経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【カシャリ!庭園めぐりの旅】 青森県弘前市藤田記念庭園2 庭園と岩木山を望む主座敷のある和館「旧藤田家本宅」

2023-08-20 10:03:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 青森県弘前市藤田記念庭園2 庭園と岩木山を望む主座敷のある和館「旧藤田家本宅」

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 青森県弘前市藤田記念庭園2 和館「旧藤田家別邸洋館」

 

 「藤田記念庭園」(ふじたきねんていえん)は、弘前出身の実業家・藤田謙一の別邸として大正時代に造られた日本庭園です。弘前公園に隣接する「津軽富士」岩木山の眺望が素晴らしいです。国登録有形文化財にもなっている「旧藤田家別邸洋館」などの建築群があります。
 数多くの庭園がある弘前の中でも最も大きな規模であり、美しい庭園といえます。弘前城(弘前公園)のすぐ隣にあることから観光名所の一つにもなっています。

 庭園は高台部と低地部に分かれていて、高台部からは庭園の借景として「津軽富士」岩木山が眺められます。高台部にある洋館の設計は堀江佐吉の息子・堀江金蔵によります。また「旧藤田家別邸和館」は、昭和初期の建築で、後から移築されました。
 春は庭園処々に咲くサクラ、低地部の方の庭園は、いわゆる日本庭園といった趣の池泉回遊式庭園で、7月初旬頃には、花菖蒲が見ごろです。((お庭さんサイトを参照して作成)

■ アクセス
 JR奥羽本線 弘前駅より約2.5km(徒歩30分)
 路線バス多数あり 弘前駅より10分、市役所前バス停下車、徒歩5分
 〒036-8207 青森県弘前市大字上白銀町8-1

 

 

 

和館玄関

 

 門を入ってすぐ右手に和館があります。
 和館は、木造平屋建てで、1937年(昭和12年)板柳町に藤田謙一の本宅として建てられたものを、1961年(昭和36年)に現在の場所へ移築したものです。
 高台庭園側の主座敷と、岩木山を借景するはなれ座敷を棟分けし、廊下で連結して建てられました。
 

 

玄関を入ると天然記念物の「玉鹿石」があります。

 


 後藤新平の書も床の間に飾ってあります。後藤新平は、南満洲鉄道、いわゆる「満鉄」の初代総裁や、内務大臣など多数の大臣職を務めました。当時の東京市の市長視聴になったときには、戦後の荒廃からの復興に尽力しました。名古屋の百メートル道路に習って、昭和通りを作らせたのも後藤です。

 

後藤新平
 後藤新平は、南満洲鉄道、いわゆる「満鉄」の初代総裁や、内務大臣など多数の大臣職を務めました。当時の東京市の市長視聴になったときには、戦後の荒廃からの復興に尽力しました。名古屋の百メートル道路に習って、昭和通りを作らせたのも後藤です。
 

屋久杉の一枚板、鞍馬石の沓脱石等、吟味されたものが使用されています。

名工として知られる、

弘前生まれの奈良丹次郎による

「ななこ塗り」ともいわれる津軽塗の箪笥です。


 小川破笠(はりつ)作の板戸絵

狩野派屏風等も展示されています。


 唐獅子は、九谷焼です。

金箔塗りで、細工も優れている作ですが、作者は不明です。

 

はなれから見た主座敷

 

岩木山を借景するはなれ座敷

 

はなれ座敷から津軽富士「岩木山」を望む

 

お抹茶のサービスがあります。

皮と餡が別になった最中は、

パリッとしていてお抹茶とマッチして美味です。

 

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】青森県黒石市金平成園1建物編 お金が皆に平等に行き渡ることを願った政治家・実業家の建物

2023-08-19 09:35:20 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 


  【カシャリ!庭園めぐりの旅】青森県黒石市金平成園1建物編 お金が皆に平等に行き渡ることを願った政治家・実業家の建物


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 青森県黒石市金平成園1建物編 お金が皆に平等に行き渡ることを願った政治家・実業家の建物


 


 「お金が皆に平等に行き渡ることを願った政治家・実業家の建物」を紹介します。
 金平成園は、別名「澤成園」とも呼ばれ、弘前駅から弘南鉄道に40分ほどのり、終点の黒石駅から徒歩で10分足らずのところにあります。


 


建物編
 旧加藤家住宅は、政治家・実業家である加藤宇兵衛の求めに応じて建てられた建物で、加藤家が代々所有していました。
 主屋・離れ・茶室で構成され、加藤家の別荘などに使われていたと考えられています。
 主屋と離れは、庭園が完成した年の一年後である、明治36年(1903)に建てられました。
 茶室の正確な建築年代はわかりませんが、明治44年 (1911)以前に建てられたようです。
 旧加藤家住宅は、昭和期には料亭として使われ、結婚式も行われていました。ところが、老朽化等により、文化財としての価値が失われる恐れがあったことから、平成18年度から平成26年度にかけて、庭園とともに建物の修理をして、復元が行われました。


 



 



黒石市のマンホールの蓋


 



旧加藤家住宅


 


 


 



池越しに見ると左手が茶室、中央が主屋です


 



建物内部も見事です


 



 


加藤宇兵衛

 加藤宇兵衛は、文久元年(1861年)に黒石町に生まれました。加粮家は明治30年代頃まで黒石町で酒造業を営んでいた一族で、宇兵街はその三代目になります。
 宇兵衛は20代の頃から政治家として活躍し、黒石町議会議員や青森県議会議員を務めめ、明治35年(1902年)には、衆議院議員に当選しました。貴族院多額納税者議員でもあります。
 明治30年(1897年)に黒石銀行を創立し、その頭取になりました。他にもいろいろな会社の経営に携わりました。
 それと同時に宇兵衛は教育にも力を入れました。


 


金平成園(かねひらなりえん)庭園

 明治35年に完成した「大石武学流」の代表的な作庭様式を持つ池泉廻遊式日本庭園です。
 黒石町出身の実業家・政治家であった加藤宇兵衛が、失業対策として明治25年(1892)に着手しました。
 加藤宇兵衛に招かれた高橋亭山(たかはしていざん)が、金平成園の作庭に着手しましたが、完成を待たずに死去してしまいました。小幡亭樹(おばたていじゅ)を中心とした弟子達が、後を継ぎ、明治35年(1902年)になってようやく完成しました。
 幕末から近代にかけて、津軽地方を風靡した独特の作風が貴重であることから、平成18年1月26日史跡名勝天然記念物に指定されました。
 平成18年(2006)に国指定名勝に登録され、平成27年(2015)に一般公開されました。
 初期の大石武学流庭園らしく園内には、守護石や遠山石が、処々に配されています。また、野夜燈(やどう)と呼ばれる石灯籠もあり、大石武学流を理解しやすい庭園でもあります。
 庭園の名称は「万民に金が行き渡り、平和な世になるように」という宇兵衛の願いから「金平成園」となりました。ただし、加藤家の屋号が「澤屋成之助」でしたので「澤成園」とも呼ばれるようになりました。


 



主屋側から見た庭園


 



主屋を池越しに見る庭園


 


 金平成園建物編



 


 金平成園庭園編


<準備中>


 


 



  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm


 


 



  ■ カシャリ! ひとり旅



 


 





ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 青森県弘前市藤田記念庭園7 日本庭園のどこからも見える朱い橋の下を落ちる滝

2023-08-11 09:55:31 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 青森県弘前市藤田記念庭園7 日本庭園のどこからも見える朱い橋の下を落ちる滝

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 青森県弘前市藤田記念庭園7 日本庭園のどこからも見える朱い橋の下を落ちる滝

 

 「藤田記念庭園」(ふじたきねんていえん)は、弘前出身の実業家・藤田謙一の別邸として大正時代に造られた日本庭園です。弘前公園に隣接する「津軽富士」岩木山の眺望が素晴らしいです。国登録有形文化財にもなっている「旧藤田家別邸洋館」などの建築群があります。
 数多くの庭園がある弘前の中でも最も大きな規模であり、美しい庭園といえます。弘前城(弘前公園)のすぐ隣にあることから観光名所の一つにもなっています。

 庭園は高台部と低地部に分かれていて、高台部からは庭園の借景として「津軽富士」岩木山が眺められます。高台部にある洋館の設計は堀江佐吉の息子・堀江金蔵によります。また「旧藤田家別邸和館」は、昭和初期の建築で、後から移築されました。
 春は庭園処々に咲くサクラ、低地部の方の庭園は、いわゆる日本庭園といった趣の池泉回遊式庭園で、7月初旬頃には、花菖蒲が見ごろです。((お庭さんサイトを参照して作成)

 

 菖蒲園には、真ん中に八ツ橋が設けられ、せせらぎもあって、花菖蒲をいろいろなアングルと取り合わせで楽しむことができます。

 池泉廻遊式日本庭園にかかる橋や四阿、遠くには茶室も見えます。

■ アクセス
 JR奥羽本線 弘前駅より約2.5km(徒歩30分)
 路線バス多数あり 弘前駅より10分、市役所前バス停下車、徒歩5分
 〒036-8207 青森県弘前市大字上白銀町8-1

 

 

 

13mの崖の中腹にかかる朱色の橋

 

 小雨の中の庭園散策でしたが、

八ツ橋がしっとりとし、色も鮮やかでした。

それが雨に濡れた菖蒲の色を一層際立たせてくれていました。
 低地部の日本庭園のどこからも見える朱い橋の下を流れ落ちる滝は、

十メートルあまりの落差があります。


 

数段に分かれて流れ落ち、滝壺の池に流れ込んでいます。
 滝音は、訪れた人の心を慰めてくれます。

滝音の入った映像をお届けしています。

<下方のユーチューブ一覧からご覧いただけます>

 

朱色の橋の上からの眺め

橋の上に立ちますと、眼前に花菖蒲園が見えます。

奥には池泉中央に配された中島や

そこに渡るための、趣ある橋を見ることができます。

 

橋の上から落ちる滝は、落差10mあまりあります

 

藤田記念庭園 和館・洋館 洋風庭園 茶室 菖蒲園 池泉廻遊式日本庭園 滝のある庭園  5~9分
 藤田記念庭園 和館・洋館 洋風庭園 茶室 菖蒲園 池泉廻遊式日本庭園 滝のある庭園 
弘前公園に隣接する国登録有形文化財の建築群を有する、「津軽富士」岩木山の眺望が素晴らしい洋風庭園とサクラや菖蒲の池泉廻遊式庭園

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 興臨院 大徳寺塔頭 理想的な蓬萊世界を表す枯山水庭園

2023-08-10 13:13:21 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 興臨院 大徳寺塔頭 理想的な蓬萊世界を表す枯山水庭園 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

 

■■ 興臨院 大徳寺塔頭 理想的な蓬萊世界を表す枯山水庭園

    https://kyotoshunju.com/temple/daitokuji-kohrinin/

 興臨院(こうりんいん)は、京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の寺院で、大本山大徳寺の塔頭の一つです。ご本尊は釈迦如来で、特別拝観日以外は公開されていません。
 大永年間(1521年-1528年、1533年説もある)に、能登国の守護大名・畠山義総が、大徳寺86世の小渓紹怤(「付」の下に「心」、仏智大通禅師)を開山として建立しました。義総の法名をとって寺名を興臨院と命名されました。
 以来、能登畠山氏の菩提寺となりました。その後、能登畠山氏は没落し、代わりに能登を治めることになった戦国武将・前田利家により、天正9年(1581年)に改修が行われました。それ以後は、前田氏の菩提寺となり庇護されることになりました。
 方丈の床の間は日本で最初のものといわれています。創建当時の姿が残る表門と本堂(唐門を含む)が共に重要文化財指定されています。
 

 

■ アクセス

電車・バス
 市バス1、12、204、205、206、北8、M1号系統「建勲神社前(けんくんじんじゃまえ)」または「船岡山(ふなおかやま)」バス停にて下車。
 市バス206(右回り)号系統 「京都駅前」(A3のりば)約40分弱

 

山門とエントランス

山門(重要文化財)
 檜皮葺の平唐門で、大徳寺でも古い門のひとつに数えられます。

 

建物と付帯物

本堂(方丈)
 方丈は、興臨院の本堂でもあります。桃山時代以降、近世の方丈(本堂)建築より屋根が低いのが特徴です。これによって建物全体が安定感を持ち、優美に感じられるといいます。室町時代の建築様式の特徴をみせる入母屋造・檜皮葺の建物です。
 かつて狩野元信や土佐光信などの障壁画を飾っていたといわれますが、幕末から明治維新の混乱期に失われてしまいました。全20面ある襖絵は、福岡県久留米市の水墨画家、村石米齋によって描かれたといわれます。

 

茶室「涵虚亭(かんきょてい)」
 1928年(昭和3年)に山口玄洞による寄進です。蘇軾の詩から名付けられた古田織部好みの四畳台目に隅板を加えた茶室です。床の間は、袖壁が出ているために洞のように見えることから洞床(ほらどこ)と呼ばれています。
 

方丈庭園 枯山水庭園

方丈庭園
 方丈前庭があり、 1978年(昭和53年)に方丈の解体修理完成時に資料を基にして、昭和の小堀遠州といわれた中根金作により復元されました。枯山水庭園で白砂に石組を配し、理想的な蓬萊世界を表しています。
 

裏方丈庭園

テーブルに映る床紅葉

通常非公開

特別公開日のみ 室内撮影禁止

 

 

ナレーションつき映像 興臨院

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 源氏物語ミュージアム 宇治十帖と日本庭園

2023-08-09 16:40:15 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 源氏物語ミュージアム 宇治十帖と日本庭園

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

 

■■ 源氏物語ミュージアム 宇治十帖と日本庭園

     https://www.museum.or.jp/museum/5229
     https://www.city.uji.kyoto.jp/soshiki/33/

 宇治市源氏物語ミュージアムは、京都府宇治市にある公立の博物館です。『源氏物語』の幻の写本とよばれる「大沢本」など「源氏物語」に関する資料の収集・保管等がなされています。実物大に復元した牛車や調度品などの復元模型や映像を通じ源氏物語と平安時代の文化に親しめます。
 1998年に開館し、開館10周年にあたる2008年9月にリニューアルが行われました。

 紫式部が書いた源氏物語五十四帖の中で、最後の十帖の舞台となったのが、このち宇治です。宇治は、当時から貴族の別業の地として愛されてきました。

 住所    〒611-0021 京都府宇治市宇治東内45-26 電話    0774-39-9300
 開館時間 9:00~17:00(入館16:30まで)
 休館日    月曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始
 料金    大人 600円(480円)/300円(240円)
     障害者等手帳所持者・介護者 ・宇治市内在住 無料 ・宇治市外在住 半額
     高齢者(70歳以上)・介護者・宇治市内在住 無料

■ アクセス
【電車】
・京阪/宇治線(京阪本線からは中書島乗換)宇治駅下車 徒歩約8分
・JR/奈良線(JR京都駅~奈良駅)宇治駅下車 徒歩約15分
・近鉄/京都線 近鉄大久保駅からバス約15分 バス停京阪宇治下車 徒歩約8分
※できるだけ公共交通機関でお越しください。

【バス・乗用車】
・大阪方面/名神大山崎JCTまたは第二京阪久御山JCTから京滋バイパスへ、宇治西ICから約10分(大阪方面からは宇治東ICで降りることはできません)
・名古屋方面/名神瀬田東JCTから京滋バイパスへ、宇治東ICから約5分
・駐車場 バス4台(1台1回 2,000円 バス駐車場は予約優先) 乗用車15台(1台30分 100円)

 

 

源氏物語ミュージアム エントランスと建物

建物周辺の池

源氏物語ミュージアム 池泉廻遊式庭園

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】 青森県平川市 盛美園2 庭園編 スタジオジブリ映画『借りぐらしのアリエッティ』のモデル

2023-08-02 10:03:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!ひとり旅】 青森県平川市 盛美園2 庭園編 スタジオジブリ映画『借りぐらしのアリエッティ』のモデル

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 青森県平川市 盛美園2 庭園編 スタジオジブリ映画『借りぐらしのアリエッティ』のモデル

 

 「スタジオジブリ映画『借りぐらしのアリエッティ』のモデル 盛美園 庭園編」を紹介します。


 スタジオジブリのアニメ映画「借りぐらしのアリエッティ」のモデルになった盛美園は、弘前市の隣、平川市にあります。ここは、明治時代のレトロな西洋館と、大石武学流の真髄を示す、作庭家・小幡亭樹(おばたていじゅ)による、国指定名勝の池泉回遊式庭園があります。


 築山庭造伝や造庭秘伝書の形式を忠実に再現していると言われる日本庭園で、明治時代の作庭の中でも、京都の無隣庵、青風荘と共に我が国における三名園の一つに数えられています。
 

■ アクセス

 〒036-0242 青森県平川市猿賀石林1

開園
 4月中旬~9月末    9:00~17:00(17:00閉園)
 10月~11月中旬   9:00~16:30(16:30閉園)
 11月中旬~4月中旬  10:00~15:00(冬季営業)

JR弘前駅 弘南電鉄 弘前駅→津軽尾上駅下車(20分)から徒歩10分
 ※ 弘南電鉄一日フリーパス(1,000円)、盛美園セット券(1,100円)を利用すると良いでしょう。
路線バス 弘前駅より1日4〜5便、盛美園前に止まる
車 弘前駅から約15分
 

 

 

 盛美園は、青森県平川市にあります。弘前駅から、弘南電鉄に乗って20分ほどのところにある津軽尾上駅で下車します。そこから、リンゴ畑などのある、のどかなところを15分ほど歩いたところにあります。弘前駅から盛美園前まで、一日数本、バスも出ています。

 途中、六地蔵があり、モダンな建物も現れてきました。平川市役所の分庁舎です。塔の窓ガラスには、ステンドグラスがはまっています。

 

 「盛美園」(せいびえん)は大石武学流の真髄を示す、作庭家・小幡亭樹(おばたていじゅ)により作庭された、国指定名勝の池泉回遊式庭園です。
 築山庭造伝や造庭秘伝書の形式を忠実に再現していると言われています。明治時代の作庭の中でも、京都の無隣庵、青風荘と共に我が国における三名園の一つに数えられています。

 

スタジオジブリのアニメ映画「借りぐらしのアリエッティ」のモデルとなりました。

詳しくは「盛美園 建物編」をご覧下さい。

https://youtu.be/Ivgp3eaTSlU

 

 

 

枯れ池庭園

 

登拝山

右手に御宝殿があります

 

真の築山と蓬莱島を結ぶ土橋

 

 盛美園は、清藤家(せいとうけ)24代盛美が、

小幡亭樹宗匠を招き、明治35年より9ヶ年を費やしてつくったもので、

その広さは3600坪(1.2ヘクタール)あります。


 庭園のつくりは、

池を中心に「真」「行」「草」の三部から出来ています。

 

借りぐらしのアリエッティのモデルになったメルヘンチックな建物が

枯れ池越しに、池に映っています。

 


 庭園の中央は池泉と枯池の二段とし、

池泉には神仙島を浮かべその上に逢菜の松を植えています。


 「真」を表す築山、「行」を示す築山をつくり、

松・かえで・つつじ等を添えて趣きを豊かにしています。

蓮池

庭園の最も奥にあります

 

行の築山にある盛美神社

盛美神社の鳥居と大石武学流の岩石

 「大石武学流」、単に「武学流」と言うこともあります。

津軽地方独自の庭園の様式で、粗野な岩石を大胆に配し、

枯れ池・枯れ滝、燈籠を立て、

針葉樹の築山にも岩石を配します。


 「草」は、平庭になっていて、

天地創造の神々をつかさどったイチイの大刈込みが見事です。
 四季折々で景観が楽しめる、国指定名勝です。

 

枯れ池に彩りを加えている菖蒲

 

建物前に広がる「真行草」の庭園


 盛美園映像建物編

 盛美園映像庭園編

カメラ  盛美園建物写真集

カメラ  盛美園庭園写真集

 

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 興臨院 大徳寺塔頭 理想的な蓬萊世界を表す枯山水庭園

2023-07-11 10:03:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 興臨院 大徳寺塔頭 理想的な蓬萊世界を表す枯山水庭園 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

 

■■ 興臨院 大徳寺塔頭 理想的な蓬萊世界を表す枯山水庭園

    https://kyotoshunju.com/temple/daitokuji-kohrinin/

 興臨院(こうりんいん)は、京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の寺院で、大本山大徳寺の塔頭の一つです。ご本尊は釈迦如来で、特別拝観日以外は公開されていません。
 大永年間(1521年-1528年、1533年説もある)に、能登国の守護大名・畠山義総が、大徳寺86世の小渓紹怤(「付」の下に「心」、仏智大通禅師)を開山として建立しました。義総の法名をとって寺名を興臨院と命名されました。
 以来、能登畠山氏の菩提寺となりました。その後、能登畠山氏は没落し、代わりに能登を治めることになった戦国武将・前田利家により、天正9年(1581年)に改修が行われました。それ以後は、前田氏の菩提寺となり庇護されることになりました。
 方丈の床の間は日本で最初のものといわれています。創建当時の姿が残る表門と本堂(唐門を含む)が共に重要文化財指定されています。
 

 

■ アクセス

電車・バス
 市バス1、12、204、205、206、北8、M1号系統「建勲神社前(けんくんじんじゃまえ)」または「船岡山(ふなおかやま)」バス停にて下車。
 市バス206(右回り)号系統 「京都駅前」(A3のりば)約40分弱

 

山門とエントランス

山門(重要文化財)
 檜皮葺の平唐門で、大徳寺でも古い門のひとつに数えられます。

 

建物と付帯物

本堂(方丈)
 方丈は、興臨院の本堂でもあります。桃山時代以降、近世の方丈(本堂)建築より屋根が低いのが特徴です。これによって建物全体が安定感を持ち、優美に感じられるといいます。室町時代の建築様式の特徴をみせる入母屋造・檜皮葺の建物です。
 かつて狩野元信や土佐光信などの障壁画を飾っていたといわれますが、幕末から明治維新の混乱期に失われてしまいました。全20面ある襖絵は、福岡県久留米市の水墨画家、村石米齋によって描かれたといわれます。

 

茶室「涵虚亭(かんきょてい)」
 1928年(昭和3年)に山口玄洞による寄進です。蘇軾の詩から名付けられた古田織部好みの四畳台目に隅板を加えた茶室です。床の間は、袖壁が出ているために洞のように見えることから洞床(ほらどこ)と呼ばれています。
 

方丈庭園 枯山水庭園

方丈庭園
 方丈前庭があり、 1978年(昭和53年)に方丈の解体修理完成時に資料を基にして、昭和の小堀遠州といわれた中根金作により復元されました。枯山水庭園で白砂に石組を配し、理想的な蓬萊世界を表しています。
 

裏方丈庭園

テーブルに映る床紅葉

通常非公開

特別公開日のみ 室内撮影禁止

 

 

ナレーションつき映像 興臨院

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 源氏物語ミュージアム 宇治十帖と日本庭園

2023-07-10 10:03:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!ひとり旅】 源氏物語ミュージアム 宇治十帖と日本庭園

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■■ 源氏物語ミュージアム 宇治十帖と日本庭園

     https://www.museum.or.jp/museum/5229
     https://www.city.uji.kyoto.jp/soshiki/33/

 宇治市源氏物語ミュージアムは、京都府宇治市にある公立の博物館です。『源氏物語』の幻の写本とよばれる「大沢本」など「源氏物語」に関する資料の収集・保管等がなされています。実物大に復元した牛車や調度品などの復元模型や映像を通じ源氏物語と平安時代の文化に親しめます。
 1998年に開館し、開館10周年にあたる2008年9月にリニューアルが行われました。

 紫式部が書いた源氏物語五十四帖の中で、最後の十帖の舞台となったのが、このち宇治です。宇治は、当時から貴族の別業の地として愛されてきました。

 住所    〒611-0021 京都府宇治市宇治東内45-26 電話    0774-39-9300
 開館時間 9:00~17:00(入館16:30まで)
 休館日    月曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始
 料金    大人 600円(480円)/300円(240円)
     障害者等手帳所持者・介護者 ・宇治市内在住 無料 ・宇治市外在住 半額
     高齢者(70歳以上)・介護者・宇治市内在住 無料

■ アクセス
【電車】
・京阪/宇治線(京阪本線からは中書島乗換)宇治駅下車 徒歩約8分
・JR/奈良線(JR京都駅~奈良駅)宇治駅下車 徒歩約15分
・近鉄/京都線 近鉄大久保駅からバス約15分 バス停京阪宇治下車 徒歩約8分
※できるだけ公共交通機関でお越しください。

【バス・乗用車】
・大阪方面/名神大山崎JCTまたは第二京阪久御山JCTから京滋バイパスへ、宇治西ICから約10分(大阪方面からは宇治東ICで降りることはできません)
・名古屋方面/名神瀬田東JCTから京滋バイパスへ、宇治東ICから約5分
・駐車場 バス4台(1台1回 2,000円 バス駐車場は予約優先) 乗用車15台(1台30分 100円)

 

 

源氏物語ミュージアム エントランスと建物

建物周辺の池

源氏物語ミュージアム 池泉廻遊式庭園

 

 

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  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 曹洞宗仏徳山 興聖寺 道元を開祖とする曹洞宗最初の寺院

2023-07-07 10:03:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 曹洞宗仏徳山 興聖寺 道元を開祖とする曹洞宗最初の寺院

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

 

 

■■ 曹洞宗仏徳山 興聖寺 道元を開祖とする曹洞宗最初の寺院 


 興聖寺(こうしょうじ)は、京都府宇治市にある曹洞宗の寺院で、山号は仏徳山(ぶっとくさん)、ご本尊は「釈迦三尊」です。
 日本曹洞宗最初の寺院で、1233年(天福元年)、道元禅師が深草に興聖寺を開創し、「観音導利院興聖宝林寺」と号しました。
 僧侶の教育・育生を目指す修行道場としては、興聖寺が全国最初に先駆けました。このことから「曹洞宗初開道場」とは興聖寺のことを指します。

 


 

■ アクセス

 京阪宇治線 宇治駅より徒歩15分
 JR奈良線 宇治駅より徒歩20分
 〒611-0021 京都府宇治市宇治山田27-1

 

 琴坂・総門(石門) 


 宇治川を前にして、総門が立っています。ここでは「石門(せきもん)」と呼びます。
 坂の両脇を流れる水のせせらぎが琴の音のように聞こえたことから「琴坂」と名づけられました。新緑や紅葉が美しく四季折々の様々な表情を見ることができ、興聖寺を代表するスポットのひとつとなっています。
 

 

琴坂

 

 山門・鐘楼 

 

鐘 楼
 鐘楼(宇治市指定有形文化財)は、慶安4年(1651年)に建立されました。
 梵鐘(宇治市指定有形文化財)も、同年の鋳造で、鐘銘は江戸時代初期の朱子学派儒学者である林羅山の撰です。「興聖寺の晩鐘」として「宇治十二景」と「宇治十境」の一つに数えられています。

山門
 山門(竜宮造、宇治市指定有形文化財)は、天保15年(1844年)に改築されました。

 禅宗独特の放射架が特色ある龍宮門は、どんな修行僧も龍の如く大成するという願いが込められています。

 

 

 法堂・庭園 

 

法堂
 法堂(はっとう、本堂、宇治市指定有形文化財)は、お寺の中心となる建物です。慶安元年(1648年)に、伏見城から移築され、改築されました。
 堂内には本尊釈迦牟尼仏を中心に両側に文殊菩薩、普賢菩薩を祀るほか、達磨大師、大権修理菩薩、十六羅漢がお祀りされています。住職が説法を行う道場であり、朝暮の勤行が行われます。
 勅額「興聖寶林禅寺」は四条天皇の筆です。

 

血天井

伏見城の遺構を用いて建てられたと伝えられ、鶯張りの廊下です。伏見城の戦いの際に東軍の鳥居元忠率いる守備兵は敗北し、自害した血がついたままの血天井など、多くの見どころがあります。法堂裏側には准提観音を祀る准提堂が続いています。

 

法堂庭園

法堂庭園

 

 僧 堂 

 

僧堂
 僧堂(宇治市指定有形文化財)は、慶安元年(1648年)に建立され、元禄15年(1702年)に改築されました。
 修行僧が坐禅をするほか、寝起き・食事をする、生活の基本となる場所です。
 右側に顔がある特徴的な文殊菩薩坐像、大黒天・毘沙門天、弁財天の三つの顔を持つ三面大黒天をお祀りしています。僧堂では坐禅・写経の体験や法要・講義なども行われます。

 

 開山堂(老梅庵) 

 

開山堂(老梅庵)
 僧堂(宇治市指定有形文化財)は、慶安元年(1648年)に建立され、元禄15年(1702年)に改築されています。
 道元禅師を初め中興開山の萬安英種と歴代の住職を祀る開山堂は、道元禅師が梅の花を好まれたことから「老梅庵」と名づけられ、扁額も掲げられています。

 

 

老梅庵庭園

 

坪庭

 

 

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  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 京都府宇治市 三室戸寺と「与楽園」枯山水・池泉廻遊式庭園2 庭園編

2023-07-05 10:03:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 京都府宇治市 三室戸寺と「与楽園」枯山水・池泉廻遊式庭園2 庭園編

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 京都府宇治市 三室戸寺と「与楽園」枯山水・池泉廻遊式庭園

 

 三室戸寺(みむろとじ)は、京都府宇治市北部にある本山修験宗の別格本山の寺院で、山号は明星山といいます。最寄り駅の三室戸は「みむろど」と濁りますが、寺名は「みむろと」と濁りません。ご本尊は、千手観世音菩薩です。
 「夜もすがら月をみむろとわけゆけば 宇治の川瀬にたつはしらなみ」の御詠歌できこえる、西国十番の観音霊場で、観音応現の霊地です。

  寺伝によりますと、宝亀元年(770年)、光仁天皇の勅願により、南都大安寺の僧行表が創建したと伝わります。
 天智天皇の孫「白壁王(後の光仁天皇)」は、毎夜宮中に達する金色の霊光の正体を知りたいと願いました。その光を求めて宇治川支流である志津川上流の滝壺に、身の丈二丈ばかりの千手観音像を見つけました。1枚の蓮弁(ハスの花びら)が流れてきて、それが一尺二寸の二臂の観音像に変じ、その観音像を安置し、行表を開山として創建されたのです。
 開創以来、歴代天皇の崇敬を集め、寺域も漸次拡張されて、伽藍坊舎が年を追って増加したのですが、後花園天皇の時代の出火し、大半の伽藍を抄出してしまいました。
本尊、常行堂本尊の阿弥陀三尊、隆明大僧正念持の釈迦如来立像等の像は猛火を免れました。
 後土御門天皇により、諸堂の再建が始まりましたが、明和年間頃、堂宇が再び廃頽してしまいました。その後の再建で今日に至っています。

庭園「与楽園」
 つつじとともにアジサイの名所として知られ、日本庭園は『足立美術館庭園』で知られる昭和を代表する作庭家・中根金作が作庭しました。伽藍が立ち並ぶ高台からは一段低いエリアに、1988年(平成元年)に中根金作により作庭された日本庭園は“与楽園”といいます。あじさい苑、つつじ・しゃくなげ園があります。
 日本庭園は鶴亀島の浮かぶ大きな枯山水庭園と、池泉回遊式庭園とがあります。明星山の中腹という立地から、いずれも周囲の山々の借景も美しいです。5月は2万株のツツジ、一千本のシャクナゲ、6月は1万株のアジサイ、7月はハス、さらに秋は紅葉の名所にもなります。庭園は、近年整備されました。

 

アクセス
 京阪宇治線 三室戸駅より徒歩15分強(駅名は「みむろど」、寺名は「みむろと」)
 JR奈良線 宇治駅より徒歩30分
 宇治駅より路線バス「門前」バス停下車 徒歩5分
 611-0013 京都府宇治市菟道滋賀谷21 0774-21-2067
 通常: 大人500円

 つつじ園の開園期間:2023年4月22日(土)~5月14日(日)
  開園時間:8:30~15:40
  拝観料:大人1,000円、小人500円
 

 

 三室戸寺 

 

本山修験宗の別格本山の寺院で、山号は明星山といいます。

最寄り駅の三室戸は「みむろど」と濁りますが、

寺名は「みむろと」と濁りません。

ご本尊は、千手観世音菩薩です。

 

参拝チケット

通常は大人500円ですが、特定期間は1,000円

訪問した年は、開花が早くて、

有名なつつじも紫陽花も端境期でした。

 

三門

与楽園庭園入り口

特別期間は、ここからは入れません。

つつじ苑

本来は、全山つつじで覆われています。

一部につつじが残っていました。

白い木は山栗でしょうか?

 

四阿と紫陽花苑

枯山水庭園

枯山水庭園

枯山水庭園

 

池泉廻遊式日本庭園

左手に石橋

石橋

秋は紅葉が美しい

 

 

 

ホオノキ(朴の木、朴木、朴)

三重塔近くに咲いていました。


 モクレン科モクレン属に属する落葉高木の1種で、

南千島から九州に分布します。

別名としてホオ、ホオガシワなどともよばれます。
 大きな葉が輪生状につき、枝先に大きな花が上向きに咲きます。

日本自生の樹木の中では、最大級の葉と花をもつといわれます。
 大きな葉は、食べ物を包んだり、焼いたりすることに使い、

朴葉味噌とか朴葉焼きなどといわれます。
 樹皮は生薬とされ、厚朴または和厚朴とよばれ、

材は均質で柔らかく、細工物などに使われます。

 

三室戸寺 堂宇編 写真集

 

三室戸寺 堂宇編

三室戸寺 庭園編

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 京都府宇治市 三室戸寺と「与楽園」枯山水・池泉廻遊式庭園

2023-07-01 10:03:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 京都府宇治市 三室戸寺と「与楽園」枯山水・池泉廻遊式庭園1 堂宇編

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 京都府宇治市 三室戸寺と「与楽園」枯山水・池泉廻遊式庭園

 

 三室戸寺(みむろとじ)は、京都府宇治市北部にある本山修験宗の別格本山の寺院で、山号は明星山といいます。最寄り駅の三室戸は「みむろど」と濁りますが、寺名は「みむろと」と濁りません。ご本尊は、千手観世音菩薩です。
 「夜もすがら月をみむろとわけゆけば 宇治の川瀬にたつはしらなみ」の御詠歌できこえる、西国十番の観音霊場で、観音応現の霊地です。

  寺伝によりますと、宝亀元年(770年)、光仁天皇の勅願により、南都大安寺の僧行表が創建したと伝わります。
 天智天皇の孫「白壁王(後の光仁天皇)」は、毎夜宮中に達する金色の霊光の正体を知りたいと願いました。その光を求めて宇治川支流である志津川上流の滝壺に、身の丈二丈ばかりの千手観音像を見つけました。1枚の蓮弁(ハスの花びら)が流れてきて、それが一尺二寸の二臂の観音像に変じ、その観音像を安置し、行表を開山として創建されたのです。
 開創以来、歴代天皇の崇敬を集め、寺域も漸次拡張されて、伽藍坊舎が年を追って増加したのですが、後花園天皇の時代の出火し、大半の伽藍を抄出してしまいました。
本尊、常行堂本尊の阿弥陀三尊、隆明大僧正念持の釈迦如来立像等の像は猛火を免れました。
 後土御門天皇により、諸堂の再建が始まりましたが、明和年間頃、堂宇が再び廃頽してしまいました。その後の再建で今日に至っています。

庭園「与楽園」
 つつじとともにアジサイの名所として知られ、日本庭園は『足立美術館庭園』で知られる昭和を代表する作庭家・中根金作が作庭しました。伽藍が立ち並ぶ高台からは一段低いエリアに、1988年(平成元年)に中根金作により作庭された日本庭園は“与楽園”といいます。あじさい苑、つつじ・しゃくなげ園があります。
 日本庭園は鶴亀島の浮かぶ大きな枯山水庭園と、池泉回遊式庭園とがあります。明星山の中腹という立地から、いずれも周囲の山々の借景も美しいです。5月は2万株のツツジ、一千本のシャクナゲ、6月は1万株のアジサイ、7月はハス、さらに秋は紅葉の名所にもなります。庭園は、近年整備されました。

 

アクセス
 京阪宇治線 三室戸駅より徒歩15分強(駅名は「みむろど」、寺名は「みむろと」)
 JR奈良線 宇治駅より徒歩30分
 宇治駅より路線バス「門前」バス停下車 徒歩5分
 611-0013 京都府宇治市菟道滋賀谷21 0774-21-2067
 通常: 大人500円

 つつじ園の開園期間:2023年4月22日(土)~5月14日(日)
  開園時間:8:30~15:40
  拝観料:大人1,000円、小人500円
 

 

 三室戸寺 

 

本山修験宗の別格本山の寺院で、山号は明星山といいます。

最寄り駅の三室戸は「みむろど」と濁りますが、

寺名は「みむろと」と濁りません。

ご本尊は、千手観世音菩薩です。

 

参拝チケット

通常は大人500円ですが、特定期間は1,000円

訪問した年は、開花が早くて、

有名なつつじも紫陽花も端境期でした。

花がないことが解っているのですから、

通常料金にすべきではないでしょうか。

総門

三門

本堂への階段

階段の途中まで坂道がありますが、利用メリットは少ない

狛蛇(宇賀神)
 本堂前に鎮座する石像で、

身体は蛇がとぐろを巻く姿をしています。

近年の作品のようで現代風のデザイン

本堂(京都府指定有形文化財)

ハスの季節は見事に咲き誇りそうです。


 文化11年(1814年)に再建された、

重層入母屋造の重厚な建物です。

秘仏の千手観音立像が安置されています。

阿弥陀堂(京都府指定有形文化財)
 元々ここには親鸞の父日野有範の墓がありましたが、

親鸞の娘覚信尼が祖父有範の墓を整備し、

その上にお堂を建てて阿弥陀堂とし、

その菩提を忌いました。

鐘楼(京都府指定有形文化財)
 4本柱の吹き流し形式

吹き流し形式は6本柱もある

浮舟の碑

 

浮舟のあらすじ

 薫は浮舟を宇治の山荘に放置したまま、訪れるのも間遠であった。正月、中君のもとに届いた文を見て女の居所を知った匂宮は、薫の邸の事情に通じている家臣に探らせ、女が薫の囲い人として宇治に住んでいることを知る。匂宮はある夜、ひそかに宇治を訪れ、薫を装って寝所に忍び入り、浮舟と強引に契りを結んでしまう。
 宮中の詩宴の夜、浮舟を思って古歌を口ずさむ薫の様子に焦りを覚えた匂宮は、雪を冒して再び宇治に赴き、浮舟を宇治川対岸の隠れ家へ連れ出し、そこで二日間を過ごした。
ある日、宇治で薫と匂宮両者の使者が鉢合わせしたことからこの秘密は薫に知られてしまう。
 薫に恨みの歌を送られ、匂宮との板ばさみになって進退窮まった浮舟はついに死を決意する。死を間近に、薫や匂宮、母や中君を恋しく思いながら、浮舟は匂宮と母にのみ最後の文を書きしたためた。
  鐘の音の絶ゆるるひびきに音をそへて わが世尽きぬと君に伝へよ

三重塔(京都府指定有形文化財)
 元禄17年(1704年)建立の全高16メートルの三重塔です。

もとは兵庫県佐用郡三日月村(現・佐用町)の高蔵寺にあったものを、

1910年(明治43年)に当寺が買い取って

参道西方の丘上に移設しました。

その後1977年(昭和52年)に

境内の現在地(鐘楼の東隣)に移されました。

三重の塔前庭園

ホオノキ(朴の木、朴木、朴)

三重塔近くに咲いていました。


 モクレン科モクレン属に属する落葉高木の1種で、

南千島から九州に分布します。

別名としてホオ、ホオガシワなどともよばれます。
 大きな葉が輪生状につき、枝先に大きな花が上向きに咲きます。

日本自生の樹木の中では、最大級の葉と花をもつといわれます。
 大きな葉は、食べ物を包んだり、焼いたりすることに使い、

朴葉味噌とか朴葉焼きなどといわれます。
 樹皮は生薬とされ、厚朴または和厚朴とよばれ、

材は均質で柔らかく、細工物などに使われます。

 

三室戸寺 庭園編 写真集

 

三室戸寺 堂宇編(映像)

三室戸寺 庭園編(映像)

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

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静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺9 中国的七堂伽藍 枯山水と池泉廻遊式日本庭園

2023-06-29 10:03:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺9 中国的七堂伽藍 枯山水と池泉廻遊式日本庭園

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

 

■■ 京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺9 中国的七堂伽藍 枯山水と池泉廻遊式日本庭園

 

 京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」、山号は黄檗山は、1661年に、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていましたが、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗(おうばくしゅう)と改称し、現在に至っています。
 「禅宗」は、日本では、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残していることです。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例がありません。代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。

 

■ 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師、

 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。

 

■ 伽藍
 萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
 一番西側にある「総門」をくぐり、右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」があります。
 天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
 萬福寺の伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。
 これら萬福寺内の建物は、一般的な日本の寺院建築とは異なっています。宗祖隠元禅師が日本に渡ってきた中国の明時代末期頃の様式で造られています。建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。
 また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。(【公式サイト】をもとに作成)

 

■ アクセス

 JR黄檗駅から徒歩5分、京阪宇治線黄檗駅から徒歩8分
 私は、JR黄檗駅下車し、改札正面辺りにある小径(わかりにくい)を入って行きました。
 京阪の駅は、JRより西側(萬福寺の反対側)にありますので、JR踏切を横切ってから小径に入ります。こちらも入り口が解りにくいので、地元の人に聞かれるとよろしいでしょう。

 

 

同寺サイトのコンテンツは充実していて

以下の説明は、公式サイトを基に作成しました。

 

黄檗山萬福寺には、枯山水や池泉廻遊式の複数の庭園があります。

その中から4つの庭園をご紹介します。

 

 石 條 

 

石條(せきじょう)
境内に縦横に走っている参道は、

正方形の平石を菱形に敷き、両側を石條で挟んだ

特殊な形式であり、龍の背の鱗をモチーフ化したものです。

中国では龍文は天子・皇帝の位を表し、

黄檗山では大力量の禅僧を龍像にたとえるので、

菱形の石の上立てるのは住持のみです。

私達参拝者は、菱形石の上も歩いてよいと

受付でいわれました。

石條は、境内処々にあります。

重要文化財「通玄門」は、

開山堂にはいるための正門ですが、

ここも、やはり中央に

 

 放生池 

 

放生池 (ほうじょういけ)
 

 寛文4年(1664年)の造営です。萬福寺の造立が1661年ですので、その3年後に造られたことになります。
 総門を入ってすぐ右手に半月型をした池があります。放生池で、風水上の機能があります。
 ここでは、「放生会(ほうじょうえ)」という儀式が行われます。隠元禅師の放生思想は、明代の雲棲祩宏などの放生運動を受けたもので、「雲棲大師戒殺放生文」の跋文ほか放生を勧める法語が多いのが特徴です。
 放生会(ほうじょうえ)とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教的な儀式です。
 放生会は古代インドに起源をもつ行事で中国や日本にも伝えられてきました。また、インド由来の六道輪廻説と中国の孝道が一体化したものともいいます。

 

放生池(ほうじょういけ)南側

放生池 北側

 

 庭園「中和園」枯山水庭園 

 

  1972年(昭和47年)、隠元の300年大遠諱に合わせて整備されました。

名称は、当地にあった大和田御殿に後水尾天皇の生母である中和門院が、

そこに住われていたことにちなんで「中和園」と命名されました。
枯山水庭園と池泉廻遊式日本庭園とがあります。

 

天王殿の方向に行く回廊右手に中和園はあります。

中和園 枯山水庭園

中和園は中和門院の屋敷である大和田御殿跡にあります。

  中和門院が日常的に使用されていた

中和井(ちゅうわせい)という井戸が

上記写真のほぼ中央にあります。

 

中和井も見えます。

 

 庭園「中和園」池泉廻遊式庭園 

 

上述「中和園」枯山水庭園に続いて

池泉廻遊式庭園があります。

 

 

 

 

 

 天王殿庭園 

 

天王殿を背にして右手に中和園の枯山水・池泉廻遊式日本庭園があります。

左前に睡蓮池があります。

 

天王殿テラスから池を見下ろす

奥の建物は天王殿

4~5月にかけて睡蓮が素晴らしいでしょう。

天王殿横の回廊を見ながら睡蓮の池を見る

 

 売茶堂庭園 

 

 1928年(昭和3年)に創建された、

煎茶の祖であり、黄檗僧である

月海元昭禅師が祀られています。

月海は、京都の鴨川畔に茶屋を開き、

各地に煎茶筵を設け、茶を売り、

売茶翁や高遊外と称されました。

禅師像は、加納鉄哉の作です。
庭園の手入れ作業中で、

庭園を見ることができませんでした。

 

売茶堂

庭園作業中をお邪魔しました。

 

中国的七堂伽藍を巡る

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b748d78db82db192352d412faf6250de

門と回廊

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2ea2bd7248ec4587e29d17697f9ff258

開山堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a862cf8714f823fb0066f750814e2866

寿塔と石碑亭

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

潜脩禅・鼓楼・祖師堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

天王殿 当寺の玄関

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b1c971f5d6ae684410e0f52f989d64eb

大雄宝殿 最大伽藍

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/382b0ba3f3cc100e227f4c7a0552ee3d

法堂・鐘楼・開梆・雲版

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/578c48cf55819f437cafc8e201741479

庭園と放生池

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/6640d39a023332ddb3a5633aa3d75c38

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 京都御苑 閑院宮邸跡庭園 現皇族直系に繋がる四親王家の廻遊式日本庭園

2023-06-20 10:03:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 京都御苑 閑院宮邸跡庭園 現皇族直系に繋がる四親王家の廻遊式日本庭園

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 京都御苑 閑院宮邸跡(かんいんのみやていあと)庭園

 

 「閑院宮邸跡」は、広大な京都御苑の南西部に位置します。

 地下鉄丸太町駅から徒歩でも数分のところにあります。かつての皇族・閑院宮家の屋敷跡であり、その庭園の遺構であります閑院宮は、東山天皇の皇子直仁親王を始祖としています。

 創立は、宝永7年(1710年)です。閑院宮は、伏見宮、桂宮、有栖川宮家と並ぶ江戸時代の四親王家のひとつで、現在の皇室の流れとなっています。
 創建当初の建物は天明の大火(1788年)で焼失し、現在の建物との関係など詳しいことはわかっていません。

 閑院宮家が東京に移る明治10年まで邸宅として使用されていました。そののち、華族会館、裁判所となったりと、いろいろな変遷を経て、現在に至ります。平成15年度から3ヶ年をかけて全面的な改修と周辺整備が行われました。また、平成26年3月に、旧宮内省所長官舎跡の庭園が復元整備され、現在の庭園となっています。

 この部屋は、唯一天井に虹梁(化粧ばり)を渡し、墓股を置き、化粧屋根裏天井となっています。南棟の中でも最も立派な造りです。

 ここの庭園は、池泉回遊式庭園で、江戸時代中期の作庭といわれています。京都御所・仙洞御所など皇室の庭園でも見られる洲浜があります。ここの池泉はつては、今よりも大きかったそうです。江戸時代の洲浜の遺構は、地中に残って居るそうで、その上に同じ形で復元されました。

 奥には、二つ目の庭園があります。1892年(明治25年)に元・閑院宮邸の敷地内に宮内庁京都所長官舎が建造されました。その遺構が「宮内省所長官舎跡」として残されています。建物の基礎と沓脱石・手水鉢・庭園などを見ることができます。
 明治から大正時代にかけて作庭されたこの池泉回遊式庭園は、九條池や閑院宮家の苑池とはまた異なり、琵琶湖疏水から京都の市街地まで引かれた水路から伸びているそうです。こじんまりながら、きれいな水の流れが楽しめる庭園です。秋には紅葉が美しいそうです。

 

■アクセス
 〒602-0881 京都市上京区京都御苑3 

 京都市営地下鉄烏丸線 丸太町駅より徒歩3分
 京阪本線 神宮丸太町駅より徒歩15分
 最寄りバス停は「烏丸丸太町」バス停下車 徒歩2分

 

 

 

閑院宮邸跡

上記京都御苑看板地図の左下(南西)

 

 

 閑院宮邸跡 

 

正面玄関

 

 

天井に虹梁(化粧ばり)を渡し、

墓股(かえるまた)を置き、化粧屋根裏天井となっています。

南棟の中でも最も立派な造りの部屋で

虹梁は、ここだけです。

展示室

池泉前から築山越しに見た御殿

御殿裏側

中庭

 

 東池庭園 

 

茶室前から見る東池庭園池泉の東半分

ここには2つの庭園があり、その一つです。

東池庭園池泉の西半分

かつてはL字型の大きな庭園であったそうです。

東池庭園の池泉

東池庭園の畔の立つあづまや

 

 旧宮内省所長官舎跡 

 

一時期、旧宮内省署長官舎がこの地に置かれていました。

 

 

 

 

 

 

 西池庭園(旧宮内省所長官舎庭園) 

 

 

 

最上流が流れ出す築山

最上流

右手が最上流、奥が官舎跡地

上記踏み石から見た池方向(感謝園側間近)

 

 

ナレーションつき映像で視る

閑院宮邸跡庭園

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!ひとり旅】 京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園1 建物編

2023-06-18 13:05:34 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!ひとり旅】 京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園1 建物編

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園1 建物編 

 

 京都仙洞御所(せんとうごしょ)は、御所公園の南東部に位置し、京都迎賓館と並んでいます。

 後水尾上皇の御所として、1630年(寛永7)に完成しました。残念ながら当初の御殿は1854年(嘉永7)に焼失してしまい、今日まで再建されることはありませんでした。現在では庭園のみが残っています。現存するのは、醒花亭と又新亭の2つの茶屋と雄大な庭園が往時の面影を残しているのみです。

 仙洞御所(せんとうごしょ)は、太上天皇・法皇など、主に退位(譲位)した天皇のための御所のことを指します。それに対して、皇太后・太皇太后(崩御した天皇の皇后)の御所(女院御所)を大宮御所(おおみやごしょ)と呼びます。

 1854年の火災後、建築群は再建されず、現在では庭園のみが残っています。1867年以降、隣の御常御殿が残る大宮御所に組みいれられ、皇室の京都における邸宅として整備されました。現在では大宮御所と仙洞御所を合わせた邸宅を単に「大宮御所」と呼び、天皇・皇后の行幸啓(帰京)の際の滞在施設として使用されています。
 仙洞御所(大宮御所ふくむ)の地は、かつて太閤秀吉が築いた豊臣家の本邸「京都新城」のあった地であり、寛永4年に後水尾天皇が譲位の意向を示しますと、幕府はこの地を仙洞御所と大宮御所の地として選び御所建設工事に着手しました。
 2019年4月30日、第125代天皇明仁が退位し、上皇となりました。その上皇の御所として「仙洞御所」が東京(東京都内)にも整備されることから、区別の為に従来の仙洞御所は「京都仙洞御所」と改称されました。

庭園
 現代も天皇・皇后や上皇・上皇后(皇太后)両陛下の御宿泊所となる『京都大宮御所』に連なる池泉廻遊式日本庭園は、江戸時代初期に、後水尾上皇と仙洞御所の作事奉行だった小堀遠州により作庭されました。
 北池と南池という大きな2つの池泉が配されています。
 「北池」は、正面に見える東山の借景がとりわけ美しく見えます。
 北池を右回りに進みますと「六枚橋」に出ます。池のこの周辺は「阿古瀬淵」と呼ばれます。平安時代の歌人・紀貫之の邸宅がかつてこの辺りにあったと伝わり、そのことから名付けられました。また豊臣秀吉が『聚楽第』の後に築いた本邸『京都新城』の庭園の遺構とも伝わります。
水の流れを眺めながら大きな池を回遊しますと、モミジが美しいエリア〜苔の美しい園路…といった風景の変化を楽しめます。(おいけさんサイト参照作成)

 鷺島を通ってさらに進みますと「八ツ橋」にでて、南池エリアに入ります。八ツ橋は、かつては屋根のついた橋であったそうで、今では藤棚に覆われています。その先は直線的な護岸で当時の遺構です。
 南池のほとりにある茶室「醒花亭」の前の堤に、12万戸の丸石が敷き詰められています。丸石を集めるために、東京の『旧芝離宮恩賜庭園』で知られる小田原藩主・大久保忠真が、丸石一つにつき米一升といって集めたのです。そのことから、この丸石を「一升石」と呼ぶそうです。

 園内には二つの茶室があります。
 園内に入りますと右手にあるのが「又新亭(ゆうしんてい)」です。明治時代に五摂家のひとつ近衛家から献上された茶室です。海外からの賓客が大宮御所に泊まられた際などに日本の文化を代表する茶道をここで体験していただきます。造りも、いわゆる「茶室」といえる造りで、
 他の一つは、南池の南端ほとりにある茶室が「醒花亭(せいかてい)」です。前述の「又新亭」が、茶室茶室しているのに対して、こちらは開放的で、煎茶を楽しむためにしつらえています。前庭の苔が美しいと評判です。

 

■ アクセス

 京都市営地下鉄烏丸線 丸太町駅より徒歩10~15分
 京阪本線 神宮丸太町駅より徒歩約15分
 市バス「府立医大病院前」下車、徒歩約10分
  最寄バス停は「荒神口」「烏丸下長者町」バス停 徒歩約10分
 〒602-0881 京都府京都市上京区京都御苑2番地
 定休日    月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/28~1/4)、行事等が行われる日
 TEL    075-211-1215(宮内庁京都事務所参観係)
 ホームページ    http://sankan.kunaicho.go.jp/
 料金:無料(入場人数制限あり)
 予約方法:事前申込が好ましく、午前11時より当日申込の整理券が門前で発行
 

 御常御殿 

 

大宮御所・仙洞御所とも焼失し、再建されず、

その代替を務めるのが御常御殿です。

大宮御所・仙洞御所の勅使門

御所への大通りに直交する道から見た勅使門

左手は有栖川宮旧邸後

勅使門

「京都大宮御所」の御常御殿

後水尾上皇の御所として、1630年(寛永7)に完成しましたが

1854年(嘉永7)に焼失し、再建されていません。

大宮御所・仙洞御所の代わりに、

ここ御常御殿が、皇族の皆さんの宿泊所

車寄せ

皇族の皆さんが来られたときに

お出迎えの人が少なければ車寄せから下車

たくさんのお出迎えがいる時には、

勅使門を入られたところで下車し

徒歩で御常御殿に入られるそうです。

御常御殿車寄せの天井

大宮御所・仙洞御所庭園への入り口

御常御殿を南側から見る

建物は和風ですが、室内は洋風になっているそうです。

中央にシャンデリアが一つ点灯しているのが見えます。

 

 お茶室 

 

 園内には二つの茶室があります。
 園内に入りますと右手にあるのが「又新亭(ゆうしんてい)」です。明治時代に五摂家のひとつ近衛家から献上された茶室です。海外からの賓客が大宮御所に泊まられた際などに日本の文化を代表する茶道をここで体験していただきます。造りも、いわゆる「茶室」といえる造りで、
 他の一つは、南池の南端ほとりにある茶室が「醒花亭(せいかてい)」です。前述の「又新亭」が、茶室茶室しているのに対して、こちらは開放的で、煎茶を楽しむためにしつらえています。前庭の苔が美しいと評判です。
 

お茶室への門

植木職人さん達がお手入れの最中でした。

「又新亭(ゆうしんてい)」

明治時代に五摂家のひとつ近衛家から献上

伝統的なお茶室らしいお茶室です。

海外からの賓客が大宮御所に泊まられた際などに

日本の文化を代表する茶道をここで体験していただきます。

中を見られないのが残念です。

 

醒花亭(せいかてい)

南池の南端ほとりに立っています。

洲浜には12万戸の丸石が敷き詰められています。

丸石を集めるために、丸石一つにつき米一升といって集めたので、

そのことから、この丸石を「一升石」と呼ぶそうです。

「又新亭(ゆうしんてい)」が、いかにも「茶室」という設えなのに対して

こちらは開放的です。

煎茶を楽しむためにしつらえています。

前庭の苔が美しいと評判です。

入口側

 

仙洞御所跡

柿本社

大宮御所・仙洞御所をお守りする神社

 

京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園1 建物編

京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園2 北池 

京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園3 南池 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】京都迎賓館6 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 庭屋一如の3つの庭園

2023-06-18 13:02:51 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】京都迎賓館6 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 庭屋一如の3つの庭園

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都迎賓館6 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 庭屋一如の3つの庭園

 京都迎賓館(きょうとげいひんかん、Kyoto State Guest House)は、京都市内の京都御苑内東北部にあり、元赤坂の迎賓館赤坂離宮とともに、日本の迎賓館として国の体面を保つ施設です。
 迎賓館は、外国の国家元首や政府の長などの国賓を迎え入れた時に、会食や宿泊等の接遇を行う施設です。

 京都迎賓館は、2005年(平成17年)4月17日に開館しました。「日本の伝統技能の粋を集めた最高のおもてなしの場」と評され、日本の歴史、文化を象徴する京都で、賓客を迎えいれ、日本への理解と友好を深める施設といえます。
 建物は、洋風の赤坂迎賓館とは対照的な和風建築として設計されています。南側を「表」(公の場)、北を「奥」(私的施設)と位置付け、建物の南半分には会議・会談、晩餐、和風会食、管理等の施設が、北半分には賓客の居住・宿泊のための施設が配置されています。
 歴史的景観や周辺の自然環境との調和を図るため、日本の伝統的な住居である入母屋(いりもや)屋根と数寄屋(すきや)造りの外観です。
 「行の庭」と命名された池の周囲に、聚楽の間、夕映えの間、藤の間、桐の間、滝の澗、貴船の間、水明の間や宿泊エリアがあります。
  所在地    京都府京都市上京区京都御苑23
  敷地面積    約2万140平方メートル
  本館構造    鉄筋コンクリート造、地上1階(地下1階)
  延床面積    約1万6000平方メートル


 庭園は、仁和寺・御室御所の御用庭師だった佐野藤右衛門氏が携わっています。庭園の大滝を手掛けたのは、イサム・ノグチ氏の共同制作者でもあった石彫家・和泉正敏氏です。

 玄関前の「真の庭」、館内の中央「行の庭」、賓客宿泊室に面する「草の庭」の3面で構成されています。
 「庭屋一如(ていおくいちにょ)」の現代和風の庭園として、尼崎博正氏の監修により、佐野藤右衛門氏を棟梁とする京都の庭師らにより作られました。
 庭屋一如とは、「庭と建物は一つの如し」という意味です。庭と建物が融合し、自然と調和する境地、庭と建物の調和がとれた生活空間、引いては環境と共生する建物を指します。
 古くから日本の住まいには庭園や坪庭があり、「自然と人は分かち難く、つながっている」という日本人の心情があらわれています。(「庭屋一如」の説明はhttps://shichusankyo.com/theme/garden/をもとに作成)

 長年希望していたものの、なかなか予約が取れませんでした京都迎賓館を訪れるチャンスが偶然のタイミングでやってきました。
 一名の予約キャンセルがあると、迎賓館横の休憩所で、係の人から声をかけられたのです。
 日本の匠の技の結集である京都迎賓館は、想定以上に感動しました。

 建物や調度品には、数寄屋大工、左官、作庭、截金(きりかね)、西陣織や蒔絵(まきえ)、漆など、数多くの京都を代表する伝統技能が活かされ、それを処々で感じ取れます。

■ 日本庭園
 玄関前の「真の庭」、館内の中央「行の庭」、賓客宿泊室に面する「草の庭」の3面で構成されています。
 「庭屋一如(ていおくいちにょ)」の現代和風の庭園として、尼崎博正氏の監修により、佐野藤右衛門氏を棟梁とする京都の庭師らにより作られました。
 庭屋一如とは、「庭と建物は一つの如し」という意味です。庭と建物が融合し、自然と調和する境地、庭と建物の調和がとれた生活空間、引いては環境と共生する建物を指します。
 古くから日本の住まいには庭園や坪庭があり、「自然と人は分かち難く、つながっている」という日本人の心情があらわれています。(「庭屋一如」の説明はhttps://shichusankyo.com/theme/garden/をもとに作成)
 ただし、一般ツアーでは、宿泊室に面し、滝を有する「草の庭」を拝見することはできませんでした。

■ アクセス

 京都市営地下鉄今出川駅より徒歩10分

 見学料: 2,000円
 事前予約制
 空きがあると当日受付もあります

 

 玄関前の「真の庭」 

 

京都迎賓館前庭

「新の庭」は京都迎賓館正面玄関前に位置しています

前庭には御影石が敷き詰められ重厚さを感じました


敷石となっている御影石

「新の庭」の二大立役者

玄関越しに見る正面門

 

 館内の中央「行の庭」 

 

建物に囲まれ、中庭のようになっているのが「行の庭」です

エントランスホールから見た「行の庭」の池

最初に入った「聚楽の間」からは庭園・池は見えません

 

 夕映えの間から見た「行の庭」 

 

「比叡月映」、「愛宕夕照」の綴れ織りのある

夕映えの間から「行の庭」を見ました

夕映えの間から見た「行の庭」南池

 

 

 

 

 

 

 藤の間から見た「行の庭」 

 

大広間の晩餐室である藤の間は、

人間国宝の江里佐代子氏による截金で飾られています。

 

雪見障子越しに見る「行の庭」

 

 

水面の揺らぎ

 

 桐の間から見た「行の庭」 

 

和の晩餐室「桐の間」からも「行の庭」が見えます

桐の間の廊下の外には庭園も見えます

 

 

 

 

 舟形天井の廊下から見た「行の庭」 

 

池を渡る屋根付き廊下

橋の南東たもとに立つやなぎ

「行の庭」南半分

正面は夕映えの間

「行の庭」南東部

「行の庭」南西部

「行の庭」南西部

「行の庭」北側、建物は宿泊室

 

宿泊室横にある船泊

 

船泊から見た桐の間(正面)と舟形天井橋(右)

宿泊室

舟形天井橋中央からは北正面に位置

舟形天井橋からみる北東の浜

橋のたもとに咲くコウホネ

 

京都迎賓館1 アプローチ         

京都迎賓館2 エントランスホールと聚楽の間

京都迎賓館3 綴れ織による日月の夕映え景色 

京都迎賓館4 晩餐会場「藤の間」     

京都迎賓館5 和の晩餐室「桐の間」    

京都迎賓館6 庭屋一如の3つの庭園    

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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