たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



昨日、降雪があり、多摩地方は、今朝まだ雪が残っていた。雪の上に残る無数の足跡。ふと、プナンの森の足跡学なるものを思い出した。狩猟に出かけると、プナンのハンターたちは、まず最初に、足跡(uban)に目を凝らす。イノシシの真新しい足跡が見つかる。一頭か、複数頭か。それは、どこからどこへと向かっているのか。瞬時に探索する。その場所が風下であれば、動物に人の匂いが届かないから、そのイノシシは、やがて戻ってくるのではないか。そのときに仕留めることができるのではないか。しばらく、ここで待ってみよう・・・という具合に。人によって、探索の程度にちがいがある。足跡を入念に分析をして、待ち伏せる場所をきわめて論理的に組み立てるハンターがいる。かと思えば、直感的に、足跡を追ってゆくハンターもいる。彼らは、動物の糞には、ほとんど注意を向けることはない。イノシシの真新しい足跡を追っていくと、その先に、泥水のたまりに出た。そこで、イノシシは水浴びをしたのだ。イノシシの心持ちのようなものが伝わってくるように感じる。ハンターはいう。「そこでやつは水浴びをしたのさ(ia meru situ)」プナンの足跡学は、動物の足跡だけを見きわめるのではない。先に狩猟に入ったハンターたちの足跡を見て、誰某のものであると特定する。同じところには行かないで、別の猟場へと向かうために。足跡は、ズック靴の場合もあれば、裸足の場合もある。プナン人は、近しい人の足、足元につねに注意を払っているということか。ハンターは、人の足跡を見て、ゆっくり歩いているなと思う。急いでいるときには、歩幅が大きくなる。ズック靴が脱ぎ捨てられている。音を立てないようにして、裸足で獲物に近づこうとしたのかもしれない。脱ぎ捨てられたズック靴から、持ち主の高まる心を読み取る。するとどうだろう、しばらく行くと、足跡の持ち主であったハンターが、イノシシを担いで現れたことがあった。逆に、プナンは、だれのだかわからない足跡があれば警戒心を示す。森の足跡学とは、プナンにとって、足跡を手がかりとして、世界の成り立ちを見るための入り口である。

(写真は、くっきりと残るイノシシの足跡)



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