられました。


 無外和尚以来の伽藍の復興と庭園の整備は次の日置五峰和尚(1893-1972)に受け継がれ、梵鐘・位牌堂・坐禅堂・開山堂が次々と完成して七堂伽藍のすべてが整い、庭園も茶室半杓庵が建設され東北有数の名園となりました。


 さらに昭和五十六年(1981)日置道閑和尚(1926-2009)の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、輪王寺は昔日の偉容を回復するほどに至りました。


 



境内と庭園


 


蘭亭堂


 


本堂裏枯山水石庭園から西池の畔に降りずに進むと


三重塔との間に建物が見えます。


蘭亭堂です。


 



奥に三重塔が見えます


 



 



ギボウシのついた水煙


 



 



欄間の彫刻も素晴らしい


 



寺紋


魚が二匹、にらみ合っているように見えます


 



昇り竜


 



降り龍


 



活き活きとしたレリーフの龍


 



蘭亭堂前の石灯籠


 



三重塔側から望む


 


 


 


 





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静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県仙台市 輪王寺庭園11 庭園7 本堂裏白砂枯山水庭園 141101

2023-04-19 10:33:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県仙台市 輪王寺庭園11 庭園7 本堂裏白砂枯山水庭園 141101


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県仙台市 輪王寺庭園11 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園 庭園7 本堂裏白砂枯山水庭園 141101


 


 輪王寺は、仙台の寺町であります北町地区にある、室町時代からの歴史のある伊達家ゆかりの寺院で、「北山五山」の一つと数えられています。

 輪王寺は、伊達家第九世大膳大夫政宗夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、第十一世、大膳大夫持宗により嘉吉元年(1441)太菴梵守和尚を開山として、奥州伊達郡梁川に創建されました。

 その後、伊達家の居城の遷移に従い、西山、米沢、会津、米沢、岩出山を転々とし、慶長七(1602)年、現在の地に移りました。

 明治維新後、輪王寺は伊達家の庇護を失い、さらに明治九年(1876)北山に発した野火のため、仁王門を残し七堂伽藍を全焼してしまいました。

 曹洞宗大本山、永平寺と總持寺の意を受けて、明治三十六年(1903)、福定無外和尚により、復興に着手し、現在の本堂と庫裡を完成しました。無外和尚は、庭園の建設にも意を注ぎました。次の五峰和尚により、梵鐘、位牌堂、坐禅堂、開山堂が完成し、七堂伽藍の全てが整いました。

 庭園には、茶室「半杓庵」が建設され、東北有数の名園となりました。

 昭和五十六年(1981)道閑和尚の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、昔日の偉容を回復するに至りました。


 


アクセス


 


 JR仙山線北山駅から徒歩15分ほどのところにあります。


 仙台駅から路線バスで、近くまで行くこともできます。


 



 


庭園
 無外和尚は庭園の建設にも意を注ぎ、その晩年にはほぼ現在の規模を備えた庭園が出来上がり、今日の輪王禅苑の基礎が整えられました。


 無外和尚以来の伽藍の復興と庭園の整備は次の日置五峰和尚(1893-1972)に受け継がれ、梵鐘・位牌堂・坐禅堂・開山堂が次々と完成して七堂伽藍のすべてが整い、庭園も茶室半杓庵が建設され東北有数の名園となりました。


 さらに昭和五十六年(1981)日置道閑和尚(1926-2009)の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、輪王寺は昔日の偉容を回復するほどに至りました。


 



境内と庭園


 


本堂裏白砂枯山水庭園


 


輪王寺庭園は、西池と東池を核とする池泉廻遊式庭園だけではなく


東池エリアにある白砂枯山水庭園と、


本堂裏(西池側)の白砂枯山水庭園とがあります。


 



 



 



 



 



 


 



 



 



 



 



 



 



 



本堂からの渡り廊下から見える坪庭


 





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静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
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【カシャリ!庭園めぐりの旅】宮城県大崎市 旧有備館および庭園1 有備館駅と有備館の森公園 1465

2023-04-15 12:30:36 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】宮城県大崎市 旧有備館および庭園1 有備館駅と有備館の森公園 1465

 

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。



■ 宮城県大崎市 旧有備館および庭園1 有備館駅と有備館の森公園 

 「有備館」は、江戸時代の仙台藩家臣である岩出山伊達家が開設した、家臣の子弟を教育する郷学(学問所)です。開校は十代邦直が当主の嘉永3(1850)年頃と考えられ、岩出山城北側の隠居所・下屋敷の敷地内に開設されました。

 現存する有備館の「御改所(主屋)」は、二代宗敏の隠居所として延宝5(1677)年に建てられた可能性が高い建物で、下屋敷としても利用され「対影楼」と呼ばれました。

 明治維新後の明治2(1869)年には,有備館の御改所と附属屋は岩出山伊達家の居宅となり、庭園とともに守り伝えられてきました。

 昭和8(1933)年2月28日、居宅と庭園は「旧有備館および庭園」として国の史跡及び名勝に指定され、昭和45(1970)年に岩出山伊達家の厚意により岩出山町(現大崎市)に移管され、一般に公開されるようになりました。

 池を取り囲む庭園は、四季折々の景色を楽しむことができ、特に、晴れた日に見える、水に映える庭園と御改所は荘重で優美なたたずまいを見せてくれます。
 

 

アクセス
 宮城県大崎市岩出山字上川原町6 0229-72-1344
 

 

営業時間 9:00-17:00(最終入館は16:30まで)
定休日  月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日~1月3日)
料金
【個人】 大人350円、高校生260円、小・中学生180円
最寄駅
 JR陸羽東線有備館駅 最寄駅から徒歩1分

 

 東北新幹線古川駅で陸羽東線新庄方向行きの列車
駐車場  あり
公式サイト https://yubikan.jp/top.html

 

【コメント】

 新幹線古川駅でJR陸羽東線の山形県新庄駅方向に向かう列車に乗ります。1時間に一本ほどの本数で、時間帯によっては増減がありますので、時刻表の確認は不可欠です。

 古川駅周辺も、時間を過ごせるような喫茶店などはあまり期待できません。

 旧有備館庭園は、伊達家の関わり代表的な庭園のひとつです。交通の便はあまり良いところにあるわけではないのですが、訪れる価値はある庭園といえます。

 

 

 

右下方向が北

 

古川方向 ◀ 有備館駅▶ 新庄方向

 

 

 

 

無人駅

 

待合室がありますが、コンビニはありません。

 

 

 

 

旧有備館庭園は、道を挟んで駅の真ん前

 

 

 

 

 

 

 

駅改札外に正宗の騎馬像があります。

 

 

 

 

 

 

 

駅正面は旧有備館庭園入り口ですが、

 

その北隣が有備館の森公園があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩出山町と当別町合併記念碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

内川(川下方向、左手が旧有備館庭園)

 庭園の南東側に川が流れていて、内川と呼ばれています。

 天正19(1591)年奥州再仕置により、

 

伊達政宗が岩出山に居城を移す際に、

 

岩出山城の防備と灌漑用水や城下町の生活用水確保のため整備

 

 

 

 

 

 

内川の名称は、

 

城下に築いた一ノ構の内側を流れていることから

 

名付けられたと伝えられています。

 平成28年に世界灌漑遺産に登録されました。
 

< 旧有備館2へ続く >

 

宮城県大崎市 旧有備館および庭園1 有備館駅と有備館の森公園   

宮城県大崎市 旧有備館および庭園2 周囲から覗く有備館庭園    

宮城県大崎市 旧有備館および庭園3 有備館庭園エントランスと付属屋



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写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

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