お堅い系の翻訳をすることが多いので、自然と思考回路がお堅くなっているようです。
先日、留学生の体験談のようなものを訳す機会があったのですが、十代の少年の言葉なのに、あやうくorを「あるいは」と訳しそうになりました。
いくらなんでも「あるいは」なんて言わんやろ~(笑)。
と自分でツッコミを入れまして。
まあ、気づいて良かったです。
小説を書いていたときも、読み直して、「あ、お堅い」と思ったことがしばしば。
いろいろな文章に触れて、いろいろな日本語を使えるようになりたいですね。
翻訳学校時代に、「一つの単語から五つの訳語を考えつかなければならない」と講師から言われました。もちろん、それはある単語に、辞書の一番上に出てくる訳語だけでなく、一番下に出てくる訳語もあるのだという意味もあるでしょう。でもそれ以外に、文脈に応じてふさわしい訳語を選ぶことも含まれるわけです(「たくさん」がいいのか「多数」がいいのかなど)。
まあ、そんなことはみなさんご存じのことでしょう。
小説を書いていて、さっきの段落でこの言葉を使ったから、同じような意味で違う表現はないかなあ……とよく考えたわりに、やっぱり同じ単語を使っていたりするので、自戒の意味の日記でした。
先日、留学生の体験談のようなものを訳す機会があったのですが、十代の少年の言葉なのに、あやうくorを「あるいは」と訳しそうになりました。
いくらなんでも「あるいは」なんて言わんやろ~(笑)。
と自分でツッコミを入れまして。
まあ、気づいて良かったです。
小説を書いていたときも、読み直して、「あ、お堅い」と思ったことがしばしば。
いろいろな文章に触れて、いろいろな日本語を使えるようになりたいですね。
翻訳学校時代に、「一つの単語から五つの訳語を考えつかなければならない」と講師から言われました。もちろん、それはある単語に、辞書の一番上に出てくる訳語だけでなく、一番下に出てくる訳語もあるのだという意味もあるでしょう。でもそれ以外に、文脈に応じてふさわしい訳語を選ぶことも含まれるわけです(「たくさん」がいいのか「多数」がいいのかなど)。
まあ、そんなことはみなさんご存じのことでしょう。
小説を書いていて、さっきの段落でこの言葉を使ったから、同じような意味で違う表現はないかなあ……とよく考えたわりに、やっぱり同じ単語を使っていたりするので、自戒の意味の日記でした。