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戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本で最初にできた「経営士」資格付与と育成の経営コンサルタント団体

■【カシャリ! ひとり旅】山形県米沢市3-2 上杉謙信公祠堂跡

2021-02-14 12:02:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山形県

■【カシャリ! ひとり旅】山形県米沢市3-2 上杉謙信公祠堂跡

 「旅は道連れ、世は情け」といいますが、私のライフワークは【カシャリ! ひとり旅】です。

 とりわけ、寺社や庭園は、私の旅心、カシャリ心をくすぐります。

 皆様にお見せしたいような写真を撮るのが趣味というわけではありません。

 私の生きた足跡を、写真という媒体を通じて記録しておきたいという気持ちからのカシャリです。

 素人写真ですが、読者の皆さんの中に、写真やたびの思いをご覧になって、「行って見たい」という気持ちになられたら幸いです。

 

 

 
 

 米沢市 3-2 

公式サイト パンフレット 関連記事(秘)  

■ 米沢市(よねざわし)

 山形県の置賜地方に位置する、この地方最大の都市で、上杉氏の城下町として知られています。置賜地方(おきたまちほう・おいたまちほう)は、山形県内陸部南部を指す地方名です。

 鎌倉時代は、長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、「独眼竜」伊達政宗は米沢城で生まれました。江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町で、上杉氏との縁で上越市(新潟県西部)との関係が深いのです。

 米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいます。上杉家歴代の中でも、家祖上杉謙信と中興の祖上杉鷹山は特に顕彰され、全小学校肖像画が掲げられています。

 また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とし、旧建物は文化財として保存されています。




米沢市資料より
 
上杉謙信公祠堂跡

上杉家初代・上杉謙信の墓が納められていました。

現在は、墓所は、上杉家廟所に移されています。


舞鶴橋を渡ってすぐ左側
石段を登ると謙信公祠堂跡




祠堂跡への登り口



石段を登り詰めますと、まず目に入るのが大きな招魂碑です。



戊辰戦争の戦没者等を弔うための招魂碑



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上杉謙信公祠堂跡

 明治9年(1876年)上杉謙信の霊柩を御廟所中央に奉遷するまで
ここに安置されていました。
明治24年(1896年)祠堂跡に遺跡碑が建立されました。
 ここからは伝国の杜を見下ろすことができます。



公祠堂跡に立つ碑



祠堂碑の北隣に植えられたサクラ





桜の横にある登ってきた石段を下ります。
中央には、松岬神社角の大銀杏が見えます。
その手前は、舞鶴橋です。



上杉謙信公祠堂跡から見た上杉博物館
 
 
 
 
 
 
 

■【カシャリ! ひとり旅】山形県米沢市3-1 上杉神社へのアプローチ

2021-02-13 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山形県

■【カシャリ! ひとり旅】山形県米沢市3-1 上杉神社へのアプローチ

 「旅は道連れ、世は情け」といいますが、私のライフワークは【カシャリ! ひとり旅】です。

 とりわけ、寺社や庭園は、私の旅心、カシャリ心をくすぐります。

 皆様にお見せしたいような写真を撮るのが趣味というわけではありません。

 私の生きた足跡を、写真という媒体を通じて記録しておきたいという気持ちからのカシャリです。

 素人写真ですが、読者の皆さんの中に、写真やたびの思いをご覧になって、「行って見たい」という気持ちになられたら幸いです。

 

 

 
 

 米沢市 3-1 

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■ 米沢市(よねざわし)

 山形県の置賜地方に位置する、この地方最大の都市で、上杉氏の城下町として知られています。置賜地方(おきたまちほう・おいたまちほう)は、山形県内陸部南部を指す地方名です。

 鎌倉時代は、長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、「独眼竜」伊達政宗は米沢城で生まれました。江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町で、上杉氏との縁で上越市(新潟県西部)との関係が深いのです。

 米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいます。上杉家歴代の中でも、家祖上杉謙信と中興の祖上杉鷹山は特に顕彰され、全小学校肖像画が掲げられています。

 また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とし、旧建物は文化財として保存されています。




米沢市資料より
 
上杉神社へのアプローチ


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舞鶴橋

松岬神社の前の参道を上杉神社方向に歩んでゆきますと濠があります。
その濠を越えるのが舞鶴橋です。



多数の鴨が濠を誇らしげに泳いでいました。



落ち葉と共に漂うかも



舞鶴橋



舞鶴橋たもとより、北西方向を見る
中央の黄紅葉がある部分に上杉謙信像が立っています。



濠の北側



結構幅の広い濠です







濠の北側
 
 
 
 
 
 
 

■【カシャリ! ひとり旅】山形県米沢市2-4 松岬神社 上杉家が祀られる

2021-02-09 13:32:04 | 【カシャリ!ひとり旅】 山形県

■【カシャリ! ひとり旅】山形県米沢市2-4 松岬神社 上杉家が祀られる

 「旅は道連れ、世は情け」といいますが、私のライフワークは【カシャリ! ひとり旅】です。

 とりわけ、寺社や庭園は、私の旅心、カシャリ心をくすぐります。

 皆様にお見せしたいような写真を撮るのが趣味というわけではありません。

 私の生きた足跡を、写真という媒体を通じて記録しておきたいという気持ちからのカシャリです。

 素人写真ですが、読者の皆さんの中に、写真やたびの思いをご覧になって、「行って見たい」という気持ちになられたら幸いです。

 

 

 
 

 米沢市 2-4 

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■ 米沢市(よねざわし)

 山形県の置賜地方に位置する、この地方最大の都市で、上杉氏の城下町として知られています。置賜地方(おきたまちほう・おいたまちほう)は、山形県内陸部南部を指す地方名です。

 鎌倉時代は、長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、「独眼竜」伊達政宗は米沢城で生まれました。江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町で、上杉氏との縁で上越市(新潟県西部)との関係が深いのです。

 米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいます。上杉家歴代の中でも、家祖上杉謙信と中興の祖上杉鷹山は特に顕彰され、全小学校肖像画が掲げられています。

 また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とし、旧建物は文化財として保存されています。




米沢市資料より
米沢市 松岬神社
■ 松岬神社(まつざきじんじゃ)

 明治35年、上杉神社に上杉謙信とともに祀られていた上杉鷹山が、松岬神社に分祀されました。鷹山の功績の大きさを示すといえます。

 大正元年に新殿が造営され、9月28日遷座祭が斎行され、神社格式で県社にランクされています。

 また、その時に、新饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうぐしんじんじゃ)に指定されています。



↑ 拡大

ピンボケで済みません


県社格の神社であることが石柱からもわかります



神社鳥居左にある池



池の奥に立石灯籠



松岬神社拝殿



松岬神社扁額と錫

2020年から流行しだした新型コロナの対策から、
錫の紐は取り払われています



手水場もコロナの対策からひしゃくがありません



↑ 拡大

鷹山の伝国の辞


  「伝国の辞(でんこくのじ)」は、鷹山が次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した、3条からなる藩主としての心得です。


一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にして君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有間敷候事天明五巳年二月七日  治憲 花押
  治広殿  机前


意訳は、以下の通りです。


一、国(藩)は先祖から子孫へ伝えられるものであり、我(藩主)の私物ではない。

一、領民は国(藩)に属しているものであり、我(藩主)の私物ではない。

一、国(藩)・国民(領民)のために存在・行動するのが君主(藩主)であり、“君主のために存在・行動する国・国民”ではない。

この三ヶ条を心に留め忘れることなきように。

 伝国の辞は、上杉家の明治の版籍奉還に至るまで、代々の家督相続時に相続者に家訓として伝承されました。



松岬神社境内のもみじ



観光客を当時の装束を身につけた人が迎えてくれています



松岬神社前の錦の絨毯



松岬神社角に立つ大銀杏
 
 
 
 
 
 
 
 

■【カシャリ! ひとり旅】山形県米沢市2-3 上杉鷹山像

2021-02-08 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山形県

■【カシャリ! ひとり旅】山形県米沢市2-3 上杉鷹山像

 「旅は道連れ、世は情け」といいますが、私のライフワークは【カシャリ! ひとり旅】です。

 とりわけ、寺社や庭園は、私の旅心、カシャリ心をくすぐります。

 皆様にお見せしたいような写真を撮るのが趣味というわけではありません。

 私の生きた足跡を、写真という媒体を通じて記録しておきたいという気持ちからのカシャリです。

 素人写真ですが、読者の皆さんの中に、写真やたびの思いをご覧になって、「行って見たい」という気持ちになられたら幸いです。

 

 

 
 

 米沢市 2-3 

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■ 米沢市(よねざわし)

 山形県の置賜地方に位置する、この地方最大の都市で、上杉氏の城下町として知られています。置賜地方(おきたまちほう・おいたまちほう)は、山形県内陸部南部を指す地方名です。

 鎌倉時代は、長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、「独眼竜」伊達政宗は米沢城で生まれました。江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町で、上杉氏との縁で上越市(新潟県西部)との関係が深いのです。

 米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいます。上杉家歴代の中でも、家祖上杉謙信と中興の祖上杉鷹山は特に顕彰され、全小学校肖像画が掲げられています。

 また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とし、旧建物は文化財として保存されています。




米沢市資料より
 
米沢市 上杉鷹山像


私が尊敬する人

経営コンサルタントのあり方にも通ずる実績



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 ■ 上杉 鷹山 

 うえすぎ ようざん 上杉 治憲(うえすぎ はるのり)
 寛延4年7月20日(1751年9月9日)- 文政5年3月11日(1822年4月2日)


 江戸時代中期の大名で、出羽国(山形県)米沢藩9代藩主でした。

 初代藩主上杉謙信という名門の家柄でしたが、領地返上寸前の財政難に陥っていました。その米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られています。

 諱は初め勝興、後に治憲となりますが、藩主隠居後の号である鷹山の方が著名です。




鷹山像台座に刻まれた上杉家家紋



鷹山像前のもみじ
 
 
 
 
 
 
 

■【カシャリ! ひとり旅】山形県米沢市2-2 上杉家が祀られる上杉神社参道・城跡

2021-02-07 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山形県

■【カシャリ! ひとり旅】山形県米沢市2-2 上杉家が祀られる上杉神社参道・城跡

 「旅は道連れ、世は情け」といいますが、私のライフワークは【カシャリ! ひとり旅】です。

 とりわけ、寺社や庭園は、私の旅心、カシャリ心をくすぐります。

 皆様にお見せしたいような写真を撮るのが趣味というわけではありません。

 私の生きた足跡を、写真という媒体を通じて記録しておきたいという気持ちからのカシャリです。

 素人写真ですが、読者の皆さんの中に、写真やたびの思いをご覧になって、「行って見たい」という気持ちになられたら幸いです。

 

 

 
 

 米沢市 2-2 

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■ 米沢市(よねざわし)

 山形県の置賜地方に位置する、この地方最大の都市で、上杉氏の城下町として知られています。置賜地方(おきたまちほう・おいたまちほう)は、山形県内陸部南部を指す地方名です。

 鎌倉時代は、長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、「独眼竜」伊達政宗は米沢城で生まれました。江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町で、上杉氏との縁で上越市(新潟県西部)との関係が深いのです。

 米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいます。上杉家歴代の中でも、家祖上杉謙信と中興の祖上杉鷹山は特に顕彰され、全小学校肖像画が掲げられています。

 また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とし、旧建物は文化財として保存されています。




米沢市資料より
 
米沢市 上杉神社へのアプローチ
 
米沢市 上杉神社参道



左手が、米沢市上杉博物館



紅葉真っ盛り

正面に鳥居が見えます。上杉神社の入口です。

右手が上杉城苑、上杉鷹山の銅像他が配置



↑ 拡大


行在所遺跡

あんざいしょ

 



行在所(あんざいしょ)遺跡

明治14年10月、明治天皇が東北巡幸をなされた。
その際の米沢での宿所であった行在所の跡地
上杉城史苑の一角に立つ



秦逸三の胸像

日本で最初の人造絹糸(レーヨン)の製造に成功した
帝国人造絹糸(帝人)の創業者
もともとは三原工場にあったものが平成27年に米沢市へ寄贈

 

地方都市の多くが、寂れてきています。

そのような中で、民間企業による貢献は有難いですね。

 
 
 
 

■【カシャリ! ひとり旅】山形県米沢市2-1 上杉神社へのアプローチ 伝国の杜

2021-02-06 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山形県

■【カシャリ! ひとり旅】山形県米沢市2-1 上杉神社へのアプローチ 伝国の杜

 「旅は道連れ、世は情け」といいますが、私のライフワークは【カシャリ! ひとり旅】です。

 とりわけ、寺社や庭園は、私の旅心、カシャリ心をくすぐります。

 皆様にお見せしたいような写真を撮るのが趣味というわけではありません。

 私の生きた足跡を、写真という媒体を通じて記録しておきたいという気持ちからのカシャリです。

 素人写真ですが、読者の皆さんの中に、写真やたびの思いをご覧になって、「行って見たい」という気持ちになられたら幸いです。

 

 

 
 

 米沢市 2-1 

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■ 米沢市(よねざわし)

 山形県の置賜地方に位置する、この地方最大の都市で、上杉氏の城下町として知られています。置賜地方(おきたまちほう・おいたまちほう)は、山形県内陸部南部を指す地方名です。

 鎌倉時代は、長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、「独眼竜」伊達政宗は米沢城で生まれました。江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町で、上杉氏との縁で上越市(新潟県西部)との関係が深いのです。

 米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいます。上杉家歴代の中でも、家祖上杉謙信と中興の祖上杉鷹山は特に顕彰され、全小学校肖像画が掲げられています。

 また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とし、旧建物は文化財として保存されています。




米沢市資料より
 
米沢市 上杉神社へのアプローチ

米沢市 伝国の杜

■ 伝国の杜・米沢市上杉博物館

 米沢藩の歴史・文化を中心テーマとした博物館のある一帯を「伝国の杜(でんこくのもり)」といいます。

 「伝国の杜(でんこくのもり)」」は、平成13年9月29日、山形県米沢市に博物館・文化施設として誕生しました。

 博物館には、国宝「上杉本洛中洛外図屏風」や「上杉家文書」など、数千に及ぶ米沢藩や上杉家にゆかりの文化財が収蔵されています。この施設は県立の「置賜文化ホール」と、市立の「米沢市上杉博物館」の2つが合築されました。 「置賜文化ホール」では音楽、演劇など催しものを開催しております。

 常設展示室には、上杉の歴史と文化を中心とした「江戸時代の置賜・米沢」を主軸に展示されています。


 営業期間
  開館:9:00~17:00 入館は16:30まで
  休館:4月~11月 第4水曜日、12月~3月 月曜が休日の場合はその直後の平日
      12月29日~1月3日 (年末年始)、館内整理日(不定)

所在地 〒992-0052 山形県米沢市丸の内1-2-1

交通アクセス
 米沢駅からバスで12分


■ 伝国の杜 でんこくのもり

 上杉鷹山の「伝国の辞(でんこくのじ)」をもとに命名されました。

 伝国の辞とは、鷹山(藩主の時は「治憲」)が次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した、3条からなる藩主としての心得です。


一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候

一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候

一、国家人民の為に立たる君にして君の為に立たる国家人民にはこれ無く候

 右三条御遺念有間敷候事

 天明五巳年二月七日  治憲 花押  <鷹山の花押(署名)>

  治広殿  机前  <鷹山から次期藩主・上杉治広へ>


 意訳は、以下の通りです。

一、国(藩)は先祖から子孫へ伝えられるものであり、我(藩主)の私物ではない。

一、領民は国(藩)に属しているものであり、我(藩主)の私物ではない。

一、国(藩)・国民(領民)のために存在・行動するのが君主(藩主)であり、“君主のために存在・行動する国・国民”ではない。

この三ヶ条を心に留め忘れることなきように。

 伝国の辞は、上杉家の明治の版籍奉還に至るまで、代々の家督相続時に相続者に家訓として伝承されました。




米沢市上杉博物館



博物館正面玄関上の看板


上杉謙信公祠堂跡からみた伝国の杜・上杉博物館





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旧米沢高等工業学校は山形大学工学部の前身で

米沢市民の誇りでもあるようです

 

 

 
 
 
 
 
 
 

■【カシャリ! ひとり旅】 山形県米沢市1-2 米沢市概要 米沢駅前

2021-02-02 11:32:32 | 【カシャリ!ひとり旅】 山形県

■【カシャリ! ひとり旅】 山形県米沢市1-2 米沢市概要 米沢駅前

 「旅は道連れ、世は情け」といいますが、私のライフワークは【カシャリ! ひとり旅】です。

 とりわけ、寺社や庭園は、私の旅心、カシャリ心をくすぐります。

 皆様にお見せしたいような写真を撮るのが趣味というわけではありません。

 私の生きた足跡を、写真という媒体を通じて記録しておきたいという気持ちからのカシャリです。

 素人写真ですが、読者の皆さんの中に、写真やたびの思いをご覧になって、「行って見たい」という気持ちになられたら幸いです。

 

 

 
 
 
山形県 米沢市 1-2 
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■ 米沢市(よねざわし)

 山形県の置賜地方に位置する、この地方最大の都市で、上杉氏の城下町として知られています。置賜地方(おきたまちほう・おいたまちほう)は、山形県内陸部南部を指す地方名です。

 鎌倉時代は、長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、「独眼竜」伊達政宗は米沢城で生まれました。江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町で、上杉氏との縁で上越市(新潟県西部)との関係が深いのです。

 米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいます。上杉家歴代の中でも、家祖上杉謙信と中興の祖上杉鷹山は特に顕彰され、全小学校肖像画が掲げられています。

 また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とし、旧建物は文化財として保存されています。




米沢市資料より


 山形県米沢市 
 米沢 上杉神社周辺東 伝国の杜・松岬神社・鷹山像 
 米沢 上杉神社参道 謙信像・謙信公祠堂跡・鷹山像
 米沢 上杉神社境内・附属社 本殿・福徳稲荷神社・稽照殿 
 米沢 上杉神社周辺南 上杉記念館・文化伝承館・餐霞館 
 米沢 上杉神社周辺北 白子神社
 米沢 上杉家墓所 
 米沢 法音寺・千勝院 
 米沢 法泉寺 
 米沢 旧米沢高等工業学校・林泉寺 
 米沢 東光酒造 
 米沢 市内寺社(米沢駅南西) 皇大神宮
 米沢 市内寺社(米沢駅北西) 関興庵・東源寺
 米沢 市内寺社(米沢駅北西) 長命寺・我妻記念館
 米沢 市内寺社(米沢駅北西) 高国寺
   
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■【カシャリ! ひとり旅】 山形県米沢市1-1 米沢市概要

2021-02-01 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山形県

■【カシャリ! ひとり旅】 山形県米沢市1-1 米沢市概要

 「旅は道連れ、世は情け」といいますが、私のライフワークは【カシャリ! ひとり旅】です。

 とりわけ、寺社や庭園は、私の旅心、カシャリ心をくすぐります。

 皆様にお見せしたいような写真を撮るのが趣味というわけではありません。

 私の生きた足跡を、写真という媒体を通じて記録しておきたいという気持ちからのカシャリです。

 素人写真ですが、読者の皆さんの中に、写真やたびの思いをご覧になって、「行って見たい」という気持ちになられたら幸いです。

 

 

 
 
 
山形県 米沢市 1-1 
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■ 米沢市(よねざわし)

 山形県の置賜地方に位置する、この地方最大の都市で、上杉氏の城下町として知られています。置賜地方(おきたまちほう・おいたまちほう)は、山形県内陸部南部を指す地方名です。

 鎌倉時代は、長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、「独眼竜」伊達政宗は米沢城で生まれました。江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町で、上杉氏との縁で上越市(新潟県西部)との関係が深いのです。

 米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいます。上杉家歴代の中でも、家祖上杉謙信と中興の祖上杉鷹山は特に顕彰され、全小学校肖像画が掲げられています。

 また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とし、旧建物は文化財として保存されています。




米沢市資料より


 山形県米沢市 
 米沢 上杉神社周辺東 伝国の杜・松岬神社・鷹山像 
 米沢 上杉神社参道 謙信像・謙信公祠堂跡・鷹山像
 米沢 上杉神社境内・附属社 本殿・福徳稲荷神社・稽照殿 
 米沢 上杉神社周辺南 上杉記念館・文化伝承館・餐霞館 
 米沢 上杉神社周辺北 白子神社
 米沢 上杉家墓所 
 米沢 法音寺・千勝院 
 米沢 法泉寺 
 米沢 旧米沢高等工業学校・林泉寺 
 米沢 東光酒造 
 米沢 市内寺社(米沢駅南西) 皇大神宮
 米沢 市内寺社(米沢駅北西) 関興庵・東源寺
 米沢 市内寺社(米沢駅北西) 長命寺・我妻記念館
 米沢 市内寺社(米沢駅北西) 高国寺
   
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 山形県 米沢市


東京駅を出発



米沢駅に到着



米沢駅

駅舎デザインは、、旧米沢高等工業学校本館を模しています。



駅前のペイブメント

米沢牛は欠かせません
福島に近いこともあり、リンゴも特産品です。
上杉神社には多数の鯉もいます。



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■【カシャリ! ひとり旅】 山形県出羽三山4 弥陀ヶ原湿原 池塘 その独特な形成

2020-12-05 17:06:57 | 【カシャリ!ひとり旅】 山形県

■【カシャリ! ひとり旅】 山形県出羽三山4 弥陀ヶ原湿原 池塘 その独特な形成

 

 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。

 プロのコンサルタント集団であるとともに、プロのコンサルタントを育成する団体でもあります。

 各種情報を提供する中に、会員が趣味で撮影した写真を紹介するサイトです。

 素人写真ですが、旅行の参考にされたり、話材の一つとしてお使いくださったりしてくださると幸いです。

 

 
 
山形県出羽三山  弥陀ヶ原湿原
公式サイト 関連資料(秘)  

■ 月山

 月山(がっさん)は、出羽三山の一つです。

 海抜1,984m、世界でも珍しい半円形のアスピーデ型火山です。頂上の「おむろ」に月山神社があり、月を司る「月読命(つくよみのみこと)が祀られています。八合目のバス停から3時間ほどで月山頂上に着けるそうです。

 月山に行くには、ある程度の登山装備が必要です。私は1時間半の行程ですので、今回は、月山登山を諦め、弥陀ヶ原湿原だけに限定しました。


■ 月山・弥陀ヶ原湿原

  弥陀ヶ原(みだがはら)は、月山八合目に広がる湿原です。羽黒山頂より、登山バスで約1時間、海抜1400m附近につらなる湿原です。

 夏の訪れとともに月山の山開きが行われ、白装束の参拝者の姿が見受けられるようになります。八合目にある御田原から山頂にかけては、高山植物の宝庫です。

 ニッコウキスゲ、クサンチドリ、イワイチョウ、ヒナザクラなど、その数は130種類以上になります。特に池塘付近には、みごとな群落か見られます。

 この湿原は、高冷地にあることから枯草が腐ることはなく、何万年となく積み重なってできた、泥炭層の湿原です。6月~7月には、一面がお花畑となります。小さな湖沼が散在し、あたかも神々の御田を見るようであるといわれています。弥陀ヶ原中央には御田原神社があります。


■ アクセス

 山形県鶴岡市から庄内バスで、羽黒山経由で約二時間のところにあります。

 

月山八合目 池塘


↑ 拡大

池塘(ちとう)とは、湿原の泥炭層にできる池沼のことをいいます。


木道を進みますと、左右に大小さまざまな水たまりのような「池塘」が見られます。

 

 

 

 

 

 

 

弥陀ヶ原1  月山八合目と弥陀ヶ原 7分
月山八合目への道と弥陀ヶ原にある御田原神社・参篭所
弥陀ヶ原2  月山八合目弥陀ヶ原湿原 7分
弥陀ヶ原湿原はお花畑と池塘がその代表です

 

 
 
 
 

 

 

 

 


■【カシャリ! ひとり旅】 山形県出羽三山3 弥陀ヶ原湿原 御田原神社

2020-11-28 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山形県

■【カシャリ! ひとり旅】 山形県出羽三山3 弥陀ヶ原湿原 御田原神社

 

 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。

 プロのコンサルタント集団であるとともに、プロのコンサルタントを育成する団体でもあります。

 各種情報を提供する中に、会員が趣味で撮影した写真を紹介するサイトです。

 素人写真ですが、旅行の参考にされたり、話材の一つとしてお使いくださったりしてくださると幸いです。

 

 
 
山形県出羽三山  弥陀ヶ原湿原
公式サイト 関連資料(秘)  

■ 月山

 月山(がっさん)は、出羽三山の一つです。

 海抜1,984m、世界でも珍しい半円形のアスピーデ型火山です。頂上の「おむろ」に月山神社があり、月を司る「月読命(つくよみのみこと)が祀られています。八合目のバス停から3時間ほどで月山頂上に着けるそうです。

 月山に行くには、ある程度の登山装備が必要です。私は1時間半の行程ですので、今回は、月山登山を諦め、弥陀ヶ原湿原だけに限定しました。


■ 月山・弥陀ヶ原湿原

  弥陀ヶ原(みだがはら)は、月山八合目に広がる湿原です。羽黒山頂より、登山バスで約1時間、海抜1400m附近につらなる湿原です。

 夏の訪れとともに月山の山開きが行われ、白装束の参拝者の姿が見受けられるようになります。八合目にある御田原から山頂にかけては、高山植物の宝庫です。

 ニッコウキスゲ、クサンチドリ、イワイチョウ、ヒナザクラなど、その数は130種類以上になります。特に池塘付近には、みごとな群落か見られます。

 この湿原は、高冷地にあることから枯草が腐ることはなく、何万年となく積み重なってできた、泥炭層の湿原です。6月~7月には、一面がお花畑となります。小さな湖沼が散在し、あたかも神々の御田を見るようであるといわれています。弥陀ヶ原中央には御田原神社があります。


■ アクセス

 山が手兼鶴岡市から庄内バスで、羽黒山経由で約二時間のところにあります。

 

月山八合目 御田原神社


弥陀ヶ原湿原のハーフコースは三〇分ほどの道のりで、
月山本宮の鳥居があります。
鳥居の前には、御田原参篭所があり、参拝者をもてなしてくれます。
ビジターセンターの役割も担っています。



月山を背景にした、月山本宮の鳥居
月山に来る途中の大鳥居が「一の鳥居」に相当しますので、
さしずめ、この鳥居は「二ノ鳥居」ということでしょう。


■ 御田原神社

 月山八合目の中之宮である御田原神社(みたはらじんじゃ)があります。バス停から直行すれば十分たらずのところにあります。弥陀ヶ原湿原のハーフコースを回ってきますと三十分ほどで着きます。

 ここには、須佐之男命の妻である奇稲田姫神(くしいなだひめのかみ)が祀られています。稲田の守護神として五穀豊穣・縁結びの神として信仰されています。



御田原神社の横には、霊祭供養所があります。



供養所の周囲には、さまざまの仏像が供養されたり、
石碑が建てられたりしています。



遠くに、山形県の名峰「鳥海山」が
日本海まで裾野を広げています。
鳥海山の右手に連なる出羽山脈には、
雲海が広がっていました。

 

 

 

 

弥陀ヶ原1  月山八合目と弥陀ヶ原 7分
月山八合目への道と弥陀ヶ原にある御田原神社・参篭所
弥陀ヶ原2  月山八合目弥陀ヶ原湿原 7分
弥陀ヶ原湿原はお花畑と池塘がその代表です

 

 
 
 
 

 

 

 


■【カシャリ! ひとり旅】 山形県出羽三山2 弥陀ヶ原湿原 月山裾野に広がる池塘帯 

2020-11-21 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山形県

■【カシャリ! ひとり旅】 山形県出羽三山2 弥陀ヶ原湿原 月山裾野に広がる池塘帯 

 

 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。

 プロのコンサルタント集団であるとともに、プロのコンサルタントを育成する団体でもあります。

 各種情報を提供する中に、会員が趣味で撮影した写真を紹介するサイトです。

 素人写真ですが、旅行の参考にされたり、話材の一つとしてお使いくださったりしてくださると幸いです。

 

 
 
山形県出羽三山  弥陀ヶ原湿原
公式サイト 関連資料(秘)  

■ 月山

 月山(がっさん)は、出羽三山の一つです。

 海抜1,984m、世界でも珍しい半円形のアスピーデ型火山です。頂上の「おむろ」に月山神社があり、月を司る「月読命(つくよみのみこと)が祀られています。八合目のバス停から3時間ほどで月山頂上に着けるそうです。

 月山に行くには、ある程度の登山装備が必要です。私は1時間半の行程ですので、今回は、月山登山を諦め、弥陀ヶ原湿原だけに限定しました。


■ 月山・弥陀ヶ原湿原

  弥陀ヶ原(みだがはら)は、月山八合目に広がる湿原です。羽黒山頂より、登山バスで約1時間、海抜1400m附近につらなる湿原です。

 夏の訪れとともに月山の山開きが行われ、白装束の参拝者の姿が見受けられるようになります。八合目にある御田原から山頂にかけては、高山植物の宝庫です。

 ニッコウキスゲ、クサンチドリ、イワイチョウ、ヒナザクラなど、その数は130種類以上になります。特に池塘付近には、みごとな群落か見られます。

 この湿原は、高冷地にあることから枯草が腐ることはなく、何万年となく積み重なってできた、泥炭層の湿原です。6月~7月には、一面がお花畑となります。小さな湖沼が散在し、あたかも神々の御田を見るようであるといわれています。弥陀ヶ原中央には御田原神社があります。


■ アクセス

 山が手兼鶴岡市から庄内バスで、羽黒山経由で約二時間のところにあります。

 

月山八合目 弥陀ヶ原湿原


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 弥陀ヶ原は、羽黒山頂より、登山バスで約1時間、海抜1400m附近につらなる湿原です。

 この湿原は、高冷地にあることから枯草が腐ることはなく、何万年となく積み重なってできた、泥炭層の湿原です。6月~7月には、一面がお花畑となります。小さな湖沼が散在し、あたかも神々の御田を見るようであるといわれています。弥陀ヶ原中央には御田原神社があります。



↑ 拡大


弥陀ヶ原湿原は、月山の山麓1400m付近にあります。
月山は、磐梯朝日国立公園の特別区域に指定され、
日本百名山や花の百名山にも選定されています。

ここは、月山八合目で、遠くに見えるのが月山の頂上です。



弥陀ヶ原湿原は、木道を行きます。



木道だけではなく、途中、石の飛び石が並ぶところもあります。



↑ 拡大

 月山には、百数十種類の高山植物があります。

 春から秋にかけ、ほとんど花が絶えることがないのです。その理由は、植物の種類が多いだけではなく、地形が変化に富んでいるからです。



私が訪れたのは9月末というシーズンの最後の頃で、
残念ながら花は殆ど見られませんでした。
しかし、リンドウは、私の心を安らげてくれました。



↑ 拡大

月山のお花畑を代表する植物は、
7~8月に花を付けるようです。



↑ 拡大

弥陀ヶ原には、
氷河時代から生き残っている
「オゼコウホネ」という植物があります。

 

 

 

弥陀ヶ原1  月山八合目と弥陀ヶ原 7分
月山八合目への道と弥陀ヶ原にある御田原神社・参篭所
弥陀ヶ原2  月山八合目弥陀ヶ原湿原 7分
弥陀ヶ原湿原はお花畑と池塘がその代表です

 

 
 
 
 

 

 


■【カシャリ! ひとり旅】 山形県出羽三山1  いざ、弥陀ヶ原湿原へ

2020-11-14 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山形県

■【カシャリ! ひとり旅】 山形県出羽三山1  いざ、弥陀ヶ原湿原へ

 

 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。

 プロのコンサルタント集団であるとともに、プロのコンサルタントを育成する団体でもあります。

 各種情報を提供する中に、会員が趣味で撮影した写真を紹介するサイトです。

 素人写真ですが、旅行の参考にされたり、話材の一つとしてお使いくださったりしてくださると幸いです。

 

 
 
山形県出羽三山  いざ、弥陀ヶ原湿原へ
公式サイト 関連資料(秘)  

■ 月山

 月山(がっさん)は、出羽三山の一つです。

 海抜1,984m、世界でも珍しい半円形のアスピーデ型火山です。頂上の「おむろ」に月山神社があり、月を司る「月読命(つくよみのみこと)が祀られています。八合目のバス停から3時間ほどで月山頂上に着けるそうです。

 月山に行くには、ある程度の登山装備が必要です。私は1時間半の行程ですので、今回は、月山登山を諦め、弥陀ヶ原湿原だけに限定しました。


■ 月山・弥陀ヶ原湿原

  弥陀ヶ原(みだがはら)は、月山八合目に広がる湿原です。羽黒山頂より、登山バスで約1時間、海抜1400m附近につらなる湿原です。

 夏の訪れとともに月山の山開きが行われ、白装束の参拝者の姿が見受けられるようになります。八合目にある御田原から山頂にかけては、高山植物の宝庫です。

 ニッコウキスゲ、クサンチドリ、イワイチョウ、ヒナザクラなど、その数は130種類以上になります。特に池塘付近には、みごとな群落か見られます。

 この湿原は、高冷地にあることから枯草が腐ることはなく、何万年となく積み重なってできた、泥炭層の湿原です。6月~7月には、一面がお花畑となります。小さな湖沼が散在し、あたかも神々の御田を見るようであるといわれています。弥陀ヶ原中央には御田原神社があります。


■ アクセス

 山が手兼鶴岡市から庄内バスで、羽黒山経由で約二時間のところにあります。


 

月山八合目

 月山へのバスは、4月から9月までの期間しか運行がありません。それを逃すと、レンタカーなどをしなければなりませんので、4時半に起き、バスターミナルから6時のバスに乗ることにしました。

 ホテルからは、鶴岡駅のバス停が近いのですが、バスターミナルから乗ることにより座席を確保できました。マイクロバスよりやや大きめのバス車体でしたが、始発の段階で、ほぼ満席でした。二時間近いバスでの移動には座席確保が優先です。

 月山には、羽黒山を経由してゆくことになります。

 7時ちょっと前に、羽黒山頂バス停に到着し、10分ほどの休憩です。御手洗いがありますが、善意の有料ですので、我慢できる人は終点の月山八合目で用を足すのもひとつの方法です。

 そのバスで、さらに一時間の行程ですが、途中、道路が厓崩壊で寸断されているとのことで、一瞬ヒヤッとしました。迂回ルートで行かれることがわかりホッとしました。

 途中、つづら折れの坂をウンウンとうなりながら、立っている人もいる満席の状態で月山に向かいました。エンストでも起こしはしないかと心配になるほどでした。

 迂回ルートをとったものの、10数分遅れで月山八合目に到着しました。

 私のスケジュールでは、ここ弥陀ヶ原湿原では一時間半の滞在で、次のバスに乗れる計算でしたので、十分の遅れは行程に響きかねません。


■ 大鳥居

 南北朝の末期から羽黒山に勢力を得た大泉庄の地頭である武藤氏は、武藤政氏の代に、羽黒山の別当を名乗り、子孫にその職を継いで行くことになりました。

 政氏は、長慶天皇のとき、文中元年に羽黒山に国宝である五重塔を再建しました。

 その居城である大宝寺(鶴岡)に鳥居を建立させ、羽黒山一の鳥居としましたが、当時のものは、今はなく、鳥居町という町名が残っているだけです。

 私が訪れた現在の一の鳥居は、羽黒街道が羽黒丘陵にかかるこの地にあります。昭和4年に山形市吉岡鉄太郎が奉納した、高さが22.5mもある大鳥居です。

 

 

弥陀ヶ原1  月山八合目と弥陀ヶ原 7分
月山八合目への道と弥陀ヶ原にある御田原神社・参篭所
弥陀ヶ原2  月山八合目弥陀ヶ原湿原 7分
弥陀ヶ原湿原はお花畑と池塘がその代表です

 

 
 
 
 
 

 

 

 


■【カシャリ! ひとり旅】 山形県出羽三山  羽黒山への入口 2

2020-09-19 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山形県

■【カシャリ! ひとり旅】 山形県出羽三山  羽黒山への入口 2

 

 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。

 プロのコンサルタント集団であるとともに、プロのコンサルタントを育成する団体でもあります。

 各種情報を提供する中に、会員が趣味で撮影した写真を紹介するサイトです。

 素人写真ですが、旅行の参考にされたり、話材の一つとしてお使いくださったりしてくださると幸いです。

 

 
 
山形県出羽三山 羽黒山神社 2
公式サイト 関連資料(秘)  
 

■ 一人旅

 1時間半ほど、月山八合目に滞在し、9時30分のバスで羽黒山に向かいました。行きのバスに乗った大半の人が月山を目指して登山したらしく、バスの乗客は私を含めて4名でした。

 出羽三山のひとつ、羽黒山は、山形県鶴岡市にある標高414mのところにある修験道を中心とした山岳信仰の山として知られています。鶴岡駅前よりバスで1時間弱のところにあります。

 私は、月山八合目からバスで移動しましたが、やはり1時間ほどで羽黒山頂バス停に着きました。途中迂回路を通りましたので、10分ほど遅れての到着です。

 羽黒山は、出羽三山の主峰である月山の北西山麓に出っ張る丘陵で、独立峰ではありません。

 羽黒山には、三神合祭殿、五重塔、随神門などの見どころがあります。案内書などを見ますと、随神門のバス停で下車して、五重塔を参拝し、羽黒山頂上にある三神合祭殿まで一時間のコースが紹介されています。

 私は、ガイドブックなどに書いてある順路とは逆に、羽黒山頂上から五重塔・随神門へと、下りのコースを選びました。これが明暗の大きな分かれ目でした。


■ アクセス

  〒997-0211 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7

【バス利用】

・鶴岡市から庄内交通バス羽黒山行きで50分→終点下車
・表参道の石段を登る場合、又、国宝羽黒山五重塔を拝観する場合は、同バスで随神門下車
 鶴岡から庄内交通バス http://www.shonaikotsu.jp/local_bus/t008_haguro.html

【ご注意】
 土日限定のシャトルバスがありますが、季節限定です。


【車利用】

・山形自動車道鶴岡ICから鶴岡・羽黒線~月山高原ライン経由で約28km
・庄内あさひICから約30km
・庄内空港から約47km
・山形自動車道湯殿山ICから約14km



↑ 拡大

 

駐車場から本殿方向に進みますと

広い、広っ場があります。

本殿へは鳥居をくぐって行きます。



三神合祭殿前の鳥居


 広場の反対側には末社が並び、その奥に神輿社と東照社があります。

 出羽三山には、百一末社があります。羽黒を始め月山、湯殿山の山嶺、または幽谷に多数の末社が散在しています。ここには大雷神社、健角身神社、稲荷神社、大山祗神社、白山神社、思兼神社、八坂神社があります。

 末社列の前には相撲の土俵があります。特別な説明書きはありませんが、方法相撲などが行われるのでしょうか。



三神合祭殿(本殿に相当)近くの末社

大雷神社、健角身神社、稲荷神社、大山祗神社、白山神社、思兼神社、八坂神社



蜂子皇子の墓

蜂子皇子は出羽三山神社の開祖
東北地方で唯一の皇族の墓
墓といいましても、数本の杉の木を囲った物で、墓とは思えない物でした。



神輿社

三神合祭殿前の鳥居広場の右手、
芭蕉碑の反対側には末社が並び、
その奥に神輿社と東照社が並んで配されています。
神輿社には二基の神輿が蔵されていました。



東照社


■ 東照社

 寛永18年(1641)、ここの別当が、徳川幕府の宗教顧問である東叡山の天海僧正の弟子となりました。羽黒山を天台宗に改宗し、東照権現を羽黒山に勧請し、祀ったのが東照宮(現在の東照社)です。

 東照権現を山中に祀ることによって山威を高めたのです。

 明治時代に東照宮は東照社と改められました。現在の社殿は、3間5間のややこぶりですが、昭和55年(1980)に解体復元されました。

 

 

 

 

 写真だけではなく、映像でお楽しみもできます。

 

映像で見る 【カシャリ! ひとり旅】
 山形県出羽三山 羽黒山トップ  
羽黒山1  大鳥居と羽黒山の入口 5分
出羽三山の入口を示す大鳥居から羽黒山へ
羽黒山2  東照社と羽黒山末社 6分
徳川家ゆかりの羽黒山東照社と末社
羽黒山3  三神合祭殿・霊斎殿・千佛堂・鏡池 7分
羽黒山の本殿にあたる三神合祭殿やそれに附属する社
羽黒山4  羽黒山の参道と末社 10分
羽黒神社の周辺だけではなく、参道沿いにも末社が並んでいます
羽黒山5  羽黒山五重塔・神橋・祓川 7分
羽黒山神社を象徴する五重塔は小さいがいぶし銀の渋さを持つ
羽黒山6  羽黒山6随神門・神橋 6分
随神門は、出羽三山の結界で、ここより神域に入ります。
月山弥陀ヶ原  月山八合目弥陀ヶ原湿原  
出羽三山のハイライトのひとつ、八合目に広がる湿原と紅葉
出羽三山  出羽三山とは(準備中)  
山形県を代表する出羽三山とはどの様なところなのでしょうか

 

 
 
 

 

 


■【カシャリ! ひとり旅】 山形県出羽三山  羽黒山への入口 1

2020-09-05 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山形県

■【カシャリ! ひとり旅】 山形県出羽三山  羽黒山への入口 1

 

 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。

 プロのコンサルタント集団であるとともに、プロのコンサルタントを育成する団体でもあります。

 各種情報を提供する中に、会員が趣味で撮影した写真を紹介するサイトです。

 素人写真ですが、旅行の参考にされたり、話材の一つとしてお使いくださったりしてくださると幸いです。

 

 
 
山形県出羽三山 羽黒山神社 1
公式サイト 関連資料(秘)  
 

■ 一人旅

 1時間半ほど、月山八合目に滞在し、9時30分のバスで羽黒山に向かいました。行きのバスに乗った大半の人が月山を目指して登山したらしく、バスの乗客は私を含めて4名でした。

 出羽三山のひとつ、羽黒山は、山形県鶴岡市にある標高414mのところにある修験道を中心とした山岳信仰の山として知られています。鶴岡駅前よりバスで1時間弱のところにあります。

 私は、月山八合目からバスで移動しましたが、やはり1時間ほどで羽黒山頂バス停に着きました。途中迂回路を通りましたので、10分ほど遅れての到着です。

 羽黒山は、出羽三山の主峰である月山の北西山麓に出っ張る丘陵で、独立峰ではありません。

 羽黒山には、三神合祭殿、五重塔、随神門などの見どころがあります。案内書などを見ますと、随神門のバス停で下車して、五重塔を参拝し、羽黒山頂上にある三神合祭殿まで一時間のコースが紹介されています。

 私は、ガイドブックなどに書いてある順路とは逆に、羽黒山頂上から五重塔・随神門へと、下りのコースを選びました。これが明暗の大きな分かれ目でした。


■ アクセス

  〒997-0211 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7

【バス利用】

・鶴岡市から庄内交通バス羽黒山行きで50分→終点下車
・表参道の石段を登る場合、又、国宝羽黒山五重塔を拝観する場合は、同バスで随神門下車
 鶴岡から庄内交通バス http://www.shonaikotsu.jp/local_bus/t008_haguro.html

【ご注意】
 土日限定のシャトルバスがありますが、季節限定です。


【車利用】

・山形自動車道鶴岡ICから鶴岡・羽黒線~月山高原ライン経由で約28km
・庄内あさひICから約30km
・庄内空港から約47km
・山形自動車道湯殿山ICから約14km



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山形県出羽三山  羽黒山への入口 1

羽黒山神社への道

 月山八合目からバスで一時間以上揺られて羽黒山頂バス停に着きましたが、なんとなく身体が揺れるような気分で、下車しました。月山に行く途中にも、このバス停に寄りましたが、その時には、数台の車が駐車場にあるだけでした。ところが、満配に近いほど、車がびっしりとおかれているのに驚きました。

 大杉の並木を進みますと右手に歴史博物館が見えてきます。その先左手に広場の一角に天智社があります。また、芭蕉碑もあり、その奥には蜂子皇子の墓があります。墓といいましても、数本の杉の木を囲った物で、墓とは思えない物でした。



駐車場からすぐに杉並木が始まります。


 大杉の並木を進みますと右手に歴史博物館が見えてきます。

 その先左手に広場の一角に天智社があります。

 また、芭蕉碑もあり、その奥には蜂子皇子の墓があります。墓といいましても、数本の杉の木を囲った物で、墓とは思えない物でした。


■ 出羽三山歴史博物館 ~博物館と羽黒山の文化財~

 このユニークな形状の建物は、羽黒山の文化財が展示されている出羽三山歴史博物館です。大正4年出羽三山神社の宝物館として設立されました。

 昭和27年、博物館法の指定を受け「出羽三山歴史博物館」と改称し、昭和45年に現在の建物が竣工されました。

 収蔵する多くは神仏習合の修験道時代の品です。


■ 天宥社

 芭蕉碑の隣にあるのが天宥社(てんゆうしゃ)です。羽黒山五十世執行別当である天宥法印が祀られています。

 入口に燈篭がありますが、天宥法印の墓地のある東京都新島村より昭和63(1988)年6月7日に奉献されました。



奥の細道の途中で立ち寄るなど
芭蕉は、出羽三山とは縁があります。

 

 

 

 

 

映像で見る 【カシャリ! ひとり旅】
 山形県出羽三山 羽黒山トップ  
羽黒山1  大鳥居と羽黒山の入口 5分
出羽三山の入口を示す大鳥居から羽黒山へ
羽黒山2  東照社と羽黒山末社 6分
徳川家ゆかりの羽黒山東照社と末社
羽黒山3  三神合祭殿・霊斎殿・千佛堂・鏡池 7分
羽黒山の本殿にあたる三神合祭殿やそれに附属する社
羽黒山4  羽黒山の参道と末社 10分
羽黒神社の周辺だけではなく、参道沿いにも末社が並んでいます
羽黒山5  羽黒山五重塔・神橋・祓川 7分
羽黒山神社を象徴する五重塔は小さいがいぶし銀の渋さを持つ
羽黒山6  羽黒山6随神門・神橋 6分
随神門は、出羽三山の結界で、ここより神域に入ります。
月山弥陀ヶ原  月山八合目弥陀ヶ原湿原  
出羽三山のハイライトのひとつ、八合目に広がる湿原と紅葉
出羽三山  出羽三山とは(準備中)  
山形県を代表する出羽三山とはどの様なところなのでしょうか